トップに戻る

<< 前 次 >>

第十六章「戦慄」

単ページ   最大化   

~第十六章~「戦慄」


「私を助けに? あなた一体……?」

 足枷を解かれたばかりの少女は、なにがなんだかわからないといった様子で目をぱちくりとしてクローレンを見ていた。
 突然降ってきただけでも驚くというのに唐突な男の物言いと行動に、少女——ダリアは盛大に戸惑っていた。

「あ〜自己紹介が遅れたな。オレはクローレン。まぁなんつーか、正義の旅人ってとこだな。ここに来る前にあんたのじーさんに会ったぜ」

 カシン、と小さな金属音を響かせながらクローレンは剣を鞘へと戻す。と同時に、よろけて壁へと追いやられてしまっていたダリアをぐいと引き寄せ、しっかりと立たせた。

「お爺さまに?」

「そーそー。んでこの街の事情を聞いてよー、捕われてるアンタを助けてくれって頼まれたわけだ。ま、他にも用事はあるっちゃあるんだが……とにかく、お前を助けにここまで来たんだ。敵じゃねぇから安心しろよ」

 それだけを一気に言い終えると、クローレンは相変わらずぽかんとしたままのダリアから目を離し、あらためて自分達の今いる場所を確かめようと辺りを見回した。

 全体の面積はかなり狭く、円柱状に切り抜いたような穴の壁はレンガ状の石がいくつも重なりあってできている。
 地上からの深さは5、6メートルといったところで、石壁をつたって登ろうと思えばすぐにでも登れるくらいの高さだった。


「ここ、街が燃やされる前は井戸だったの。今はもう干上がってしまって水もないけど……」

 辺りを観察しているクローレンに向かって、ふいにダリアがつぶやいた。

「ふーん、そうか。上からだと全然わからなかったぜ。入り口には灰とかガラクタが積もってて、穴なんかパッと見、なかったからな」

 おそらくそれでモンスター達もこんなところに井戸があるとは気づかなかったのだろう。クローレンが彼等の視界から消えた時に、ちょうど煙幕が充満していたのも都合が良かったようだ。

「……えと、クローレン?」

「ああ?」

 地上を見上げているクローレンに、ダリアが遠慮がちに問いかける。その表情はまだ驚きを残したままだ。

「あなた、本当に私を助けに来てくれたの?」

「ん? こんなところで嘘ついてどーすんだよ。そうだって言ってるだろ。まー、そう言うオレもここまでモンスターに追われて来て、あんまり説得力ないけどな!」

 はっはっは!とクローレンが豪快な笑い声をあげる。しかしその口はまたすぐに、慌てたダリアによって塞がれることになった。

「むぐぐ、なにすんだ」

「静かにしてっ! さっきも言ったけど、そんな大きな声出したらモンスターに気づかれちゃうでしょ」

「む、そりゃそーだ」

 もっともなことを言われ、クローレンは素直に声を落とした。幸い今は近くにモンスターはいなかったらしく、クローレンの笑い声は多少外に漏れていたとしてもモンスター達に聞こえるまでには至らなかったようだ。

「ワリィ、ワリィ。どーも静かにするってのは苦手なほうでよ~」

「……そんな感じするわね」

 ダリアはちょっとだけ呆れたような表情をすると、すぐに手を離した。
 しかし本気で呆れていたわけではなかったようで、そのままじっとクローレンを見ると少しだけ顔をほころばせた。

「ありがとう……。まさかこんなところまで助けに来てくれる人がいるなんて思わなかった。……私、なんとか自分で逃げ出さなきゃと思って、モンスター達にバレないようにここまで逃げてきたんだけど……、なんだか急に……見つかった時のことを考えると怖くなってきちゃって、ここに隠れてから一歩も動けなくなって困ってたの……」

 ダリアは気丈に見せてはいるが、こんなモンスターの街に一人残されたストレスは相当のものだったのだろう。いつ殺されてもおかしくない恐怖に、決して助けは来ないという絶望感。自力でなんとかここまで逃げてきたものの、彼女の気力は失われる寸前だったに違いない。

