第27話『重要人物/パーソナル・ウォー』
「てめぇはこの世の重要人物のつもりか?」
パンチパーマのヤクザが言った。
息が臭ぇ。顔を近づけすぎだ。頬に唾を吐きつけ追い払うと、ヤクザはキレて俺のみぞおちに蹴りを入れる。
それで俺は叔父貴の『しごき』を思い出す。
叔父貴は引退したプロレスラーで、弱小団体の社長をやっていた。現役時代は反則王なんて呼ばれたらしい。
「てめぇ!!! 根性ついてんのか!!! そんなもんでレスラーやれると思ってんのか!! 舐めんな、社会を!!! 舐めんじゃねぇぞ、クソったれが!!!」
入社初日、叔父貴にそう言われた。満面の笑みで絶叫しながら、新入りレスラーをパイプ椅子で殴るのがあいつの趣味だった。
ならそう言うお前の根性はどの程度のもんなんだと思ってパイプ椅子で殴り返すと、叔父貴は一生車椅子なしでは生活できない身体になった。てめーの根性クソ弱じゃねーか。
翌日、俺は団体をクビになると同時に、ジムで待ち構えていた叔父貴の息子で俺の従兄のイチロー、ジロー、サブローの三兄弟に襲われた。
「てめー誰の会社だと思ってんだ!! 調子乗ってっと殺すぞ!!」
激高したサブローがバットを振り被って襲い掛かってきたが、隙だらけだった。金玉を蹴り上げ、金属バットを奪い、頭蓋骨でティーバッティングをすると、なぜだか俺はパンツの中で射精してしまう。
初めて人を殺したからかもしれない。
俺が二発目のホームランを飛ばすと、残ったイチローは戦意を喪失していた。射精ではなく小便でズボンがずぶ濡れ。
「頼む、見逃してくれ。俺は親父に言われただけで、本当はプロレスなんてやりたくなかったんだ。金ならやるから!」
イチローの頭は会社の金庫を開けさせてからカチ割った。へそくりの額は一千万。翌日、競馬で全額すった。
ところで、これは後からヤクザに教えてもらった話だが、叔父貴は違法賭博の地下格闘にレスラーを斡旋するという副業をやっており、俺も最初からそうなる予定だったらしい。それとは別に、うちの会社の金庫はヤクザがどっかの会社からチョロまかして来た裏金の隠し場所になっていた。俺が溶かした金がそれだ。
数日後、街をぶらぶら歩いていると黒塗ベンツに背後から追突され、どこかの倉庫に拉致された。
それで冒頭のセリフに戻る。
「ステンレスでできてんのか、この糞ボケ頭!!」
バットを振りながら、パンチパーマが吠えた。発見がある。ヤクザのフルスイングは隠居レスラーの凶器攻撃より貧弱だ。ひとしきり殴られると、むこうが体力切れで根を上げた。
「ぎゃああああああああああああ」
蹴りの礼に耳を嚙みちぎってやると、パンチパーマは女みたいな悲鳴を上げた。頭突きで黙らせる。キレた仲間がゾロゾロやってきて、パイプ椅子にガムテで縛られたままの俺をボコボコに殴る。噛みつきと頭突きを何度か見舞ってやったが、最後はスタンガンを喰らって気絶した。
次に目が覚めると俺は小さな檻の中にいた。
明かりは天井からつるされた裸電球一つ。部屋全体の広さは分からないが、暴風雨か、新幹線が高速で通過するのに似た音が、おそらく分厚めの壁越しに伝わってくる。しばらくして目が慣れてくると、少し離れた暗がりに人がいるのを見つけた。
暴徒鎮圧の機動隊のようなプロテクターを全身に着込んだ男だった。
闇に溶け込むような全身黒塗り、ヘルメットはフルスモークで感情を読み取ることは不可能。手には同じく黒塗りの金属バットを持っていた。
「てめぇもそれで俺を殴ろうってのか」
俺がそう笑いかけた瞬間、檻の底が抜ける。
落下した先はコンクリートだった。大した高さではなかったのでダメージはない。周りを見ると、そこも檻だった。元の檻の三倍ぐらいの金網で、有刺鉄線が巻き付けられている。
しかし、目を奪われたのはそこではない。
「ブッ殺せぇえええええ!!!!!!」
