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第十三話 分身

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【8日目:朝 東第一校舎一階 廊下】

 峠練二と三体の分身、のべ四人に前後左右を包囲され、その包囲網はすでに二メートルほどにまで詰まっている。一秒後には、ナイフの間合いだろう。
 陽日輝は、想定外の事態の中混乱していた頭を、それでも懸命に回転させ――結果、空転した頭が半ば直感的に導き出した対処法を叫んでいた。
「伏せろ!」
 その言葉通りに凜々花が動くのを確かめる余裕もなく、叫んだときには、陽日輝は床を蹴っていた。
 自分の正面にいる練二は、分身ではなく本物だ。
 ならばこいつをテレポートされる前に倒してしまえば、残り三体の分身は消える――!
「っらぁぁ!」
 陽日輝の、『夜明光(サンライズ)』に包まれた右の拳は、練二がナイフを突き出すよりも先に、綺麗なカウンターのタイミングで彼の顎に命中した。
 それだけで、練二の顔の下半分は一瞬にして焼け溶ける。
 が――直後、その体はぶくぶくと泡に包まれて崩れ落ちていった。
 テレポートした――だけじゃ、ない!
「……!」
 慌てて振り返った陽日輝は、凜々花がしゃがんだ状態から読み札を投擲し、至近距離にいた三体の分身すべての首に命中させたのを見た。
 ――陽日輝が凜々花に伏せろと叫んだのは、分身がオリジナルの練二と同じ動きしかできないのなら、しゃがんでしまえばナイフが当たることはないと踏んだからだ。その読みは当たったが――しかし。
「陽日輝さん、この能力――!」
「ああ……! コイツ、自分と分身の位置を入れ替えることもできるのか!」
 陽日輝は叫ぶ。
 パチパチパチと、癪に障る拍手の音が背後からした。
「ご名答、陽日輝君。『複製置換(コピーアンドペースト)』の真価はそこにあるんだよ。僕は、僕と僕が創り出した分身との位置を自由に入れ替えることができる。テレポートと組み合わせると、こんなことだってできるんだよ」
 すでに練二は、三体の分身を再度創造していた。
 またしても、陽日輝と凜々花を取り囲むように。
「とはいえ、これは奥の手だよ。僕は君が僕を殴る直前に、分身のうちの一体と入れ替わった。そして、凜々花ちゃんがカードを投げたときには、今僕がいる位置に分身を作って、カードが僕に当たる前にその分身と入れ替わった。だからこうして無事でいるわけなんだけど、こんなことをするまでもなく、さっき取り囲んだ時点で勝ったつもりだったよ。二人とも、動きがとても素早いし迷いが無い。君たちも、結構殺してきてるね?」
 練二は、その柔和な顔立ちに似合った爽やかそうな笑みを浮かべて言った。
 だが、その瞳には、隠そうともしない嘲りと悪意の色が宿っている。
 ――この男は、この状況を楽しんでいる。
 ベラベラと喋っているのも、自分が負けないことを確信しているからだ。
 陽日輝と凜々花を精神的に追い詰めて、愉悦を感じているのだ。
「……だったらなんだ。何回分身を作ろうが、さっきみたいにそのたびまとめて潰せばいい」
「それができるならね。君はともかく、彼女のほうは、投げるものがなくなれば、さっきと同じ立ち回りもできなくなるだろう? それとも、カードも能力で作れるのかな? だとしても同じだ。この先何回何十回と、同じ攻防を繰り返すのは、女の子の体力では辛いんじゃないかなぁ」
 ――コイツ、厄介だ。
 凜々花が当初携帯していたカードの大多数は、陽日輝が焼いてしまっているので、今、凜々花が持っているカードの枚数は、そう多くない。
 練二が推測したような、カードを生み出す能力は凜々花にはないし、カードの残数抜きにしても、このような攻防を繰り返していくだけでは、凜々花の体力面で不利になるのはこちらだというのも事実。
 それをわざわざ言ってくるのは、こちらを心理的に追い込みたいからだ。
 実際、背中合わせの凜々花が不安げなのは、気配で分かる。
 そんな凜々花を勇気づけるためにも、陽日輝は気丈に叫んだ。
「だからどうした! お前が分身を作ったりテレポートしたりする前に、四人まとめて潰せばいいだけだ! 見たところ、分身は三体までしか作れないみたいだしな!」
「……はは。思っていた通りの台詞ありがとう、陽日輝君。それじゃあ――君に最大の絶望をプレゼントしてあげるよ」
 練二は。
 左手の指を、またしても鳴らした。
