~第十七章「指南書」~
——クスクスクス。
堪え切れないような笑い声が途切れることのないまま、辺りに微かに響き渡り続ける。
——クスクスクス。
声の主は余程上機嫌であるようだった。
何か面白いことがあったのかその笑いは留まるところを知らず、どこか邪悪な影を漂わせる女は、先程触れ合った感触を思い出すかのように唇に手を触れると、またクスリと妖艶に笑った。
「隙だらけね……。なんだか狩る気が削がれちゃったわ」
そうぽつりと呟き、舌で自らの唇をぺろりとなぞる。その声の主——プレゼナは先程の出来事を思い出しながら、誰に聞かせるでもなく上機嫌に独り言を呟いていた。
「死の呪縛っていうのは……でまかせだったけど、眠らせるキスで簡単に昏睡状態にまで落ちちゃったわね。……うふふ、グランドフォースが可愛い顔して眠ってる間に……いろいろ……させてもらっちゃった」
楽しげに艶めいた笑いを続けながら、プレゼナは先程のグランドフォースとの邂逅を思い返していた。
意識のないグランドフォースはまったくもって無力だった。いくら紋章があろうとも本人の意志なくしては反応せず、プレゼナから受ける新たな呪縛に対しても何の抵抗もしなかった。
長い時間をかけて何度も深く口付け、その行為自体を楽しむと同時にいくつかの契約を結ばせた。
口付けは誓いを結ぶにはうってつけの儀式だ。長く濃密であればあるほどより強力な契約となる。
意識がないのをいいことに、グランドフォースとはたっぷりと時間をかけ、濃密な口付けをしたいだけさせてもらった。
この先、彼はプレゼナに対して反抗することも拒絶することもおそらくもう出来ないだろう。
じっくりと時間をかけて呪いや呪縛に対する耐性を限りなく低くさせた後、プレゼナに反抗出来なくする呪縛はもちろんのこと、グランドフォースの居場所がどこでもわかる呪縛や、口付けを交わす度にどんどんとプレゼナに魅了されていく呪縛、プレゼナの召喚に応じさせることができる呪縛等、しばらく楽しむために思いつく限りのもの全てを受け入れさせておいた。
グランドフォースは本意ではないだろうが、彼はもうプレゼナのものになったと同義だ。今後、ゆっくりとその手の中に落ちてくるだろう。本人にはまだ自覚はないだろうが……。
「……これで、殺そうと思えばいつでも殺せるし、少しくらい楽しんだっていいわよね? 純粋な光を闇に堕とすのって……すっごく素敵」
ウフフフフ、と溢れるような笑いが辺りに響く。それは僅かに危険な雰囲気をはらんだ笑いだった。
——グランドフォース……、もう私からは逃げられないわよ。たっぷりと可愛がった後に、苦痛と絶望の表情を刻ませて殺してあげる……。
————†
「———ッ!」
ビクッとレキが突如体を震わせた。
何かの気配を感じ取ったかのように、きょろきょろと辺りを見回す。
「ん? おいどうしたレキ、何かいたのか?」
「え……あ、いや」
すぐに傍を歩いていたクローレンが怪訝な表情で聞く。
今、レキとクローレン、そして二人のすぐ隣を歩くダリアはダンデリオンの街脱出を図っており、モンスター達に気づかれないよう辺りに最大限の注意を払いながら前進していた。
街の中心部の花畑を抜け、ここはもう通常のモンスター達の管轄となっている危険地帯だ。まだモンスターには遭遇していないが、一匹にでも見つかってしまうとおそらくたちまち仲間を呼ばれ、大混戦か、はたまた再び大逃走劇を繰り広げることになるだろう。
ダリアも連れている今はできればあまりそんな事態にはなりたくない。
三人は慎重に慎重を重ねて街を進んでいたが、さっきレキとクローレンが一騒動起こしたことによって、モンスター達は今相当の数が固まって行動しているらしかった。
彼等は通常の巡回ルートである持ち場を離れ、一丸となって侵入者を探し続けているはずなので、警備が手薄になっている今は脱出の好機とも言えるが、逆にモンスターの大群に出くわしてしまうというリスクもある。
そんなことにはならないようかなり神経質に注意を払っていたのだが、ふいにレキが何かの気配を察知したかのように反応したので、クローレンも気になったのだ。
「なんか一瞬すごい殺気を感じて……。気のせいだったのかもしれないけど」
「……フーム、まだモンスター共にゃ見つかってねぇと思うが……、お前の気配を察知する感性は並みじゃないからな。ちと、厳戒態勢発令ってトコだな」
クローレンがわずかに緊張気味に言った。
これまで二人旅を続ける道中、敵の襲来を予告するのはほぼレキであることが多かった。
交互に見張りを立て野宿をする時に至っても、寝ているはずのレキが見張りであるクローレンとほぼ同じタイミングで敵の襲来に気づくことも多々あった。
