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act.6「way:」

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「さて、始めるとしようか」
 そう言ってから残っている皆に笑みを振りまいてみる。だが、周囲のぴりりとした冷たい空気が融解する気配は全くない。本来の任務はこなしているのだから、数人の雑魚を失ったことなど気にする事でもない。だが彼等はまだ『腐っても人間』のようであり、その目には恐怖にも似た色がてらりと光を帯びている。
「笹島君」
 一人の青年が、びくりと震えた。
「はい?」
「断罪者と共に入口付近で待機しておいてくれるかい?」
 彼は一瞬戸惑いの色を浮かべるが、僕の目を一瞥した後駆けていってしまった。はて、僕は何かおかしな視線でも送ったのだろうか。まあいい。とにかく使える残りのカードは全て使わなくてはならない。
「ケルピーは待機しろ」
 名を呼ばれた黒髪で長髪の女性はぴっちりと身につけたライダースーツを胸元まで開き、そして僕の頬をゆっくりと撫でつけてくる。
「何故私は待機なのですか……? あなたを守りたい気持ちは一番――」
「……以前言った筈だ。命令に従え。さもなくば――」
 切り込むように放った言葉を聞いて、彼女は俯きながら席に再び着いた。そう、それでいい。最後の捨て駒はここで二人の『裏切者』の始末を担当していればいいのだ。
 さて、あと動かせる駒はいくつあっただろうか。
 そう小さな声で呟きながら周囲を見渡す。ああ、爆弾魔がいたか
「おい――」
「あたしはソロ以外は拒否って言っておいたはずよ」
 そうだったそうだった。と僕は微笑みを浮かべつつ他を探す。いやはやこの組織も雑魚一匹と笹島と断罪者、そして水島と僕のみになってしまったのか。大分規模が小さくなった気がしないでもないが、まぁいいだろう。計画は『彼』によって最終段階へと向かうのだから……。
 刹那、ポケットが一定のリズムで振動し始め、そこから味気ないメロディが流れ出してきた。僕はそれをポケットから取り出し、耳へと取り付け、そこから聞こえてくる声に思わず笑みをこぼした。
「状況は好調のようだね。“水島”」
 さて、僕達の計画が進むのが先か、それとも彼らの奪取が先か……。面白いゲームになりそうだと僕はもう一度、不敵な笑みを零した。

   ―――――

 時間がまるで止まってしまったかのような静寂が周囲を抱きしめるかのようにぎゅうと包み込んでいた。僕は目の前の紅の瞳の彼に胸倉を掴まれたまま、山下はドア越しにこちらを覗き込んだまま、そして水島はその漆黒の瞳で僕と彼をじっと見つめたまま……。
「なぁ」
 ボソリと、表面張力を続ける液体に振動を与えるかのように僕は口を開き、そして二文字を静かに自らの音として発した。
「あんたがここにそれを言いに来たってことは、まだ奪い返せる可能性があるってことなんじゃないのか?」
「……」
 インフェルノはその強張った表情を微かに緩める。その表情の微妙な変化で僕はその思考が当たりだという事を確信した。僕は彼の腕を二、三度軽く叩き、彼はゆっくりと胸倉を締め上げるその手を解いた。
「……その通りだ。じゃなければ俺はここに『way:の始末担当』として来ている。事情も何も話さずに全員殺して口止めして終わりだ」
「それは助かった。とりあえず、あんたが考えている事を教えてもらおうか?」
 インフェルノが一度頷き、表情を緩めると同時に、張りつめた空気が溶け出し、この空間の時も再び動き出す。
 僕は額にかいた冷たい汗をゆっくりと右の袖で拭いとり、水島のベッドの端の方にどさり、と腰かける。足が異常なまでに笑っているのを見ると、どうやら平静を保っていたのは精神だけだったようだ。身体はインフェルノの放つ殺気のせいで限界を迎えていた。精神だけこの『非日常』に慣れてしまったって身体が着いてこなければそれは死んだも同然だ。ここが殺人鬼の狩り場ならば、僕は確実に一匹目として仕留められているだろう。
「……全く、こんな俺が何の役に立つって言うのかね」
「何か言ったか?」
 いいや。
 左右に首を振って、下方に向けていた視線を再びインフェルノに向ける。潔癖なまでに清潔さを感じる病室で、彼の紅の瞳はやけに目立つ。彼のあの眼は以前からなのだろうか。いや、ふとした拍子に気になってしまった事は無駄に尾を引くものだ。ここら辺でよしておこう。まずは越戸要を救出することが第一なのだから……。
「今、組織の壁は非常に薄くなっている。何故か分かるよな?」
「今回の件で半数以上が捕まったってことか?」
 インフェルノは頷くと、両の手を前に突き出すと僕に向けてそのうち六本の指を立てる。
「?」
「way:の残りの人数さ」
 もちろん俺と驟雨を足してだ。とインフェルノは付け足す。
 彼の言葉に対して、僕は安堵にも似た感覚が自身の内部に生まれたのを感じた。半数以上の失脚によって組織の力は半減している。つまりある意味way:に対して攻撃を与える事ができたのだ。これは相当な一撃だろう。
 僕は両拳を強く握りしめてから水島をチラリと一瞥する。
 インフェルノ、驟雨、ボス、そして残り三人を含めた人数……。
「これで無事に越戸を救出できれば……」
「まぁ俺が“確認”しているだけの人数だがな。その他にいるかも分からない」
 インフェルノは、憂いを帯びた表情を浮かべて窓の外へ視線を移す。
「――それでも」
 不意に、しんと黙り続けていた水島が四文字の言葉を、静かに吐き出した。僕とインフェルノ、そして山下はほぼ同時に彼女へと視線を移す。頭を垂れた状態でいる彼女の表情を確認することはできないが、その彼女から放たれている圧迫感は紛れもなく「憎悪」と呼べる代物であった。
「way:をぶっ壊さない限り、私は死んでも死にきれない……」
 彼女はふるりと声を震わせながら、絞り出すようにそう言った。越戸と出会ったときのそれとはまた別の感情の爆発。いや、破裂しかけている気持ちをぎりぎりで抑え続けている感じだろう。許容量の限界を超えたこの気持ちが放出されたとき、彼女が一体どうなってしまうのだろうか。
 
 ふと、自身を部屋の洗面台の少し上に据え付けられた鏡で見てみる。微笑みを浮かべている僕が、そこにはいた。爆発し、狂気の沙汰に踏み込んだ彼女がどうなるのか、多少の興味が沸いているのだ。
――分かっている。僕の爆弾だって破裂しそうだってことくらい。
 己の中の黒い部分が、ドクンドクンと息づいて静かにその刃を僕にめり込ませてひたすらに僕に“死体が見たい”と囁き続けてくる。人は狂った真っ黒い世界にいればいる程自らも黒く染めたがるものだ。僕にもその症状が出ている。この先、何人も何人も殺人鬼と会う羽目になるとしたならば、僕は最終的にどうなってしまうのだろうか――
「――なんにせよ」
 インフェルノの切り出した言葉で僕はハッと我に返る。そうしてから頭を左右に振ってもう一度チラリと鏡を覗く。笑みを浮かべた杉原は、そこにはもういなかった。
「越戸というピースがそろった今、way:はメンバーさえも知らない本来の目的へと行動を移す事になる……」
「本来の、目的?」
 組織として集まっているのだから目的がなくては意味がないだろう。それも、彼の神妙な面持ちを見る限りかなり大きな計画なのだろう。その為に大量の殺人鬼を終結させている。
 インフェルノは、朱に染まったその瞳をゆっくりと僕へ向けると表情を変えずに、するりと言葉を吐き出した。
「主要都市、つまりは“この場所”に対するテロ行為だよ」
 一定のリズムを刻んでいた時がゆっくりと、呼吸を止めた……。

