14:Lumina-01
曇った空は色をさらに深め、雲が光を遮って風景を薄暗くしていた。
17時近いものの、夏がきているため気温も湿度も高い。
暑くなってきた空を、憂鬱そうにルミナは見上げた。
ルミナは暑いのが苦手だった。
「暑いねえー。夏生まれが暑さに強いって絶対ウソ。私8月生まれだけど暑いのキライ」
「俺は暑いほうが好きだな」
隣を歩く沢口は額に汗を浮かせながらもそう言う。
雛も夏のほうが好きらしく沢口の言に頷いていて、セスはちょっとだけ気だるそうにしていた。
暑いのに弱いと認めるのが嫌なのかもしれない。
そう思ったルミナは、あえて追及することはしなかった。
駅までの道のり。いつもと同じだ。
変わり映えしない平凡な日常だが、こうして仲のいい友人と他愛もない話で笑い合える。
それだけで楽しいとルミナは思う。
この日常がいつまでも続かないことを彼女は知っている。
日々は移りゆき、付き合う人間はその日々とともに変わっていく。
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月島ルミナは10年前、光の洪水が起きてから、この街に引っ越してきた。
その頃の世界はどこも混乱のさなかにあり、ルミナは、気づくと父と二人、この街にいた。
自分が何故ここにいるのかわからずルミナが父を見上げると、父は、「家を失った」のだと言った。
ルミナには、10年前以前の記憶がない。
光の洪水の直後、家を失ったときのショックによるものだそうだ。
ルミナ以外にも、嫌な思い出を記憶の奥底に仕舞いこんだ子どもは多くいた。
光の洪水直後に稼動していた発電所が数個大爆発を起こし、凄惨な事故を起こしていたため、他の多くの発電所は稼動を自粛していた。
ただ、電気を一切絶って生活することも人間にはできない。
供給する電気量を相当減らすことで稼動していた電力会社もあったのだが、その影響で今度は一般家庭での事故を引き起こしたため、電力会社は電気の供給をストップさせるしかなかった。
長く続いた停電に、点けたら爆発を起こす電化製品。
長く親しんだ電気を突然使えなくなるということに、そして爆弾に囲まれているような生活に、人々は精神をすり減らしていた。
光の洪水から5日後、爆発を起こすのはコンセントから電気を供給されている電化製品のみだという噂が広まりだした。
電化製品の爆発で体の一部を持っていかれたり死亡する事故が多発していたため、すすんでコンセントを使用していない電化製品を使用しようというものはいなかった。
だが、電気を使わずに生活するのに限界が来ていた人々は、自棄にもにた勇気でもって、電池で動く小さな製品の電源を入れてみた。
爆発は、起きなかった。
そこからの人々の対応はすさまじく早かった。
原因は電力会社、発電所にあると予想した政府は、即刻調査を行わせた。
調査の結果、そしてそれに基づいた政府の発表は、よくわからないものだった。
―――光の洪水後、電気が『強く』なってしまったようだ。
何の説明にもなっていなかった。
だが、現時点で対応策を何も持っていなかった人々は、その説明以上のものを知る術も持たなかった。
電池の値段が高騰し、やがて店頭から姿を消した。
電池を製造するにも電気が必要なため、供給は追いつかなかったのだ。
やがて、世界に革命のような発見を起こした会社があった。歴史の授業にも出てくるようになった、アメリカに本社があるND社という会社である。
光の洪水が起きてから、1ヶ月が過ぎていた。
彼らは日本の、まずは首都の家庭に、『電力抑制装置』というものを無償配布しだした。
それをブレーカーに取り付けることで、以前と同じく電気が使えるというのである。
その抑制装置の効果は絶大で、瞬く間に普及が広がった。
それからは、以前と同じような生活が、少しずつ戻り始めていた。
ラジオが戻り、電話が戻り、電車が戻った。
混乱と狂気は少しずつ鎮まりつつあった。
だが、地球上の人口は、この時点で5%ほど数を減らしていた。
幼いルミナは、その様子をただ見ていることしかできなかった。尤も、大人であっても、何もできることはなかっただろうが。
父はよく長く家を空けて仕事をしていた。転校手続きが取れず、小学校に行けなかったルミナは暗い部屋の隅で丸くなって日々を暮らしていた。
暗いのがしばらく怖かった。今もあまり好きではない。
だが、父を恨む気持ちはなかった。ルミナには父しかいなかったから。
父が帰ってきてくれれば嬉しくて、べったりとくっついて離れなかった。
父は穏やかなひとで、とてもやさしかった。
ルミナに母のないことを、いつも静かに謝っていた。
ルミナは頭を振った。父がいてくれれば、それでよかった。
母は、病気で光の洪水の一年前に死んだのだという。それすら覚えていないルミナが自分を責めると、お前は何も悪くない。そういって父は悲しそうに微笑んだ。
一年で、日本の全世帯に、『電力抑制装置』の普及は終わった。だが、ND社が発展したのにはここからの対応によるものが大きい。