誰かが叫んだ。少なくとも三十人は同時に。それ以外にも言葉にならない半狂乱の怒号を上げているやつらが百人以上はいただろう。天井から降り注ぐ強烈なスポットライトの逆光でひとりひとりの顔は見えなかったが、多分、全員動物園のサルそっくりのはずだ。ただし、見世物にされているのは俺のほうだった。
檻の中には、俺以外にもう一人男が立っていた。
日本人ではなく東南アジア系の顔立ちだ。体格は俺より頭一つ半は小さい。短髪の黒髪、浅黒い肌、全身傷だらけ。見開いたギョロ目のうち、右目は異様に外に向いている。
強い。
確信と同時にアドレナリンが全身を駆け巡る。これはサル回しではなく闘犬なのだ。別にいい。元々、プロレスよりも喧嘩のほうが好みだった。
天井の穴から金属バットが一本降ってきたのはそのときだった。
相手の男は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、次の瞬間には口元に笑みを浮かべバットと俺を交互に指さす。それを見た観客たちの声が一層大きくなった。怒号の渦は、やがてコールの大合唱に収束する。
ウィン、ウィン、ウィン、ウィン……。
どうやらそれが名前らしい。なかなか景気のいい自己紹介だった。
俺はバットを拾うが、やつは構えることもなく仁王立ちで待っている。先に打たせるのが流儀か。死人にしては随分と親切だった。俺は深呼吸をする。
それから思い切り振り被って、バットを自分の脳天に叩きつけた。
客どもの歓声。
額から熱を帯びた血が垂れるのが分かった。バットはへの字に折れ曲がっている。見ていたウィンはやはり口元に笑みを浮かべていた。獣が牙を剥くような表情。俺も獣だ。同じ笑顔で応じる。
ただし、何割かは親戚の反則王の血も混じっている。
投げつけたバットは、完全に油断したウィンの脳天に容易にクリーンヒット。
即死には浅い。上体がやや仰け反っただけで、やつはまだ立っていた。それでいい。俺はすでに胴体に組み付いている。凶器攻撃とタックルのコンビネーション。倒して殴る。死ぬまで殴る。始めからそういう作戦だった。
だが、ケージの壁際まで押し込んだところで、やはり相手がヤバさを理解した。
鋭い棘のついた有刺鉄線には、自分の肉を引っ掛けてテイクダウンを防ぐという使い方がある。反射でその動きが出るなら、まともな神経の持ち主ではないだろう。
ウィンの場合はさらにもう一つ反射の動きを持っていた。
組み付かれた瞬間、親指は俺の片目に突っ込まれていた。
ぶちょっ。
鈍い衝撃と共に、何かが潰れる音がした。
後頭部に肘打ちを喰らったらしい。つまり、反対方向から押し込まれたことで、目玉に刺さったウィンの親指はさらに奥に達したことになる。
「あっ、あっ、あっ」
先端で穴の奥をかき混ぜられると、意志とは無関係に声が漏れた。ガクガクと顎が震え、目から垂れた液体が口に入る。血ではない、独特のコクと旨味を持った謎の液体。多分破裂した眼球の一部だ。あるいは脳の。いや、まだだ。大丈夫、すぐに抜けばギリセーフ。俺はまだイってないって。
しかし指を抜こうとした瞬間、さらに一発肘を喰らう。
ぶちょちょっ。
「……あっ……!」
鼻と耳の奥から、トコロテンのように生暖かい『何か』が押し出される感覚。
それと同時に俺は射
ウィンはルールを守る。
あるいは、それ以上のものを己自身に課している。
三十秒。
それが地下のルールだった。戦意を喪失したクズは、無慈悲な暴力の雨に晒される。役立たずの最後の仕事。身体と命を張って観客を楽しませるための見世物。とはいえ、相手が即死した場合は無駄なパフォーマンスは省略されるのが通例だ。
だが、ウィンは違う。トラブル――たとえば試合直後にリング上に乱入者が現れるというような――さえなければ、不要なはずの三十秒間をあえて続行する。
