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10話 さよならバトニング

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「この間、新人がバックレたばかりだから。隼人君が勤務時間を増やしてくれて、助かるよ」
 バイト先の酒屋で空になったビールケースを並べていると、店長から感謝の言葉を貰った。
「そう言ってもらえると、やりがいがありますね。空いた穴をカバーできるよう頑張ります」
 快活に答えると、店長は満足げに頷いた。
「バイトして何か欲しい物でもあるの?」
「特に欲しい物がある訳ではないですけど。暇な時間がもったいないと思って」
「大学生って、時間があっていいね」
「ありすぎて困る事もありますよ」
「何だか贅沢な話だね」
「俺もそう思います」
 来週のバーベキューは欠席する事にした。
 好きな事を我慢して、高崎と同じ境遇に身を置く事は正しいのか。他に何か選ぶべき手段があるのではないか。引っ掛かったままだが、迷っている今はアウトドアに対する熱意を持てなくて、誘いを断った。
 高崎の仕事が落ち着き、ようやく自由になってアウトドアを楽しめると思っていたのに。再びこの状況に陥ってしまうとは予想できなかった。
 理不尽な何かから解放されても、すぐに別の何かに拘束される事はこれまで散々経験してきた。それなのに、何故、この状況を予想できなかったのか。それはきっと、良い状況はいつまでも続くと強く願い、盲目に信じきっていたからだ。強い期待が熱を帯びて、物事を冷静に見られなくなっていたのだ。では、何故、そこまで熱くなってしまったのか。アウトドアが好きだからなのか。それだけではないように思える。心のどこか、深い所に理由があると思うのだが、どれだけ考えてもその正体は掴めなかった。
 バイトを終え、店から出ると野村がいた。
「来ちゃった」
 野村は上目遣いでこちらを見てくる。
「酒でも買うのか?」
「買わないよ。帰りが今になって。不審者が怖いから、一緒に帰りたいと思って」
「ああ、そうだったな。じゃあ、一緒に帰ろうぜ」
「うん」
「隼人君は、バイトをして、凄いね。恥ずかしい話だけど、私はバイトをする勇気が無いよ」
「野村はSNSの収入があるから、それでいいんじゃないか」
「そうかもしれないけど。いつかは働かないといけないし。自分が働いている姿なんて、やっぱり想像できないよ」
「それこそ、SNSで生計を立てれば良いじゃないか。今の時代、そんな奴はごまんといるだろ。むしろそれが理想だと思う人が多いじゃないか。流行に疎い俺でもそれくらい知ってるぜ」
「確かに、そうだね。もっと頑張らないといけないな」
 やはりSNSの話に対する反応が良くない状態が先日から続いている。だが、SNS以外の話題は思いつかないので、しばらく無言のまま歩いていると、野村がこちらを見つめてきた。
「なんだよ」
「バーベキューに参加しないのは、バイトが忙しくなったから?」
 答えにくい質問だ。
「それもあるけど。まあ、色々あるんだよ」
 はっきりしない言い方に不満があったのだろう。野村は、「そうなんだ」と言って落ちていた石を蹴った。
 そこからまた、無言になり、少しして。
「悩んでるんだ?」
 野村が問いかけてくる。
「正直に言えば、そうだよ。悩んでる」
 誰かに弱みみたいなものを明かす事には慣れていない。もしかすると、肉親以外では、初めてかもしれない。
 だから。我ながら、驚いてしまう。
 だが、野村は頷くだけで、それ以上は追及してこない。
 俺も、それ以上は話せないと思った。
 再び、無言になって歩いていく。