「……ま、安心しろよ。このオレ様が来たからには、もう心配いらねーからな。こう見えてもオレは結構強ぇんだぞ」

「そう言いつつ、モンスターに追いかけ回されてたみたいだったけど」

 からかうようなことを言いながらも、ダリアは嬉しそうな表情をした。クローレンの言った言葉に少なからず本当に安心させられたようだ。自分を助けに来てくれた存在が目の前にいるという状況だけでも、彼女の心にはとてつもない救いになったことだろう。

「ありがとう、クローレン。……頼りにしてもいいの?」

「おー。お前は無事に連れ帰ってやるよ」

 クローレンはまた地上を見上げながら言った。周りの石壁を確認しつつ、そこから上へと登ることに意識を移す。
 何気なくかけられる言葉に、ダリアはまた嬉しそうに安心した表情になった。

「あ、そうそう。でもちょっと寄り道していか? いったん街の中心部まで行かなきゃならねーんだ」

「え! 中心部に!?」

「おう、逃げてきたトコ悪ぃけどな。実はオレともう一人、仲間と一緒にここに乗り込んで来たんだけどよー。途中でモンスターに追われちまって、そん時二手に分かれたんだ。街の中心で落ち合う約束してんだよ」

「……そうなんだ。……中心部ね」

 ダリアはちょっと不安そうに呟いた。あまりその場所には行きたくないような、そんな様子が見て取れる。

「……実は街の中心部は、この街を制圧したモンスター達のボス的な存在の管轄になってるの。一見、他のモンスターはいなくて安全に見えるんだけど……すっごく危険なところよ。本当にそこで落ち合う約束をしてるなら、仲間の人が危ないかも……」

「なに!? まじかよ」

 クローレンは少し緊迫感が増したようなトーンで聞き返した。レキはクローレンよりも余程強いのでおそらく大丈夫だとは思うが、それでも何か言い知れない嫌な予感がクローレンを襲った。

「なら、なおさら急いで行かねぇとな。悪いがちょっと付き合ってくれ。お前のことはちゃんと守ってやるからよ」

「……うん」

 ダリアはこくりと頷くと、クローレンの服の袖を軽くきゅっと握った。


 枯れた井戸の壁を伝い、地上の様子を確認すると、今のところ近くにモンスターの気配はなかった。おそらく進入者であるクローレンを探して大多数のモンスターは持ち場を離れ、街を錯綜しているのだろう。今のうちにこの古井戸から抜け出し街の中心部に向かうには絶好の機会だった。

「オレの起こした一騒動も、どうやら無駄じゃなかったようだな。うん、計算通りだ」

「ほんとかしら」

 ダリアはその発言を本気にしていないような、ちょっと疑り深いような視線を向けたが、その後ですぐにクスッと笑った。その手をクローレンが引き、地上へとダリアを引き上げる。

「えーと、街の中心はどっちだ」

「もう少し北ね。あっち」

 ダリアがその方向を指でさし示す。しかし、そう言いながらダリアはあれ?と少し首をかしげた。

「どうした?」

「え……ううん、なんだかちょっと様子が違うような気がして……。街の中心方向が何だかやけに明るいし、ほんの少し、お花のいい匂いが香ってくるような気がする……。もう花なんてほとんどないはずなのに、気のせいかしら?」

 確かに彼女の言うとおり、ふんふんと鼻を鳴らしてみるとほんのりと花の甘い香りが漂っている。ダリアが示した街の中心方向に目を凝らしてみると、その辺りだけは黒い街並みとは対照的に、ぼんやりと鮮やかな色彩にいろどられているのを微かに確認できなくもない。

「あの辺に花畑でもあるみたいに見えるぞ」

 クローレンの言葉にダリアはあり得ないとでも言うように首をぶんぶんと左右に振った。

「そんなはずないわ。……以前街が平和だったときはあの辺りは大きなお花畑になってたけど、今は見る影もなくなってるわ……一輪の花を除いて。……急にお花畑が元通りになるなんて考えられないし」

「ま、とにかく行ってみようぜ」

 辺りに最大限の注意を払いながらクローレンは歩き出した。その後をダリアが置いていかれまいと、とたとたと追いかける。二人は慎重に、しかし迅速に街の中心部へと向かった。



