〜第九章〜「決戦!イズナル」
我を忘れて叫んだものの、目の前のありえない状況にイズナルは動揺を隠しきれなかった。
怒りでブルブルと体を震わせながら、ひたすらに少年の左胸に輝く紋章を睨みつける。
「グ、グランドフォースは死んだはずだよ!! たしか……エレメキアの皇子だったレクシスとかいう奴! ……そいつはエレメキアと共に滅んだはず!!」
イズナルはレクシスという名前が、以前に聞いたことのあったグランドフォースの名前であることを今になってようやく思い出した。
“世界を破滅へといざなう者”の直属の臣下として、抹殺を完了したフォースについての報告を部下から受けていたのだ。
その時確かにグランドフォースであるレクシス皇子は死んだと聞いていたはずだったのだが……。
「……まさか、生きていたとは」
突然のグランドフォースの出現に驚いたのはもちろんイズナルだけではなかった。
勇敢にも逃げずにその場に留まっていた魔導師たちや、聖なる光に誘われ、今や街中から集まって来ているジルカールの人々は、光の中心に立つグランドフォースの少年の存在に気づき、皆これ以上ないというくらいの驚きを感じていた。
「……あの子が、グランドフォース!!?」
「ほ、本物!? ……まだ幼い少年じゃないか!」
ざわざわと驚きの声が、あちらこちらから上がる。
たくさんの人が次々と押しかけ、レキ達の周りを少し離れた円状に、ぐるりと取り囲んでいた。皆フォースの姿を一目見ようと、好奇心に首を伸ばしたりジャンプしたりしている。
まさにその光景は、先日のカルサラーハでのフォース騒ぎそのものであった。
「……危ないから、みんな下がって」
レキは、視線はイズナルを見据えたまま、群衆に対して低い声で呟く。
見た目は幼い少年にもかかわらず、その言葉には妙に迫力があった。
それは今、彼が本気で怒りを爆発させ、みなぎる力と闘志を激しく燃やしているからに他ならない。
観衆はレキのその様子に慌てて数歩後ろに下がると、その場から事の行方を見守ることに決めたようだった。
どうやら緊迫した戦闘の真っ最中であるらしいこの状況を、人々は徐々に把握し始めていた。
邪悪さと怒りに満ちた表情の魔導師イズナル。それと対峙するグランドフォースの少年。その足下には傷付き倒れている女性の姿……。
「フォース様! 及ばずながら私にその方の治療を任せて下さい」
シーラの急を要する状態に気づいた群衆の中の一人が、そう言って前へと進み出て来た。
彼は少し年老いた神官ふうの男で、シーラのそばに佇むとすぐさま魔力を込め、癒しの魔法を発動させる。
この魔法を使うことができる魔導師は世界でも数えるほどしかいないというが、幸いこの魔法都市ジルカールにはその貴重な魔導師がいたようだ。
「……ありがとう、頼むよ」
レキはシーラのことをその神官に任せると、光を放ちながら前へと進み出た。
「……チッ! グランドフォースめ……」
こちらに進み来る少年を見据えながら、イズナルは厄介なことになったと唇を噛んでいた。
グランドフォースを早々に始末したのは、フォースを解放されるのを恐れたためだった。
なんとかグランドフォースが成長して力をつける前に抹殺してしまえば、あとの物事が非常に楽になる。
そのためモンスター側も甚大な被害を受けながらも決死の思いでエレメキアに攻め入ったというのに……これでは全く意味がない。
「クソッ! ……それにしてもこんなボウヤが早くもフォースを解放するとは……!!」
イズナルはまだあまりに幼い目の前の少年に若干の恐れを抱いた。
この年で、これほどの力を引き出すことができるとは末恐ろしい少年である。
このまま成長してしまえば間違いなく、モンスター全ての脅威となってしまうだろう。それだけは避けなければならない。
「……グランドフォース! お前だけはどんな手段を使ってでも必ずここで始末してやる!! ……たとえワシの命と引き換えることになってもね!!!」