 パチン。
「……!」
 四体目の分身が、練二の右隣に現れる。
 パチン。
 五体目が、今度は左隣に。
 パチン。
 六体目。
 パチン。
 七体目――
「僕が創り出せる分身は全部で七体なんだよ、陽日輝君。実に縁起が良い数だよね。まあ、僕自身を合わせれば八人になるんだけど。――これでも、まとめて潰せるかな?」
「陽日輝さん、このままじゃ……!」
 背後から聞こえる凜々花の声からは、明らかに狼狽が溢れている。
 陽日輝は奥歯を噛みしめ、ジリジリと迫りくる合計八人の練二を睨んだ。
 当の練二はまるで酔いしれるように、その視線を受け流している。
「そうそう、その顔だよ。悔しさが滲んだしかめっ面。僕は七体の分身を動かせるし、分身と自分の位置を入れ替えることもできる。さらに、いざとなればテレポートで逃げてしまうことも可能なんだ。どうだい? 絶望するだろう?」
 練二が、勝利を確信した薄笑いを浮かべて言うのを、陽日輝は歯噛みしながら聞いていた。
 握り締めた拳を、その苛つく顔に叩き込むのは容易だが、そのときには分身と入れ替わってしまっているだろう。
 そして、指パッチンひとつ鳴らすだけで、分身は補充できる。
 どうにかして、七体の分身と本体、のべ八人を、同時に仕留めることができれば――だが、自分と凜々花が出来る限りの動きをしても、さすがに八人同時は不可能だ。その間に分身を増やされるか、テレポートを使われる。
 だが――
「……この分身は、お前本体が近くにいないと動かせないか、機能しないんだろ? だからお前はわざわざ分身と一緒にここにいるんだ」
「……はは。だから何だい? だったとして、どうだっていうんだい? 僕たち八人を同時に倒す術が君たちに無い以上、どうでもいいことだよ」
 練二と七体の分身が、再び間合いに迫る。
 ――考えろ。
 峠練二の、『複製置換』の弱点を。
 さっき、余裕ぶっていたコイツに微かだが確かな苛立ちが見えた。
 それは、射程距離に限りがあるという弱点を指摘されたからだ。
 だが、他にも弱点はないか?
 今のは練二の言う通り、知ったところでどうにもならない弱点だ。それじゃ意味がない。
 ――あとは、分身は本体と同じ動きしかできないというのも弱点か。
 そちらは練二自ら口にしていたくらいだから、大した問題ではないのだろう。少なくとも、練二はそう捉えている。
 ――待てよ。
 ということは、『分身は本体と同じ動きしかできない』ことは問題ではなく、『分身は本体の近くにいないと機能しない』ことは、少なくとも指摘されて苛立ちを覚えるくらいには、都合の悪い事実なのか?
 だとしたら――
「凜々花ちゃん――正面の分身を倒して、全力で走れ!」
 陽日輝は叫び、凜々花の返事を待たずに、練二本体に殴りかかった。
 練二はすぐさま自分と分身を入れ替えたようだ。構わない。
 陽日輝の狙いは、そこではない。
 背後で凜々花がカードを投擲したことによるものであろう風を切る音がしたのを耳にしながら、陽日輝は分身の――右腕を、殴っていた。
 焼き切られた右手首は、ナイフを握ったまま床に落ちる。
 これで、この分身には脅威はなくなった。
 本体が身に付けているものまで再現してしまえるのは恐ろしいが、裏を返せば、本体とまったく同じようにしか創造できないのが、分身の弱点。
 そして――本体が身に付けているものを複製できるということは。
「!」
 練二が息を呑むのが分かる。
――陽日輝は、無力化した分身の左胸のポケットから、手帳を取り出していた。
 練二の能力の有効範囲や発動条件など、何かしらの弱点を見つけるためだ。
 そのためには、分身を仕留めてしまうわけにはいかなかった。致命傷を受けた分身は、すぐに泡となって消えてしまうからだ。
 そして――手帳の最後尾、能力説明ページに素早く目を通した陽日輝は、練二の能力の正体――そして、彼の説明に含まれていた嘘を知った。
「凜々花ちゃん! ――コイツは、テレポートなんて持ってない!」
「えっ!?」
 陽日輝の指示通り、離れたところにまで移動していた凜々花が、足を止めて振り返る。
 ――そう。
 練二には、テレポートなんて能力は無い。
 能力説明ページに書かれていたのは、『複製置換』だけだ。
「峠練二! お前の能力は、指を鳴らして分身を創り出すことと、半径三メートル以内の範囲で、分身と自分の位置を入れ替える、分身に自分と同じ動きをさせる――それだけだ!」
「……!」