「……どーなってんだこりゃ。まじで花畑じゃねぇか」

 街の中心部にたどり着いたクローレンは、少し前からもうほとんど気づいていたことを改めてぼんやりと呟いた。

 遠くから見るだけでは半信半疑だった風景も、徐々に近づくにつれてどう見ても普通の花畑以外には見えないことにすでに気がついていたのだが、何らかの蜃気楼というか幻という可能性も否定できなくはない。
 そのため、実際に足を踏み入れるまでは確証に至らなかったが、ここまで来ると本当にどう見ても正真正銘、本物の花畑だと思えた。

 ただ、普通の花畑、というのは少し表現が違うかもしれない。
 花畑には色とりどりの花が咲き乱れ、この一帯には降り積もる灰の代わりに虹色の花びらが鮮やかに舞っていた。まさに幻想的に美しい光景で、ここがモンスターに支配された死の街であることも一瞬忘れさせられるほどだった。
 実際、この花畑まで来る途中モンスターには全く会わず、まるでこの美しい花々が悪しき者の存在を遠ざけているようにも感じられる。それくらいに花畑はどこか神聖で安らぐような雰囲気をかもし出していた。

「なんで……? まるで元のお花畑が戻ってきたみたい。……ううん、それ以上かも。こんなに綺麗な景色、見たことない」

 ダリアも信じられないような面持ちで言った。彼女はもちろん、焼き尽くされた花畑をその目で直に見ているはずなので、その驚きはクローレン以上だっただろう。

「なんだよ、全然危険な感じなんてねぇじゃねーか。なんかここ、すげー落ち着くぞ」

 クローレンはお気楽な調子になって花畑を眺める。ダリアが言っていた危険なんて全くないようにみえる。

「変ね……。私が逃げ出したときは、こんなふうじゃなかったんだけど……」

 なんだか納得できない様子でダリアは辺りを見回す。しかしその時ふいに彼女は、花畑の中央に誰かが横たわっているような小さなかげを見つけ、「あれ」と声を上げた。

「ねぇ、あそこ……誰か倒れてない?」

「ん?」

 そう言われ、ダリアの指差す方向を何気なく見たクローレンはその瞬間、それまでのお気楽な気分が吹き飛び、サッと血の気が引くのを感じた。

 ダリアの言うとおり、花畑の中心に一人の少年が倒れていた。
 この距離からでも地面に伏した輝く金髪がはっきりと確認でき、クローレンは一目でそれが誰であるかを悟った。

「おいレキ!!」

 名前を呼ぶと同時に、我を忘れて走り出す。

 もう幻想的な景色を眺めるような余裕はなかった。遠くに見えるレキはぴくりとも動く様子はなく、何ともいえないイヤな予感がクローレンを襲う。

 ほとんど花を踏み散らすようにしてそばまで駆け寄ると、すぐさま倒れているレキの体を起こした。

「レキ!? おい、何があったんだ! しっかりしろ!」

 体を大きく揺らして呼びかけてみたが反応はなかった。どうやら全く意識がないようだ。
 一見して外傷もないようだが、意識を失い、倒れているからにはクローレン達がここに来る前に何かがあったとしか考えられない。……イヤな予感がさらに膨れ上がる。

「その子が、クローレンの仲間?」

 すぐに追いついて来たダリアが、ただならぬ事態に少年へと心配そうな顔を向けながら問いかける。

「……あぁ。けど、意識がねぇみたいだ。……なんかあったのかもしれない、オレ達がここに来る前に……——おいレキ! どうしたんだよ!」

 やはりこの街の中心部にはダリアの言うとおり、とんでもなく危険な何かが潜んでいるのかもしれない。
 そうでなければこの状況は説明がつかなかった。グランドフォースであるレキが、そう易々とやられたりはしないだろう。

 しかし、彼は現にクローレンの呼びかけには全く反応しないまま横たわっており、それは何か余程のことがここで起こったことを意味する。

 一体、何が……?

