トップに戻る

<< 前 次 >>

第16話『脱走衝動』

単ページ   最大化   


 病院での監禁生活は一週間で終わりを迎えた。
 眠っていた三日を差し引いた四日間で、俺の脱走未遂は計六回。献身的に監視を続けた金髪の手下たちの表情にも疲労が見てとれた。長続きはしないだろう。顔ぶれからして、交代要員に割ける人数も限りがあることは分かっていた。つまり、やつらが俺の身柄をより厳重で見張りやすい場所に移そうと考えるのは当然の話という訳だ。
 俺は脱出ルートを探るためにわざと捕まっていた。首から上が包帯でグルグル巻きになった今の姿では、病院を脱出してもすぐに外で見つかってしまう。徒歩ではダメだ。ユキトの原付バイクを逃走手段に使うというプランAのためには、ちょうどいい合流場所とあいつを呼び出す手段を決めなければならなかった。
 案の定、俺の護送に来た手下どもを率いていたのは金髪だった。責任者だから顔を出すのは予想通りだ。
「どこに連れて行くんだよ」
 あいつは俺の質問には答えなかった。まだ拗ねてやがるのか。大人のくせにみっともないと思った。
 金髪を先頭に大柄な手下四人に囲まれて歩くのは、さながら死刑囚の気分だった。廊下ですれ違う看護師や他の入院患者たちは全員が俺たちに道を譲って行く。馬鹿デカい強面どもに囲まれ連行されているのが包帯男だから、そりゃそうなるだろう。
「なぁ、ヤクザ的にこんな目立つのはまずいんじゃないのか」
 俺は金髪に声をかけたが、やはり無視された。二十四時間ヤクザが病室の前でたむろして文句を言われないのだから、そういう繋がりのある病院なのだろう。まぁ、どうでもいいことだったが。  
 俺が関心を持っていたのは、看護師だった。ナース服の年上の女に惹かれるとか、そういうのではない。周囲に看護師、もっと言えば医者を含めた医療スタッフがいないことが重要だった。そして、ナースステーションから適度な距離のある場所だ。近くはないが、急病人が出たとき迷わずナースステーションに人を呼びに行くのを選ぶ場所。仕掛けるならそこだと決めていた。
「なぁ、トイレ行きてぇんだけど」
 再び声をかけたが、やはり金髪には無視をされた。わざとらしく咳払いをしてみたが、反応は同じだ。俺はそのまま咳が止まらなくなったふりをした。ちょうど目当てのポイントだったからだ。あと一つ角を曲がれば、ナースステーションが見える。その場にうずくまり、咳を続ける。
「おい、お前、何やって――」
 強面の一人がそう言いかけて言葉に詰まった。
 咳をすると同時に、俺が床に血を吐き出したからだ。
 もちろん、本当に具合が悪くなったわけではない。治りかけの舌の傷を自分で咬んで出血させたのだ。しばらくはまた滑舌が不自由になるが、背に腹は変えられない。 
 四人の内の一人がナースステーションのほうへと走っていくのが見えた。これで残りの手下は三人。一人は射程距離内にいる。しゃがみこんで咳を続ける俺の顔を覗き込みながら、背中をさすっていた。余計なお世話だ。
 看護師を呼びに行ったやつの背中が角を曲がって見えなくなった瞬間、俺は背中をさすっているやつの顎に掌底を入れた。脳震盪を起こせればいいが、そう上手くいくとは限らない。もっと単純に顎骨を砕くことが狙いの攻撃だ。喧嘩慣れしてるやつなら、顔面を殴られてもひるまない可能性があった。目玉を狙うのは簡単だが逆上してむしろ元気になるかもしれないし、さすがの俺も失明させるほど鬼ではない。
 そいつの呻き声が聞こえたときには、俺はクラウチング・スタートの要領で前方へ踏み出していた。そのまま状態を上げずに、タックルを仕掛ける。
 その相手は金髪だった。
 倒しはしない。トシを真似た、立たせた状態でコントロールし背中に周りこむテクニック。イメージとはほど遠い出来だが、相手が素人なおかげで成功していた。
 残った手下二人は俺の予想外の動きに反応が遅れている。こいつらはすでに倒す必要がなかった。人質をとったからだ。