イズナルがヒステリックに叫ぶと同時に額にギョロリと第三の眼が現れ、そこからおびただしいほどの黒い魔力が流れてイズナルの全身を覆った。
彼女はついに高位モンスターの魔族であることを隠すことさえもしなくなったようだ。持てる全ての力を込め、さらに全神経を集中させて巨大な闇の塊を造りあげる。
まるで全てを吸い尽くすかのようにして巨大化するその塊をイズナルが高く頭上で掲げると、その妖しい魔力は近くの空間をねじ曲げ、辺りを漆黒に染めた。
——フォースの光で相当ダメージを受けた上に、杖もないから威力は半減か……。
イズナルは心の隅で悔しそうに呟きながらも、完成した強力な闇の魔法をレキめがけて撃ち放つ。
「……喰らいなグランドフォース! そして混沌に消えろ!! ——カオス・デストロイ!!!——」
全てを飲み込むような巨大な闇の球体がレキに襲いかかる。
空気を震わせ、激しい波動をうねらせながらそれは近づいて来た。
辺りは闇一色になり、観衆は恐怖の声を上げる。
——しかし、レキは不思議と確信していた。
今は自分の内から有り余るほどの力が次々と溢れ出してくる。この程度の魔法を打ち破ることは、今ならば容易いだろう。
「無駄だ……!!」
低く呟くと同時にレキが全意識を左胸の紋章に集中すると、フォースの光が再び激しく輝いた。
その光はレキの体から放たれると、幾ばくかの矢のように辺りを縦横無尽に走り、イズナルの放った闇の塊を貫くと一瞬にして光へと還す。
「……なッ、なにィィィ!!?」
イズナルはその信じられない光景に驚愕した。
多少威力が落ちているとは言え、最高峰の闇の魔法を一瞬で消滅させてしまうなど絶対にあってはならないことだ。
この事実がイズナルを追い詰める。
「後悔しろイズナル。ここでオレと出会ったことを」
フォースの力がそうさせるのか、レキは今、自分にどんなことができるのか不思議とわかっていた。
右手を天に向けて高く掲げると、それに合わせて光がレキの手の中へと集いはじめる。
「人の心を弄び、モンスターにして罪を犯すよう仕向ける……その非道な行いの報いを今、受けろ!」
光は形を具現化し、輝く剣の形へと変わった。
レキはその光の剣を握りしめると、イズナル向かって真っすぐに走り出す。
「……くっ!! くそぉおお!!!」
イズナルはまばゆい光を放ちながら迫り来る少年を直視することができず、顔を背けながら攻撃をかわそうとする。しかし当然、その状態で避けきることはできなかった。
タイミングがわからず遅れたイズナルの体をレキの輝く光の剣が斬りつける。
「ウギャァアアアア!!!」
イズナルが激しい苦痛の叫び声をあげ、地面に倒れ込んだ。
光の剣で斬られた傷はイズナルにとって何よりも堪え難い痛みを与え、その光の傷跡は邪悪なものを打ち消すかのように徐々に大きく広がりはじめていた。
「……ウゥ! このままやられるわけには……!!」
イズナルは息も絶え絶えに、苦痛と闘いながらレキを見上げた。
——この少年をこのまま生かしておくわけにはいかない……!
その執念だけがイズナルの体を動かしていた。
「……さっきの宣言通り、命を懸けてやろうじゃないか! キサマも道連れだっ!! グランドフォース!!!」
イズナルは最後の力を振り絞り、レキの足をガシリと強く掴むと早口で魔法の詠唱をはじめた。
「……!」
その行動にレキは得体のしれない危険を感じ、手を振りきろうとしたがイズナルの手はビクとも動かない。
その手はさらに鋭い爪をレキの足に深く食い込ませると、決して離れないように強く強く握り締める。
「……何をする気だ!?」
レキが嫌な予感を感じる中、足下でイズナルがにやりと邪悪な笑みを浮かべた。同時に、二人を囲む空気がバリバリと音をたてて歪みはじめる。
「お前と相討ちなら、悪くないよ……レクシス!!!!」
イズナルが叫ぶと同時に、辺りが目を開けていられないほどに激しく光った。
どうやらイズナルは、レキを道連れに自爆でもしようとしている様子だ。
——まずい……!
