11:Closed City-05
「よし、ウィルス駆除プログラムは完成した。雛君たちのところに戻ろう」
「結局俺お仕事なしデスカ!?」
また今度な、セスは子どもを窘めるように軽く言う。
セスのまた今度が何度繰り越されているかはわからない。だが、沢口はセスが彼自身の技術を沢口に教えようとしていることは知っている。
だから往々にしてチーム編成を行う際、セスは沢口をパートナーとして指名する。
その厚意は感じている沢口は、できるだけセスの技術を盗めるように、憎まれ口を叩きながらもセスのコーディングをちゃんと見ている。
おかげでコーディングの腕は大きく向上した。まだそれが実を結んだことはないが…。
だから沢口が不満を口にするのは挨拶のようなものだ。
セスの手伝いをしたいと思っているのも本心だが、きっとセスが「今度」と言っているならいつか手伝わせてくれるのだろう。
沢口はなんとなくそう思っている。
「その言葉覚えとけよセス」
「ああ」
確たる約束ではないが、沢口とセスはだいたいいつもこんな会話を交わす。
確たる約束なんて気色悪い。沢口はそうも思う。
たしかにセスは口は悪いが、彼はまるきり叶える気のないことは約束しないし、今の沢口は自身がまだセスの足を引っ張ることしかできないことを知っている。
キリエが所在なさげにしているのを見つけたセスは、若干やわらかい物腰で話しかけた。
「この世界が直ったら、君も製作者に直してもらうことだ」
『………』
「きみの潜在能力は高い。自信を持っていい」
でも、とキリエは口を開く。
『この世界にパッチをあてる際に、きっとわたしはバグとして消去されます』
「バックアップくらいとっていると思うが…」
いいえ、キリエは静かに首を横に振る。
『わたしは、予定外で製作されたドールですから…。』
「…どういうことだよ」
『…きっとキリエのマスターは、ギリギリになって自分のバグを見つけてしまった。それを秘密裏に修復しようとして作られたのが彼女なのではないかしら?』
シャティの言にキリエは頷く。先ほどまで、バグを誤魔化そうとしていたキリエの製作者に怒りを向けていたはずの沢口は、キリエの沈んだ表情に怒りを忘れてしまっていた。
「セス。修正パッチでキリエを削除しないってことはできねーのかよ」
「…技術としては可能だが、できない相談だ」
「どうしてだよ!?」
友人の冷淡な決断に、沢口は感情的になり、大声で言い返してしまう。
しかしセスは動じず、淡々と返答する。
「今の彼女がいると、バグがなくても『コピー』…あのウィルスができてしまうんだ」
「…………」
それが、先ほどシャティが言っていた『フラグが逆』の意味なのだろう。
バグがない空間でも、キリエは自分のコピーを作成し、バグを削除しようとしてしまう。
「キリエから作られたコピーは、完全な彼女のコピーじゃない。キリエ自身はたしかにバグを削除する能力を持っていたが、コピーたちは違う…」
『わたしから作られたコピーは、自分の中にインプットされているバグと同じ情報のバグを作り出してしまうんです』
セスの説明の続きを引き受けたキリエの言葉に、沢口は言葉を失った。
キリエは続ける。
『コウさん。わたしは自分の存在が惜しいわけではありません。』
「…………キリエ」
『わたしはドールですから』
―――自分の仕事を最後まで成し遂げられないのが、心残りなのです。
真っ直ぐに沢口を見据えてそう言うキリエの顔は、人工的な、それでいて毅然とした表情をしていた。
沢口は納得がいったわけではなかったが、キリエ本人にそう言われてしまうと、頷くしかない。
沢口たちは、この街を見届けたいと言うキリエを一人その場に残し、雛たちが待つ空間に向かうことにした。
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「あ、コーちゃん!セス君!おかえり!」
雛やルミナたちのいる空間に戻ってきた沢口たちに、ルミナが手を振りながら声をかける。
おかえりというのも変な話だが、ルミナが言うと自然な気がしてしまう。
つられたのか、ただいまーとコウが返す。その返事にルミナは笑った。
「…無事終わった?こっちも修正パッチはできてる。キュアの力作」
雛がフラッシュメモリをセスに手渡したところで、雛の後ろに控えていたキュアが、ピンクの髪の毛をふわふわ跳ねさせて、主人であるセスの許に嬉しそうに駆け寄った。
『おかえりなさい、マスター』
「…ああ」
ルミナとコウのやり取りを繰り返している二人に、雛がポツリと「新婚さん?」と呟き、今度はシャティが笑った。
キュアはたしかにセスにとても懐いている。それは『セスがプログラムした通り』の性格によるものだ。
そして普段セスがキュアを前線に出さないのも、彼の従来からの『彼女』の扱いなのだろう。
シャティの中にも、セス、そしてキュアに対する深い感情がプログラムされている。
英数字でできているはずのシャティの『心』の奥からは、セスの深い愛情と、そして深い悲嘆の感情、後悔の念を感じる。
セスは人が言うように「天才」なのだろうとシャティは思う。
セスに笑いかけるキュアは、シャティの記憶の中の少女と同じ表情をしていた。
「始めるぞ」
沢口が不服そうな顔をしているのをあざやかに無視したセスは、サーバ接続用のコンソールを開いた。
プログラムを組んで、サーバに接続してしまえば、あとはそれを流すだけだ。
先ほど自身が組んだウィルス駆除プログラム、そしてキュアと雛、ルミナが組んだ修正パッチ。
セスが100文字程度で組んだ命令がプログラムを起動し、歪んだ街の修正を始めた。
