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第三十五話 仕合

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【8日目:夕方 北第三校舎三階 図書室】

 立花繚は、その甘いマスクもあいまって、バスケットボール部のスタープレイヤーとして校内全体に名を馳せている。
 というより、噂が噂を呼んで、去年の文化祭などでは他校の女子生徒が何人も、わざわざ繚を見に来たこともあるくらいなので、その名は校内に留まらない。
 そんな繚はバスケに限らず、野球でもサッカーでもバレーボールでも、おおよそ球技の類は一通り得意としていたが――その反面、勉強は苦手だった。
 といっても、あからさまにできないわけではない。テストの順位は真ん中付近だ。世の中には容姿端麗かつ文武両道といった、漫画の世界から飛び出してきたような人間が少なからず存在するが、繚はその類ではないというだけの話である。
 そんな繚にとって図書室というのは、掃除当番で割り当てられたときくらいしか立ち入ったことがないような、自分の学校生活とは無縁の場所だった。
 なので、生徒葬会という状況下ではあるものの、ほんの少し好奇心が駆り立てられたのは事実である。
 しかしその好奇心は、北第三校舎三階の旧図書室の扉を開けた瞬間に鼻をついた、生臭い鉄のような臭いによって一気に萎えさせられた。
 そこにはすでに『先客』がいたのだ。ただし、物言わぬ先客が。
「うっわ……」
 この生徒葬会も八日目だ、死体なら何度も見てはいる。
 それでも、見開かれた瞳孔に土気色に変わった顔、触れなくても見た目だけで温もりが失われていることが分かるその雰囲気は、何度見ても気分が悪くなる。
 入口側に足を向け、うつ伏せに倒れているその死体は、どうやら首を傷つけられているらしく、そこを起点に血溜まりができていた。もっとも、殺されてから時間が経っているようで、血はある程度固まっているようだったが。
 とはいえ死臭はそこまで強くないので、数日前からある死体というわけではなさそうだ――死後半日か一日程度だろう。
 生徒葬会で複数の死体を目の当たりにしてきたことで、ある程度の判断が付くようになった自分が少し嫌だった。
「同級生の石倉よ。愛巫子のヤツが表紙を持ってたから、多分愛巫子にやられたんでしょうね」
 首から提げたアメジストのペンダントの中から、姉・立花百花の声がする。
 水晶を手に取って、窓から差し込む夕陽にかざすようにして覗き込んでみると、直径三センチの水晶に収まるサイズに縮小されている百花が、胡坐をかいた姿勢で数枚の紙をトランプのように持って物色している。
 今朝、百花が交戦して倒した月瀬愛巫子から奪った、合計四人分の表紙と能力説明ページだ。
 繚の『完全空間(プライベートルーム)』の中には一度に一人あるいは一つの物しか収納することができないが、その数の判定はある程度融通が効く――例えば、机なら引き出しの中身ごと収納できるし、人間の場合、その人物が身に付けている衣服や持っているものは一緒に収納できる。
 その特性を生かし、百花ごと表紙と能力説明ページをペンダントの中に格納することで、自分が持ち歩くより安全性と隠匿性が増すというわけだ。
 百花は、手にした紙のうちの一枚を凝視しながら呟いた。
「それにしても、愛巫子にピッタリの能力だわ。読み終えた本を身代わりのストックにできるっていう、『身代本(スケープブック)』っていうコレ」
「姉ちゃんにボコボコにされてもすぐに回復してたのは、全部本にダメージを移してたから、ってことだよな……」
「そういうこと。あの運動音痴が石倉を殺せたのも、そのおかげでしょうね」
 言われてみると、石倉という名前らしいその死体はまあまあガタイが良い。
 バスケットボール部のエースであり身長も180cm台後半ある繚に比べれば見劣りはするが、平均値よりは背丈も筋肉量もありそうだ。
 繚はペンダントを手放し、再び首からまっすぐ下がった状態に戻した。
 それから、近くにあった机に腰かけ、
「で、どうする? 姉ちゃん。その月瀬先輩対策で、わざわざここまで来たんだろ?」
 と、胸元のペンダントに対し問いかける。
 ――そう。
 繚と百花は愛巫子から手帳を奪い、西第三校舎一階の倉庫に放り込んでから、休憩と食料探しを行いつつ北上し、何時間もかけてこの北第三校舎三階までやって来たが、それはこの図書室を訪れるためだった。
 愛巫子の『身代本』は、読破した本の分だけダメージを転嫁できる身代わりのストックを確保できるというもの。
 そして、百花との戦いを振り返るに、相当の量のストックを確保していたことは間違いない。では、校内でそれだけ大量の本を読むことができる場所はどこか? となると、第一に思い浮かぶのは、やはり図書室だ。