直感的にそう感じたレキは、フォースの光を一層強める。だが、命を懸けたイズナルの捨て身の一撃を防ぎきれるかはわからなかった。
しかしレキが危機を感じ取るのとちょうど同時に、すぐそばで——聞き慣れたあの緊迫感のない呑気な声が耳へと入って来た。
「……おーい、クソババァ! さっきはよくもオレの体で好き勝手してくれやがったな!」
イズナルは光の中、その声のほうにギョッと顔を向ける。
そこには剣を構えたクローレンがにやりと笑いながらも怒りを感じさせる表情でイズナルを見下ろしていた。
「なッ……!! キサマ、正気を取り戻したと言うのか!? ……あ、ありえんぞ!!」
イズナルが予想外の新手の登場に動揺する。植え付けたモンスターの心は一体どこへいってしまったというのか。
そんな疑問を整理する暇もなく、魔法はまもなく発動する寸前だった。
「……ババァ!! 死ぬならお前一人で死にやがれ! レキを巻き込むんじゃねーーよッ!!!」
クローレンは力強くそう叫ぶと、両手で構えた剣を下から滑り込ませ、そのままイズナルの体を宙へとおもいっきり高く振り上げた。
強い衝撃により、レキの足を掴んでいた手も離れる。
「ぐぁああ!! ……キサマァアア!!! よくも……」
イズナルは高く宙を漂いながら怒りの断末魔をあげる。
ちょうどその体が、最も高い位置まで舞い上がったその瞬間、ついに魔法が発動し大爆発が起こった。
イズナルの叫びを飲み込んだその激しい爆発は、ジルカールの空一面をこれまでで最も明るく輝かせ、邪悪な根源すべてを光へと還した。
……——くそっ、
グランドフォース
これで終わりだと思うなよ……
……たとえワシが死んでも……この借りはいつか、きっと………
最後にそんな声が聞こえたような気がしたのは、ただの気のせいだったかもしれない。
しかし、こうしてイズナルは自らの放った魔法によって敗れ、最後はなんともあっけなく自滅の道を辿ったのだった。
「……ふーー。やっと、終わったな」
クローレンはイズナルの最期を見届けて安堵のため息をつくと、足下に転がっていた小さな石に気付き、それを拾い上げた。
「ほらレキ、お前の石。奴が落としていったぞ」
クローレンはレキに向かって星型の石を投げてよこした。
「……え? あ、ありがと」
レキはそれを空いている左手でキャッチして受け取った。
そしてそのまま、ポカンとした表情でクローレンを見つめる。
既にレキから怒りの感情は消え失せていた。
「クローレン? その……もう大丈夫なの? イズナルの魔法……」
クローレンからはもう邪悪な気配を一切感じなかったため、大丈夫なことはなんとなく分かってはいたが、どうして突然元に戻ったのか訳がわからず、レキはつい尋ねてしまった。
「あー、なんかお前の光で正気に戻ったぜ。そのグランドフォースの光で」
クローレンはあっさりと言うと、レキの左胸を指差した。
そこには未だにキラキラと淡い光を放っている、グランドフォースの紋章がはっきりと顔を出していた。それを見つめながらクローレンはしみじみと呟く。
「まっさかお前が本物のグランドフォースだったとはなぁ〜……。このオレにも秘密にしてたなんて! マジ、ありえねぇぜ!!」
最後のほうでクローレンはちょっとムスッとした顔を作る。
あたりまえの話だが、もうクローレンにはレキがグランドフォースであることが清々しいくらい完全にバレていた。
あれだけフォースの証である聖なる光を放ち、紋章を露出して戦っていたらそれは当たり前の事だろう。
「えーと……」
レキはそれでもなんとか誤魔化せないものかと一瞬考えたが、ここまできてそれは不可能だと悟り、ただ一言、認める意味の謝罪の言葉を呟いた。
「……ごめん」
「ん? まぁ謝るなよ。そのことについては後でたっぷり追及してやるから覚悟しとけ。……それに今、謝るべきなのはオレのほうだからな」
そこまで言うと、クローレンは急に真面目な顔になった。
「……悪かったな。モンスターにされてたとはいえ、あんな酷ぇこと……」