おそらくそれは、これまでずっと一人旅を続けたことによって身に付いた独特の感性なのだろう。
何よりも敵の気配、そして殺気に敏感でなければ一人旅など成り立たない。でなければ運が悪いと野宿一日目で命を落とすことになるだろう。
そのためレキの殺気を感じ取る精度は折り紙付きなのだが、今回はどうも本人には自信がなさそうな様子だった。
「……やっぱり気のせいだったみたい。ごめん、驚かせて」
そう訂正すると、レキはじっと何かを考え込むように黙り込んだ。一度居眠りして起きてからというものずっと元気がないように見える。
「……お前、やっぱちょっと変じゃないか? 本当に何ともないのか? 大丈夫か?」
クローレンは再び心配そうに問いかける。
普段からレキはなかなか自分の気持ちや不安要素を打ち明けないので、今回もおそらく何でもないという答えしか聞けないだろうと思っていたクローレンだったが、それでもいつもと違う様子のレキに問いかけずにはいられなかった。
するとレキはしばらく黙ったままだったが、意外にもやがて決心したかのように口を開いた。
「オレ……さっき花畑で眠る前、この街を制圧した魔族に会ったかもしれない……」
「ん? ダリアが言ってた、え~っとなんちゃらの死姫だっけ?」
話が少し飛んだようにも思ったが、クローレンはダリアのほうにも目を向けながら言う。
「”艶美の死姫”ね」
ダリアがすかさず訂正する。
「そいつの名前ってさ……プレゼナ……だったりする?」
レキが、そうあって欲しくない……否定してほしいという様子で尋ねた。
「ええ……。合ってるわ」
「…………」
ダリアの即答に再びレキは黙った。
その姿はわずかに動揺しているように見える。レキのこんな様子を見るのは珍しかった。
「オレ、そいつに……へんな攻撃……されて意識を失ったはずなんだ。殺されてもおかしくなかったと思うんだけど、なんで無事なのかわからない……」
「え」
レキの予想外の告白にクローレンはギョッと驚く。と同時にすぐさまレキの体をくるくると1、2回回転させて、傷の有無などを確かめる。
「わ、わっ」
「いや、でも別に何も怪我とかしてねーみたいだな? そんな敵が間近にいた状態で寝てたら普通死んでるぞ。……夢だったんじゃね?」
「そう思いたいけど……」
レキはそれでも納得しきっていないようだった。不安そうな顔を覗かせチラリとクローレンを見る。
「もしかしたら眠ってる間に何かされたかもしれない……。そうだとしたらオレ、この先キミに迷惑をかけるかも……」
レキの懸念事項はこれだった。もしも何らかの呪いを既に受けてしまっているとしたら、身近にいる者にも危険が迫る可能性は大いにある。
「だったら、お前がどーかなっちまった時はオレが助けてやるって。オレが居てよかったじゃねーか」
バシバシと元気づけるようにレキの背中を叩く。
「ま、大丈夫だって。今なんも問題ねーんだし。街を制圧するよーな敵がそばにいたとして、すぐ殺さずにわざわざ見逃すメリットが相手にあるか? ねーだろ。……おおかた殺そうとしたけど、お前の無意識のグランドフォースの力に阻まれて逃げ帰ったってところじゃねーの」
ハハハとクローレンは何でもないように笑う。その普段と変わらない笑顔を見てレキは少しだけ安心した。
「確かに……そうだよね」
クローレンが言うことはもっともだった。確かにモンスター達の最大の脅威であるグランドフォースを抹殺できるチャンスを奴等がわざわざ逃すメリットはない。
無意識でもレキのことは紋章の力が守ってくれたのかもしれない。
この仮説に納得したレキはようやくホッと一息をつく。
クローレンはやはりレキの不安を取り除くのが上手かった。彼がなんでもないように言うと本当にそんな気分になってくるからすごいと思う。
気持ちが軽くなったレキは脱出へと頭を切り替えることにした。
話しながらも少しづつ街並みを進んでおり、まもなく街外れの辺りまでやって来ていた。
ここまでモンスターに会うことは殆どなく、最後のほうで数匹のモンスターには出くわしたが、数が少なかったためレキとクローレンはそれぞれ一撃で敵を討ち、何とか大勢の仲間を呼ばれる前に片をつけることができた。
そうしてなんとかモンスターの街・ダンデリオンからダリアを連れて脱出することに成功した。
「お爺さま……!」
ダンデリオンの生き残りが集う集落まで戻ってきたところで、出迎えるようにじっとその場に立って待っていた様子の人物を見つけ、ダリアは駆け出した。
「おぉ、ダリア無事だったか……!」
孫娘の無事を確認し感激したジースの元にダリアが走り寄る。二人はガシッと再会を喜ぶ抱擁を交わした。