 悪い想像ばかりが浮かび、一切の反応を示さないレキに、クローレンはいよいよその生死をはっきりと確かめるのが怖くなった。少しの間呆然としてしまい、最も考えたくない不吉な結論に至ってしまう。

 まさか、死……ん…… ……。

 わずかに体が震えだした。


「ねぇ、その子、……なんか普通に眠ってるだけみたいじゃない?」

「は?」

 ふいに遠慮がちにかけられた言葉にクローレンは間抜けな声で答えた。

「だってほら、スヤスヤ寝息たてて……すっごい気持ち良さそうよ」

 隣で見ていたダリアにそう言われ、クローレンは「え」と思いつつ、改めてもう一度よくレキを見てみることにした。
 確かに彼女の言う通り、レキの意識がないのは何か攻撃を受けたとかダメージを受けたからというよりも、ただ単に深い眠りについているだけのようにも見える。

 さっきまでは悪い考えばかりが脳裏によぎり、実際よりも悲観的に物事が見えていたのかもしれない。


「……………」

 なんだかよく分からないが、先走った恥ずかしさとわずかな安堵とでクローレンは急に腹が立ってきた。
 気恥ずかしさをごまかすように、すやすやと眠るレキの頭をおもいっきりゴン!と拳で小突く。

「オイコラ、レキ起きろッ! なにてめぇ呑気に寝てやがんだ!!」

 ついでに、これでもかとばかりの大声を耳元で叫んだ。

 普通だったら鼓膜が破れるんじゃないかと思えるほどの声だったが、今回はそれくらいおもいきりのいい音量でちょうど良かったようだ。
 その大声が決め手となり、ようやくレキはぼんやりと気がついた。

「…………んー……?」

 とろんとした焦点の合っていない目は、余程深い眠りに落ちていた表れだろう。
 クローレンは構わず、さらに2、3度大きく肩を揺すった。

「コラ! レキ」

「……んん……。クロ〜……れん?」

 そこでやっと、レキのぼんやりとしたままの目がクローレンを捉えた。
 あまりにものんびりとしたその様子に、クローレンはやれやれ……と、安堵なのか何なのかよくわからない盛大なため息を一つつき、呆れ返る。

「お前なぁ……、なに居眠りしてんだよ。ここは一応戦場なんだぞ」

 一応、と言ったのはここが美しい花畑に戻っていたからだ。
 今は間近にモンスターの気配はく、この花畑が保護された場所のように感じなくもないのだが、ダリアの言っていたことも気になったし、ここが滅びた街・ダンデリオンの中であることには変わりない。
 モンスターに支配された街のど真ん中で、よくも呑気に寝ていられるものだ。

「まぁ無事で良かったけどよ、モンスターだってそんな遠くにいるわけじゃねぇんだぞ。お前わかってんのかぁ?」

「……モンスター……」

 そこまでぼんやりとつぶやいたところで、レキは突然はっと何かを思い出したようになった。
 同時に眠気は吹っ飛んだようで、目の前にいるのがクローレンだということも一瞬忘れた様子で、その場から弾かれたように飛び退く。

「そうだ、オレ……! あいつは!?」

 張りつめた様子でレキは周囲を見回した。しかし、彼がたった今想像した人物を、その目に捉えることはなかった。
 花畑には心配そうな表情のクローレンと、そのすぐそばにはレキの知らない緑のショートウェーブの少女がいるだけで、彼が想像した——漆黒のドレスを身に纏ったような人物など影も形も存在しない。

「……??」

「おい、どうした? 何かあったのか?」

 いきなり飛び起きたと思ったら忙しく周りをキョロキョロと見回し、その後でポカンと固まってしまったレキに、クローレンは遠慮がちに声をかけた。

 レキの様子が少しおかしい。何かに緊張しているように見えるが、しかし、ただ寝ぼけているだけという可能性も否定できない。

「レキ、お前ただ寝てたわけじゃなかったのか?」

「寝てた?」

 レキは驚いた表情でクローレンを見る。
 本人にとっては、まさか自分がぐっすりと眠っていたことなど思いもよらないことのようだった。

「おう、オレ達がここに来た時にはひとりでおもいっきり熟睡してたぞ……。寝るくらいなら、オレのほうを助けに来たっていいだろ。……ま、なんかあったなら別だけどよ」

 クローレンがそこまで付け加えて言ったところで、レキはさらに驚いた表情を見せた。クローレンが言った言葉の一部が、まるで信じられないことであるかのように、その部分をゆっくりと呟き、繰り返した。

「え……ひとり、で……?」


 ——……どういうことだ?