どうやらクローレンはモンスターにされていた時の記憶もしっかりとしているようだった。
心底申し訳ないという表情で、落ち着きなくガシガシと頭を掻いている。
「……ううん、気にしてないよ。あれはクローレンの意志じゃないんだし。……それより本当に、元に戻ってよかった」
レキはほっと安心したように呟くと、そのままにっこりと笑った。
今、目の前にいるのはまぎれもなく、レキのよく知るいつものクローレンだった。
どうやら完全に元に戻っているようで、レキは心から安堵する。
「あぁ……、なんか心配かけて悪かったな」
そんなレキの様子に、クローレンはさらにもう一度だけ謝った。
モンスターにされていた時に対峙していたレキの表情を思い浮かべると、彼にとってはまだ謝っても謝り足りない思いだった
「ううん。戻ってくれたんだから、それはもういいんだよ。……あとはシーラが……大丈夫かな」
レキももう一度クローレンの謝罪を制すると、気がかりだったシーラ達のほうを振り返る。
「……あぁ、やべぇ……そうなんだよな。オレ、シーラに一番酷い事を……」
レキの言葉に、クローレンは落ち込んだように呟いた。
最も謝るべき相手なのは、重傷を負わせてしまったシーラに他ならない。
また、レキも同じくシーラの怪我には責任を感じていた。シーラが傷付いたのはレキを庇ったせいでもあるからだ。
二人はそのことを気に病みながらも、シーラのほうへと向かった。
「シーラ、……大丈夫?」
レキが心配そうに声をかける。
そこにはまだ傷が完全には治っておらず、癒しの治療を受けながら、それでも意識をしっかりと取り戻しているシーラがいた。
「……はい、処置が早かったのでもう心配はいりません。それより、お二人が無事で、クローレンさんも元に戻ることができて……よかったです」
シーラが優しい笑顔で迎えてくれた。
その様子に、クローレンはすぐさま頭を下げ謝罪をする。
「本ッ当すまなかった、シーラ……!! オレは女のお前にそんな深い傷を……」
しかしシーラは相変わらず微笑むと、クローレンの謝罪を優しく制止させた。
「気になさらないでください、これはあなたのせいではありませんよ。……それに癒しの魔法にかかれば、多少時間はかかりますが傷跡も残りませんから」
「そ、そうか」
クローレンがホッと胸をなでおろす。
さらにシーラはその隣で申し訳なさそうな顔をしているレキのほうへも向き直った。
「レクシス、あなたも気に病むことはありません。あなたを守れた事は本当によかったと思っています。……こうしてフォースを解放する事もできましたし」
シーラはレキからまだ微かに光る、聖なる光を見つめながら言った。
もう光の剣は消え、爆発的なフォースの光も消えかけていたが、今回の経験はこの少年にとって今後とてもプラスになるであろうことはシーラの中で確信があった。
「シーラ、もしかしてオレがフォースを解放する事わかってたの?」
レキはふと、思いついたことを聞いてみた。シーラはそのことを予知していたのだろうか。
しかしレキの予想に反し、シーラは首を横に振る。
「いいえ、私の能力はそこまで優れたものではありませんからね。今回のことは全て、行き当たりばったりというやつです」
シーラはちょっとだけ、冗談ぽく笑ってみせながら言った。こう見えて、意外に向こう見ずな性格なのかもしれない。
「……まっ! でも結局、全員こうして無事なわけだしな。結果オーライってことにしようぜ〜」
シーラが思ったより元気そうなことで安心したクローレンは、いつものお気楽な口調へと戻った。
こうして全てがハッピーエンド、何もかもが丸く収まった。そんな空気がその場に流れる。
すると、まるでこの時を待ち構えていたかのように痺れをきらした観衆が一斉に歓声をあげ、レキ達の周りにどっと集まって来た。
「……うわっ!?」
あまりの勢いにレキは驚きの声をあげる。
しかし観衆達の口々に叫ぶ賞賛や歓迎の声に、レキの声はあっと言う間に掻き消されてしまった。