 そうして、野村家の豪邸が見え始めた時。
「今度。隼人君と一緒に、行きたいところがあって。どうかな」
「アウトドアか?」
「アウトドアだよ。この間、登山の時に話してたナイフを使ってみようと思うんだけど。見てみたくない?」
 正直、見てみたいし、使ってみたい。
 つい先程までアウトドアへ熱意を持てないと嘆いていたのに。こうも簡単に気持ちが移ろうとは。
 だが、高崎を置いて、アウトドアを楽しんでいいのか。
 迷ったが、アウトドアはこれまで何度も俺の心を支えてくれたものだ。それを断固拒絶するというのは酷く義理を欠いた行為だと思う。それに、アウトドアを教えていく約束を野村と交わしている。それならば、この誘いは受けるべきだろう。
「分かった。じゃあ、都合が良い時に行こう」
「良かった。嬉しい。準備しとくね」
 野村は目を大きく見開き、両手を合わせた。
「どこに行くかは決まっているのか」
「薩摩川内市の、藺牟田池に行ってみたい、かな」
「なるほど、良いスポットだな。ただ、鹿児島市からだと交通の便が悪いな」
「うん。だから親の車を借りていこうかと思う」
「それは助かるな」
 ありがたいが、野村の荒っぽい運転を思い出して背筋が寒くなった。



 薪の側面に約二十度の角度でナイフの刃を押し当て、そのまま前方へ滑らせるとほとんど抵抗を感じることなくナイフの刃が進み、薪の表面が削れていく。それはまるで林檎の皮でも剥くみたいに滑らかな感覚で、強く感心した。
「いいナイフだな」
 陽の光に照らされて、神々しく輝くナイフの刃を眺めた。
「ありがとう。でも、隼人君の腕がいいのもある」
「野村だってできるようになるぜ」
「そうかな」
「ああ、間違いない。鍛錬あるのみだ」
 そう言いながら、薪を削り続けて、野村はその様子を真剣な眼差しで見つめている。
「私ね。バトニングもやってみたいの」
「バトニングに興味を持つなんて、すっかりアウトドアに染まったな」
「うん。でも、何か、怖いから。やってみてほしいな」
「怖い気持ちは分かるぜ。刃こぼれしないかとか、刃が折れるんじゃないかとか。不安になるよな」
 そう言って俺は薪を手に取る。
 バトニングとはナイフを使って薪を割る作業だ。一般的に薪割は斧を使うイメージがあるだろうが、ナイフとハンマーを用いても可能なのだ。
「まず、薪を地面に立てて、刃を当てる場所を決める。この薪は太いから、断面の中心にナイフの刃を当ててしまうと、円の端からナイフの刃先が出ないだろ。これでは薪を割ることが出来ないから、中心から少しずらす」
 薪の断面の丁度良い所にナイフの刃を当ててみせる。
「こうして薪の端からナイフの刃先が出れば大丈夫だ。じゃあ、やってみていいか」
「いいよ」
 今回はハンマーがないので、別の薪を手に取り、それで刃の背中側を軽く叩く。その衝撃でナイフの刃が薪にめり込んでいくのを確認し、続けて刃の先端あたりを強めに叩いていく。金属音と薪の繊維が切断される音が響きながら刃が落ち込んでいき、薪が割れた。
「こんな感じだな」
「すごい。本当に割れた。動画で見ていたより、綺麗だ」
 野村は喜んでいるようで、何よりだった。
「じゃあ、やってみるか?」
「そうだね。せっかくだから一度やってみようかな」
 俺は野村にナイフを渡す。
「地面に対してナイフの刃を垂直に立てて、そのまま叩いていくのが重要だ。よほどの無理をしない限りナイフが壊れる事はないから、気軽にやれば良い」
 俺はアドバイスをしながら、野村のバトニングを見守る。ナイフを持つ手が震えていて、心配になったが試行錯誤をしながら、薪を割る事ができ、満足した様子だった。
「できた」
「良かったよ。アウトドアにはだいぶ慣れてきたんじゃないか?」
