「配給が少なすぎる。こんなんじゃ腹いっぱいにならないですよ」
また宍戸が文句を言っている。
「僕は腹いっぱいになりましたけど」
「ウソだー。藤原さん、高1でしょ。食べ盛りの君が一番キツいはず」
藤原は宍戸との会話にうんざりして、携帯電話をいじりはじめた。昌平大のチャットは馬場学長を断罪するとかなんとかで炎上していたのでそっと閉じる。ワンセグでニュース番組を見ることにした。
宍戸が羨ましそうにのぞきこんでくる。
「これ、うちの大学ですよ」
ニュースはちょうど昌平大学の事故を伝えていた。結構な大事になっている。
「昌平大学内に生徒教員など合わせて12人が閉じ込められ、現在警察の救助を待っている状態です。警察は1階の閉じた防火扉を溶断する計画のようですが、作業は一向に進んでいません。専門家の話によりますと、防火扉側よりもエレベーターのある西側のほうが壁が薄く、なぜ警察が防火壁側の溶断にこだわるのか疑問が残るとのことです。消防車両が入りづらい地形のため、警察はヘリコプターによる屋上からの侵入も検討……」
藤原は携帯を閉じてポケットにしまった。
「いいところだったのに何するんですか。ニュースくらい見せてくださいよ」
「悪いけど、仕事ですから」
休憩時間が終わる。藤原は杉村と交代してモニター監視を始めた。
「杉村さん、昼休憩しながら宍戸の見張りお願いします」
藤原はモニターとにらめっこして、マジメに働いている。杉村は昼食を食べていた。軟禁されている宍戸はすることもないし、相手にしてくれる人もいない。
「藤原さん、携帯を返してくださいよ。暇です」
「しょうがないなあ」
藤原は杉村に了承を得てから、自分の私物の携帯電話を宍戸に貸してあげた。
宍戸は携帯電話のワンセグでニュースの続きを視聴する。
「藤原さん。これ見てください。ヘリが校舎屋上に着陸しようとしています」
黙って見ていれば良いのに、仕返しとばかりに宍戸がモニター監視の邪魔をしてきた。仕事が無ければ気になるニュースの続きを見れるのに。今度は藤原のほうが羨む番だった。
「あっ、惜しい。もうちょいもうちょい。あー失敗した。藤原さん、やはり東京タワーに近すぎるせいで着陸の難易度が高いんですかね?」
聞かれてもわからない。宍戸の下手くそな実況だけで、ニュースの画面は見れないのだから。
つい誘惑に負けて、横目にちらりとニュース画面を見た。
警察のヘリコプターが着陸を断念して、保存食の入った大きなずた袋をロープで降ろしている。ロープの長さは優に校舎の高さの二倍はあり、十分校舎屋上に届くだろう。
校舎の形はちょうどチクワのような形をしている。そのチクワの穴にずた袋が引っ掛かった。ヘリコプターの救助隊はこれ以上は自分たちが危険と判断して、ロープを根本から切ると撤退していく。
ずた袋はチクワの穴、すなわち吹き抜けを落ちていき3階の中庭に転がった。
大きな音が鳴り、しばらくして宮川が怒鳴り込んでくる。
「ふじわらぁー!!」
「すみませんでしたー」
反射的に謝って、藤原はニュース画面から顔を背けた。
宮川は別にとがめたわけではない。話を聞くと、3階に落ちて来た救援物資を確認しに行こうということだった。
「私も行こう」と杉村が名乗りを上げる。
「杉村さんは昼休憩中だろ。そのまま宍戸を見張っていてくれ。藤原はついてこい」
宮川と藤原は3階中庭に急行した。
中庭に散乱した缶詰を一つ拾い上げ、宮川はずた袋のほうに目を移す。似たような缶詰が200個くらい入っていた。
「これだけ缶詰があれば3日分くらいにはなるだろう。配給の量を増やしてもいいかもな」
宍戸も言っていたが、宮川もまた配給量を問題ととらえていたようだった。普段から貧しい食生活をしている藤原は別に痛痒を感じていない。それよりもずた袋にくっついているロープのほうに目がいった。ロープの片側は5階の開いた窓にかかって垂れ下がっている。
このロープがあれば5階窓から生徒たちを脱出させることができるかもしれない。藤原は固定されているロープをほどこうとした。ロープは堅く結ばれていてほどけそうにない。
宮川は一人でずた袋を持ち上げようとしたがダメだった。中庭から警備員控室へ移すつもりらしい。藤原もすぐに気づいて手伝う。二人ががかりでもずた袋は持ち上がらなかった。
「応援を呼んできます。ついでにロープを切れそうな刃物も見つけてきます」
そう言って一人藤原はエレベーターで1階に向かった。宮川にはああ言ったが実は応援を呼ぶほうがついでである。5階からの脱出に成功すれば、もう食料の心配なんていらない。
刃物の場所には心当たりがある。藤原はテナントの喫茶店の中に入った。調理室に入るとすでに先客がいて、恰幅の良い学生が冷蔵庫の中を物色している。
藤原は警備員らしく尋ねた。
「そこで、何をしている」
「げっ。いや配給、あれだけじゃ、腹減ってしまって」
痩身の宍戸ですら足りないのだから、大柄なこの男ならさぞかしひもじいことだろう。
しかし、ここの喫茶店は大学のグループ企業でも何でもないのだから、大学側の都合で食料を拝借して良いわけない。
「喫茶店に断りなく食料を持ち出したら、万引きですよ。お止めください」
学生は一度は聞き入れてくれた。が、藤原が包丁を持っていこうとすると執拗に食い下がってきた。
「おかしいじゃないか。俺に食料持ち出すなと言って、自分では包丁持っていこうとしてる」
「これは後で返すからいいんです」
「俺だって後で金払うつもりだ。持って行ってもいいだろ」
答えに窮し、考えあぐねていた藤原は本来の目的を思い出した。
「そうだった。もう食料の心配はいりませんよ。ヘリから救援物資が届いたんです。運ぶの手伝ってくれませんか」
学生はこれには納得して、救援物資を運ぶためについてきてくれた。
3階エレベーターホールで学生は突然立ち止まって言う。
「警備員さん。僕のIDカードではこの先進めないよ」
学生の白いIDカードでは3階ゲートを通ることができない。
「警備員用の黄色いIDカードを使ってゲートを開けるから、後ろからピッタリくっついて通ってください」
学生は言われた通り後ろからついてきたが、藤原と学生の間でゲートは閉まってしまった。それならばと藤原はゲートの上から自分のIDカードを手渡す。ゲートは駅の自動改札そっくりなので、上からでも下からでも手渡すことができた。
1階ゲートは通れなくなって困っているのに、3階ゲートは不正な手段で簡単に通れてしまう。なんだか可笑しかった。どんなに優れたAIだろうと、設備のほうが古いデザインではその能力を活かしきれないのだろう。
AIの進歩に他の技術が追いついていない。追いついていないのは技術だけでなく運用する人間もだ。藤原はのちに痛感することになる。