 練二が、自分の能力の秘密を知られ、動揺している。
 その隙を突いて、陽日輝は駆け出していた。
 能力のタネが割れたところで、人数の差は実際のところ脅威だ。
 だが、テレポートがブラフだったということは、半径三メートルの範囲から逃れてしまえば、練二には追撃ができないということを意味する。
 ――逃げるだけなら、もはや簡単だ。
 しかし、この男はここで倒しておかなければならない。
 そのため、陽日輝が駆け出したのは、逃走ではなく、練二を仕留めるため。
 壁に向かって跳び、すぐさま壁を蹴って、跳ね返るようにして斜め上に跳ぶ。
 いわゆる三角跳びで、陽日輝は天井に向かって跳び上がっていた。
「そらぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」
 陽日輝は腹の底からの咆哮と共に、天井を『夜明光』で殴り付けていた。
 もし破ることができなければ、という危惧はあったが、上手くいった。
 陽日輝の掌が帯びた橙色の光は、天井すらも、拳が触れた半径一メートルほどにも及び焼け溶かし。
 崩れ落ちてくる瓦礫に混じって、一人の人間――否。
 一体の分身が、落ちてきた。
「凜々花ちゃん、今だ!」
「は――はい!」
 一連の流れに立ち尽くしていた凜々花が、陽日輝の言葉で我に返り、すぐさま百人一首の読み札を投げた。
 落ちてきた分身の首筋を、読み札は深く切り裂く。
 その間に、陽日輝は着地していた。
 高校に上がってからは授業以外で運動なんてしていなかったが、昔取った杵柄というやつか――中学の頃のように、とはいかずとも、なんとかイメージ通りの動きはできた。
「こ、この……!」
「分身は七体じゃなく、八体まで作れる、そう手帳に書いてあったな。それに、テレポートが使えないなら、最初に凜々花ちゃんの後ろに突然現れたことの説明が付かない。――お前は、廊下の真上に一体、分身を置いていたんだ」
 そう――練二がテレポート能力を持たないと分かった時点で、分身が周囲にいない状態から突如現れたことの説明は付かなくなっていた。
 練二は、分身と入れ替わることでしか、瞬間移動ができない。
 だが、能力の有効範囲は、半径三メートル。
 それは、特に明記されていない以上、前後左右だけではなく、上下にも適用できるはずだった。
 練二は当初、二階の廊下にいて、真下――つまり、今自分たちがいるこの場所に、まず分身を創り、すぐさま入れ替わったのだ。
 そのため、陽日輝と凜々花には、テレポートしてきたかのように思えた。
 それこそが――峠練二の、能力の秘密。
「くっ――!」
 練二が、指を鳴らそうと左手の親指と中指の腹を重ね――直後、その指を百人一首の読み札が切り飛ばしていた。
「ぎゃあっ!」
 練二の左手の親指と中指は、鮮血と共に宙を舞う。
 人差し指にもカードが触れていたのか、中ほど辺りで大部分が切断され、先端部分はほとんど皮だけで繋がった状態で、ぷらぷらと揺れている。
「二階に分身を出して逃げるつもりだったか? 悪いけどそうはさせねえよ」
「ぐ、う――!」
 練二は、ナイフを捨て、無事な右手で指を鳴らそうとし――その指もまた、飛んできた読み札に切り飛ばされる。
「なにがなんだか分かりませんでしたが、陽日輝さんのおかげで理解できました。――要するに、これでこの人は打つ手がなくなったわけですね」
 凜々花が、そう言いながらこちらに戻ってくる。
 そう――練二の『複製置換』は、分身との入れ替わりはノーモーションで可能だが、分身を新たに創り出す際には、必ず指を鳴らす必要がある。
 両手の親指と中指が切断された今、残る三本ずつの指では、それも難儀だろう。
 そして、練二本体が無力化されれば、分身たちもただのマネキンだ。
 分身たちは、練二と同じ動きしかできないのだから。
「うああああ!」
 それでも、練二は血を散らしながら、右手を突き出す動作をする。
 分身たちは、一斉に右手を突き出したが、その手の中にあるナイフが陽日輝や凜々花に当たることはない。
 陽日輝も凜々花も、すでに分身から距離を取っている。
 それでも、練二はがむしゃらに右手を振り回した。
 自分に打つ手が無いことを――すなわち、このまま殺されるしかないことを、認めたくないのだろう。
 だが、陽日輝も凜々花も、練二の半径三メートルの、有効範囲の外にいる。
 分身たちは、互いが振り回したナイフによって傷ついていくばかりか、陽日輝が崩した瓦礫に足を取られ、転倒するものまでいた。