「どうかな、まだまだだと思うけど」
 俺達は満足したので、薪とナイフを片づける事にした。
 薪を割ったり、削ったりしたが、それを燃やして焚き火をする訳ではなく、ナイフの使い心地を試しただけで終わる。傍から見れば変態的だが、俺達にとっては粋な活動だった。
「前に話していた、隼人君が試したい道具は持ってきたの?」
「ああ、新しいコンロを買っていたんだけど。今はタイミングが悪い気がするし、一遍に何でもかんでもするのは良くないから、今回は置いてきた。だから、今回はここまでにしておこう」
「そっか。楽しみだったけど。また今度だね」
 野村は本当に残念そうにしている。
「すまない。だけど、こうやって息抜きに池を眺めるのは気分が良いから。来てよかったと思う」
「緑に囲まれて、穏やかで、凄く大きな池で。落ち着くね」
 野村は折り畳み式のアウトドアチェアに深く腰掛けて、静かに池を眺めていた。
秋になってから、橙色に染め変えた野村の髪が、陽射しを浴びて煌めいている。
 この藺牟田池と野村の姿が調和した景色は、SNS映えするのだろうとなんとなく思った。
 SNSといえば、野村は藺牟田池に到着してから一度も撮影を行っていなかった。
「この景色の写真、撮らないのか」
「うん。今は、いいかな」
 遠出をして、こういった特別な景色を前にして、野村がスマホのカメラを向けないのは違和感がある。
「それにしても、さっきの食堂は凄かったな」
「本当だね。噂に聞いていた以上の迫力で、驚きだったよ」
 藺牟田池へ向かう途中、野村が紹介してくれた食堂に立ち寄ったのだが、そこで提供される食事は非常に個性の強いものだった。
 俺の注文した焼き魚定食は、皿の上に鮭や鯖、鯵の切り身を塩焼きにした物が四枚ほど並べられ、その横にはソース塗れの巨大なハンバーグが添えられていた。てっきり鯖などの切り身が一枚出てくるものだと思っていたので、驚愕した。
 野村は俺が驚く様子を見て喜んでいたが、彼女が注文したエビフライ定食には巨大な三匹分のエビに加えて、鶏の唐揚げと、俺と同じハンバーグまで添えられていて、この店を紹介した本人も大変驚いていたので面白かった。
「あの店にとって、ハンバーグは定食の味噌汁や漬物みたいな扱いなのかもしれない」
「ハンバーグが基本のセットになっているのかもね。私は流石に食べきれなくて残しちゃったな」
「あの強烈な体験は簡単にできるものじゃないな」
「本当だね」
 あれもまた凄い光景だったが、野村は写真を撮らなかった。普段は、些細な食事の際も欠かさず撮影するというのに。
「ねえ、あれ。良かったら、乗ってみないかな」
 野村は湖上に浮かぶ手漕ぎのボートを指さした。
「さすがに水上へ出るのは厳しいから、俺は乗れないな」
「ごめん。そうだったね。じゃあ、あれは?」
 野村は池の周りを自転車で駆け周る人達を指さす。
「レンタル自転車か。良さそうだな」
「うん」
 俺達は荷物を撤収して、レンタル自転車屋へ向かった。
 藺牟田池では、手漕ぎボートやクロスバイク、二人乗り用の自転車など、様々なアクティビティを体験できる設備が整っている。
 俺達はクロスバイクをレンタルして、さっそく跨ってみた。
「自転車に乗るの、久しぶりだ。小学生以来かな」
「俺もかなり久しぶりだ。このクロスバイクは、ママチャリと少し勝手が違うから、注意しろよ」
「うん」
 クロスバイクは、ママチャリと競技用自転車の中間にあるタイプの自転車だ。ママチャリより速く走る事ができ、競技用自転車と違ってハンドルが高く前傾姿勢になって乗る必要がないので、気軽に利用できるのだ。
 藺牟田池の外周は約四km。初心者の俺達には丁度良い距離だろう。
