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夏がきた。昨年から小学校の教室にはエアコンが設置され、これまでは炎天下でも構わず校庭に飛び出していた子供たちの行動様式が変化した。昼休み、教室は天国だった。
岬はその時間、図書室にいた。ここはまだエアコンが整備されていない。背中や腋の下に多少の湿っぽさを感じていたが、さほど問題とは思わなかった。岬の価値観では、雑音まみれの冷房空間と静謐さが確保された灼熱下を比較すると後者に軍配が上がる。
図書室では家にほとんどない平成以降出版の小説を読むことが多かった。夏目漱石や太宰治も好きだが、岬は体裁として『小説』であるなら作品の年代や著者へのこだわりは特に持っていなかった。
無数に並んでいる単行本の背表紙を眺めていると、胸が躍る感覚を覚えた。一冊一冊に独自の文体があり、思想があり、言葉がある。それを貪っていると、岬はただひたすらに落ち着くのだった。
その中に紛れていた、黄色一色の背表紙が岬の目を引いた。爪先立ちをしてその本を本棚から解き放ち、椅子に座って表紙を見る。知らない著者だったが、シンプルで惹かれる装丁だった。
本を開くと、極めてテンポが良く読みやすい文章で、元々本を読み慣れている岬はスルスルと物語を先に進めていったが、読んでいくうちにスピードが落ちていった。考えながら読んでいる自分に気付いたのだった。
この物語は冒頭から主人公が死んでいる。主人公は魂と呼ばれる姿に変わっていて、そこに天使がやってくる。主人公は前世である罪を犯し、その悪事を思い出すため人の身体を借り、現世に戻る。乗り移った身体は自殺したばかりの中学生。
現代小説をあまり読んでこなかった岬にとって、自分の生活と延長線上にある物語は未体験のものだった。つい自分に置き換えて読もうとしてしまう。知識として作品を摂取することに慣れていたので、頭ではなく胸の奥に染み込んでくるような読み応えに、岬は大いに戸惑った。
そのうちにチャイムが鳴り、教室に戻らなくてはならない時間となった。岬は慌てて本の間にスピンを挟み、元の棚に返して図書室を飛び出していった。
翌日の昼休みも、岬の足は図書室に向いた。昨日読んだ本の続きがあれからずっと気になっていたのだった。主人公の好きな女の子が援助交際をしていることが発覚したあたりで中断してしまっている。早く続きを、とはやる気持ちを抑えながら本棚の前に立った。本は消えていた。
──え?
どうしてどうして、と岬の頭は乱れた。慌ててはいたものの、ちゃんと同じ場所へ戻したに違いないのに。こんなことなら昨日借りておけばよかった。
岬は訳もわからず走り出してしまうと、窓側の机あたりから視線を感じてそちらを見やった。
長く綺麗な黒髪の女の子が開いていた本は、あの黄色の単行本だった。あ、と短く口から音を漏らした岬の反応を見て、女の子は何かを察したように立ち上がり、黒髪をサラサラと揺らしながら岬に歩み寄って、軽やかな音とともに本を渡した。
その子からは、今までにあまり接したことのない柔らかさを感じたのだった。