 レキの中で、そんな疑問が最初に浮かび上がった。
 わけがわからない。

 レキは間違いなく、“世界を破滅へといざなう者”直属の臣下——プレゼナと名乗った女の手にかかり、死にかけていたはずだ。意識がとぎれるまでの事しかわからないが、少なくともプレゼナはレキを殺すような事をはっきりと言っていた。

 それが今、無事に生きていられるという事は、クローレンがレキを助けてくれたからだと思った。しかし、そうではないらしい。

 クローレンが来た時にはすでにレキは一人で、この花畑で眠っていたという。

 それなら、レキはどうして助かったのか。なぜ生きていられるのか。

 プレゼナは一体どうなったのか、それに“死の口付け”と彼女が言っていた呪いは……?
 そんな呪いを受け、何もせずに助かるものなのか?

 それとも、現実に起きたと思ったあの出来事は全て、眠っている間に見たただの夢だったのだろうか……?

 分からないが、ふと、口の中には覚えのないほのかな甘い味が残っているように感じられた。
 この味は——……?
 

「——おい、レキ!」

「!」

 ようやくはっきりと覚醒してきたレキの思考は、クローレンの呼びかけにあっさりと中断された。

「どうしたんださっきから。お前やっぱ変だぞ。急に起きたと思ったら考え込んだり、黙り込んだり。それに……口がどうかしたか? なんか悪いもんでも喰ったのか?」

「え? ……あ、ううん」

 無意識の内に手で口元をおさえたままの格好で凍りついていたレキは、クローレンに怪訝な表情を向けられ、急いで手を降ろした。

 そして、なんとかなんでもない様子を取り繕って否定したが、残念ながらいつもと様子が違う事を見抜くのはクローレンの十八番だ。

「そうか? お前がそういう反応の時は、いつも決まってなんでもなくねぇんだけどな」

「……そんなことないよ」

「ふ〜ん、そうは見えねぇけどなー」

 レキはなおも否定したがクローレンは納得していないようだった。
 起こった出来事をそのまま話した方がいいのかもしれないが、実際のところレキにも、さっき起こった事がどこまで現実だったのか少し自信がなくなってきていた。

 “世界を破滅へといざなう者”の臣下の手にかかったのなら、レキは間違いなく、今この瞬間に生きているはずがない。
 なぜ助かったのか、それともやはりあれは夢だったのか。はっきりとした確証もなく先程の出来事を話すのは、悪戯にクローレンを心配させるだけだと思ったのだ。

「……ま、とりあえず無事だったから良かったことにしとくか。深くは追及しない器の広ぇ男、それがオレのモットーだからな」

 クローレンはまだ少し腑に落ちないような顔をしていたが、ここでいったん話を切り上げると、ちらりと後ろの少女を振り返った。その視線に促されるように、レキもあらためてクローレンと一緒にいる少女を見る。

「おい、ダリア。こいつがオレの仲間のレキだよ。まー居眠りしてたのは、本人のたっての希望だから、あんまり追及してくれるな。その分腕には自信がある奴だからよ」

 クローレンに声をかけられ、少女は一歩前へと出た。

「……あ、はじめまして、ダリアです。あなたもクローレンと一緒に、私を助けに来てくれた……のよね? ありがとう。私が心配するのも、なんか変かもしれないけど、ほんとに体は大丈夫?」

 ダリアは遠慮がちに声をかけた。わずかに記憶が混濁状態にある様子のレキを気遣っているようだった。

「! キミがダリアさんか。……よかった、クローレンが先に見つけてくれたんだね。無事でよかったよ……。オレはレキ、体は……たぶんなんともないみたいだから大丈夫」

 なんともない、とは言ったが全く確信はなかった。しかし、ダリアの無事を確認したレキは少しホッとしながら答える。

 長ジースの信じたとおり、やはり彼女はまだ生きていたのだ。クローレンが無事保護してくれていたことにレキは心から安堵したが、一方で、自分の体のほうにはまだ不安要素がつきまとっているのも事実だった。

 だが今この瞬間、体になにか変調があるかといわれれば全くそんなことはなく、体調はいたって普通だった。
 呪縛を受けたときに感じた視界がぐらりと気持ち悪く揺れるような感覚もなく、頭はすっきりとしている。やはり、あれは全てただの夢だったのだろうか。


「あれ……? ここにあったはずのフォースの花が……ない!」

 ふいにダリアが、驚いた響きを含んだ声で叫んだ。その声に、レキはドキリと不吉に鼓動が波打つのを感じた。

「んん!? フォースの花ってこの辺に咲いてたのか? おいダリア、実はオレ達そのフォースの花ってやらもついでに拝みにこの街に来たんだ。……でもよー、それがなくなったっていうのか?」