 さっそくペダルを漕ぎ、走り始める。自転車に乗ること自体が久しぶりなので、顔に当たる風の感覚は何だか懐かしく感じた。
 俺の少し前を走る野村は、不安定で車輪が揺れていたが、徐々に安定して走行できている。
「ブランクがあっても、身体が乗り方を覚えているもんだな」
「本当だね。怖いのは最初だけだった」
 次第に会話が出来るようになり、景色を楽しむ余裕も生まれた。
 池の外側には様々な植物が群生していて、水面を水鳥が優雅に泳ぐ景色は何だか神秘的だ。更に、池の周りを囲む雄大な外輪山は大変見応えがある。
 それからしばらく走っていると、少しずつ釣り人の姿が増えてくる。
「この池はブルーギルっていう魚が釣れるらしい。釣りはアウトドアの代名詞だが俺はやった事がないんだよ。野村はやった事あるのか?」
「私もない。いつかはやってみたいと思うけど」
「そうか。流石に釣りをするのは怖いから、まずはサイクリングを始めていきたいな」
「サイクリングにも興味あるんだ」
「そうなんだよ。サイクリングも立派なアウトドアだと思うから。興味はあるんだよな」
「じゃあ、自転車を買ってみないの?」
「今はタイミングが悪いと思うんだよな」
 俺が言うと、野村は目を反らす。
「アウトドアより優先する事ができたんだね」
「え?」
「今日で二回。アウトドアの事で、タイミングが悪いって言ってる」
 二回。新しいコンロと、サイクリングの事か。
 優先する事ができた訳ではないが、それが何か不都合でもあるのだろうか。
 それから野村は俺に目を向けなくなった。彼女の心境は分からないが、機嫌を悪くしている事は明らかだ。
「そういえば、SNSに写真を載せてたけど。あれが初めてだったよね」
 ゴールが近づいてきた時、野村が再び話しかけてきた。
「初めての投稿に相応しい、良い景色だろ」
「うん。良い景色だったし。良い写真だった。ワンゲル部のみんなに反応をもらって、嬉しかった?」
「いや、嬉しくはなかったな。『いいね』を貰ったところで、俺は何も感じなかった。SNS上で、何かの為にどこへ行ったとかを共有するより、アウトドアで誰かと同じ時間を共有する方が俺の性格に合っているようだ」
「SNSは、あわない?」
 どういう訳か、質問攻めにされている。
「そうかもしれない。やはり、SNSは承認欲求を満たすための場所だ。いわば自己満足の世界。現実逃避と言ってもいい。誰かに認められたい、承認欲求の強い人間に向いている場所だよな。そう考えると、俺の性格には合っていないと思う」
「そんなにひどく言わなくてもいいのに」
 野村は俺を睨みつけてくる。
「ひどく言うつもりはない」
「そのつもりはなくても、否定するニュアンスしかなかったよ」
「否定するつもりもない。自己満足の世界で、現実逃避をする場所というのはアウトドアも同じで。要するにSNSもアウトドアと同じ魅力があると伝えたかったんだ」
「それなら、そう言えばいいじゃない。回りくどく言わないで、最初からそう言えばいいのに」
「確かにそうかもしれないけど」
 野村から質問責めを受けた腹いせに嫌味を言いたくなったのだが、言葉が過ぎてしまったようだ。
「元がそういう人間性だから、そういう表現になるんだよ」
「何だよ、それ。野村こそ、俺を否定しているじゃないか」
「否定したくなるでしょ」
 野村は強く吐き捨てて、自転車を勢いよく漕ぎ始めた。
 彼女がここまで感情を露わにする所は初めて見る。
 普段は穏やかな野村の言動をここまで荒立ててしまった事による後悔と、理不尽な言葉を浴びせられた事による怒りがぶつかり合って、気持ちが高ぶっていくのを感じる。そして、気持ちを抑えられないまま、ペダルを強く踏み込んだ。