「まさか本当に助け出して頂けるとは……。旅の方々、心より感謝申し上げます……!」
ジースの目からは一筋の涙が伝っていた。
生存はほぼ絶望的と思われていた孫娘が生きていたのだからその感動はひとしおだろう。
「彼が助けてくれたんだよ。無事で本当によかった」
レキはクローレンを自分の前に軽く押し出しながら言った。
予期せず自分が注目されたことに当のクローレンはちょっと照れ臭そうだ。
「いや、まぁオレも偶然見つけたっていうか……」
ジースは何度も何度もクローレンにお礼を言っていた。
————†
「なんと! あのフォースの花が、咲いたのですか!?」
日も暮れ始めていたため、あれからジースの仮住まいに招き入れられた一行は、心ばかりの感謝の夕食をご馳走になっていた。
夕食といっても、森で採れたキノコや木の実がメインのスープだったが、街を追われたジースにとってはそれが最大限のもてなしだったのだろう。
それが分かっていたのでレキ達は素直に嬉しかったし、温かいスープは疲れた体に染み込むほっとする味だった。
その夕食をご馳走になりながらダンデリオンでのフォースの花についての出来事をジースに話していた。フォースの花を代々守る家系の彼には報告しておく義務があると思ったからだ。
「うん、一度咲いたんだけど……すぐに弾けちゃって今はもう無くなっちゃって……」
レキは申し訳なさそうにポリポリと頭をかく。
「ですがあの花はフォース様が現れない限り、咲かせることも枯らすことも……」
「彼がグランドフォース様なのよ、お爺さま」
ダリアがレキのほうに視線を向けながら言う。
その言葉にジースは心底驚愕したようだった。
「なんと……!? あなた様が伝説の……勇者様だったと……!?」
「あ、うん。でもこの事は他の人にはあまり口外しないでほしいんだ。それより……ずっと守ってきた花を勝手に消しちゃってごめんなさい」
レキはまず謝ったが、ジースにとってそんなことは気に留めることではないようだった。それよりも相変わらず驚きの表情でレキを見ている。
「まだこれほど幼い方だったとは……」
そう呟くと、ジースの目にはわずかにレキを気遣うような感情が宿る。
「グランドフォース様は既にモンスターに殺されたとの噂もあったようじゃが……無事で良かった」
これまでどんな過酷な旅路を辿って来たのか、殺されたという噂もあったことでジースは何となくレキの背景を悟ったようだった。レキを慮るような瞳を向ける。
そのジースの言葉にクローレンもチラリとレキに視線を向けたが、しかし何も言わなかった。
「ありがとう。大丈夫……生きてるよ。ところでフォースの花が弾けた後に、この本が出てきたんだけど」
レキはそう言いながら、今日ダンデリオンで新しく手に入れた本をカバンから取り出した。
「フム……? そんなものが花から?」
レキは一通りフォースの書物についてのことと、自分達はそれを探しておりこれが三冊目であること等をジースに話した。
「フォース様達を導くための本……そんな大それたものを私達が代々守ってきていたとは……身に余る光栄。そして無事グランドフォース様の手に渡って本当によかった……」
ジースは心底安心したようだった。街を追われてしまったものの、これで代々続く役目と責任を果たせたとホッとしたのだろう。
「これはオレが持ってても大丈夫かな?」
「もちろんです。それはあなた様のためのものです」
「そーいえばレキ、その本には何が書いてあったんだ?」
レキとジースのやり取りの横からクローレンがひょいと顔を出して口を挟んだ。
その言葉に、中身が気になっていたレキもすぐさま答える。
「うん、今から読んでみるね」
レキは早速古ぼけた本を開く。
すると真っ白なページに1行だけ書かれた言葉がすぐに目に入った。
“紋章の力、フォースを真に解放することによってさらなる強力な力となる”
「…………」
この一文のみだった。
今まで集めた本も分厚さの割には大概短いことしか書いておらず、ほぼ真っ白の本だったがこの三冊目は過去随一を誇る短さだった。
「はぁぁ!? なんじゃこりゃ。これだけ? 一行しかねーのかよ!!」
横から覗いていたクローレンがかなり不服そうな声をたてた。
「うーん……確かに、びっくりするくらい短いよね」
レキも少し不安になってクローレンに同調する。
この本を七冊全部集めることで伝説の全容が明らかになると同時に、“世界を破滅へと誘う者”を倒す方法が分かるとも言われているが、本当にこんな調子で大丈夫なのだろうか? 残りの本にはもっといろいろ書かれてあるものなのだろうか?