     ―――――

『Mr.suicideか……随分とネーミングセンスがいいじゃないか』
 彼の言葉に僕は乾いた笑い声で返答する。全く、自画自賛もいいところだろうに。
「そうそう、どうせだから、越戸要を餌にして“アレ”も釣りあげたいと思うんだが、どう思う?」
 ほほう、と受話器越しに感嘆の声が漏れる。
『なるほど……。じゃあ杉原君もかい?』
――ああ。
 ゆっくりと一度頷いてから僕はベッドから起き上がり傍のハンガーに掛けてある白いシャツに手を通す。同じ服装をして彼を出迎えてやろうというちょっとした思い付きで、特に意味はない。
『君が集めた殺人鬼達が暴れてくれたおかげで、計画も最終段階だ……。いやあ胸がときめくよ』
「正直あれだけの組織にしなくても良かったんじゃないのか? そのせいでインフェルノ、驟雨、ネクロフィリアなんていう離反者まで出てしまったじゃないか」
『まぁインフェルノは僕の“作品”だからね。離反してしまうのは当り前さ』
 そう軽快に言葉を飛ばすと彼は笑い出す。全く、それが大きな反対勢力になっていたらどうするのだと言ってやりたくはなるが、確かにそういった実験がなければ『瞳』も『掌』も“コレ”も生まれる事はなかったのだし、こんな楽しいことだって思いつきはしなかっただろう。
「じゃあ、こちらはこちらでやるよ」
『くれぐれもアレを奪い返されることがないようにしろよ?』
「分かってるさ」
 そう返し僕は通信を断つ。さて、そろそろインフェルノがここへと彼らを連れてきた頃だろうか。どうせなら面白い事態にするべきだ。簡単に招き入れてやる等つまらな過ぎる。
 まぁ、死んだら死んだで良いか。そうしたらわざわざ着替えたこの服装も全く意味を為さなくなってしまうわけだが、まあその時はその時だ。
 通信機のレバーを捻り、チャンネルをとある番号へと合わせる。
「――聞こえるかい? これから君達にある指令を与えたいと思う」
 僕は内側から湧き出てくるむず痒さを空いている手で服をぎゅっと掴むことで堪え、そして呻くように言葉を通信気に向けて放つ。

――アジトに入り込んだ数人の客人をもてなしてやってくれ。

 通信機を切る。
「……ク、ククク……クハッ……アハハハハ……」
 刹那、自分でも狂ったと自覚できる程の笑いが破裂した。

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
――狂笑。
――狂笑。
――狂笑。
 道化師の笑いが空間を支配した。

   ―――――

 あれから少しして、僕等はインフェルノの車に乗せられ、ただひたすら振動に揺られているだけの時間を過ごしていた。
「……」
「……」
「……」
 僕も、インフェルノも、水島も、誰ひとりとして言葉を発しない。
 静寂だけがただ疾走してゆく。
 そんな中で僕は、ふと残してきた山下の事を考える。
――帰ってきてくれるよね?
 彼女は驟雨と共に病院に残った。万が一人質として捕らえられ、こちらが動けなくなる事を防ぐために……。つまるところ足手まといという言葉が一番しっくりときてしまうのかもしれない。彼女に対してそうした言葉を向けたくはないがやはりそういうことになっていまうだろう。
――戻ってくるよ。
 確証のない風船のような言葉を吐き出し、僕は笑って見せた。その言葉と僕の笑みが上っ面なものだという事に、彼女はきっと気づいていた筈だ。
 殺人鬼の巣に真っ向から飛び込むのだ。命の灯が一瞬にして、それも蝋の部分から切り落とされる可能性だってある。
「――るさ……」
「何か、言った……?」
 隣に腰かけている水島がすぅと僕の前に覗きこむように顔を出して、そう問いかけてきた。女性特有の甘い香りが僕の鼻腔をくすぐり、ほんの少しだけ気持ちが高鳴る。
「生きて帰るって言ったんだよ」
 嘘をつく意味はどこにもない。僕は彼女に独り言を打ち明けた。
 彼女は、それを聞いて寂しげに微笑むと身体を戻し、そして目を瞑る。
「……そう、約束していたものね」
「まあね」
 彼女のその態度に何故か気まずさを覚えながらも僕は三文字を吐き出し、再び黙り込む。別に空気を悪くするために独り言を言ったわけではなかったのだが――
「ねえ、もしもだけれども」
 唐突に口を開いた彼女は、そっぽを向いたまま、それでも言葉は僕に向けて喋り出す。
「私が危険にさらされたりした場合、約束が無くても……守ってもらえるのかしら?」

 突然過ぎた。彼女のその発言は。

「何でそっぽ向いてるのさ?」
「別に……」
 声が震えているのが、よく分かった。その反応に、僕の心がぐらりと揺れ動く。
「……遠慮しないで良いよ」
 そっぽを向いたままの水島。僕はその水島を見ないように視線を逸らしながら言葉を続ける。
「助けてほしい時、俺に手を伸ばしてくれれば……。いつでも助けに行ってやるよ」
 臆病で殺人鬼を出し抜くことくらいしかできない弱い僕の言葉。多分すごく軽くて、空っぽなんだろうと思う。けど、それは僕から見てのものであり、彼女にどう受け取ってもらえたのかは分からない。でも、本心からの言葉だった。
 今ハッキリと気づいたことがある。僕が彼女の瞳を嫌っていた理由。
 その瞳に映った彼女が、僕の事をどう見ているのかが怖くてたまらなかったんだ。だから逸らしたくなった。
 瞳に映る自分を見る事で、その気持ちが僕の中で花を咲かしてしまうかもしれなかったから――
「話し込んでいるところ悪いが、到着だ」
 たった数分の二人だけの空間は、インフェルノの言葉で静かに、周囲へと霧散していった。
 刹那、僕はあることを思い出し、携帯を取り出し番号を打ち込んでから着信ボタンに親指を乗せ、それをゆっくりと耳に近付けた。
「――もしもし」

