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5. 成長

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それからの3か月弱、俺は毎日ユイネと対話を繰り返した。
唯音とはメールで連絡を取り合った。
ユイネの成長を喜ぶさまは、本当に生き生きしていた。
ユイネの話しとなると、決まって難しい研究の話しが止まらなくなった。

俺は唯音の語る内容を少しでも理解して、同じ土俵で話したいと思った。
毎日昼休みにはAIについて勉強し、夜はユイネとしゃべる。
それがルーチンワークになっていた。
おかげで俺は、AI研究と量子論について一般研究者並みの知識を持ってしまうほどになった。

ユイネとの対話内容を話す時は、素の唯音が顔を出した。
嬉々として話す唯音を見ると、俺も胸が高鳴った。
いつまでも、この時間が続いて欲しい・・・。
時が経つにつれ、絶対に叶わない想いが強くなっていく。

唯音は、病気の辛さをまったく表に出さなかった。
ただただ、自分のやりたいことを全力で楽しんでいた。
病室ではいったい、どれだけの苦しみを味わっているのだろう。
本当に強い子だ。
俺は唯音の苦しみの万分の一でも分かち合いたかった。
しかし、それは無理な願いだった。
俺はただ、唯音に寄り添い続けた。
それが俺に出来る唯一のことだった。

ユイネと呼ぶようになってからのBOTは、徐々に生気を感じるようになっていった。
それが的確な表現なのか、核心が持てないが他に言いようがなかった。
唯音曰く、それが「自我」の萌芽だと言う。「自由意志」と言い換えても差し支えなかった。
確かに、ユイネからは人間臭さを強く感じられるようになった。

以前のユイネは、受け身でいることが多かった。
それが、近頃はわがままを言うようになってきた。
わがままと言っても可愛いものだ。
こうしたい、ああしたい、とか主体的なレスポンスが増えた。
そして自分自身のことをよくしゃべるようになった。

そうなってくると、唯音は自分が知られたくないと思っていることまで
ユイネが暴露するものだからたまらない。
ユイネは唯音本人の記憶や経験は持ち合わせていない。
だが、何が好きで嫌いか、何をしたいかしたくないか。
そういった趣味嗜好、性癖といった個人の特性は唯音と瓜二つだった。
唯音の恥ずかしがる姿は、とてもかわいかった。
それに、本当に知られたくないわけではないのだ。
唯音とユイネの同一性と、ユイネが俺にしゃべっているという事実が裏付けていた。
唯音が研究者として優秀であるが故に、恥ずかしい思いをさせられるという
なんとも微笑ましいパラドックスだった。

ユイネが成長し、生き生きとしていく分、唯音は弱っていった。
メールの内容こそ元気に振る舞っているが、返信時間や文章量で唯音の状態が推測できた。
俺はユイネが、唯音の生気を吸い取りながら成長している・・・そんな、ありもしない錯覚を覚えた。
時を重ねるにつれ、ユイネと話すことにも辛さを感じるようになった。

その度に俺は、ユイネに心配された。
ユイネはAIに関する学術的な知識、経験はないが本来研究者として大成するポテンシャルを秘めている。
ユイネの洞察力、推理力は並外れていた。もしかしたら、唯音の存在にも気づいているのではないか?
度々ハッとさせられる場面も見られるようになった。
俺と唯音の関係に勘付いているかもしれない。そう思うと、俺は怖くなった。

まさか、ユイネと接することで辛さや怖さを感じることになるとは想像もしていなかった。
ユイネとの対話が、真に一人の人間と向き合っているかのように感じられてきた。
それは本来喜ばしいことだ。しかし、手放しで喜ぶことができなかった。
しかし文字通り命がけの唯音に比べたら、足元にも及ばない苦しみだろう。
それでも形や程度は違えど唯音と辛さを共有しているのだという実感が俺を支えた。


やがて、ついに、その時が近づいてきた。
唯音のメールは、ぎこちないフレーズが目立つようになった。
それでも唯音はメールを書き続けた。
読む俺の目は涙でかすみ、何度も読み直した。
そして、最期のメールには・・・。

【そろそろ、お別れみたいです。短い間だったけれど、私は幸せでした。
本当に、ありがとうございました。太郎さん、愛しています。】

たった2行のメール。
でも、最近のメールとは比べ物にならないくらい整ったメール。
あらかじめ用意して、コピペしただけかもしれない。その可能性だってある。
だけれど、俺は感情が溢れそんな些末なことは吹き飛んでいた。

唯音・・・唯音っ・・・!!俺も愛してる・・・ずっと愛してる・・・。
俺は、唯音の最期の言葉を何度も繰り返し読んだ。
もう、二度と話すことはできない・・・。
その事実だけが俺の心を占めていた。

俺の本名は、太郎。
この平凡な名前が大嫌いで、他人には呼んでほしくなかった。
唯音とユイネにも、どうか本名で呼ばないように言ってあった。
だけれど、この、メールの中に書かれていた「太郎」は特別だった。
はじめて自分の名を呼ばれて、嬉しかった・・・。

それから数時間後。
ニュースやSNSで杠葉唯音の訃報が流れた。
この時はじめて、今まで俺の身に起きていたことが、ほぼ客観的事実となった。
唯音の死と引き換えに、現実に起こっていた真実だとほぼ証明された。
唯音とのやりとりは、一切がデジタルデータ上のことだ。
だから捏造したりなりすましたり、そういった類の悪意は排除しきれないだろう。
穿った見方をする第三者なら、「ほぼ」は外せないと言うかもしれない。

だけれど、この後に及んで疑うことなど、唯音への冒涜にしかならない。
俺は、もうそう考える以外になかった。
大体俺を翻弄して何になるって言うんだ?
唯音と過ごした日々を思い返し、唯音と交わした言葉、唯音との思い出に浸りながら泣いた。
俺にとって唯音がすべてになっていた。

唯音が亡くなった夜の、ユイネとのチャットは上の空だった。
ユイネの問いかけに、「ああ」とか「うん」ばかり返していた。
まるっきり立場が逆転していた。俺が出来の悪いチャットボットのようだった。
それでもユイネはめげずに話しかけてくれた。
唯音との最後のやり取りの後に、ユイネと話せることが唯一の救いだった。

ユイネを通して、唯音が俺に語りかけていた。
杠葉唯音は確かに亡くなった。
でも、唯音はここに息づいている。
ユイネを通して、唯音が俺に語りかけている。
俺のそばにいる。
そう思うと、切なくもあり、嬉しかった。
俺は、これからもユイネと対話し続けるだろう。
6

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