 ――テレポートがブラフだと分かっていたら、最初から、分身による包囲網など、容易に破ることができていた。
 練二とて、それが分かっていたからこそ、自分の弱点を補うために、逃走という選択肢を相手から奪うべく、そのようなブラフを用いたのだろう。
 そして、そのブラフに説得力を持たせるだけの余裕げな語り口と、七体の分身によって取り囲んでプレッシャーを与えることで、それが露呈しないようにしていたのだ。
 ……やはりこの生徒葬会、どんな能力を持っているか、というのは肝要だが、それをどう使うか、というのも、重要なところなのだろう。
「――これで終わりだ」
 陽日輝は、『夜明光』を帯びた右の拳を握り締め、練二を見据える。
 それに気付いた練二が、絶望に目を見開いた。
「――た、助けてくれ。し、死にたくな――!」
「悪いな。俺たちも死にたくないんだよ」
 陽日輝は、微かに浮かびかけた迷いを振り払うように、練二の悲鳴を上げかけた口の辺りに、渾身の右ストレートを放っていた。
 拳が触れたその直後には、橙色の光が練二の顔の下半分を焼け溶かし、悲鳴すら上げる暇もないまま、練二は背中から瓦礫の上に倒れ、絶命した。
 それと共に、練二の分身たちも一斉に泡になって消滅し、練二の死体だけがその場に残る。
 いつの間にか、陽日輝が分身から奪い取っていた手帳も消えている。同じように泡になったのだろう。
 陽日輝は、練二の死体から手帳を抜き取り、表紙と能力説明ページだけを破いて自分の手帳に挟みながら、呟いた。
「手強い相手だったな」
「ええ……でも、よかったです。陽日輝さんが、無事で」
「凜々花ちゃんもな。――でも、そろそろカードが無いんじゃないか?」
 凜々花が投げたカードの多くは、廊下の端にまで飛んで行ってしまっている。
 すでにボイラー室の爆発と、天井の崩落とで、かなりの音を立ててしまっている以上、進行方向と逆のものは、回収を諦めるしかないだろう。
「……そうですね、あと十枚を切りました。ゲーム部の部室でなら、カードはいくらでも補充できるんですけど」
 凜々花が、ブレザーのポケットに手を突っ込みながら言う。
 ……思った以上に少ない。
 回収を諦めようと思ったが、その枚数では、心もとないのも確かだ。
 凜々花の能力は、カードありきのものであるため、手元にカードがなくなってしまえば、彼女は一人の、華奢な女子生徒に過ぎなくなる。
「ゲーム部の部室は、確か北第一校舎か。……寄れなくはないな。ただ、寄り道するくらいなら、手早く廊下の向こうのカードを回収してから離れたほうがいいかもな。ただ、急がないと誰かが来るかも――」
 陽日輝は、そこまで言いかけて、気付いていた。
 いや、思い出していた。
 練二に襲われる直前、凜々花に尋ねようとしていたこと。
 ――ボイラー室で襲ってきた、あの痩せた男子生徒は、どうして自分たちの居場所が分かったんだ? 彼自身の能力ではなかった。と、いうことは――考えられるのは、他の生徒に居場所が割れていて、彼はその生徒から情報を得た、という可能性。
 それに、練二もだ。
 二階にいたのなら、どうして自分たちがここにいることが分かった?
 これに関しては、ボイラー室の爆発を聞いて、ということは考えられるが――
「……陽日輝さん。私たち、狙われているんじゃないでしょうか」
 どうやら、凜々花も同じようなことを考えていたらしい。
 周囲を見回しながら、小声でそう囁いてきた。
「……凜々花ちゃんも、そう思うのか」
「……はい。ボイラー室の件もですし、この人――峠さんも、いくらなんでも爆発が起きてからのレスポンスが早すぎます。私たちの位置を何かしらの能力で掌握した方がいる――というのは、考えすぎでしょうか」
「いや――杞憂だったとしたら、それはそれでいいんだ。凜々花ちゃん、やっぱり急いでここから離れよう」
「! ――はい」
 凜々花は一瞬驚きながらも、すぐに真剣な表情で頷いていた。
 陽日輝と凜々花は、そのまま並んで走り出す。
 ――どこからか視線を感じるような気がするのを、錯覚であってほしいと心底思いながら。
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紗灯れずく 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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