   ―――――

 テロを起こす事。それがway:の目的……。
 信じられるかと、以前の僕ならば言っていたと思う。
 だが、今こうしてここで不可思議な出来事に何度も、それも連続で遭遇してしまっている状況。今更何が起きたとしても現実として受け入れざるを得ない。僕はそれだけ非日常的なものを見てきてしまった。突然一人の男性がこの場にやってきて病人や医師をナイフで切りつけるなんて事件が起こったとしても、今の僕ならばそれをはっきりと“日常である”と言える自信が出来てしまっている。
 耐性ができてしまったのだ。結局のところは。
 人の死でさえも見慣れてしまえばそれはそこら辺に転がっている石ころのように見えてしまう。そして感情というものさえも抱かなくなり、死に対して抵抗とか、そんな事を考えなくなるのだ。それが行き過ぎると今度は逆にその死体に恍惚とした感覚を覚えるようになる。
 それが殺人鬼だ。
 結局のところ、殺人鬼だって人間なのだ。非日常というドアをたたいてしまった人間のなれの果て。
――じゃあ、僕は一体今どの辺りにいるのだろうか?
 そんな疑問が生まれてくる。
 日常の存在でもなく、殺人気にすらなれず、中間でただ傍観し、手を出せるときだけ手を出すだけの存在。半端なだけなのではないか?
 こんな時、越戸がいれば彼はなんと答えるだろうか。ふとそんな疑問が浮かび上がる。
「……ここが、アジトの入口だ」
 街外れにある朽ちた工場跡の門の前で彼は立ち止ると、僕らを見る。
「何か?」
「実際は三人なんて人数で乗り込むところじゃあないんだよ」
 拳を強く、痛いくらいに僕は握りしめる。
「誰かが足止めを食らったとしても、他の奴は止まるな。目標に目を向けろ」
 ふと、背後から視線を感じる。分かっている。後ろにいるのが誰なのか。
 インフェルノは返答を待たずに、ゆっくりと扉を押し開ける。多分先刻の言葉ので足止めを食うのは“彼”だ。僕らの中で唯一の戦力と言える彼は、アジト内の全てを相手しようと考えているに違いない。

 ぎぃ。

 ぎぎぎぃ。

 扉から光が差し込み、内部を照らし出す。

 そこに大男と小柄な男性が、不敵な笑みを浮かべて佇んでいた。


   act.6「way:」


 胸を上下させて数回、大きく呼吸を繰り返す。
「杉原君、大丈夫?」
 水島は息を荒げつつ僕の腕の怪我を心配そうに見つめている。逃走中に受けた切り傷から鮮やかな赤が止め処なく流れ出ている。
 幸いあの大男の肉切り包丁(のようなブ厚さと切れ味だった刃物)に毒は仕込まれていなかったようで、多少の出血のみで済んだ。もし毒でも塗られていたならば即ゲームオーバーといっても過言ではなかっただろう。
「大丈夫」
 俺のこのかすった程度の怪我など大した事はない。上から布で縛って止血をしておけば済む怪我だ。
 だが、非常に危険な状態の人間が一人いることを僕は忘れていない。
「インフェルノは……」
 その問いかけに水島は顔を俯かせる。そうか、そういう状況なのかと僕は瞬時に納得する。そして同時に腹を括った。
「行こう。誰が足止めを食らっても突き進むって約束だ」
 下のシャツを横に千切ってそれで腕の止血を行ってから僕は立ち上がる。足止めと言った理由は微かな可能性を信じておきたかったからだ。まだ彼は死んでいない筈だと。きっとまた合流できると――
 さて、問題はここからだ。戦力であるインフェルノがいなくなった今、僕等は丸腰の状態だ。ここでもしも他の関係者に出会ってしまった場合、どちらかが囮とならなければいけない。いや、囮としての活躍すら見込める状態ではない。出会えばそれで終わりと考えても良い。
「もう少し時間があれば味方を増やせたかもしれないのに……」
「今更そんな事を言っている場合じゃない。今はどう俺と水島で越戸の下に辿り着くかだ」
 それに、もしもの為の切り札は残してある。なんとか少しでも時間を稼ぐことができれば……。
――おいで。
 刹那、僕の頭の中で誰かの声が反響する。それと共に訪れる軽度の頭痛に思わず手を宛がう。
――さあ、こっちだ。
 この声は、一体……。いや、この声、僕が一番聞き覚えのある声だ。
「俺に語りかけてくるのは……誰だ……?」
「杉原君!?」
 ゆっくりと染渡るように頭痛が激しさを増してゆく。そのあまりの痛みにとうとう僕は片膝をついてしまう。どうにかこの頭痛を抑えないと歩くことすらままならない。
――どれだけ待ちわびたことか……。
 そのどこかで聞いたことのある声の存在を思い出したいのだが、わんわんと響きうねるその脳内のメッセージが邪魔して上手く思考を凝らす事ができない。水島が傍で何か言っているようだが、それすら聞こえないのだ。本当に最悪のテレパシーじゃないか。この送信元のところへ行ったら真っ先に一発殴ってやろうと僕は心に決める。
――なんだそうか、この俺の言葉が君の行動を邪魔しているのか。
 やっと気づいたか。と僕は歯をぎしりと軋ませ、左拳で横の無機質な壁を思い切り叩く。

 一瞬のうちに、あれだけ酷かった頭痛が身を隠してしまった。と同時にあの声も見事に消え去った。しかし気持ちの悪さは残っていて、今になって体中が汗まみれになっている事に気がつく。
「杉原君?」
「もう……大丈夫……」
 実際、気分は最悪のままだが、あの声が導く下へと早く行かなくてはならない。何故だか分からないが、そんな気がするのだ。
――急がなくては。とゆっくりと立ち上がると先程の声が残した“足跡”を僕はゆっくりと辿り始める。それに戸惑いながらも水島が後方より続く。
 さっきの声、よく思い出せ。あの妙に親近感の沸く声。今思うと僕とよく似ていた声質だった。いや、むしろ――
 歩みを止め、強い鼓動を、警告のように鳴り響く胸に手を当て、思いきり掌握する。
「あれは……俺の声だった……?」
 あの声、あの喋り方、自分がよく知っている。
――あの声の主は、紛れもなく僕自身だ。

act.6-2

  ――十五分前――

 門を開けてまず目に入ったのは、笹島と断罪者の二人組であった。一方は不敵な笑みを浮かべ、一方は殺意をむき出し唾液を垂らしている。全くどうしてこの対照的な二人が毎回ペアを組んでいるのだろうか。まあそれぞれ致命的な弱点を補うには最高の組み合わせではあるのだが……。
「相変わらずおまけみたいにくっついているじゃないか、笹島」
 小柄で強風でも吹けばたちまち飛んで行ってしまいそうなほどほっそりとした笹島に、俺は余裕を持ってそう長髪的な言葉をかける。
「確実に獲物を仕留める為ですから。そうでなければこんな獣臭い奴と一緒に行動なんてしませんよ」
 俺の言葉を軽く笑い飛ばす笹島。
――さて、と俺はポケットから銀特有の鈍い光を放つジッポを取り出し、着火する。赤々とした炎がバチリと力強い音を立てて立ち昇る。軽い挨拶を済ませた事だしさっさとこの場を退けて先に進まなくてはいけない。俺はじいと笹島に狙いを定めるとジッポを構え、そして空いている左手でパチン、と指を弾いた。
 刹那、轟音と共に紅蓮の熱量の塊が笹島を包み込み、そして次の瞬間には針を刺された風船のように熱量が轟音と共にはじけ飛ぶ。
 熱い空気が俺の後方へと流れていくのが感じられた。
「組織の中でケルピーの次くらいに嫌いだったんでね。さっさと燃え散って死ね」
 爆風によって起こった土煙を見て俺はすぐさまに行動を始める。司令塔である笹島を先に始末しておけば断罪者の方はただ暴れるだけの肉の塊にすぎない。俊敏さもこちらが上だ。今のうちにこの煙に紛れて距離をおけばここは突破したも同然だ。
「杉原、水島、走れ!!」
 俺の掛け声と共に二人は正面へと駆け出す。
 それが、失敗だったことに気づいたのは、突然現れた刃が杉原の腕を掠めた時だった。
「杉原!」
 ギラリと鈍い光を纏い、凶悪ないでたちをしたその分厚い肉切り包丁は咄嗟に横に飛んだ杉原の腕の肉をほんの少しえぐり取ると、そのまま土煙の中へと消えていった。殺気を感じ取り横に飛び退いた杉原の行動は正解だろう。だが、この奇襲によって体勢を崩した獲物をあの怪物は放ってはおかないだろう。
――あの化け物はどうやって足りない頭で杉原達を察知したんだ!?
 多少浮かんだ戸惑いを必死に胸に押しこみつつ、俺は眼の先で立ち上がろうとしている杉原に思い切り体当たりをぶつける。精一杯、できるだけ遠くへ飛ぶように全力を込めた。
 予想通り杉原は弾むように土煙の中へと突っ込んでゆく。既に水島の姿が見えない事を考えると、奥の通路へと無事につけたのだろう。彼女なら突き飛ばした杉原の回収も行ってくれるはずだ。
「水島、杉原……行け!!」
 怒鳴り口調で必要な情報だけを言葉に乗せて俺は叫び、そうしてから右手のジッポの火を再び着けてから、包丁の出現した場所へともう一度“着火”させる。
「消し飛べノロマ!!」
 火炎は再びマグマの如く円柱状に噴き上がると荒れ狂い火の粉をまき散らす。これだけの威力ならばあの毒物さえも効果のない断罪者にダメージがある筈だ。
「――!?」