 俺は金髪の喉元に、前回の脱走未遂のときに病院の事務室から拝借したボールペンを突きつけた。
「近づいたら、こいつをぶっ殺す」
 俺の言葉で手下二人は身構えたが、それ以上のことは何もできない。体格差と人数を利用して俺を取り押さえるフォーメーションはシンプルかつ効果的だったが、逆に言えばそれ以外はできない木偶の集まりということだ。この状況、咄嗟の機転など利くはずがない。
「そっちのやつ、消火栓のボタン押せ。早くしねぇと刺すぞ」
 仕掛ける場所をここにした二つ目の理由は、消火栓が目の前にあるからだった。金髪の手下が護送の四人だけとは限らない。人数が分からない以上、逃げ切るには混乱に乗じる必要がある。けたたましいベル音が鳴った。
「てめぇ、こんなことしてどうなるか分かってんだろうな」
 金髪が凄んだが、こんな状態でやってもいつも以上にダサいだけだった。俺は無視して、必要な要求をする。
「携帯出せ」
「はぁ?」
 やつは一瞬反抗的な態度を見せたが、俺が「殺すぞ」と言ってボールペンの先端を喉にめり込ませると、あっさり従順になった。ポケットから取り出した携帯を受け取る。これでユキトとの連絡手段は確保できた。
 用が済んだので、俺は金髪の太腿にボールペンを突き刺してやった。
 他意はない。上司が怪我をしていたほうが、手下どもにとって咄嗟に俺を追う判断をするのが難しい状況だと思ったからだ。まぁ、刺すだけならタダだ。
 叫び声を上げた金髪を手下の片方にむかって突き飛ばすと、俺は逆方向へ走り出した。
 追って来たのは一人だけだった。自分でも上手く行き過ぎだと思う。むこうのミスは俺を凶暴なだけの中学生だと侮ったことだ。人数とチームワークを駆使すれば取り押さえられるという事実が、安易に戦力評価を下げることに繋がった。
 もっとも、それで相手を侮るつもりはない。やつらの戦法が俺を無力化することに関して有効だったのは事実だ。それぐらいの頭はある。今回は戦法止まりで戦術レベルで見れば甘い(つまりチームワークは完成されていたが常にそれを使える状況を維持するという意思統一はなかった)点につけこんだが、次回は修正してくるだろう。顎と太腿の負傷はやつらにとって高い勉強代と言えた。 
 そして、勉強代を払うやつはもう一人追加されることになる。
 俺を追って来た一人、その体格。身長は百九十センチ後半、体重百キロ以上。多少手足は短いが市ヶ谷に近い体格だった。シュミレーションの相手にはちょうどいい。
 階段の上下、上りきった通路の左右、都合二か所の分岐でそれ以外の追っ手を撒くには十分だった。少なくとも三十秒は稼げる。もう一度角を曲がったところで、俺は追いかけて来た強面の方向に向き直った。
 久々の運動で息は多少上がっていたが、入院生活で体力が落ちた感じはない。良いウォーミングアップになった。   
 遅れて角を曲がった強面は、俺の姿を認めると足を止めて身構えた。
 オールバックの髭面で、右眉の端にうっすらと斜めに入った傷跡がある。冷静なのか、思い切りのいい性格なだけなのかは分からないが、俺と一対一で闘うことに躊躇はないように見えた。その度胸を買って、俺はそいつに強面一号の名をやった。
 少し前傾気味な強面一号の姿勢は、組み付きを狙ったものだ。こいつの選択肢は二つ。一人で俺を倒すか、体格差を利用して俺を押さえ込み、仲間が来るまで時間を稼ぐか。普通に考えれば後者だが、技を持っていれば前者を狙う場合もある。ヤクザの戦闘要員なのだから、格闘技の経験者という可能性は十分高い。やっかいなのは組技系、レスリングが柔道。
 俺はあえて空手の構えではなく、前傾したレスリングの構えをとった。
 強面一号、そして市ヶ谷は、俺の打撃でも胴か頭にクリーンヒットさせなければ止めることはできない体格を持っている。一撃が入ったとしても、体格差を利用すれば掴んで倒すことは容易い。加えて、今はケージの中と違い着衣の上半身は掴める箇所が多かった。体格で劣るということは、有効な攻撃が減るということだ。それをどう覆すか、俺は大物喰らいの達人である『四天王』ウィンの試合に学んでいた。