『四天王』の中で一番人気の理由はそこにあった。弛緩した肉人形が単なる物体として破壊される様は、命が奪われる瞬間とはまた別のカタルシスが存在する。決着と同時に吊り下げ式のケージは天井に持ち上げられるため、最前列の観客たちは、より近い距離でそれを鑑賞し、運が良ければ熱した血しぶきを浴びることすらできた。
その興奮は、ある種の芸術の誕生に居合わせた者の心理に似る。
「今回は『作品』は中々の傑作だな。作り手の内面を如実に反映している。タイトルをつけるなら『苛立ち』―――どうだ、冴えたネーミングか? それとも安直すぎるか」
男が言った。体格のいいスキンヘッド、中年の白人。発音は流暢な日本語だった。
手元にはポラロイドカメラで撮影された数枚の写真がある。そこにはウィンが殺害した対戦相手の成れの果てが映し出されていた。死体の損壊がいつにも増して凄惨だったのは、素手ではなく金属バットを使用したからだ。
「この一枚なんかは、踏んづけた犬のクソみたいになった頭蓋骨の隣に、ぐしゃぐしゃに曲がったバットが添えてあるのがいい。異素材の組み合わせによる新しい表現。もはや宗教的な啓示すら感じられる」
続いて、男はロシア語で何かの言葉を呟いた。聖書か文学作品の引用だったかもしれないし、単に口汚いスラングだったかもしれない。どのみちウィンにはロシア語はさっぱりだった。
試合終了直後、場所は『地下』の控室。冷たいシャワーで身体を冷ましたウィンは、タオルを頭に被ってベンチに腰掛けている。視線のズレた両目はずっと壁を見つめていた。
「それにしても酷いのは『運営』の言い訳だな。『手が滑ってバットを落とした』だと? 五歳児でももっとマシな嘘をつく」
再びロシア語の台詞。語気からして、今度は明らかな罵倒だった。ロシア男もウィンが話を聞いているかは気にしていない様子だった。まるで壁にむかって話しかけるように言葉を続ける。
「まぁ、本人は気にも止めないか。そうだろ? 出された料理は残さず喰うタイプだ。だからファーストコンタクトで相手が即死してもルールは順守する。まぁ、今回は憂さ晴らしに見えたが」
そこでウィンは初めて顔を上げ、立っている相手の顔を見た。男の言った『憂さ』とは、嫌がらせの金属バットに対するものではない。例の中学生ファイターに関係することだ。
『四天王』宛てに『運営』から小包が届いたのは、およそ一か月前。
中身は例の少年の小指だった。
市ヶ谷との挑戦者決定戦での乱入行為、並びにケージ内への武器持ち込みへの『四天王』側からの抗議に対する正式な返答がそれだ。日本のヤクザの間では『指切り』は誠意をこめた謝罪を示すらしいが、そんなパフォーマンスに実利はない。一方的にローカルルールを押し付けてきた時点でまともに謝罪する気は皆無だ。観客を煽る話題で人気ファイターが逃げられない世論を作り、当初の問題を有耶無耶にしようという魂胆は透けて見える。
ウィン個人ならば、小細工は正面から受けて立っただろう。だが、ことは『四天王』というグループ全体の問題だ。
小指に対する返答として、以下の条件が提示された。
『腕一本を自ら差し出すならウィンとの対戦を認める。返答期限は二週間』
売り言葉に買い言葉。小細工合戦に終始した結果、話はこじれ、先方からの返答はないまま期限は過ぎた。もちろん、初めから相手を諦めさせるつもりで吹っ掛けた無理難題だった。
みすみす獲物を逃すことにウィンは納得していなかったが、重要方針は仲間内の多数決で決まる。貧乏くじを引いたのではない。ハズレと知っても自ら引くのがウィン。今回は、それを周りが制止した形だ。
「ああ、ウィン――なんだ、いたのか。黙ってたから気がつかなかったよ。お前はもう少し喋るべきだな。少なくとも俺の十分の一くらいは。じゃないとそのうち周りから無視される」