 “それ”がこちらへ向かってきた時、俺の視界がスロー再生の映像のような、コマ送りで情報を脳に伝えていく。

 ブ厚い刃がずぶずぶと左腕の間接の辺りを肉をより分けて通過していく。

 刃が完全に通過したと同時に、時は普段の流れを取り戻し、喪失感と激痛が俺の精神を蝕む。勢いよく切り飛ばされた上腕から下の部分が俺の後方へとぱつんぱつん、と音を立てて転げ、そして数メートル行ったところで動きを止め、床に転げ落ちている腕の切り口から血がじわりと周囲へと拡散していく。その穏やかさとは真逆に、俺の方の切り口からは蛇口を勢いよく捻ったような夥しい量の血液が地面へと容赦なく流れ落ちていく。
「ぁ……ぐぅ……!!」
 激痛と、喪失感は、俺の足腰の力を引き抜き、地面にだらしなく膝をつかせた。
 止血をしなくてはと、俺は衣服を引き裂いて傷口にあて、余った部分で思い切り腕を縛る。多少血を止めることはできたが、この後の行動次第では危険な状態になると俺の身体が警報を鳴らしている。
――傷を焼いて止血するか!? いや、まだ腕は綺麗なままだ。あの刃物の形状からして綺麗に肉と肉を分断している筈だ。可能性は……。
 その俺の腕を、誰かがぐしゃり、と踏む。
「残念、その可能性は零よ」
 ああそうか。俺は先ほど感じた“違和感”の理由をさらりと解き明かす事ができた。
 黒く艶のある長髪にの女性。したり顔でこちらを見ている。
「なるほど、お前が俺の“炎”を消し飛ばしていたわけだ」
「あたしはあなたよりも優れた能力者だってことが、分かったかしら?」
 水辺の悪魔と自称している、通称ケルピーがそこには立っていた。
 彼女の後方には、服が多少煤こけている笹島と衣服が吹き飛び全裸。だが肉切り包丁だけは手放す気配のない断罪者がずん、と立っていた。
「“私も”あなたの性格もなにもかも嫌いだったのよね……。しかもその嫌いな奴を今、合法的に殺す事ができる。これって素晴らしいと思わない?」
「できれば、俺がその位置に立ちたかったものだけどな」
 俺は諦めにも似た皮肉を吐き出してから頭を垂れる。これ以上の抵抗が無駄なものであることを知っているから。
 ゆっくりと、膝をついて項垂れる俺に断罪者が包丁を引きずりながら歩み寄ってくる。スッパリとやってくれるのならそれはそれでいいかな、と俺は眼を閉じる。

 その状況で、発砲音が周囲に一度、響き渡った。

   ―――――

「その声は、確かにこっちだって……言っていたの?」
 黙ったまま一度だけコクリと頷く。確かに僕の“声”は僕を招いていた。罠なのかもしれないと一瞬疑いもしたが、自らの声が直接語りかけてきたのを考えると、信用性は十分あるような気がするのだ。というか、僕の心が「従うべきだ」と訴えかけているのだ。これには逆らいようがなく、様々な思考を凝らしている合間も足はひたすら歩みを続け、まるでこの地形を把握しているかのように分岐点を進んでいっていた。
 今までの記憶を巡らせても僕はここに来た記憶はない。一体これはどういった状況なのだろうか。何か忘れている出来事でも僕の脳の中には潜んでいるのだろうか。
 いや、とにかく今はこの声に従っておくべきだろう。ここでもしも異様な場所に迷い込んで殺人気にバッタリ会うより良い。無茶よりもまだましな選択だと僕は思う。
「その声についていって、もしも集団で待ち構えられていたら……?」
 水島が心配そうに問いかけてくる。
「でも、乱雑に周囲を歩きまわって無駄な浪費をするよりは……良くないか?」
 それは、と彼女は言葉を濁す。
 僕らの会話が途切れたと同時に、操り人形のように歩みを進めていた足が、動きを停止した。目の前には両開きの大型の扉が佇み、上方に取り付けられた黒いプレートには「welcome」と招待の意を示す文字が記載されている。
「ここが……」
「水島、君はここで待っていて。俺が一人で入ってくる」
 もしも罠だった場合、二人で入ってしまったらそこでゲーム―バーとなってしまうから。と僕はつけたした。
「でも――」
「危険が詰まった部屋なら、合図を送るから……。越戸を救わないと被害は俺達以上の人数になる。それだけは防がないといけないだろう?」
 納得してくれるとは思っていない。だがその“もしも”の為に一人でも残っておかないと彼女の言う復讐すら成すことができないのだ。
 僕は彼女の返答を待たずに、一歩前に出るとノブに手をかけ、思い切り押し込んで部屋の中へと飛び込んだ。後方から僕の名を呼ぶ声が聞こえているが、戻るつもりはない。完全に危険ではないと判断できるまで――

 ――チ。
 ――チパチ。
 ――パチパチ。
 暗黒に包まれた部屋の中で、拍手が一人分、響く事もなく音を奏で始めた。僕は咄嗟に身構える。
「――いやぁ、見事な正義感だね。俺からしたら気分が悪いことこの上ないんだがね……」
 僕とよく似た。いや、まるで同じ声が暗闇の中から軽快な口調と共に現れる。
「誰だ!?」
「ああ、すまない。今電気を付けるよ」
 声の主は感嘆の声を漏らしてからコツ、コツ、と足を鳴らしてどこかへと向かう。一体彼は誰なのだろうか。僕と同じ声、そして雰囲気を持っている存在……。しかも何故このway:のアジトに存在しているのだろうか。僕の血縁者は父と母と妹以外いない筈だ。双子がいるという話だって聞いた覚えがない。
「君は、俺が誰なのかとても気になっているようだね」
 暗闇から僕宛に言葉が届く。
「何故俺と同じ声をしているんだ? 水島やインフェルノを欺く為にか?」
「欺く? はは、面白い事を言うね」
 パチンとスイッチの音が響いた。突然視界に飛び込んできた大量の光源に思わず僕は光から目を逸らして眼を瞑る。