 外からちまちま削ることができないなら、リスクを冒して内に入る。 
 力士との一戦、ウィンの攻撃はこめかみ、目玉、股間と急所攻撃のみに絞られていた。密着状態だからこそ、反撃の隙を与えずに連続攻撃が成立したのだ。その点は大いに参考になる。もっとも、やつの場合は無痛のタフネスと攻撃姿勢を保つ体幹の強さに任せ、相手の初撃を喰らうことで距離を詰めていた。また、接近状態における首相撲の技術のあるなしの差も大きい。俺には違ったアプローチが必要だった。
 強面一号が、前傾姿勢を保ちながらいっきに距離を詰めた。
 レスリング経験者ではない、中途半端な高さのタックル。袖を狙う柔道経験者の動きだった。投げるつもりか。 
 俺は口内に溜めていた血をやつの顔面に吹きかけた。
 血の目潰しはケージ内では反則とならない有効な手段だ。ただし、市ヶ谷のように目をつぶって防がれることもあるし、正面に立たなければいけないので寿司を顔面に喰らったトシのように即座にタックルに移行すれば捉えられる。
 強面一号の場合は、後者だった。目を閉じたまま、減速せずに突っ込んでくる
 次の瞬間、俺のカウンターの飛び膝がやつの顎を捉えていた。
 元々、トシのタックルへの対策として密かに磨いていた技だった。レスラーの顔の低さを想定していたことと、身長差のせいで膝の入りは若干浅い。だが、隙は十分。
 着地と同時に俺は正拳突きの構えをとる。顎を打ち上げられたことで、さっきまで前傾して狙いにくかった胴ががら空きになった。狙いは水月。
 鈍い肉の感覚があった。 
 強面一号は、腹を押さえてその場にうずくまる。クリーンヒットの感触。後頭部に追撃を加える必要はなかった。
 たとえ視力を奪えなくとも、目潰しを喰らった瞬間には隙が生まれる。隙を消そうとするならほとんど前進か後退の二択しかない。タックルなら膝で迎撃、バックステップで距離を取れば関節蹴りで足を奪い、対角線の頭部への打撃、最終的には胴への正拳突きで沈めるというのが俺のプランだった。
 だが、まだまだ穴のあるプランだ。実際やって見て分かったが、身長差をある相手に膝を当てるのは難しい。今回は相手が油断していたからハマったが、警戒されれば正拳突きを打つ前に組み付かれる可能性がある。
 市ヶ谷は俺が今まで闘った中で、もっとも攻撃パターンの多い相手だ。こちらももっとパターンを増やさなくてはならない。さもなきゃやられる。
 俺は強面一号を残して、その場を去った。



 正面玄関から逃げるなんて馬鹿なことはしない。
 金髪の手下がよっぽど間抜けでもない限り、俺が逃げたという連絡があった時点で裏口も押さえられているだろう。
 というわけで、俺の脱出経路は初めから決まっていた。入院病棟の東側の廊下の突き当りにある窓だ。その真下には、ちょうど院内で出たゴミを集めておく収集ボックスがある。ゴミの収集は毎週火、金で今日は木曜だから中身の量は十分なはずだ。
 こればっかりは試すわけにはいかなかったので、何階からなら平気かはぶっつけ本番だった。ちなみに俺が入院していたのは二階で、強面一号をのしたのは三階だった。一対一の時間を稼ぐためにあえて上の階に行ったが、逆に三階もやつらの捜索範囲に入れてしまったことになる。
 仕方ないので四階に上がったが、若干の後悔はあった。飛び降りるには意外と高い。
 収集ボックスの蓋はプラスチック製なので、上手くぶっ壊れて中のゴミがクッションになるはずだ。ここまで来る途中、避難しようとする入院患者や看護師とすれ違っていたので、もたもたしている時間はなかった。
 近くの病室のベットから借りた丸めた布団を抱えながら、俺は窓の外へと飛び出した。
 バキッという音がして、俺はゴミの山の上に着地した。布団はあまり役に立たなかった気がする。思い切りケツを打ったが、休んでいる暇はなかった。
