10:Closed City-04
ウィルスプログラムは、基本的に意思を持たない。標的となるものを見定め、取りつき、侵食する。
それを繰り返すだけの存在である。
それが、沢口たちを認識したときの彼女の反応は、明らかに彼女と同じ姿をした先のウィルスたちとは違った。
『…産業スパイ!?』
先ほどまでのん気に欠伸をしていた様子とは打って変わり、身体を瞬時に起こした女性型プログラムは、沢口たちを排除するために言葉をコードとして具現化させた。
女性型プログラムの攻撃を感知したセスは、瞬時にシャティに防御を命じる。
「シャティ!」
『防御プログラムコンパイル完了、実行します』
双方のコードが完成したのは同時だった。二人の女性型プログラムの指先から迸る、排除コードと防御コードがぶつかり合う。
防御コードが完全に排除コードを無効化したのを見届けた女性型プログラムが、サーバに接続するためドール用の接続コンソールを手許に開いた。
この状態でサーバに接続されては、他のウィルスたちに居場所を知られてしまう。そうなっては恰好の餌食になる。
セスは女性型プログラムに向かって、彼女の行動制止のため叫んだ。
「待て!俺たちは産業スパイじゃない、市に頼まれたデバッガーなんだ!」
『………デバッガー?……証拠は?』
セスの叫びに応じ、彼女は手を止めた。
彼女には理性と、意思があった。彼女はウィルスプログラムではないようだ。
セスはそう確信し、彼女に二種類の文字列を投げた。それは、セスが受け取ったユーザ名とパスワードだった。
「俺たちは正規のログインユーザ名とパスワードを所持している。だが、今サーバに認証のために接続することはできない」
『どうして?』
怪訝な顔をした金髪の女性型プログラムに、シャティがウィルスに冒された都市のコードの一部を空中に映して見せた。
女性型プログラムは、その凄惨な荒れ具合にはっと息を呑んだ。
『…この都市はいま、ウィルスに冒されているの。自分から接続を行えば間違いなくアナタも壊れてしまうわ』
彼女に理性を感じたシャティは、諭すように静かに告げた。だが、彼女は事態をうまく飲み込めていないようで、困惑した表情を浮かべている。
『どういうこと…?街はわたしがデバッグしていて…それで…』
「…街にはきみと同じ姿をしたウィルスが蔓延っているんだ。何か知らないか」
セスの問いに、彼女は力なく首を振る。自分のいる世界が壊れてしまったという衝撃に、感情が処理落ちを起こしているらしい。
『わからない… わからない………』
呆然とした様子でわからないとそれだけを繰り返す彼女を憐れに思ったシャティは、セスを止めた。
『マスター、これ以上は…』
「…わかっている。彼女は恐らく…『オリジナル』なんだ」
「あのウィルスたちの?」
沢口の問いに、セスは首肯を返す。やはりデバッグ用のプログラムだったんだな、とぽつりと呟いて、セスは混乱したままの女性型プログラムに声を掛けた。
「喋れるか?…君の名前は?」
『…………キリエ』
キリエと名乗った女性型プログラムは、シャティが映し出している壊れたコードを確認した。シャティが映していたコードは一部だったので、彼女はビルの一部に触れ、そこから情報を取得している。
やがて、それが紛れもなく本物と確認したのか彼女は落ち着きを取り戻し、沢口たちに向き直った。
『状況を確認しました。私が…私のコピープログラムが…この都市を』
「ちげーよ。キリエを作った奴が悪いんだよ。お前は別に悪くない!」
項垂れるキリエの言葉を遮って、沢口がぶっきらぼうに声を掛ける。沢口に彼女を慰める気はない。
とはいっても、ドールだからと侮っているわけではない。沢口は誰に対しても真っ直ぐなだけだ。
「お前を作った奴はバグ誤魔化そうとしてお前を作った。で、お前は自分の仕事しようとしただけじゃねえか。何も悪くねえ。でもお前が力貸してくれれば仕事ができっぞ。だから力貸してくれよキリエ」
『………、ハ、ハイ』
まくし立てる沢口に気圧されるようにしてキリエは頷く。
私にできることがあれば、とつなげたキリエに、沢口はセスに向かって勝利のVサインを掲げた。
「…まったく強引な奴だ」
肩を竦め、苦笑するセス。シャティもくすくすと笑っていた。
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俯いたキリエの項にシャティが手を当てる。シャティの指先から発生する緑色のコードが、キリエの構造を解析していく。
彼女の内側を見ているシャティが、ポツリと『フラグが逆』と呟き、セスが呆れた顔で頭を振った。
そこから派生した彼女の構造のミスをシャティが次々と指摘していく。処理の最初のほうで分岐を間違えているせいで、キリエのプログラムは取り返しのつかないことになっていた。
「どうやらキリエの作成者は相当慌てていたらしいな」
「俺は耳が痛い」
よくセスに「フラグが逆だ」と怒られる沢口はシャティの指摘から耳を塞いでいる。
2、3分掛けてキリエの構造を解析したシャティは、セスに解析結果を見せた。セスはその結果から彼女の性質を分析し、ウィルスの削除プログラムの作成を開始した。
「…セス先生俺のお仕事は」
何の指示も与えられず突っ立っていた沢口が、自分の作成コードすら見ずにキリエの解析結果を見ながらひたすら打鍵しているセスに話しかけた。
セスは端的に沢口の仕事を告げる。
「黙っていてくれればそれでいい」
「…………」
納得がいかない沢口は、それでは引き下がらない。
「かめは●波出せるぜ俺」
「結構だ」
No,thank you.
母国語で言い直すセスに、沢口はなおも食い下がる。
「強いんだぜ俺」
「そうか。よかったな」
作業をしているセスからはツッコミも入らない。
さすがに勢いが落ちた沢口に、シャティがフォローを入れた。
『コウさんはキリエを説得してくれました。十分お仕事したわ』
「………納得いかねええええ…」
不服そうにセスとシャティから視線を外した沢口は、キリエが心配そうな顔をしているのに気がついた。
今度は労うために声を掛ける。
「キリエ。セスはすげえから心配すんな。」
『………』
返事をしないキリエに歩み寄り、その頬をつまみ左右に引っ張る。
『!ひ、ひたッ!』
「分・か・っ・た・か!?返事は『ハイ』!はい、『ハイ』!!」
『は、…はひ…』
沢口の勢いに押され、キリエが返事をする。二人の様子を眺め、シャティは微笑んでいた。
主人でさえなければ、こうして沢口の心はプログラムに伝わるのに。
―――どうして彼はドールの主人になれないの?
シャティの微笑みは、セスから与えられた思惟とともに消えていった。