 ここは自転車で競争する場所ではない。平日で人が少ないから良いが、本来は大目玉を食らう行為だ。だが、彼女を引き止めるためにスピードを速めるしかない。しかし、ひたすらペダルを漕ぎ続けても、野村には一向に追いつけず、彼女の背中は遠く、小さく、なっていく。
 池を一周して、自転車の返却場へ着く頃には、野村は自転車を返却して、近くのベンチに腰かけていた。
 悔しいが完敗だ。まさか、野村がこれほどまでに自転車の運転に長けているとは思わなかった。
「野村は速いな。だけど、今度は、負けないからな」
 俺の言葉を野村は無視し、池を眺め続けた。
 そうだ。今はそんな状況ではなかった。野村に負けた悔しさから、肝心な事が意識から抜け落ちていた。
 間抜けな俺の姿を見た桜島が呆れて、咎める言葉を送ってきている気がした。だから桜島に向けて耳を澄ませるが、彼の声は聞こえなかった。
「野村。さっきは酷い事を言って、悪かったよ」
「ううん。私の方こそムキになって、酷い事を言って、ごめん」
 許しの言葉を貰えたが、野村は俺から目を背けたままで、機嫌は少しも良くならないようだった。
 何か言葉をかけてやりたかったが、彼女の気持ちを理解しないまま、上辺だけを繕った言葉を送っても意味がないだろう。
 俺はどうすればいいのか分からず、縋る気持ちで桜島に声をかけるが、またしても返事がない。
 二人の間に流れる重苦しい雰囲気は改善しないままで、時々、野村と空虚な会話を交わしながら、空虚な時間が過ぎていった。



 高崎の問題は解決せず、野村とも上手く関われないまま、もどかしさを抱えた身体を引き摺って生活している。
 とにかく足を動かして環境を変えてみれば、憂鬱な気分も晴れるとは思ったのだが、そう上手くはいかなった。
 それならば、根本的な問題を解消するしかないのだろうが、どうすればいいのか分からず、憂鬱な毎日が続く。
 大学は後期になってから、講義の空き時間が増え、多くの学生が校舎の内外で屯するようになったように感じる。時間を持て余しているのは俺も同様で、この空き時間はバイトを入れるには短すぎるし、そこら辺で何もせず座って過ごすには長すぎる。
 だから、大概はワンゲル部の部室でくつろいでいた。
 この日も小さな期待に胸を膨らませてワンゲル部の部室を訪れるが、期待は外れて、直井と長瀬が二人でゲームをしている。
「隼人、今日も来たか」
「ああ」
 直井は少年誌を枕にして寝そべりながらゲームのコントローラーを握っている。
「この時間は、いつも男だけの世界だよな。女子はどこで何をしてるんだろうな」
 胡坐をかいた長瀬が呟く。
「お洒落なカフェでランチでもしてるんじゃないか」
 彼等はカラフルなイカを操作して床や壁にペンキを塗りつけたり、ペンキの中へ潜って泳ぎ回るという奇想天外なゲームで遊んでいた。今時のゲームにはついていけないと言いたいところだが、このゲームは俺が小学生の頃から続いているシリーズなので、今時という訳ではない。
「気になっていたんだけどさ。最近はアウトドアに消極的の隼人が、部室にはしっかりと顔を出すのは、どういう心境なんだ?」
 長瀬は気楽な調子で訊いてくるが、俺にとっては深刻な問題で、返す言葉に困る。
「隼人にだって寂しい時があるんだよ」
 口ごもる俺の気持ちを察してか、直井が答えた。
「なるほど。隼人も可愛げがあるじゃないか」
「まあ、寂しくはないけど。活動に参加できていないのは悪いと思ってる」
「参加できない事は気にしなくていいんだけどな。寂しくないと言いながら、部室へ来るのはやっぱり妙だぜ。本当は、俺達に会いたいんだろう」
「まあ、みんなに会いたい気持ちは認めるよ」
 俺が言うと、直井は目を見開き、「あっ」と言った。
「隼人らしくない事を言うから、やられたじゃないか」と直井が言って、「俺もやられたよ」と長瀬が続けた。