 収集ボックスから十メートルほどの場所には樫の木が立っている。先端が、塀を跨いで病院の敷地外へ飛び出しているので、登って逃げるにはちょうどいい。
 病院の敷地外へ出た俺は、道を渡って向かいの狭い裏路地に身を隠すと、ユキトの携帯に連絡を入れた。
『……もしもし』
「ユキトか。俺だ。今病院出た」
『……お前、マジで脱走したのか』
 病院を抜け出すという計画は、この前面会に来たときユキトには話していた。ユキトが原付を持っているというのもそのとき聞いたことだ。もっともあいつは本気にはしてなかったらしいが。
「前言ってただろ、早く迎えに来い」
『そこまで面倒見れるかよ』
「ヤクザの携帯奪ってそれでお前にかけてんだ。来なきゃ履歴残したまんまで返却するぞ」
 ユキトの舌打ちが聞こえたが、俺は無視した。
「病院の西側にある裏路地だ。あとフルフェイスのヘルメット忘れんなよ」
 俺はそれだけ言うと、電話を切った。ユキトはジムの近くに住んでいるらしいから、原付バイクならだいたい十五分ぐらいの距離だった。来ないなら来ないで、走ってる車の前に飛び出して、止まったところを脅して運転させればいいだけだ。
 しばらくすると携帯に着信があった。ユキトの番号ではない。登録名は若頭。俺は電話に出た。
『キノか。俺だ』
「誰だよ」
 相手は一瞬無言になった。恐らくは金髪の直属の上司辺りだろう。若頭と言えば組のナンバー2だろうし、金髪も以外と偉いのかもしれない。
『……お前、地下でやってる中坊か。キノはどうした』
「刺したよ」
 相手が少し笑ったのが電話越しで分かった。まぁ、金髪が不憫なのは今に始まったことではないが。   
『とんでもねぇガキだな。どういうつもりだ』
「俺がコントロールできるやつじゃないってことを分かりやすく教えてやっただけさ。心配しなくても逃げやしねぇよ。お前らは修行の邪魔だ」
『大人を舐めすぎだな。そんな好き勝手やってタダで済むと思ってんのか』
「色々聞いたが、『四天王』はタダで済んでんだろ」
『あいつらと中坊じゃ扱いが違うのは当然だ』
「俺が『四天王』をぶっ殺してもか」
『この前ボロ負けしたんだろ』
「死なねぇ限り負けじゃねぇさ。中学生が『四天王』を倒せば、人気ファイター間違いなしだ。それがそっちの組のお抱えファイターになるんだぜ」
『売り込み方が下手だな。現実味がなさすぎる話だ』
「なら賭けようぜ。ウィンを倒せば、俺を認めろよ」
『賭けが成立しねぇよ。ガキが何か差し出せんのか? 大体、お前は挑戦者の土俵に立ってすらいないだろ』
「問題ねぇよ。納得できないなら、俺がウィンを倒してからでいい。乱闘騒ぎは、俺を切るいい理由になるだろ。表向きは俺とお前らはもう無関係だってことにすれば、いくらトラブルを起こしても『運営』に金を払う必要なんてない。まぁ、それでも追ってくるなら返り打ちにするけど」
『……お前、少しは利口なガキかと思ってたが、ただのイカれ野郎だな。望み通り、手は引いてやる。とてもじゃねぇが着いて行けねぇよ』
 通話はそれで切れた。成果としては十分だった。市ヶ谷とウィンを倒すことに集中できる環境は整ったわけだ。
 ユキトは間もなく迎えに来た。いつもの仏頂面が、さらにけわしくなっている。
「で? どこに行くんだよ。言っとくが、死んでも俺の家には泊めないからな」
 軽くキレ気味でそう言ったユキトに、俺はメモを渡した。
「その住所のところに行ってくれ。多分、練習場所もしばらくそこになる予定だ」
「……予定?」
 ユキトは訝しげな表情になったが、俺はフルフェイスヘルメットをふんだくってさっさと原付の後部座席に乗り込んだ。
 おっさんに「礼を言いたい」と言って聞き出した住所は、俺の顔面を治療した元地下のリングドクターが営む診療所の場所だった。
16

龍宇治 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る