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第十四話「声がきこえる」

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 一年前の出来事が村山と久しぶりに会ったからか、鮮明に浮かんでくる。
  
       *

 高校二年生という時期は、受験も無ければ部活の主役でもない。
所謂だらけやすい時期だ。それが五月の連休明けともなると、もっと……だらけてしまうのも無理は無い。
そう自分に言い訳をしつつ、放課後の教室でテスト前だというのに、俺は好きな本を読んでいる。
「お、杉くんまだいたんだ?」誰もいない教室に村山が入ってきた。
「まあな。村山は家に帰ったんじゃなかったのか?」
「恥ずかしながら、私、村山絵里は、数学の教科書を取りに戻ってきたのであります」
自衛隊の敬礼みたいに、と言ってもおそらく角度がなっていないのだろうけれど、村山は敬礼のポーズをとって笑う。
「なるほどな、村山って意外とおっちょこちょいだよな」
「うるさい、うるさい。しっかりしてるもん。お料理だってできるし、裁縫だってできるんだよ」
村山の話しを適当に聞きつつ、村上春樹の「ノルウェイの森」をまた、読み始める。
「ちょっと、人の話し聞いてる? ていうか、何読んでるの?」
ブックカバーを勝手にはがそうとする村山の手を覆うようにして抑える。
「村上春樹のノルウェイの森だよ。この本は何度も読んだけれど、未だに作者の意図が分からないんだ。愛とか死とかよく分からないな」
「ふーん。知らない作家さんだなあ。恋愛なら恋空がお薦めだよ」
「遠慮しとく」
そう俺が言うと、村山はご立腹なのか、頬っぺたをふくらませた。
――本当のことを言えば、小説の中の恋よりも、現実の恋のほうが俺にはよく分からない。
「ところで、さ、今テスト期間中だけど、杉くんは今日どうするの? まだ教室で本を読むの?」
「そうだな、勉強したいって気分じゃないし」
「じゃあさ、私の家で一緒に勉強しない?」彼女は俺の耳元で二人だけの秘密のように囁く。
「勉強したい気分じゃないって俺が言ってるのに、どうしたらそんな提案が浮かぶんだよ」
「ほら、一緒に勉強すれば気分が乗って、はかどるかもしれないじゃん?」
――なぜ、この女は俺に構うのだろうか? なぜ、一緒にいたいのだろう……
「って、ちょっと人の話し聞いてる?」
俺は、村山の言葉に返事もせずに、「ノルウェイの森」を鞄にしまって、教室を出る。
 教室の奥から声が聞こえた。
「私を一人にしないで」
 村山は泣いていた。
この時、俺は初めて村山の泣いている姿を見た。
泣いている姿を見られたくないのか、俺の机の下に、まるで避難訓練の時のように体を丸めている。
「なぜ、泣いているんだ?」俺は問う。
「両親が離婚して、どっちが私を引き取るかで揉めているの」
村山が手で髪の毛をぐしゃぐしゃと弄る。感情が高ぶっているのだろう。
「そうだったのか……それはつらいな」
場違いなチャイムの音が教室に響く。
「ねえ、私って、いらない子なのかな?」
チャイムの音が鳴り止む。
「そんなことないだろ」
机の下から顔を出して村山は俺を見つめる。
「じゃあさ、抱きしめてよ。私が必要だってことを証明してみせて」
場違いなチャイムはもう鳴らない。
「それは、できない」
村山はまた、机の下に潜り始める。
「そっか……やっぱり私、いらない子なんだ」
「そういう訳じゃない。だけど、村山の要求には応じることはできないんだ」
窓の外のグラウンドから、野球部の声が聞こえる。サッカー部の声が聞こえる。
 教室からは、村山の泣き声が聞こえる。
「……分かった。もう、分かったから、私の前から消え失せて」
「すまん」
俺は教室を後にした。
どこまで離れても村山の泣き声が聞こえる気がした。

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