「丸くなってきたというか。心を開いてきたというか。何だろうな。人間らしくなってきた感じだな」
「そうかもしれない」
 人との関係を繋ぐ為に行動するなんて、今まではあり得なかった。
「本当は高崎さんに会いたいだけだったりしてな」
「それか野村さんだな」
 直井と長瀬は深く頷き合っている。
「何だよ、それ。そんな訳ないだろ」
「図星かよ」
 図星だった。
「まあ、どんな理由でもいいけどさ。アウトドアの方にも、参加できる時は参加してほしいぜ。隼人はワンゲル部のエースだからな」
「エースって、俺が?」
「ああ。隼人と高崎さんへの信頼は厚い。だから期待してるんだぜ」
「そうか、ありがとう。そう言ってくれると、嬉しいよ」
 直井と長瀬は手を止めて、顔を見合わせる。そして、「やっぱり隼人らしくないな」と直井が言った。
 それからしばらく彼等との会話を楽しんで、心が休まった。
 自分らしくなくて認めたくなかったが、俺は人との繋がりを欲しているようだ。
 野村にかける言葉を見つける事はできていないし、高崎を助ける方法も見つける事ができないままだ。だけど、それでも会って、何でもいいから話してやりたい気持ちになった。
 これで桜島と会話ができれば何よりなのだが、藺牟田池を訪れて以来、彼の声を聞く事はできていない。
 そうやって考えながら部室から出ると、高崎と野村が丁度良いタイミングで現れた。
「隼人君、来てたんだ」
「ああ。次の講義へ向かうところだったけどな。二人は講義が終わったところか?」
「ううん。次の講義は高崎さんと同じのを履修していたけど、それが休みになって。一緒に来たんだ」
「そうか」
 俺は頷いて、隣で立ち尽くす高崎を見る。
「高崎は、久しぶりだな」
「だね」
 こうして二人に会えるとは願いが叶ったようだ。
「野村、この間は不愉快な想いをさせて悪かった。だが正直に言うと、どうして野村を不愉快にさせたのか理解できてないんだ。だから今だってどう振舞っていいか、よく分からなくてさ。だけど、この間みたいな、気まずい感じになるのは嫌で。要するに、どうすればいいか、分からなくて、困っているんだよ」
 俺は素直に謝り、自分が考えている事を伝えた。
「ううん。隼人君は悪くない。私が感情的になって、伝わらない事を言ってしまっただけだから。気にしないで。それより、隼人君と藺牟田池に行けて、嬉しかったよ」
「そうか、良かったよ」
 俺はうっすらと微笑む野村の顔を見た。
 これで、俺達の関係は修復できたのだろうか。できれば、そうであってほしい。
 野村はそれ以上、何も言わないので俺は高崎を見る。
 彼女は普段通りの無表情で俺を見ていた。
「高崎は、やっぱり忙しいのか?」
「毎日予約が埋まっていて、息つく暇もない。だから従業員を増やそうとして、お父さんが求人を募集しているみたいだけど、なかなか来てもらえなくて。毎日働かないといけない状況かな」
「そうか。またアウトドアができなくなるのは辛いな」
「うん。夏の時みたいに忙しくなるとは思ってなかったし。アウトドアが楽しめると思っていたから、そこは辛い、かな」
 高崎が弱音を吐くのは非常に珍しい事なので、それほどに辛い想いをしているのだろう。
「いろいろ辛いとは思うけどさ。俺も高崎と同じように、アウトドアを控えて、毎日バイトをしているんだ。そうやって辛さを共有すれば高崎の抱える鬱憤とか、不満が少しでも軽くなるんじゃないかって思ってさ」
「また、そんな事をしているの?」
 高崎は眉間に小さく皺を寄せる。
「ああ、そうだよ。夏の時期みたいにさ、高崎だけ苦しい想いをさせるわけにはいかないだろ」