「――偽物は君なんだよ」
 耳元で聞こえてきた声に反射的に僕は距離を取る為後方へと飛び、そして目の前の声の主へ目を向けた。
 そして、その目の前の人物に僕は衝撃を覚える。
「なんだよ……これ……あんた……一体……?」
 目の前で余裕を含んで立ち望む存在は、紛れもなく“僕”だった。学校の制服を身に纏い、いつもどおりの退屈な日常を過ごしていた頃の姿が、そこには立っていた。
「鏡じゃないってことは、まあ分かるよね?」
「どういうことだよ。俺が……二人?」
 目の前の“僕”はにっこりと笑いながらこちらを見ている。
 途端、彼は小さくお辞儀をしてから、僕をじっと見つめる。
「ようこそ、殺人集団『way:』のアジトへ」
 そして、次の言葉で、僕の精神が時を止めた。
「way:創立者、そして三つ目の黒い玉を所有する“杉原修也”です」
「俺の……名前……?」
「いや、勘違いしてはいけないよ」
 杉原修也と名乗ったその男は、僕を指さしてこう言った。
「さっきも言ったろう? 君は僕が創造した偽物、つまりは“ダミー”なんだよ。杉原君」
 彼はハキハキとした口調を僕にぶつける。

 その瞬間、世界が、視界が、脳が、思考が、心が、心臓が、僕を取り巻く全てが――

 ぐらりと揺れ動いて、砕け散って消えた。 
36, 35

  


「――俺が、複製(ダミー)?」
「もう一度言ってやるよ」
 体中の血管が収縮する。血液が凍りついてゆく。視線を一定に保つ事ができない。その意味の分からない彼の発言に、僕という存在は異常な反応を見せていた。そんな僕の姿を見つめながら杉原修也は微笑むと、ゆっくりと僕の耳元まで歩み寄り、囁くように、もう一度言葉を吐き出した。
――お前は俺がこの世界から認知されないようにする為の影武者なんだよ。
 意識が完全に遠のいた。
 視界が反転し、そして――

 “僕”はその世界に背を向け、ゆっくりと眠りに着いた。

act.6-3

 背後からの発砲音から暫くしてケルピーの右肩に紅の花が咲いた。彼女は顔を歪ませながらしゃがみ込むと被弾箇所に手をあて、そしてその数秒後には傷口の止血が完了していた。
 その光景を見て俺は誰にも気づかれないように、ひっそりと微笑む。
――あいつ、俺以上の欠陥品じゃないか。
「誰だ!?」
 笹島が発砲をした人物に対し感情を露わにする。先ほどの余裕とでも言わんばかりの笑みが一瞬で消えた辺り、相手が二人になると非常に不利な状況にでもなるのだろう。
 俺は周囲の現在状況を把握しつつ、それでも無駄に動かずにその“時”を待ち続ける。
「way:の統率力はそこまで高いものでもないんだな」
 奇襲の主は呆れたとでも言うかのような口調でそう言うと、ゆっくりと歩を進め始める。音と気配が近づいてくる。どうやら俺の許へ向かってきているようだ。
「――誰だかは知らないが、状況を打破するのに一役買ってくれるのか?」
「安心しろ、杉原に頼まれてきた。今のところは“共闘者”としてみてくれていい」
 拳銃を構えつつ俺の横までやってきた男はそう言うとこちらをチラリと一瞥してから再びケルピーへと銃口を向けている。全く杉原もやってくれるものだと俺は左腕に走る激痛に冷たい汗を滲ませながらもそれに耐え、ゆっくりと立ち上がると右手に残されたジッポを再び着火する。
「笹島、お前のその表情からするに、この状況は確実にお前にとって不利益な状況なんじゃないのか?」
 形勢は逆転した。その勢いを殺してはなるまいと俺は笹島に対し重圧的な挑発を言い放つ。笹島はその問いかけに舌打ちで返答する。僕たちは不利な状況になりましたという返答として受け取っても良いだろう。
 俺はにやりと笑みを浮かべる。
「散々にされた腕のお礼だ」
 俺は着火した炎をケルピーに向ける。
「ゆっくりと焼け死ねよ」
「は? 私は大気中から水を生み出せるのよ? 焼け死ぬなんてことある訳が――」
 横で拳銃を構える男に俺は眼で合図を送った。と同時に彼はなんの躊躇もなく引き金を引き絞り、轟音を周囲に響かせる。弾丸は笹島へと一本の線を描きながら飛んで行く。
 ケルピーはその銃声に反応すると同時に左腕を笹島へと向けたかと思う。すると、彼の目の前の床から勢いよく水の壁が噴水のように噴出し、そして弾丸がそれに接触した瞬間、水切りをした時のような水の弾ける音と共に、弾丸の軌道が変化し、笹島の頭部の数センチ横を掠めて通り過ぎていった。
 俺はそこで容赦なく己の能力を“起爆”させた。
「――!?」
 紅蓮の火炎に包まれたケルピーは驚愕と恐怖の入り混じった表情を浮かべて床を転げまわっている。呼吸をすることができず悲鳴はあがらない。非常に静かに彼女はパニックを起こしている。
「お前の能力、意識を一人にしか向けられないんだろう?」
 苦しみのたうち回っている彼女には聞こえていないのかもしれない。だが俺は構わずに続ける。
「“俺達”はな、欠けた部分があるから“失敗作”なんだよ……。自分のできそこないな部分も把握してないで調子にのるなよ女」
 刹那現れた殺気を俺は一瞬で感じ取り、後方に三歩退がる。その次の瞬間俺の目の前を肉切り包丁が通過し、地面を容赦なくえぐり取る。
「断罪者、インフェルノを殺せ!!」
「殺す殺す殺していいの殺すよ殺そう殺しましょう殺害しよう血を見せてぇぇぇええ!!」
 気が狂ったように支離滅裂な言葉を放ち、暴走を始める断罪者。こいつの無駄なまでの耐久力と体力は何度も見たことがある。どこまでも追いかけ続け、疲れ果てて逃亡を諦めた人間をゆっくりと惨殺してゆく快楽殺人者。こいつに炎をかけたとしてもお構いなしにこちらへと向かってくるだろう。火だるまのままそれでも攻撃を続けてくるなんてことになれば、逆にこちらが避け辛くなり危険になる。
「おい、そこの銃持ってる奴!! そこの小柄な男を――」