彼らの次の試みは、世界を大きく変えた。まさしく、革命と呼べるものだっただろう。
ND社は、今度は電気を抑制せず、そのまま扱える『変電装置』と、それに対応する家電を発表した。
対応できない家電にかんしては、各コンセントに取り付ける『抑制装置』を使用すれば爆発を起こさないとのことだった。
いくつかの世帯はすぐに『変電装置』を取り入れ、その劇的な生活の変化は、今までの苦労を忘れるほどだった。
そして数年でND社は『仮想空間構成装置』や『ドール』を含めた数々の製品を発表し、無名の企業から一躍世界のトップ企業に躍り出たのだった。
父が、そのトップ企業ND社と関わりがあると知ったのは、ルミナが小学校4年生の頃のことだった。
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ルミナと父の家は、郊外にある。一軒家で、7LDKのため広い。
『電力抑制装置』から『変電装置』へ早々に切り替えた家のひとつで、ルミナは成長してから、それがすごいことだったのだと知る。
広い家ではあったが、ルミナと父が使う部屋は決まっていて、使っていない部屋はルミナが小学4年生になり、彼女が掃除をするまで埃を被っていた。
暗くて怖くて近寄らなかった部屋の掃除をしようと決めたのが4月の半ば。
引越してきてから2年経つ。家事を少しずつするようになったルミナは、使っていなかったため踏み入れたことすらなかった部屋を綺麗にしたいとふと思った。
父の使っている部屋の隣の部屋をまず掃除しようと、掃除機と雑巾を手に持ちマスクを身につけ、ルミナは意を決して扉を開け、そして驚いた。
その部屋は父が使っているようで、人が使っていた痕跡が残っていた。
驚いたルミナは、しばし呆然としていたが、やがて部屋の隅にあるデスクの上のPCに気づき、近づいた。
マウスを動かすとスクリーンセーバーが解除され、パスワードを訊かれた。ルミナが覚えたての自分の名前のスペルを入力してみたところ、ロックが解除された。
ロックが解除されたディスプレイの向こうには、一人の黒い髪の少年が居た。
黒髪の少年は、『壱』と名乗り、ルミナに笑いかけた。
ルミナはPCの中の壱に驚いて、悲鳴を上げた。誰もいない家に声が響き、壱はルミナの驚きようを笑った。
―――怖がることはないよ、僕はきみの敵じゃない。
そう壱に諭されて、ルミナはぽつりぽつりと壱と言葉を交わした。
彼はPC内で『生きる』、仮想の生命だという。
壱はルミナに彼のことを誰にも話してはいけないと言った。
どうして?とルミナが問うと、どうしても、と壱は苦笑した。
そして壱はルミナにPCのロックの仕方を教え、壱は火曜日にここにいるから、またおいでと笑った。
それから、ルミナは毎週火曜日に父のPCで壱と話すようになった。
学校の話、できたばかりの友だちの話をとりとめもなく。壱はルミナの話を聞いてくれた。
秘密の友だちができたルミナは嬉しくなった。壱との約束を守り、彼のことは誰にも、父にも話さなかった。
彼が『ドール』という存在だと知り、父が『ドール』を開発していたのだとルミナが知ったのは、その年の7月にND社が『ドール』を発売してからだった。
父に訊ねたわけではなかった。ただ、発売前の『ドール』がルミナの家の、父のPC内に存在した。
だからルミナは、父がND社で働いているのだと思った。
そしてそのとき初めて、ルミナは父が何の仕事をしているのか知らないことに気づいた。
どうして気づかなかったのか、どうして今まで疑問に思わなかったのか不思議に思ったが、ルミナ自身今の生活にこれまであまり余裕がなかった。
光の洪水前の記憶がなく、逼迫した精神状態で過ごしていたのだ。落ち着いてきたのは本当に最近のことだった。
その日何気なく父に仕事のことを訊ねると、父はただのサラリーマンだと答えた。
ルミナは父の言葉に何か引っかかったため、次の火曜日に壱にそれを話して意見を訊いた。
壱は、大企業に勤めていてもサラリーマンって言うよ、と言って笑い、ルミナはその言葉を受け容れて納得した。
その年の8月16日、ルミナの誕生日。
父がルミナに贈ったプレゼントは、『壱』だった。
壱は驚くルミナに、『はじめまして』と言って微笑んだ。ルミナが影で壱と会っていたことは父にも喋っていなかったらしい。
―――こうして秘密の友だち『壱』は、正式にルミナの『兄』代わりの友だちになった。
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「ルミの家初めて来たけどでけええー ありえねー」
「雛ちゃんちに比べると小さいよ」
「いやそれ比べる相手間違ってるから」
沢口のツッコミに、ルミナが笑う。学校から45分ほどかけてついた月島邸。
駅から15分ほど歩いた場所にあるため、暑い中歩いてきた沢口たちは汗を浮かべていた。
「さ、暑いから入ろ」