「苦しむのは私だけでいい。辛い想いを共有して気持ちが楽になるというのは分かるけど。そうしてほしいなんて私は思ってない」
「そうなのか?夏休みに、俺に酷い対応をしたのは、自分だけ辛い想いをするのが嫌だったからじゃないのか」
「違う。そんな理由じゃない。けど。確かに。どうして隼人君に酷い事をしたんだろう」
 高崎はそこまで言って、言葉に詰まる。それは俺も同じだった。俺に酷い対応をした理由が、他にあるというなら。それは何だろうか。
「隼人君がアウトドアを辞めたのは、それが理由だったんだね」
 沈黙する俺と高崎の代わりに野村が言葉を発した。
「二人を見ていると、嫌になる。私が意地悪く藺牟田池に行った話までしたのに。隼人君は何の言い訳もしないし、高崎さんはまるで反応を見せない」
「野村、悪いけど。何の話をしてるんだ?」
「隼人君には分からないよ。高崎さんだって分かってない。高崎さんがそうやってはっきりしないから。頭の固い隼人君はアウトドアを出来ないんだ。隼人君はワンゲル部のバーベキューに来なかったし、一週間キャンプの話だってしなくなった。そんな姿を見ていられなくて。私が無理矢理誘ってようやく一日だけ遊びに行けて。だけど、隼人君は新しいアウトドアグッズを使いたがらなかったり、サイクリングを諦めていたりして。まるで別人みたいになってしまった。やりたい事は何でもやるのが隼人君なのに、そんな姿は見たくなかった。隼人君がどうしてそうなったか。高崎さんは分かるよね。高崎さんが大変なのは分かるけど、隼人君を巻き込まないでほしい」
 野村の言葉が止まらない。野村の抱える暗い感情は痛い程伝わってくるが、これ以上、高崎を傷つけてしまうのを黙ってみている訳にもいかない。
「待ってくれ、野村。俺がやりたい事を諦めているのは、高崎のせいじゃない」
「そう、高崎さんのせいじゃない」
「え?」
「私のせいなの」
 野村が言った。
 何だ、それは。
 話の展開についていけず、まるで意味が分からない。
「私が、高崎さんの家の。旅館の写真をSNSに投稿したでしょ。あれは、高崎さんがワンゲル部の活動に参加できなくするためなんだ」
 どういう事だろうか、まだ話が見えない。
「旅館を宣伝する事で、宿泊するお客さんが増えれば、高崎さんの仕事が忙しくなって、ワンゲル部の活動に参加する機会を減らせると思ったんだ。実際に投稿してみると、その投稿を見た人達から、旅館の詳しい住所や連絡先を尋ねる問い合わせが私の元へ届くようになって、全て返信した。そうする事で高崎さんの仕事が徐々に忙しくなって、私の思惑通り、ワンゲル部の活動に参加できなくなった。だから、高崎さんが苦しい想いをしているのは私のせいで、隼人君がやりたい事を諦めているのは私のせいなんだよ」
「それ、本当かよ」
 俺の問いかけに野村は口をつぐみ、静かに頷いた。
「だけど、どうして。そんな事をしたんだよ」
「やっぱり、分からない、よね」
 野村は呟く。
 彼女の言う通り、考えても分からなかった。
「隼人君と高崎さんの仲がいいから、だよ。でも、実際はどんな関係なんだろう、どれくらい、仲がいいんだろう。誰にも分からない。夜中に旅館を抜け出して焚火をしたり、私と二人で写真を撮るのは拒否したのに、高崎さんとは写真を撮ってSNSに投稿するし。そんな隼人君を見ているのは、辛かった。そして、このままでは二人の間に私が入り込む隙がないと思って、怖かった。だから、高崎さんがワンゲル部の活動に参加できなくなるように、計画を立てたの。それで、計画通りに進んだと思ったのに、今度は隼人君がアウトドアを辞めてしまった。これでは意味がないし、その行動は高崎さんに対する想いの強さを表している訳だから。もう、私にはどうしようもない」