コンソールを確認用のデバッグ文が流れていく。ただ、その速度はとても速く、人間の眼では追いきれない。尤も、エラーであるかそうでないかの区別くらいはつけられる。
特に予期しないエラーが発生することもなく、プログラムは順調に実行されていく。
セスが広げたこの仮の狭い空間からは、外の様子はわからない。
だが、データベースの情報を直で書き換えているのだから、外はめまぐるしい速度でその外観を変えているのだろう。
今、外ではキリエと同じ顔をしたウィルスたちが一斉に削除されている。
「…………」
キリエは、自分の存在は惜しくないと言った。それは、嘘偽りではないだろう。
しかし、沢口はやはり納得がいかなかった。
彼女は自分の中に埋め込まれた命令に従っていただけなのだ。
人間が自分の不手際を隠すために作成したキリエが、自分の仕事を成し遂げることもできずに消されてしまうだけというのは、非常に不条理だと彼は思った。
かといって、彼にできることは何もない。
不条理にイライラしてきた沢口は、隣にいたシャティに訊ねた。
「シャティ」
『…?なあにコウさん』
「キリエの製作者の情報は覚えてるか」
『ええ…覚えてるけど』
シャティの返答に、沢口はそれだけわかれば満足したように頷いた。
沢口の意図が掴めなかったシャティが問い返す。
『それがどうかした?』
「いや、一発殴りてえと思って」
沢口は拳を掌にぶつけている。彼なら本当にやりかねない。
『殴っちゃだめよ』とシャティに窘められ、コウは「シャティは母ちゃんみてえだな」と苦笑いを浮かべた。
シャティは背を向けて作業を続けているセスを見やり、微苦笑を浮かべ、『そうね』とだけ返した。
やがてプログラムはひとつのエラーも出さずに終了し、コンソールが自動的に閉じた。
「終了だ」
セスが静かにそう言った。
緊張が解れたルミナと雛は「やった!」と手を合わせて喜び、キュアは弾けるような笑顔でパチパチと拍手していた。
修正パッチ作成組が解放感に満たされている中、沢口とシャティは顔を見合わせる。かれらのどちらとも、笑わなかった。
先ほどまで拠点としていた空間を閉じ、都市空間に戻ると、綺麗に初期化された街が静かに鎮座していた。
爆破された箇所も修繕され、不自然な空間を壁と天井で埋めた箇所も消えている。
誰もいない、広い広い都市だけがそこにある。
「キリエ!」
沢口は、一片の希望でキリエの名前を呼んでみる。
しかし返答はなく、高いビル群に沢口の呼びかけは吸い込まれていった。
項垂れそうになった沢口の肩に手をかけたのはシャティだった。彼女は静かに首を振る。
「………」
『………彼女はもう、ここにはいないわ』
沢口は口を開くものの、言葉が出てこない。
事情を聞いていない雛とルミナ、そしてキュアが不思議そうな顔をしているのに沢口は気づいたが、説明する気が起きなかった。
シャティが周囲で一番高いビルを見上げ、呟く。
『…彼女に、綺麗になった街を見せてあげたかったわね』
沢口はシャティが見上げているビルではなく、映像でできている人口の空を見上げた。
「………そうだな………」
金髪と、赤いワンピースの彼女が、この街を闊歩している様子を思い浮かべた。
やはり日本人じみたその顔に金髪は合ってない。沢口はそう思った。
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「真澄ちゃん、ごめんね!時間オーバーしちゃって」
「うん、そうね。一時間どころか二時間半かかってるね」
現実空間に戻った沢口たちが空屋の受付に戻ると、まず雛の謝罪と真澄の嫌味の応酬から会話が始まった。真澄はモニタに向かい、作業をしたままだ。
沢口たちの行動履歴を削除するのに忙しいのかもしれない。
「ごめんなさい…想像以上に大変なデータで」
「うん、見てたから大体は知ってる。コウちゃんのかめは●波も見てた」
「!!!」
真澄の一言に、沢口とルミナが反応する。
「マジで真澄ちゃん!?」「ほらほら、セス君!ピナちゃん!!」
「…なんていうか、高校生のコウちゃんに真澄ちゃんて言われるのぶっちゃけキモいよね。」
ちっさい頃はよかったんだけどね。まあ俺がコウちゃんて呼んでるのと大差ないか。
ブツブツと真澄が呼び方について考察しているのも構わず、沢口とルミナは各々興奮を思い出し、セスや雛に自分の正当性を訴えている。
「まあ映像残してるからあとでそこだけセス君に送るよ。俺からは何とも言いかねる」
「ああ…ありがとう」
「あと俺からふたつ。ひとつ、店の入り口で騒がない」
二人で相乗効果的騒々しさを生み出していた沢口とルミナは、真澄からの忠告にピタリと騒ぐのを止めた。その様子に満足そうに頷いて作業の手を止めた真澄は、「ふたつめ」と言ってモニタをくるりと彼らに向けた。
モニタのなかには、金髪に赤いワンピースの女性型ドールがいた。
「!!!」
彼女はこちらに向けて、穏やかな笑みを浮かべている。
「うちのシステムのデバッグやってもらおうかと思って。まあ、盗作なんでシーね」
淡々と真澄が言う。目の前の予期せぬ嬉しい出来事に、沢口は上手い言葉を見つけられない。
感情はひたすらプラスの方向に舞い上がっていく。
沢口はとりあえず、一番に思いついた言葉を真澄に告げた。
「…真澄ちゃん…………アイシテル」
「うん、俺にそんな趣味はないよコウちゃん」
「コウ、キモい。」
雛がバッサリと断じ、ルミナが笑う。
モニタの中のキリエが、声にならない音で、『ありがとう』と口を動かした。
それを受け取った沢口は、満面の笑みをキリエに返した。