「フォース様! あなたは本物のグランドフォース様なんですね!!」
「ジルカールをイズナルから守ってくださった!!」
一部始終を見ていた観衆たちに口々に誉めたたえられ、フォースの顔を間近で見たいやら、フォースに触れてみたいやらの人達でレキはあっと言う間にもみくちゃにされた。
(……す、すごい騒ぎになっちゃったな。これからどうしよ……)
レキはたくさんの人に囲まれ、ギュウギュウと押されながらも、今後のことを考えて頭をかかえた。
イズナルはなんとか倒したため、モンスター側にグランドフォースの存在がバレる事はEqまだしばらくはないかもしれない。
しかし今回の騒ぎでクローレンをはじめ、ジルカールのほとんどの人に正体を知られてしまった。
今まで必死に正体を隠してきたというのに、これほど大きな街の、しかもど真ん中で、ここまで盛大に正体がバレることになるとは……。
(……ニトが見てたら怒るだろうな)
レキは、そんなことがぽつりと頭の中をよぎるのだった。
……——†
数日後——。
「おや、レキ君おはよう。今日もよく眠れたかい?」
朝、というには少し遅めの昼前。
レキが今泊まっているジルカールの宿の階段を大きな欠伸をしながら降りていくと、その姿を見つけた宿のおばさんが下から愛想のいい声をかけてきた。
「おはよ! ちょっと寝坊しちゃったよ。ところで部屋にクローレンの姿が見えなかったんだけど、どこに行ったか知ってる?」
レキは宿のおばさんのカウンター越しのイスに掛けながら、何気なく聞いた。
一緒に泊まっているはずのクローレンの姿が今日は朝から見えなかったのだ。
「あぁ、彼ならいつものとこさ」
おばさんはレキの前に朝食であるスープとパンを並べながら訳知り顔で笑う。
「いつもの……か。やっぱりまた飲みに行ったんだね。今日はついに朝から行ったのか」
おばさんの言葉に、行き先を察したレキは呆れた顔をする。
ここ数日クローレンは街の酒場でジルカールの魔導師たちと飲むのが日課になっていた。
クローレンは誰と飲み比べても負けることはなかったし、彼の次々と出てくる旅のおもしろい話(ドラゴンがなんとか〜……など半分くらい作り話?)は人気で、連日酒場の華となっていたのだ。
「まぁ、また旅を始めたら飲んだりできなくなるんだからいいじゃないか。レキ君は今日もシーラのところへ行くのかい?」
おばさんが気さくに尋ねる。レキはレキで、シーラの家を訪ねるのが毎日の日課のようになっていた。
「うん、今日もちょっと研究の手伝いをね」
レキはにっこりと笑ってその質問に答えた。
あれからレキとクローレンの二人は、人々の強い希望によりジルカールにしばらく滞在していた。
イズナルの悪事と正体が表沙汰になり、そのイズナルを倒した“グランドフォースの少年とその仲間”は一躍ジルカールの英雄になってしまい人々から慕われることとなったのだ。
そんな状況をクローレンはとても喜んでいたが、過剰な扱いはレキにとっては気が気でないことだった。
フォースの噂が大きくなり、外に漏れてしまえばジルカールの街にモンスターの危険が迫ってしまう。
また滞在中はもちろんだが、レキ達が去った後に噂を聞き付けたモンスターがやって来るという可能性だって否定できない。
そのことを訴え、レキは街の人々に過剰な扱いやフォースの話題は避けるように説得し、自分のこともグランドフォースとは呼ばないように頼むことにした。
人々もとりあえずはそれを了承し、表向きには皆フォースの話題を口にはしなかったが、レキ達の人気は留まるところを知らなかった。
それほど“伝説のグランドフォース”の存在は人々にとって絶大的なものであったし、ましてやその人物が、誰もが好感を抱くような整った容姿を持ち合わせていたのなら、なおさらである。
本人はあまり意識していないが、レキの容姿はかなり優れていた。
顔にまだ少し幼さは残るものの、それでも“カッコイイ”という言葉がぴったりと当てはまる。