レキが心配になったところで、ふと持っている本が淡くぽうっと光った。
かなり微かな光だったが、それによってページの真っ白だった部分にぼんやりと文字が浮き上がる。
浮き上がった文字はページいっぱいにビッシリと書き込まれていた。
「!! これは……」
“この文字は、紋章を持つ者でないと見ることは出来ない。本書は、紋章の力について、そしてフォースの解放、その扱い方や戦闘への活かし方等を指南する書である”
そんな書き出しから始まり、ページをパラパラと捲ると全ページに文字がビッシリと刻まれ、中には図解のようなものも記載されていた。
ざっと見る限り、魔力を練り上げて魔法を発動することに通ずるようなフォースについての概念や、その訓練方法、応用方法などが事細かに書かれてあるようだった。
おそらくこの書は紋章を持つ者のレベルを飛躍的にアップさせるための、魔導書のような役割を果たしているようだ。
「すごい……! これはじっくり読まないと」
レキが感動して声を上げる。
その様子にクローレンがギョッと驚いた。
「は!? 何言ってんだお前、何を読むって? そんな短い文一瞬で読み込めるだろ!」
「クローレンには、やっぱり見えない?」
レキは本をクローレンのほうへ向けながら聞く。レキにとってはもうすっかり普通の書物と同じようにビッシリと文字が書き込まれた本だったが、他の人からはどう見えているのかが気になった。
本には紋章を持つ者しか見えないとはっきりと書いてあるのでやはりレキにしか見えていないのだろうか。
「は? なんか変わったのか? 相変わらず一文しか書いてねーけど」
クローレンはレキから本を受け取り、しげしげと眺めているがやはり最初の一文以外は見えていないようだった。
「やっぱりそうなんだ。この本、紋章を持つ人しか読めないようになってるみたい。オレには今は全ページいっぱいに文字が浮き出て見えるんだ」
「何っ!? マジか! んな仕掛けがあるとは……」
これまで集めた二冊の本ではこんなことはなかった。レキは改めてもう一度他の本を調べてみるが、やはり元々書いてあった文字以外に何かが浮き上がってくることはなかった。
今回手に入れたこの三冊目の本だけが少し特殊な位置付けの書なのかもしれない。
伝説の続きというよりは、今回の書は完全に紋章の力——フォースについての指南書だった。
「なんにしても、フォース様のお役に立ちそうな物でよかったです」
ジースはほっと微笑んだ。
フォースの書物についての話がひと段落したため、一同は再び夕食に舌鼓を打つことへと戻った。
談笑しながらのその晩餐はとても心安らぐ楽しいひと時となった。
「おい、レキ。そろそろ寝たらどうだ?」
晩餐も終わり、ジースが用意してくれた寝床で二人並んで寝転がりながらクローレンがレキに声をかける。
レキは枕元に魔法の光を灯し、今日手に入れた本を熟読していた。
「うん……あと少しで寝るよ。クローレン先寝てて」
レキは夢中で読書に耽っていた。フォースの指南書は想像以上の代物だった。単純に紋章の力を解放し、オーラで敵を圧倒する方法しか知らなかったレキは、紋章にはもっと色々な使い方があるということを学んでいた。
まだ全て読めていないし、全て読んだ後も何度も繰り返して熟読し、フォースの概念や理論を自分のものにするための実践をしなければいけないだろう。
おそらくこの書物に書かれていることを全て実践できるようになれば飛躍的に強さがアップすることは間違いない。
やらなければいけないことが一気にできた気がする。
一刻も早くこの本を読破したい。レキは夢中で読み進めていた。
「まぁ熱心なのはいーけどよ。あんまり無理すんなよ? 明日もダンデリオンに行くんだろ?」
レキとクローレンは明日もう一度ダンデリオンへ行くことにしていた。
街は完全に滅ぼされ、守るべきフォースの花も無くなったため必ずしも街自体を取り戻す必要はないのだが、あの大群のモンスターをそのままにしておくとまた別の街が被害に遭う可能性がある。それを防ぐためにもモンスターを減らしておくことは必須だった。
それに艶美の死姫・プレゼナのことも気にかかる。街を制圧するような者をそのまま放っておくわけにはいかない。