男の言葉にウィンは顔をしかめる。皮肉のつもりなのか、腹の読めない相手だった。多分、これも演技だろう。あるいは頭のネジが外れているだけかもしれないが。
ブルガコフ。
偽名かもしれないが、少なくとも男は仲間からそう呼ばれていた。近しい部下から少佐とも呼ばれている。ロシア系。元は旧ソビエトの軍人だと聞いていた。体制崩壊後に裏社会に流れた大勢のひとり。
一度だけ、ウィンは彼がナイフで闘う場面を見たことがある。相手は三人で、一瞬のことだった。うち一人は打撃で絶命していた。
ただし、このお喋り男は『四天王』のメンバーではない。ウィンはこの軍人崩れが『一対一の素手の戦闘』というシチュエーションを徹底的に冷笑しているのを知っていた。対等な条件下での殺し合いは彼の考える『実戦』ではない。だから自らケージで闘うことは決してなかった。
ロシア人の『四天王』はこの男の『忠実な弟』のほうだ。
「そんな目で見るな、ウィン」
そう言ってブルガコフはウィンの隣に腰掛けたので、ウィンは再び視線を壁に戻した。男の手が肩に置かれる。気安さが鼻につくが、振り払うことはしない。腕を取ってへし折る準備はいつでもできていた。多分、最初に顔を合わせたときにはすでに。ただし、それがどれほどの難易度かは、やってみなければ分からない。
殺気立った獣の気配を無視するかのように、ブルガコフは言葉を並べる。
「口うるさい俺たちのボスも言ってるだろ。これはビジネスだ。お前の個人的闘争とやらを、お前の責任の範囲内で楽しむなら誰も文句は言わんさ。ただし、仲間内で利害が相反する場合は話が違う。野生の狼と同じ、群れには規律が必要だ。俺たちのような『強い群れ』には特にな」
ブルガコフの顔には、いかにも作り物じみた笑顔が張り付いていた。へらへらした口調には軍人らしさは皆無。過剰な擬態。ウィンの本能はその裏に隠したナイフを予感する。
冷ましきれない身体の体温は、控室の温度をわずかに上昇させていた。
殺戮の余韻は、必要に応じて瞬時に再沸騰するだろう。ウィンは相手を選ばない。場所も、時間も。そこに意見の相違がある。この元軍人は決して相手と正対することはない。致命的な死角を発見したとき初めて動き、敵対者に速やかで確実な死を与える。
「とはいえ」
肩に置いた手を離し、ブルガコフは両手で天を仰いで見せた。
あと一秒、その動作が遅ければウィンは襲い掛かっていた。思考を読んだかのようなタイミング。ウィンに動揺はない。だが、殺意よりも警戒心に振り子が振れたことで、ブルガコフが一方的な会話を続けるための時間は生まれた。
「俺たちは所詮、ビジネスの集まりだ。ギブ・アンド・テイク。つまり、四つ首の獣の行先は多数決で決める。ルールやお利口な誰かさんのプランは絶対じゃあない。つまり『俺たち』にメリットがあるなら、俺はお前に協力できる」
ウィンは無反応だった。ブルガコフはわざとらしくため息をついてから立ち上がり、シャツの胸のポケットからメモ帳を取り出す。
「このメモ帳は」
青い瞳はもはやウィンを見ておらず、地下の控室を突き抜けて、遠い異国の空を見るかのように霞んでいた。その口調は詩人のようですらあった。壁にむかい、低く抑えたひとり言を呟く。
「単なる忘備録だ。覚えておくべきことが書かれている。別にこのメモ帳である必要はない。失くしたら別のを使う」
手を放す。メモ帳は床に落ちる。
「こういうこともある――空から金属バットが降ってくるのと同じだ。幸運を、ウィン。あんなガキに執着するのは単なる自己憐憫の一種と思うがね」
そう言い残すと、ブルガコフは控室を出て行った。
頭から被っていたタオルを外すと、ウィンはメモ帳を拾い中身をパラパラとめくる。四割がロシア語、残り六割がより記号化された文字の羅列。解読は一切不可能だったが、重要な箇所はすぐに分かった。
一番新しいページに走り書きされた日時。