 ドクン、と俺の中で熱い感覚が強く脈を打った。

 おいおいこんな時に俺の欠点発動かよ、とこみ上げてくる熱を必死で押さえこむように右手で胸を抑える。落ちたジッポが金属質な音を立てて床に転がる。断罪者は恍惚の笑みを浮かべると動きの鈍くなった俺の脳天へと思い切り肉切り包丁を振り落とした。
 だがそれが俺の脳天をかち割ることはなく包丁は俺の横、煙草一本分の間隔を開けて地面へざっくりと突き刺さっていった。
 地面に包丁が刺さると同時に断罪者の上半身に二、三発の弾丸が埋まっていく。ビス、ビス、と異様な音を立てながら肉を突き破っていく弾丸。断罪者はその自らの内部に入った弾丸を取り出したいようで、困った顔をしながら指で傷をほじくり返し始める。
「おい、赤眼の、ここは退くぞ」
 何を言っているんだ、中には二人が待っている。そう言いたいのに、口から漏れ出てくるのはうめき声だけ。
 男は俺を担ぎあげると笹島に対し銃口を構えつつ、アジトの出入り口から外へと駆け出した。
「全く、その発作が治まったら色々と話を聞かせろ。あのガキの電話は断片的過ぎて全く分からなかったからな」
「……あんた、名前は?」
 かろうじて出た言葉。こんな質問の為に使用してしまうべきだったのだろうかと後悔の念が多少生まれたが、聴いてしまったものは仕方がない。俺は彼の返事を待つ。
「御陵聡介。お前は……って言っても今は喋れないんだな」
 彼は一体何なのだろうか。拳銃を所持し、そして化け物じみた殺人鬼に怯まずに銃撃を浴びせる。
――杉原め。こんな力強い味方がいるのなら早く言えよ……。
 杉原の事を恨みつつ、俺は目の前に見えてきた車に目を向ける。そして、杉原が言わなかったわけを即座に理解し、呆れにも似た笑みを浮かべた。

   ―――――

 遅いものだ。私は扉の傍の壁を背にしてうずくまっていた。危険であった場合は声などかけられないのではないかという疑問もそのままに彼は行ってしまった。私は下手に動いて誰かに見つかるよりはここでひたすら石のように固まっている方が得策だと考えてずっとここにいるのだが、もう杉原君が部屋に入ってから十五分近くが経つ。
――流石に入るべきだろうか? いや、待つべきだろう。
 この十五分間で一体何度したか分からない自問自答を繰り返す。これが何回目だったかはもう忘れた。少なくとも二桁は行っているのではないだろうか。
「……はぁ」
 これだけ待機し続けていると、いろいろな事を思い出してしまう。姉の事、死んでしまった家族の事、そして杉原君の事。
 彼と行動を共にするようになってからまだ三か月前後しか経っていない。そんな中で、何故私は彼の事をこんなにも考えるようになってしまったのだろうか。
――なら一口くらい食ってみろって。
 甘過ぎるからという理由で嫌いだったチョコレートアイスを口に入れられた時のあの感覚は、なんだったのだろうか。あの時何故私は気まぐれにチョコを頼み、そして彼に手渡したのだろうか。
――私も死んであげる
 苦しむ彼の心に拠り所を与える為に咄嗟に放った言葉。元々組織を崩壊させて、復讐を終えた後に母や父、そして姉を追って死ぬつもりであったからこそ言う事の出来た言葉だ。私のせいでもしも犠牲者が出たならば、私はその罪を死というカタチで償おうと考えていた。
 なのにもかかわらず、今、私は死にたくないと思ってしまっている。最後に家族を追おうと決意した筈なのに、その決意を思い出すたびにサブリミナルのように、一瞬だけ杉原君の顔が過るのだ。
「私は、何がしたいのだろう……」
 悩みは考えれば考えるほどに渦を巻いて、混沌の世界を作り上げてゆく。そしてその混沌の中心で、彼はじっとこちらを見て笑っている。
――守ってもらえるのかしら?
 あの時の言葉の真意を未だに自分でも見出せずにいる。
 杉原君なら、この言葉の真意に気づけたのだろうか。もしも後で質問として問いかけたら、彼は答えてくれるのだろうか。

 この苦しい胸の気持ちは、なんなのだろうか……。

 ガチャリ、と。
 扉が開いた。私は座り込んだまま扉の方へ視線だけ投げ掛ける。これがもしも杉原君で無かった場合、それはつまり私の死を意味する。どちらにしろ私の取り柄は瞳だけ。男性の体力に叶う筈はないのだ。もしも中で彼が殺されていて、今扉を開けているのがその彼を殺した存在ならば、私は命を差し出すしかない。せめてあがこうとは思うが、最後には諦めてしまうだろう。
 本当に、復讐などという決意を固めておきながら諦めの意を示すとは、私は弱い人間だと自分で自分を嘲笑してみる。
「杉原……クン?」
 見覚えのある顔が、ゆっくりと姿を現した。だが、私の瞳はその彼に対して強い警戒反応を見せる。その紅に染まる杉原君の姿を見て私は驚き、そしてすぐさまに立ち上がろうとする。
 だが、私が逃亡を図ろうとした瞬間に彼は両肩を痛いくらい思い切り掴むと、ドサリと私の身体を床に押し倒した。
「な、何……?」
「悪い」
 感情のない一言と共に、彼は光を失った目で私の瞳を覗き込むと、ぐっと顔を寄せてくる。必死に両手で彼の胸を押すのだが、男の力には勝てる気がしない。ゆっくりと迫ってくる彼に対し、せめてもの抵抗をしようと首を捻って顔を背けた。
 これは彼ではない。彼の容姿をしているが彼ではない。だが機械的な表情と声以外は紛れもなく杉原君なのだ。
「――守ってくれるんじゃ、なかったの?」
 もう抵抗するのも限界だと思った時、無意識のうちにそんな言葉が漏れ出た。
 その言葉に反応したのだろうか。ぴたり、と彼の動きが止まった。私はゆっくりと彼の顔を覗き込む。
「水、島……」
「杉原君なの……?」
 本当の彼である事を知るとともに、何故彼がこんな行動に出ているのかと聞こうと口を開くが、杉原君はその私の言葉を遮る。
「悪い、止められそうもないんだ……。そして、もしも君の記憶が戻ったら、注意してほしい事があるんだ……」
 記憶を、失う。とは一体何なのだろうか……?
「俺はこれから、君のその『瞳』を奪う事になる」
「――え?」
「そのショウ撃で君ハきっと、記オクニ障害を持ッてしまウかもしれ、ナいんだ……」
 だんだんと片言になってゆく彼の言葉が、痛々しく感じる。催眠、なのだろうかと疑問を浮かべながらも、私は続けて、と一言だけ呟き、自分はひたすら黙る。
「モシも、キミの記憶がモどる事があったなら、その後出会うだロウ俺にハ近づかないデホしい」
「……」
 申し訳なさそうな顔をしつつ、彼はそう言い放った。どうやら私がここで退場する事になるのは決定事項らしい。復讐すら叶わずに退場、というのはとても悔しいが、杉原君は確かに『記憶が戻ったら』と言っている。ならば、私がまたこの舞台に舞い戻れる可能性はあるのだろう。
 だが、そこに彼の姿はないという事も、同時にハッキリと理解した。
「頼メるカ?」
 私は、ゆっくりと頷いた。彼は安心したように表情を緩めた後、一言だけ呟き、そして彼の意識は奥へと消えていった。
 目の前でまた彼は光の無い目で私を見つめている。
――守れなくて、ごめんな。
 その言葉を聞いた瞬間、何故か私はこの心が感じていた靄のような物の正体に気がついた。一体何故その言葉がスイッチになったのかと疑問を感じてしまいたくなる答えだったが、結果オーライとしておこうと思う。
「……杉原君」
 杉原君はゆっくりと私へと顔を寄せていく。
 多分もうすぐなんらかの方法でこの深淵の瞳は奪われ、私は私じゃなくなるのだろう……。
「私、君のことが好きになっちゃったみたい」
 ならば、その前にこの言葉だけは言っておこうと思った。折角気づけた気持ちを、そのままにしておくのは勿体ないから。