今日はダリアを無事に返すため戦闘がほぼできなかったので、明日改めてダンデリオンへと向かうことにしていたのだ。
「もちろんわかってるよ。あと少し読んだら寝るから」
「……。ならいーけどよ。マジでほどほどにしとけよ?」
クローレンはそう言うが早いかすぐに眠りについた。クローレンの寝息を聞きながら、レキはまだしばらくの時間を読書へと費やした。
——翌日。
二人は心配そうな顔のジースとダリアに見送られ、再びダンデリオンの廃墟へと向かった。
一度にモンスターの大群を二人で相手にするのは流石に分が悪いため、レキとクローレンは街の外から確認できるモンスターを少しずつ誘い出し、なるべく一度に複数戦をしないという作戦を立てた。
それでもモンスター達は近くの仲間を呼び、毎回10匹近くの敵を相手することにはなったが二人はなんとかそれを撃破していく。
それを可能にしたのは、特にレキの紋章の力によるところが大きかった。
昨日レキは遅くまでフォースの指南書を読み進めながら、ある程度の紋章の力の概念を理解していた。フォースを解放した際のオーラは魔力と通ずるものがあり、魔法発動イメージと似ているが少しだけ違っていた。
その何とも感覚的な部分を指南書は上手く表現してくれており、さらに魔力形成と同時にイメージすることによって魔法とフォースを融合させる方法等も記載されていた。
イメージでのトレーニングは昨日寝る前に何度か行っていたので、今日は早速実戦形式での応用をすることにしていた。
ダンデリオンからモンスターを全て消し去るというのが本来の目的ではあるが、レキにとっても丁度良い指南書の練習の機会だった。
「—フォース解放……! デュランダル!!—」
フォースと魔力を融合させるようなイメージを作りながら、指南書に載っていた呪文の一つを唱える。
すると宙に光のフォースの紋章が出現し、その紋から莫大な光のエネルギーが高密度で速射された。
——ゴオア!!!
とんでもない威力の光の粒子砲がモンスターを一掃する。
「……やっべぇ~。すげー威力だなソレ」
同じくモンスターの相手をしていたクローレンが、半ば呆れながらレキの放った紋章魔法に若干引き気味の感想を呟く。
「ドラゴンまで軽く吹っ飛ばしたぞ……」
「でも……どうやらこれはかなりの力を一度に使い過ぎるみたいだ……。普段の戦闘ではあまり使わない方がいいね」
レキはそう言うなりヘトヘトになってその場にドサっと倒れ込んだ。本に書かれていた表現だけではわからなかったが、どうやらこの技は体に残っているありったけの力を全て撃ち放ってしまうようだ。予想外に体への負担が大きかったことに、レキは地面に突っ伏しながら後悔した。
そうしているレキの元に、辛くも粒子砲を逃れた残党のモンスター2匹が襲い掛かろうとする。
「チィ……ッ!」
それをレキの直前でクローレンが止めた。
「お前はアホか!!」
「……ごめん。ありがと、助かったよ」
なんとか顔だけ上げ、弱々しくニコッと笑うレキの前でクローレンは素早く2匹の敵を切り捨てた。
ダンデリオンの攻略には計5日程の時間を要した。
何度かレキがヘロヘロになって動けなくなったこともあったし、そうでなくても一度に全てのモンスターを倒すには体力が続かなかったため、数日かけて少しづつモンスターを減らし、攻略していったのだった。
ようやくダンデリオン中心部——今では七色の花が咲き乱れている花畑に辿り着いた頃には、周りのモンスターは全ていなくなっていた。
「よーやく戻ってきたな。この場所に……」
クローレンが少し緊張しながら言う。
前回彼がこの場所に来た時は何も起こらなかったが、ダリアに言わせればここは街を制圧したボスがいる一番の危険地帯とのことだったし、隣にいるレキもこれまでかつて見たことがないほどに緊張しているのが見て取れた。
「大丈夫かお前? 顔青いぞ」
「大丈夫……。でもクローレン、もしもオレが負けるようなことがあれば、キミはすぐ逃げてね」
そんな弱気なことを言うのはなんだかレキらしくなかった。
「見くびるなよ。お前を置いては逃げねーぞ」
二人はおそるおそる花畑を進む。