それは特に戦闘時において強調されるものであり、普段のにこにこしているレキはどちらかというと“かわいい”のほうが似合うかもしれないが、人々にとってはどちらも魅力的なことには変わりなかった。
街に出れば自然と人が集まって来てしまうので、レキはなるべく用事のない外出は避けるようにしていたが、シーラのもとを訪ねることだけは欠かすことのできないものであった。
「じゃあレキ君、気をつけて行ってくるんだよ。夕飯までには帰っておいでね」
朝食も食べ終わり、シーラの家へと出掛けようとするレキに、宿屋のおばさんはまるで我が子を送り出すかのように優しく見送ってくれた。
「うん、じゃ行って来るね!」
レキもその声に元気良く答えると、シーラの家に向かって駆けだ……そうとした。
「キャー!! 出てきたわ! レキ様よ!!」
レキが宿屋を出るなり、いきなり黄色い声がそれを出迎える。
びっくりしたレキは思わず足を踏み外しそうになったが、なんとか踏みとどまって周りを見渡すと、宿屋の前には数人の女の子達の集団があった。
その集団は、レキと同じくらいか少し年上くらいのまだ若い女の子達の集まりで、どうやらレキが宿屋から出てくるのを待ち構えていた様子である。
「これから世界一の魔導師、シーラさんの家に行かれるんですよね!」
その中から、一人の女の子が前に進み出てレキに尋ねる。憧れの人との会話にすごくワクワクしているような様子である。
「うん、そうだけど」
レキは女の子達の勢いに少し戸惑いながらもその問いかけに答える。レキがしゃべると、それだけでまた後ろの子達から「キャーキャー!」という歓声が上がった。(……なんで?)
「じゃあ私達もそこまでお供します!」
どうやら女の子達はそのために朝からここで待っていたようだった。
滞在中、あまり姿を見せようとしないレキと少しでも話す機会が欲しかったのである。
女の子達はみんなドキドキとしながらレキの返事を待っていた。
「……いいけど、シーラの家ってすぐそこだよ?」
レキは目と鼻の先ほどに近いシーラの家のほうを指しながら、きょとんとして聞き返す。本当に、こんなに近い距離のことを言ってるのだろうか?
「それでもいいんです! やったぁ!! じゃあ早速行きましょ、レキ様♪」
女の子達はみな満面の笑顔になって喜ぶと、レキを取り囲み、一緒にシーラの家へと向かったのだった。
「いらっしゃい、レクシス。今日はいつもより遅かったですね」
レキがシーラの家に着くと、もうすっかり怪我の具合も良くなったシーラが、いつもの穏やかな笑顔で迎え入れてくれた。
「……ちょっと女の子達に捕まっちゃってね」
レキはなんだかどっと疲れたように答えながら、中へと招かれる。
実はシーラの家の前まではもっと早くに着いていたのだったが、それから女の子達のおしゃべりやレキに対する質問の嵐は留まるところを知らず、結局かなりの長時間、家の前で話し込むことになってしまったのだった。
「ふふ、話し声が聞こえてましたよ。モテモテですね、レクシス」
シーラがちょっぴり悪戯っぽく笑って言った。
どうやらシーラもレキが遅れた理由がわかっていたようだ。……そりゃあ家の真ん前で話し込んでいては、それも当然だろう。
「……女の子って、わからないよ」
レキはリビングにある椅子の一つに掛けるよう促されながら、先ほど質問攻めにあった内容を思い出して、ふいに小さく愚痴をこぼした。
悩むような表情を浮かべてため息をつくレキの前に、紅茶の入ったカップを置きながら、シーラはどこか楽しんでいるような様子で尋ねる。
「わからないって、何がわからないのですか?」
クスクスと笑いながら興味を持ったようにレキの向かい側に掛けるシーラに、レキは言おうか言うまいかちょっと悩んだが、やがて決心し、ゆっくりと口を開いた。
「……女の子ってどうして好きなタイプとか、好……きな子がいるかとか、そういう話が好きなのかな」
こんなことを口にするのはすごく恥ずかしい、と言わんばかりの様子でようやくそう言ったレキは、先程こんな質問ばかりを女の子達からうけていたのだった。