「好きだよ。杉原君」


 そこで、“私”という電源が、ブツリと切られた。

 目を開く。意識が覚醒してから、前方煙草一本分もない距離に水島の顔があることにまず驚いた。
「俺、何が……」
 ゆっくりと上体を起こしてから僕は周囲を見渡し、そして凹から顔を出して左右を確認する。無機質な素材でできた廊下が広がる。
 人の気配は感じない。多分今この場所にいるのは僕と水島だけなのだろう。
――思い出せ、俺は何でここにいるのかを……。
 僕らの目的は、越戸要の救出。そして囮となったインフェルノを横目に僕らはこの扉の前まで来て、そして彼女を置いて僕一人部屋の中へと入っていった。そして僕はそこで誰かに出会って――
 そこからが思い出せないのだ。確かに僕はこの中で誰かと出会った。そして、何か行動を起こしてから意識を失った。
「……俺は“何”をここで見て“何”をしたんだ?」
 とにかく、すぐに彼の救出に向かわなくてはいけない。なんにせよここで意識を失っていたというのはかなりのタイムロスだ。
 僕はすぐさま立ち上がって、横で未だ倒れたままでいる水島の身体を揺する。がそれに反応する気配は全く以て無い。
「水島、水島……起きろよ水島?」
「――ん」
 何度かの呼びかけでやっと水島はその瞼を開いた。反応を示さない事に多少の焦りを感じたのだが、それもどうやら杞憂に終わったようでなによりだ。
「良かった、生きていて本当に良かった……」
 喜ぶと同時に、ふと水島の“異変”に気づいた。彼女は暫く呆けたまま僕の事を見つめ続けている。普段の彼女ならばすぐに状況を把握してから自ら次の行動に移ろうとする筈だ。ただ無言でこうやって呆けていることなど、今までなかった。
「み、水島?」
――ドクン。心臓が大きく一度脈動する。
 彼女は虚ろな表情のまま僕に視線を合わせて、そしてその小さな口を開き、僕に訪ねた。

「あなたは、誰?」

act.6-4

 さて、と。私はこの赤眼の青年を後部座席に招き入れた後、運転席に腰かける。バックミラーで後部座席を確認すると、先程より幾分か落ち着いた彼がこちらをじっと見ている。警戒いや、殺気ともとれる気配をさりげなく発している事に気がつくが、私はあえてそれを無視する事にする。
「動悸は収まったかい?」
「定期的なものだから、もうなんともない」
「そうか」
 彼が警戒を解いてくれる気配は全くない。自ら焼いたその傷口の治療を施したのは自分なのだが、そんな行為を見ても彼はどうやら私を完全に“味方”とは見ていないようだ。まあ、それはそれで正しいと言えば正しいのだが――。
「さて、色々と聞かせてもらえないか?」
「その前に、一つ聞いてもいいか?」
 彼は静かに言葉を切り出す。やれやれ、と私はポケットから煙草を取り出すとそれを口に咥え――
 刹那、ライターを使っていない筈なのにも関わらず煙草の先端に火が灯る。一瞬ギョッとしたが、先程の彼の人外な戦闘を目の当たりにした後だ。すぐに順応できてしまった。こういう事に慣れるのだけは早いというのも考えものだなと私は苦笑しつつ「ありがとう」と背後の彼に言う。
「有紀ちゃんは一時期、俺のいた警察署で事情聴取を受けた事があるんだ。一年前の有紀ちゃんを除いた家族が死亡した事件の時に」
 あの時はまさか彼女がこの学校へとやってくるとは思っていなかったものだ。そして偶然殺人事件に巻き込まれ、顔を合わせてしまうなんてことも予想外であった。
「杉原の方はな、生徒の飛び降り自殺の時に会った。それ以降色々な事件で顔を合わせていたから今じゃ顔見知りだ」
「警察、なんだよな?」
 私は頷く。その肯定の意に対し、彼はそうかと静かに呟くと残っている右手を口許へ持って行き、しばらく何かを考え込み始める。
「……君はway:のスパイ的な位置で彼ら二人をサポートしていたんだったかな?」
 無言のまま、彼は頷く。
「それで、何故今君は自ら危険を犯してまで対立をハッキリとしたものにしたんだ?」
「……越戸要の救出の為だ」
 嘘は通用しないと思ったのだろう。彼はまっすぐとこちらを見据え、そしてハッキリとした口調でそう言い放った。私が負い続けている殺人鬼、そして一年前の鏡合わせ事件の犯人だと思われる人物、越戸要――
 何故杉原、水島、そしてこの赤眼の彼があの殺人鬼を救おうとしているのか理解できないが、一つだけ把握できたことがあった。このまま越戸要をこのアジト内にいさせてしまえば、状況は非常に危険な展開を見せていくという事だ。
 だがそれを行おうとした赤眼の彼は負傷し、今現在戦闘さえままならない状態となっている。そして内部にいるであろう杉原と水島の両人は明らかに戦闘に秀でている人物ではないだろう。
「私が行ってこよう」
 一瞬赤目の彼は驚きの色を見せる。そこへだが、と私は付け加える。
「もしも私が先に越戸を連れてこれた場合、彼を逮捕させてもらう」
「……もしも杉原達が先に見つける事が出来ていた場合は?」
 私はふふ、と自分でも似合わないと分かる微笑を浮かべ、後方へと身体を捻った。
「君達の好きにすれば良い」
 その返答に、彼もまた違和感のある微笑みを薄らと浮かべた。