 クローレンがすぐさま口を挟んだ。

「お前のじーさんには、その花は焼こうが何しようがずっと咲き続けてるって聞いてたんだぜ」

「そうよ! 少し前……私がここから逃げ出すまでは、ちゃんと咲いてたんだから! でも、今はどこにも見当たらない……。こんなはずないわ、だってあの花はフォース様が現れない限り、どうにかなることはないって言われてたのに……!」

 そこでちらりとクローレンはレキを見る。はたと目が合い、レキはぽりぽりと頭をかいた。

「えっと……たぶん、花の封印……解いちゃった」

 レキはどきどきとしながら答えた。

 やばい、やはり途中までは確実に夢ではない。どこまでが現実なのか。
 しかし、レキのそんな心の声など知る由もなく、ダリアはポカンとした表情でレキを見つめた。

「え……。でもあの花は……フォース様じゃないと、なんにもできない……」

 ぼんやりと呟くダリアの肩に、クローレンが頷きながらぽんっと手をおいた。

「うん。こいつ、グランドフォースだ」


 ………………。

 一瞬の沈黙。

 呆けたままの表情でレキを見ていたダリアの口からは、次の瞬間、静寂を一瞬で破るかのような盛大な驚愕の声が上げられた。

「…………え、えぇぇえええッ!!?」

 ダリアはレキを見たまま絶句した。

 自分の目の前に佇む少年が、伝説上の人物グランドフォースである。そんなこと、飛躍しすぎていて彼女の思考回路を大いに混乱させていた。

「ご、ごめん。花に触ったら、咲いた瞬間すぐに砕け散っちゃって……。この花畑もフォースの花の力で咲いたみたいなんだけど、フォースの花そのものは……なくなっちゃった」

 フォースの花を管理していた家系のダリアからすれば、花が突然なくなったと言われれば戸惑うだろうし、いい気はしないだろう。そう思って慌てて謝ったレキだったが、ダリアの驚きはそっちではなかった。

「グ、グランドフォース……? あなたが……?」

 口をぱくぱくさせながら相変わらず呆然と呟くダリアに、クローレンはうんうんと訳知り顔で頷いた。

「お前の驚きはわかる。いきなりンなこと言われても、すぐには信じられねーよなぁ。こいつ、普段はただのガキに見えるし。んでも、マジでグランドフォースだぜ」

 レキの代わりにさらりと肯定したところでクローレンは、ふと、レキの足元近くの花々に埋もれている一冊の本に目を落とした。なんとはなしに、サッとその本を拾い上げる。

「あれ? これお前が持ってるのとほとんど同じ……お前が探してる本じゃないか? レキ」

「え」

 レキはクローレンが拾い上げた本を見て、目を見開いた。

 フォースの花の封印を解いた時に現れたあの本だった。
 しかし、レキはそれを見てさらに混乱する。


 フォースの花の封印を解き、本が出現したのは現実の出来事だった。しかし、あの漆黒のドレスの女は——?

 封印は悪しき者の手によって解くことは不可能だが、封印が解かれた後なら、モンスターであろうとその本に触れることが可能なのだろうか? プレゼナと名乗ったあの女は本を手に取り、レキに渡そうとすることで油断を誘った。

 しかし本当にあの女がいたことが現実の出来事ならば、“世界を破滅へといざなう者”の臣下である彼女がフォースの書物をそのままにして立ち去るはずもない。必ずレキの息の根を止め、ついでにフォースの書物も奪って立ち去るはずだ。

 それがないということは、やはりあの女に関してレキが体験したと思ったことは、幻想だったのかもしれない。その可能性のほうが強くなり始めた。


「……フォースの花は、どうやらその本を封印していたみたいだよ。花が砕け散ると同時に、それが現れたんだ」

 レキは少し落ち着きながら答えた。そうだ、今自分がこうして生きていることが、何よりもあの女が幻であったことをはっきりと証明している。

「おぉー、やったじゃねぇか! これで確か、お前が持ってるのを合わせると三冊になるのか? ちっとは旅が前進したよーな気がするな。どれ……何が書いてあるんだ?」

 クローレンは本を開きかけたが、それをレキがとめた。

「とりあえず、本の中身はこの街を脱出してからにしようよ。この花畑も……確実に安全だって決まったわけじゃないし。ダリアさんも、早く長のところに送り届けてあげなくちゃ」