恋愛自体にまだ興味のないレキにとっては、こういった話題は一番苦手なものの一つだったが、なぜ女の子達はそんな話題ばかりを好き好んでしたがるのかが全くわからなかったのだ。
そんなレキの戸惑う様子に、シーラは思わず声をたてて笑ってしまう。
「あ、すみませんレクシス。笑うつもりはなかったのですが、つい……」
やっぱり言わなきゃよかった……と思ったのが一目でわかるような顔で膨れてしまったレキに、シーラは慌てて弁解する。
「つい……その、悩んでいる内容が可愛いなと思いまして」
シーラはフォローのつもりだったが、レキにとってそれは全然フォローにはなっていなかった。
可愛いと言われても嬉しくはなかったし、レキが今悩んでいる事は少し年上のシーラから見ればとても簡単で、すごく子供っぽいことなのだろうということがその言葉から感じ取れたからだ。
「やっぱり、今の話は聞かなかった事にして!」
シーラの反応と、この状況に耐えきれなくなったレキは無理矢理に話を切り上げようとする。
かなりの居心地の悪さを感じ、それを誤魔化すかのように紅茶を手に取ったレキだったが、シーラはそこでそっと微笑んだ。
「……で、なんて答えたんですか? レクシス」
シーラのさらなる追及に、紅茶を一口飲んだばかりだったレキはゲホゲホとむせ返る。
「な、なんでもいいじゃない」
話を終わらせたつもりだったレキが再び慌てふためく様子に、シーラは相変わらずニコニコと楽しそうだ。
「……シーラ、絶対おもしろがってるでしょ?」
「あら、バレてしまいましたか」
いじけたように睨むレキに、もう一度悪戯っぽく微笑んでみせると、シーラも紅茶を一口飲んだ。
「みんな、あなたに興味があるのですよ。今やこの街のヒーローですからね」
シーラが最初の質問へと話を戻す。
「……それに、私を含めこの年頃の女の子というものは、もともと恋愛話が大好きですし、ましてやそれが人々の興味を引く対象……フォースの事であればなおさらなのでしょう」
シーラの口からそんな言葉が出るのは、なんだか意外だった。
シーラは年齢の割にはとても落ち着いているように見え、そんなことにはあまり興味のないように映っていたからだ。
「へ……ぇ、そういうもんかな」
レキはシーラの言葉に少し不思議そうに首をかしげた。
なんだか、わかったような、わからないような微妙な返事を返す。
「えぇ、そういうものですよ」
シーラはさらに肯定するように相槌を打つと、目の前に座っている、きれいに整った眉を少ししかめさせて考え込んでいる少年の姿をじっくりと眺めた。
まだ幼く、自分より少し年下であるにもかかわらず、悔しいがその姿には自然と目を引きつけられてしまう。
「……まぁ、フォースだからという理由だけではないでしょうが、ね」
「ん?」
レキには聞こえないほどの小さな声でぽつりと言葉をこぼしたシーラを、レキは不思議思って見つめ返す。
真っ直ぐにシーラに向けられるその顔は、やはりとても魅力的だった。
……——この人は、きっと気づいていないのでしょうね。
自分の秀でた容姿をはじめ、自らの持つ魅力というものを……。
そして、加えてこの鈍感さ。
なんだか………
「……——今後が心配です」
シーラは最後だけを声に出して呟くと、何事もなかったかのように再び紅茶を一口すする。
「え……! なに突然!? なにが心配なの??」
いきなり自己完結してしまったシーラに、レキは訳が分からずぽかんとした顔で聞き返す。
しかしシーラはまたニコリと笑ってみせるだけで、それ以上答えようとはしなかった。
「………」
(……やっぱり、女の子って謎だよ)
ますます困惑してしまうレキであったが、何事もなかったようなフリをするシーラの微かな表情の変化にまでは気付いていないのであった。
「おぉ〜い! 邪魔するぜ〜!!」
二人がしばらく紅茶を飲みながら雑談していると、突然入り口のほうから男の呼びかける声が聞こえてきた。
男は特にこちらの返事を待つ様子もなく、そのままずかずかと中へ上がり込む。