 野村の複雑な感情を真正面から受けて、返す言葉が思いつかない。
「そうか。何というか、野村の悩みに気づけなくて、すまなかった」
「謝らないで、悪いのは私だから。本当にごめんなさい」
 野村は震えながら、頭を下げた。
 彼女が悪い事をしたとは思えないし、こんな姿を見て、野村の想いを聞いて、咎める事なんて出来るはずがない。
「高崎、野村を責めないでやってくれないか」
「責めないよ。おかげで旅館の経営は安定している訳だし。野村さんからSNSへの投稿を相談された時、お父さんに相談して、旅館のお客さんが増えるなら良いと言われて承諾した事なんだ。だから、本当に何も悪くない。むしろ、感謝しないといけない」
 俺達の言葉を受けた野村は、俯いたまま反応を見せない。
「高崎もこう言ってるし、あまり気にしない方がいい。それに、こうして打ち明けただけでも凄い事だと思うよ」
「ううん。本当は、黙っているつもりだった。旅館の売り上げに貢献して、桜島を盛り上げたりもしているから、悪い事はしていないとか。自分を正当化していた。だけど。いま、高崎さんと隼人君の純粋な姿を見ていたら、邪な気持ちで行動した自分が許せなくなった。それに、悪者のままでは高崎さんには敵わないから。正直に話して、謝りたかった」
「いや、やっぱり、立派だ」
「そんな事はない。けど、私はこんな事をしてしまうくらい。隼人君が好きなの」
「は?」
 これまで一度も聞いたことのない言葉が耳に飛び込んできて、驚きを隠せなかった。
「私も、桜島の前では嘘をつけなくなった。そうしないと高崎さんには敵わない」
「ちょっと待ってくれ」
 理解が追い付かず、野村の話を制止した。
「桜島の前で嘘をつかないのは大切な事だけど、俺が好きとか、どうしてそんな話になるんだよ」
「どうして、って。最初からずっと、そんな話だったでしょ」
 そうだったのか?
 俺は高崎の方を見るが、彼女も首を傾げてみせた。そんな俺達の様子を見た野村は呆れたように首を振って、頭を抱える。
「もう、いいや。とにかく謝る。ごめんなさい。ただ、やっぱりこれだけは言っておきたい。隼人君には、自分を曲げるような事はしないでほしい」
 そう言って、野村はとぼとぼと去っていく。これ以上、野村に掛ける言葉がみつからず、彼女の背中を黙って見送った。
 初めて体験したことで、思考が追い付かずに無言のまま立ち尽くしていると高崎が口を開いた。
「野村さんの気持ちは、私も意外だった。その事については、何とも言えないけど。野村さんの言う通り、私は、隼人君を巻き込んでいた」
「その話は、待ってくれよ」
 今はもう、勘弁してほしかった。
「だから、私は隼人君を自由にするべきだ。私の為に働いてくれたのは嬉しいし、それが隼人君のやりたい事なのかもしれないけど。そのせいでアウトドアが出来ないのなら、それはやっぱり駄目だと思う。だから、アウトドアを犠牲にする事は、もう辞めてほしい」
「本当に、それでいいのか?」
「いい。そうじゃないと困る」
「分かった」
 高崎は目を赤くして、顔を歪めていた。だから、その頼みを断る事ができなかった。そして、これまでの行いを強く後悔した。
 俺がしてきたのは、本当に独りよがりの行為だったようだ。
 二人の気持ちが理解できていれば、状況は良くなっていたのだろうか。だが、理解した所で、正しく応える事ができただろうか。
 とても、そうは思えない。
 欲していたものを掴む為に行動してきたのに、それを握り潰してしまった。その過ちに気づくのが遅すぎた。
 どんな言葉をかけてやればいいのか分からないまま、高崎と離れ離れになった。
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