「お、そうだったな」

 クローレンは本を丁重に懐に忍ばせ、そのままダリアに視線を移した。ダリアはまだレキをポカンとした表情のままで見つめていた。

「……おーい、お前いつまで固まってんだよ。そろそろ戻ってこい」

 つんつん、とクローレンは呆れがちにダリアの肩をつつく。
 それでようやく、ダリアはハッと我に返ったようだった。

「あ、わ、私、ちょっと驚いちゃって。……まさか、本物のグランドフォース様に会えるなんて。そんな人が仲間だなんて、クローレンって本当にちょっとすごかったんだ。ねぇ、あなたももしかしてフォース様なの?」

 ダリアは一転、興味津々でクローレンを見る。その反応に、クローレンはまんざらでもなさそうだった。

「……フ、そうだな。実はオレも、何を隠そう泣く子も黙る……」

「クローレン」

 じろり、と呆れたような視線を向けるレキに、クローレンは「ははっ、冗談だって」と若干慌てるように返した。カルサラーハでの偽フォースを名乗った事件は、まだそう記憶に古くない。

「ま、オレはフォースじゃないけどよ、腕だけは確かだぜ。あと、まー、こいつがグランドフォースだっつーことも、ここだけの話にしてくれよな。広まるといろいろヤバイもこともあるからよ」

 クローレンは軽く冗談のノリで流した。レキの「じとー」という視線を受けつつ、笑ってごまかす。

 なんだかわからないが、そんな二人のやり取りは見ているだけでその仲の良さが十分に伝わるような微笑ましいものだった。クローレンはフォースではないが、グランドフォースに相当信頼されている頼れる相棒といったところか。
 ダリアはくすくすと笑みをこぼした。

「とにかく、早くここを出よう。ジースさん、きっと心配してるよ」

「そだなー。危険がないわけじゃねぇし、長居は無用だな」

 二人はサッと脱出へと頭を切り替える。ここの花畑を出れば、またモンスターの大群と対峙することになるはずだ。気持ちをぴりりと引き締める。

「うん、二人とも頼りにしてるね。ほんと……早く、この街を出たいわ。この花畑だって今は安全そうに見えるけど、本当はここは一番危険なボス的なモンスターの管轄になってたんだから」

 歩き出そうとしたレキがその言葉にぴくりと止まった。一方クローレンは、もと来た方向に一歩踏み出しながら、何気なくダリアに問い返した。

「そんな感じのことさっきも言ってたよなぁ? ほんとなのかそれー」

 危機感のないクローレンの言葉に、ダリアは「ほんとーよ!」と言いながらキッと彼を睨んだ。そしてその後について行きながら、小さく声を落として言った。

「さっきも言ったじゃない。ここはこの街を制圧したモンスター達のボス——魔族の女の管轄だったの。普段から駐在してるわけじゃないから、あなた達の進入に気づかなかったのかもしれないけど……」

 ダリアはそう言いながらも少し不安そうにきょろきょろと辺りを見回した。話題に出すことで、まるでその相手を召還してしまうかのような悪い想像を抱くように、念入りに辺りに目を走らせる。

「……その魔族の女ってどんな奴か知ってるの?」

 レキはなんだか嫌な予感がしつつ尋ねた。ダリアがくるっと振り向き、真剣な瞳でこくっと頷く。

「ええ。それが、ほとんどただの人間みたいな奴だったのよ。全身を黒で包んだ邪悪で妖艶な女……、でもその力は圧倒的で、普通のモンスターなんて足元にも及ばないくらいのオーラだったわ。たしか……自分のことを“艶美の死姫”とかって言ってたかしら」


 …………。
 艶美の死姫……。

 つつっと、レキの頬を嫌な汗が流れた。
 間違いなく、レキが出会ったあの女が名乗った言葉だった。

「そ、う……」

 レキはそれだけ返すのが精一杯だった。

 やはりあれは夢ではなく現実の出来事。
 いよいよそれを真に理解したレキは、全身に、再び冷たい戦慄が走るのを感じていた。
21

ふぇ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る