「よ、お二人さん! 仲良くやってっか? や〜っぱ、さすがに朝から飲んでたら酒にも飽きてきてよー。ちょっと休憩しに来たぜ」
そう言ってドカリとレキの隣に腰掛けたのは、朝から酒場へ直行していたクローレンだった。
相変わらず酒に強く、おそらく相当の量を飲んでからここへ来たのだろうが、表情の変化は全く見られない。もっとも、かなり酒臭い匂いを漂わせてはいたが……。
「クローレンでも、酒に飽きたりするんだね」
意外だ、というような目でレキは今自分の隣に座ったばかりの男を見る。
「おいおい、オレでもってどーゆー意味だよ。それより、次はレキも一緒に飲みに行こうぜ。お前酒なんて飲んだことないんだろ?」
クローレンはレキがまだ子供である事などこれっぽっちも気にせず、毎日普通に誘っていた。
クローレンいわく、杯を交わしあってこそ初めて真の仲間だとか、よくわからない持論を力説していたのだが、今のところまだレキを連れ出すまでには至っていなかった。
「飲んだことないけど、やだよ」
しかし、考える事なくスッパリと即答するレキに、クローレンは「チッ、なんだよ固い奴だな……」と愚痴をこぼす。ここまではいつもお決まりのやり取りである。
そんな二人を見ていたシーラはクスクスと可笑しそうに笑っていた。
「ふふ、お二人は本当に仲が良いですよね」
今のやり取りで果たして「仲が良い」に結びつくかどうかは少し疑問だったが、シーラの目にはそう映ったらしい。
「んー? そうか? ……まぁこいつと一緒にいると結構、退屈はしねぇけどな〜」
クローレンがバシバシとレキの背中をおもいっきり叩きながら笑った。
「いた! クローレン、ちょっとは加減してよ」
叩かれたレキは、背中を抑えながら少しムッとしてクローレンを睨んでみせる。しかし、その表情に本気で怒っている様子は感じられなかった。
「……お二人を見ていると心から思います。本当に、良かったですね。クローレンさんが無事元に戻る事ができて……」
シーラは二人を眺めながら、しみじみとつぶやいた。
今のこの穏やかな日々は、ほんの数日前の命懸けの戦いからは想像もできないほど平和だった。
あの時全員が無事であり、クローレンも元に戻ることができたのは本当に奇跡としか言いようがない。
レキとクローレンが戯れ合う様子を見て、そのことをあらためて感じとったシーラは感慨深くそう呟いたのだった。
その言葉に、レキとクローレンもピタリと会話をやめ、シーラのほうへと向き直る。
「……あー、実はそのことでオレも酒場を抜け出して来たんだよ」
クローレンが急に真面目な顔をして、シーラとレキを交互に見つめた。
「お前達、ここ数日でフォースの光の研究をしてんだろ? オレのモンスター化を止めたあの不思議な光の……さ。んで、成果はどうなのかなーと思ってよ」
真面目な顔だがクローレン特有のあの軽い口調で質問する。
しかしそれは、敢えて何でもないようなしゃべり方をしているようにも見えた。
ずっと気にはなっていたが、イズナルにいいように扱われた自分の情けない失態をあまり思い出したくなく、あえて触れていなかった話題のようである。
「……そうですね。おしゃべりはこれくらいにして、そろそろ研究室へ向かいましょうか。今日は是非、クローレンさんも一緒に。……続きはそちらで話すことにしましょう」
シーラもさっきまでの雑談の時とはうって変わり、きりりと真面目な顔になって答えると、同時に席をたった。
「このリビングから地下の研究室へと続く通路を魔法で繋いでいます」
シーラはそう言いながら二人を促し、リビングの隅へと移動する。
そこにはイズナルの店にもあった丸い円の魔法陣が描かれてあった。
レキはシーラと共にここから何度か地下へと降り研究を手伝っていたのだが、クローレンが同行するのは初めてのことである。
「へ〜、魔法って便利だな。じゃ早速行こうぜ」
クローレンのその台詞を聞くと同時に、シーラは魔法陣にそっと手を触れた。
瞬間、三人はふっと体が軽くなる感覚とともに地下へと舞い降りていった。