 本校舎にあるメインの図書室は後に回し、先にこの旧図書室を訪れたわけだが、愛巫子が持っていた表紙の元の持ち主の死体があるということは、ここに愛巫子がいたことはほぼ確定でよさそうだ。
「もちろんよ。まあ、アイツがアタシに対してストックを全部使い果たしてたなら別にいいんだけど、アイツ頭良いから。アタシがトドメを刺さないと踏んで、ストックを温存してた可能性もなくはないのよ」
「でも、そんなの危険な賭けだぜ。結果的に俺たちは月瀬先輩を殺さなかったけど、そうなることを信じて気絶するまでボコられるなんてすげえ肝が据わってないか?」
「アンタは学年違うから分からないでしょうけど、アイツはそれができるタイプよ。殺しといてもよかったかもね」
 そう嘯いてみせる百花だったが、彼女にそのつもりがないことは、弟である繚が一番よく分かっている。
 それは百花のポリシーもあるだろうが、きっと、自分に配慮してくれているんだろうな、と、繚は内心そう思っていた。
 繚も、出来ることなら誰も殺したくない。
 逃げ回っているうちに勝手に表紙が集まればいいなとすら思っている。
 ましてや女子に手をかけるなんて、正直抵抗があった。
 そんな甘いことを言っていられる状況ではないにしても、だ。
「ま、そういうワケだから、アタシは一旦外に出るわよ」
「了解」
 繚が言い終わるか終わらないかのうちに、百花は自ら『完全空間』を解除していた。
 繚が首から提げていたペンダントが消え、代わりに百花が眼前に現れる。
「うーーーん……っ」
 『完全空間』の中はあまり広くはないらしく、百花はペンダントから出るたび、大きく伸びをするのが習慣となっていた。
 その後で、首をぐるぐると回したり、足首を傾けてみたりと、一通りのストレッチを行い、全身をほぐしていく。
 それをなんとなしに眺めながら、繚は事前に百花から説明されていた愛巫子対策を思い返していた。
 それは、図書室にある本をすべて処分してしまうというものだ。
 愛巫子のストックがあとどのくらいあるのか、そもそも愛巫子のストックになっている本はどれなのか――それはこうして図書室を訪れてみても、当然のことながら見当が付かない。
 ならば、すべて処分してしまえばいい――というのが、百花の考えだ。
 あまりにも単純明快な解決法だが、だからこそ効果的にも思えた。
 問題点に関しても、移動中に百花と確認済みだ。
『でも、ウチの図書室って結構大きいんじゃなかったっけ? クラスの奴がそんなこと話してた気がすんだけど』
『まあね。とりあえず燃やす方法だけど――』
『!? 燃やす気なのかよ!? 本を、全部!?』
『何驚いてんのよ。一冊一冊シュレッダーに突っ込んでたら何日かかると思ってんの』
『それは、まあ、そうだけど……そんなことしたら、図書室どころか建物ごと燃えちまうんじゃ……そうなるとかなり目立つし、焼け出された連中と遭遇して危険だぜ』
『分かってるわよ、そんなこと。それに食料とか色々、巻き添えで燃えちゃうかもしれないしね。アタシだってそこまでバカじゃないわ。だから、ちゃんと安全な方法で燃やすわ。――図書室の近くに化学室があるから、そこに運ぶのよ』
『化学室か……でも、どうやって運ぶんだ? 本って何気に重いぜ』
『アンタ案外頭回らないのね……アンタのその能力、別にアタシ専用ってワケじゃないでしょ』
『俺の能力って――、……!? そうか、つまり――!』
『そういうコト。本棚をペンタントに収納すれば、図書室と化学室の往復なんて大した負担じゃないでしょ』
 ――というやり取りがあり、図書室の本をすべて燃やすことにしたのだ。
「さ、早速始めるわよ」
 一通りのストレッチを終えた百花がそう言って、繚は「ああ……」と返しながら立ち上がる。
 まあ、作業するのは繚で、百花はその間の見張り役兼指示役だが。
 姉にあれこれ言われてこき使われるのには、小さい頃から慣れている。
 なんだか日常生活に戻れたような気がほんの少しだけして安心するくらいだ。
「しかし姉ちゃん、ここまでやるほどなのかな」
「どういうこと?」
「いや、月瀬先輩は気を失ってる状態だし、もしかしたらあの後誰かが来て殺されてるかもしれない。そうでなくても、あの『身代本』は姉ちゃんがそうしたみたいにゴリ押しができるほどスペック差があればそこまで怖くないし――二百人以上の中のたった一人に、ここまでピンポイントで対策する必要はあるのかな」
 愛巫子が躊躇いなく人を殺せるということは理解している。
 しかし、百花との戦いを隠れて見ていても分かったが、愛巫子自身は武道の心得もなければスポーツ経験者も無い。
 自分たちがここまでの手間と時間を費やす必要はあるのか――というのが、繚の疑問だったが。
 百花は、スウッと目を細め、「あるわよ」と断言した。
「確かに愛巫子はもう死んでるかもしれない。でも、生きてたら絶対に、次会うときは前以上に厄介になってるわ。アタシからすれば、東城とかよりよっぽど危険な相手よ」
 東城というのは聞いたことがある。