しばらく緊張して過ごしたが、いくら待っても噂のボスモンスターは姿を見せなかった。
花畑を最後まで突き進んだり、ぐるっと一周したり、フォースの花があった辺りを詳しく調べたりしても何も起きなかった。
花畑はただの花畑で、妖しい気配も闇の気配も何も感じなかった。
「……なぁ、“艶美の死姫”なんて奴、本当にいるのか?」
「いるよ! 確かにオレは会ったし、あれは夢なんかじゃなかったよ!」
「ん~~……じゃあやっぱお前が会った時に無意識の状態で倒したんじゃねーのか? 確か攻撃を受けて意識を失ったって言ってたよな。その時のこと、覚えてることがあれば詳しく教えろよ」
「えっ! えーと……」
レキはなぜか口籠った。
焦ったように視線を揺らし、手を口に当てながらモゴモゴと押し黙る。
「は? どうした? なんか覚えてるのか? つーか、攻撃してきたってことは相手は好戦的だったんだよな? それでも意識を失った状態で無事でいられたんだから、無意識のうちに撃退したとしか……」
「……キス、された……」
レキはボソッと小さな声で呟いた。
「ん?? 何て? 全然聞こえなかったぞ」
「だからキスされたんだよ! その“艶美の死姫”って奴に!」
レキは半ばやけくそ気味で叫んだ。
「は???」
クローレンはキョトンとしてレキを見る。
最初はレキが冗談でも言ったかのように思ったが、レキが気まずそうに目を伏せているのを見て、事実だと悟ったようだった。
「…………。ほう……。そりゃお前、言いにくいな。でも詳しく」
「う……」
容赦のないクローレンの追及にレキは何とも言えないような表情をしたが、やがて気持ちを落ち着けるようにコホンと一つ咳払いをすると、プレゼナと遭遇した時の詳細をクローレンに話した。
「——という訳で、奴ははっきりと“死の口付け”って言ってたんだよ。それが何で無事だったのかも分からないし、プレゼナも何で消えたのか、オレには全く分からないままなんだ。……死ぬような呪いに今もかかったままだったとしたら、その気配を何も感じないってのはおかしいし……」
「……なるほどな……。お前がかなり動揺してた理由がようやく分かったぜ」
レキの話にクローレンも思考を巡らせながら考える。
「こえー女だなオイ。……だけど、やっぱりお前が今無事ってことは、その時にプレゼナって奴を無意識のまま倒して呪縛が解けたってことしかなくねーか? ……それか、あるいは……」
「あるいは?」
クローレンがもう一つ考え至ったのは、その艶美の死姫にレキが気に入られ、敢えて生かされたのではないかということだった。
相手が女ということだし、グランドフォースにキスをしてくるような変わり者なのでその可能性もあるにはある。そうなると一切何もされずに無事帰されたわけではない——のかもしれない。
「…………。いや、まぁねーか……」
クローレンは考えついた可能性をレキには教えてくれなかった。
下手なことをレキに言ってしまえば、またレキはクローレンを置いて行こうとするかもしれないので、確定ではない懸念事項は言わないこととした。
「どうしたのクローレン。あるいは、何?」
「なんでもねぇよ、気にするな。たぶん違う」
クローレンは言い聞かせるようにそう言ったが、それはほんの僅かに不安が湧き上がってくる自分に対してだったのかもしれない。
それは今後、何かしらの呪縛を受けた可能性のあるレキと行動を共にすることによって自分が危険に陥るかもしれない、という懸念からではない。
そうなった時に自分がレキを守り切れるのか、それだけが気がかりだった。
お互いに守る覚悟を決めたのだ。絶対にそれを破るわけにはいかない。
「……オレにとってお前はもう大事な弟分だからな。グランドフォースだからとかカンケーなく、無事でいてもらわなきゃ困るんだよ……」
クローレンはレキには聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
「どうしたの? クローレン。何か言った?」
「……いや、なんでもねー」
その後も二人はかなり長い時間ダンデリオンの花畑に留まったが、艶美の死姫・プレゼナが二人の前に現れることはついになかった。