罠であることを隠そうともしない。この行為に決闘のお膳立て以外の別の狙いがあるのは明白だ。とはいえ、獣を『乗せる』には十分ではあった。
ウィンには信仰がある。
神を信じている。特定の宗教の神ではない、彼自身の個人的な神を。
その神は世界を公平に作らなかった。いくら求めようとも、慈悲も容赦も与えない。生まれる前に全ての物事を決定し、ただ我々をこの世に捨て去った。
命の意味とは『それ』に抗うことだ。ウィンは頑なにそう信じている。
彼にとっての人生とは延々続く己の信仰の強度テスト、死によって終わり、必ず道半ばで果てる旅だ。それでいい。端からこの世の全ての価値を全否定しているかこそ、破滅に向かう己の生を歓喜と共に歩むことができる。それがウィンの個人的闘争だった。
日付のページは破って丸飲みし、メモ帳はその場に投げ捨てた。すでに苛立ちは失せ上機嫌。思わず浮かぶ口元のニヤつきを抑えながら、ウィンは少し状況を整理してみる。
『腕一本を自ら差し出すならウィンとの対戦を認める。返答期限は二週間』
少年と『運営』に突き付けたこの条件には、相手方に伝えていない続きがあった。
『舐めたガキに反省の色がないならば、『見せしめ』として力づくで腕を切り落とす』
提案者はブルガコフ。実行者も同じ。ささやかな『おまけ』として古き良きソビエト式拷問のレクチャーも行われるだろう。メモの日時はその執行予定だった。もちろん二週間の期限ちょうどにやる馬鹿はいない。相手が忘れかけたころに油断を突く。
ボスに許可は取っていないらしい。仲間の一部にしか知らされていない取り決めだ。このリンチには、プライドを守る以上の意味がある。『四天王』側が『運営』の息のかかった病院を襲撃するのだ。『運営』の一部の武闘派――今日のバットのような間接的な嫌がらせを繰り返している連中は、面子を潰されたと思い大手を振って報復に乗り出すだろう。緊張状態の劇的な打破。あの男の狙いはそこだ。
つまり、戦争を起こそうとしている。
『お前の個人的闘争とやらを、お前の責任の範囲内で楽しむなら誰も文句は言わんさ』
「……ハッ」
ブルガコフの台詞を思い出し、ウィンは思わず噴き出した。己の闘争で世界を火だるまに変えようという輩がよく言えた台詞だ。とはいえ、ウィンにそれ以上の感情はない。他人に利用されたとしても、熱した鉄のような『チャンス』が空から降り注ぐならば望みは叶う。当然、世の中そんな奇矯な人間ばかりではないが。
『そんなもの』のためにこちらの闘争を台無しにされてたまるか。
『四天王』のボス――『地下』を利用した麻薬ビジネスの元締めは、そういうタイプの人間だった。
『地下』をいかにして乗っ取るかについては、当初から意見の対立はあった。麻薬と金によって数年がかりで『運営』を骨抜きにするボスの壮大な計画は、ブルガコフの確信犯かつ故意犯的な暴発によって変更を余儀なくされるだろう。誰が誰に喧嘩を売っているのか。
だが、やはりウィンは『それでいい』と考える。
四つ首の獣。ブルガコフはそう呼んだが、そんな生物は実在しない。愉快な童話のように、重なった獣の影を恐れた間抜けどもが見間違っただけだ。童話と違うのは、種類の異なる獣が一つの群れを作るのは不可能な点だ。
四つの個人的闘争。それは必ず喰い違い、最後にはぶつかり合って決裂する。
獣たちが喰い合う影はより破壊的でおぞましい輪郭をつくり、見る者をさらなる恐怖に陥れるだろう。だが、影のペテンに気づく者はいる。あるいはどんな影をも恐れぬ馬鹿も。
ウィンは牙を剥くような笑みを浮かべ、同じ表情の好敵手を思い出した。
何にせよ、やるべきことは決まっていた。ぶら下げられた人参は追うのが流儀。それからお利巧な誰かの真似をして、壁にむかってひとり言を呟く。
ブル、せいぜい気をつけろ。
隙を見せれば、その人参は俺たちの鼻先を喰い千切ろうとしてくるぜ。