 三年生で、数々の武勇伝を持つ不良グループのリーダー、東城要だ。
 いつだったか、『姉ちゃんと東城ってヤツならどっちが強いの?』と軽く聞いてみたら、思い切り睨まれた上で『アタシに決まってる――って言いたいけど、悲しいかな男女の体格差はよほどの実力差が無いと覆せないのよ。同じ体重ならアタシのほうが強いと思うけど、アイツはデカいし重い。多分勝てないわ』と苦々しげに返されたのを覚えている。
 しかし、フルコンタクト空手の有段者で全国大会ベスト8の実績を持つ百花からしても勝てないと言わしめる東城より危険というのは、どうにも想像がつかなかった。
「……月瀬先輩のこと、すごく評価してるんだな」
「――繚、アンタも覚えときなさい。ケンカの強さとか運動神経とかがすべてじゃないのよ。ああいう頭が良い癖にプライドが高くて執念深いタイプは敵に回すと厄介よ。ま――それでも次会ったときも同じようにボッコボコにしてあげるけど」
 百花はニヤリと笑い、左の掌に右の拳をバスッ、と打ち込んでみせた。
 それを見て、繚もつられて笑いかけ――そのとき、百花がハッと目を見開いたのに気付いた。
「奥の棚に隠れて!」
「えっ――」
「いいから早く!」
 百花が小さく、しかし緊迫感のある声でそう言って、繚は背中を押されるようにして図書室の奥へと駆けて行った。
 その途中、図書室の横開きのドアがスライドする音が聞こえ、繚は慌ててスライディングで本棚の陰に滑り込む。
 物音を立てないようにスライディングの体勢のままブレーキをかけ、慎重に体勢を変えて起き上がり、本棚と本棚の僅かな隙間から先ほどまで自分がいた場所を窺う。
 ――図書室には、一人の男子生徒が入ってきていた。
「これは――立花百花先輩。こんなところで会えるとは」
 そう言った男子生徒に見覚えはない――ということは、恐らく一年生だろう。
 容姿はそう目立つところがないが、細身ながら鍛えられているのがブレザーを着ていても分かる。
 あの研ぎ澄まされた刀のような気配は、スポーツではなく武道や格闘技の経験者だろう。
 そんな繚の推測を裏付けるかのように、彼は右手に竹刀を持っていた。
 空いた左手で後ろ手にドアを閉じてから、両手で竹刀を持ち直し、体の正面で構える。
 随分とサマになっているその所作に、繚は彼が剣道部員であることを確信した。
 そういえば、今年の一年生に、中学の頃剣道で全国大会に行った逸材がいると聞いたことがあったが――もしかすると、そいつかもしれない。
「アタシはアンタのこと知らないんだけど。剣道部に大型ルーキーがいるって噂は聞いたことあるけど、もしかしてそれがアンタ?」
 百花は、竹刀を持っている相手に対しても物怖じせずに相対する。
 いくら自分が空手の有段者で、かつ『絶対必中(クリティカル)』という強力な能力を持っているといっても、武器を向けられたら多少怯んでもいいものだが――やはり百花の一番の強みは、その精神の強さだろう。
「俺は滝藤唯人という。立花先輩、貴女の噂はかねがね聞いていた。女子でありながら男子空手部にも相手になる者がいないと」
「何? アンタ、アタシのファンなわけ?」
 百花はそんな軽口を叩きながらも、さり気なく机から離れ、動きやすい位置に移動していた。
 ――繚は、音を立てないよう気を付けながら唾を呑んだ。
 百花の強さはよく知っている――何なら身を以って知っている。
 しかし、空手部主将という立場もあり、小さい頃のようにいたずらに誰かとケンカをしたりすることはなく、繚自身、『今の百花』がどれほどの強さなのかは、測りかねているところがあった。
 東城とどちらが強いのか聞いてみたのも、そのような思いがあったからだ。
 そして相手は、空手と剣道という違いはあれど、百花同様武道で頭角を現している者。
 その両者が戦ったのなら――いったい、どうなるのか。
「ファン、か。当たらずとも遠からずだな。――俺は自分の剣がどこまで通用するのか知りたい。この生徒葬会で、俺はその答えを探している。――お手合わせ願いたい」
「はあ……アンタ、随分と時代錯誤なのね。それともこの状況でイカレちゃった? どちらにしても――『お手合わせ願いたい』? その言葉、後悔するわよ」
 百花は。
 そう言って、左手を顔の前、右手を腰に沿えて足を前後に開いた、空手の基本の構えを取っていた。
 それを見て、滝藤と名乗った男子生徒は満足そうに頷く。
「俺は待っていたんだ。この生徒葬会から始まってからずっと、こんな状況を」
「あいにくアタシはそんなバトルマニアじゃないの、付き合い切れないわよ。だけど――アンタみたいな、いかにも自分は強いですって雰囲気出してるヤツの鼻っ柱は、ちょっと叩き折りたくなるのよね」
 繚の位置からは、百花の後ろ姿しか見えないが。
 その顔が、不敵に笑っていることだけは、見えなくても分かった。
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