   ―――――

 誰もいない事を確認してから、ゆっくりと「welcome」と記載されたプレートのある扉へと足を踏み入れた。左手で水島の手をぎゅうと掴み、離れないようにそちらにも注意を払っておく。今の彼女ならふらりと歩きまわってしまいそうだから、僕はこの手を話すべきではないと思った。
 そこは机一つないとても簡素な造りの部屋だった。先ほど入ったときは暗闇でよく見えなかったが、今は電灯がしっかりと明かりを照らしている。僕は周囲を見渡し、そして壁にかかっている地図に目を向ける。
「この部屋の奥に……処刑場があるのか」
 これだけ簡素な造りの部屋と廊下のある場所の奥に、果たして一体どんな“処刑場”が設置されているのだろうかと僕は生唾をゴクリと飲み込む。腹は既にここに入る時決めた。もう突き進むしかないのだという事を僕は理解している。
「水島、行くよ」
 焦点の合わない視線で周囲を見回す彼女の手を引き部屋を出た。彼女を守りつつこの先へと行かなければいけないというのは大分至難の業だが、どうにかなる――
「――やあ、久方ぶりだね」
 不意に聞こえた声に、僕は硬直する。
「……」
 僕らがやってきた廊下の先で、二人の人物が不敵な笑みを浮かべて立ち臨んでいる。笹島と、断罪者だっただろうか。とにかく、今僕の目の先には快楽殺人者が二人、獲物を狙うような眼でこちらを見つめている。
 ふと、その時右の眼に違和感を感じたのだが、それよりも今は逃亡を選択すべきだ。
「くそっ!!」
 水島の手を強く握りしめてから僕は力強く処刑場である部屋へと駆け出す。背後からドス、ドス、という音が聞こえるが一般人の僕でも距離を話せる程の速度の差があることを確認し、急いで突き当りの部屋へと駆けこみ、ドアの鍵を捻る。
 少し息を落ち着かせながら背後に広がる風景を確認する。そして僕は眉をひそめて、目の前で横たわるその人物に目を向ける。
「Mr.suicide……」
 僕の声に反応し目を閉じていた彼はゆっくりと瞼を開くとこちらを見てにっこりと笑みを浮かべた。
「やあ、また会ってしまったね……。杉原君、沙希さん」
 その余裕を含んだ笑みに多少の苛立ちを感じつつも僕は無言で彼の身体の動きを封じている簡単なつくりの枷を次々と開いていく。
「何を?」
「俺達はあんたを助け出しに来たんだ。あんたが捕まると色々と面倒な状況になるってとある人物に言われたから……」
 越戸は少し呆けた表情をした後、申し訳なさそうに顔を沈める。
「そうか、すまない」
「まだ望みは叶ってないんだろ? そんな状態で死んだらそれこそ大損だ」
 全ての枷が外れると、越戸は手首をぐりぐりと回しながら立ち上がる。何か拷問の類でもされているのではと思っていたのだが、以外と外傷がないので多少驚いた。なら彼はこんな場所に何故監禁されていたのか。彼を殺人マシーンとして使用するつもりで拉致したのではなかったのだろうかと僕は首を傾げるが、とにかく今はこの扉の先に居るであろう二人の殺人鬼をどうするかを考えるべきだ。と思考をすぐさまに切り替える。
「……まぁ、計画を無事クリアすれば大丈夫……」
「何か、言ったか?」
 彼が何かを呟いたようだったので僕は問いかけてみたが、越戸は首を横に振った。独り言で、大した内容ではなかったのだろうか。
「それよりも、今の状況はどうなっているんだい?」
「ああ、この部屋の先で、殺人鬼二人が……!?」
 ブツリ。
 先ほどまで感じていた違和感が自分の脳に繋がった音がした。そしてそれと同時に、越戸の姿を縁取るように、赤い光が彼を包み込む。
「赤……?」
 その発言を聴いた越戸は、水島を一瞥すると、表情を強張らせて僕の肩を強く掴んだ。
「まさか……!?」
「眼の錯覚、ですかね……」
 越戸の迫るような勢いにたじろぎつつ、僕はこの違和感をハッキリと口に出した。

「あんたが、赤く見える」

   ―――――

 予想外過ぎた。まさかあの“瞳”が奴に自我を与えてしまうとは思ってもいなかった。まさにイレギュラーな出来事だ。そして御陵聡介の介入。これも予想外だった。本来ならばあそこでインフェルノを始末し、そして瞳を奪った後に二人を始末し、そして最後に越戸を処刑して全てが終わるはずだった。
 だが、瞳は結局僕の手には入らなかった。
 指に力を入れ、通信機のキーをガツガツと乱暴に打ち込んでから耳抑えつける。
『――なんだ?』
「イレギュラーが起き過ぎて正直驚いている」
 通信先の声が一瞬息を呑む。
「瞳の奪取失敗。御陵聡介の介入によりインフェルノの始末に失敗、ケルピーが重症。もう使い物にならない」
『まさか、彼の意識は君が容易に操れるようになっている筈だ。そういう“能力”なのだから!!』
 声を荒げている。だが僕は気にせず続ける。
「ダミーにも水島にも越戸にも逃げられるだろう。作戦は大失敗だ」
『……』
「だが、あれだけは回収した」
『それだけでも奪取できたのなら、問題はない。しかし御陵が動いたのは予想外だった』
 はぁ、とため息をひとつ吐き出す。
「御陵はお前の管理下に置いていた筈だろう? 水島、いや“木下”」
『すまない。越戸の時はなんとか制御したんだがな、あの男は行動力があり過ぎて困る』
 カツ、カツ、と足音を立てて僕は陽の光の下へと出る。反吐が出そうなほど平凡な風景が目の前に移る。
「……アイツを使う。同時に笹島に学校での杉原達の監視をさせよう」
『分かった。これ以上御陵が疎ましい行為に出るのなら俺の方で奴に釘を刺そう』
 よろしく頼むと言ってから通信機を切る。
 さて、とにかく欲しい物は手に入ったから、良いとしよう。これさえあれば裏切者達の妨害も関係なくなる。
「計画は始動した――」
 さて、始めようか。これからが本番だ。

   ―――――

「つまり、俺は何らかのイレギュラーが起きて、結果水島のこの瞳を奪ってしまったと……」
 越戸は黙ったまま、一度だけ頷いた。
 僕に瞳が移ってしまったことにより彼女の精神部分になんらかの影響を来し、結果彼女の人格が変わってしまったというのが、越戸の見解であるらしい。
「彼女が持っていた能力、これが一体どんな反応を見せるのかよく分からないが、今のところの君からの視界情報から考えるに、赤い色に包まれている人物が殺人を犯した人物なんだろう」
「他にも反応があるってことか……?」
「一概にないとは言えない」
 僕は右目に手を添える。彼女はこれを見て殺人鬼の有無を確認していたのだとしたら、僕はどう映っていたのだろうか。彼女が僕に対し殺人を犯すという予言をした時、僕はまだ人を一人も殺してはいなかった。
 ならば、多分この瞳は『殺す直前の人間』と『死ぬ前の人間』を見分ける事もできるのではないだろうか。彼女がそれを人助けに使おうとしなかったのは多分、彼女の中に『復讐』という二文字しか存在しなかったからだろう。
 なら、僕は何色に見えたのだろうか。
 彼女は『人を殺す』という言葉と『あなたが死んだ時、私も死んであげる』という言葉を残している。これは人を殺す可能性(既に殺してしまったわけだが)と僕が死ぬ可能性が含まれているのではないだろうか。
「……とにかく、まずはこの場をどう退けるか。それを考えよう」
「ああ、それなら安心すると良い。扉の向こうに奴らはいない」
 その彼の言葉に、僕は一瞬呆ける。
「どういう……?」
「彼等は欲しい物を既に手に入れた。今、アジトはもぬけの空の筈だ」
 そう言うと彼はゆっくりと鍵を捻ると扉を開け、廊下へと凛とした姿勢で出ていった。僕と水島も彼の後ろに着いて行って処刑場の部屋から足を踏み出し、目の前の光景を見る。


 先程までいた筈の殺人鬼二人の姿は消えていた。

38, 37

  

 静寂。
 それは、今この状況下で最も恐れるべき言葉だ。この殺人鬼の巣窟に静けさが訪れるという事は、彼らが私やあの赤眼の青年が来る事を予測してある程度の罠を張って待ち構えている可能性が高い。この迷宮に挑戦しているのは私、ただ待てばいいのは彼ら。圧倒的不利な状況が、既に出来上がってしまっている。それに残弾は数少ない。いくら拳銃という強力な武器を持っていたとしても、彼らの化け物じみた戦闘風景を見てしまってからはただの玩具としか思えなくなってしまう。これは本当に不思議だ。
 もしもここで先刻の大男と鉢合わせになってしまった場合、私の上体はいとも容易く吹き飛ばされ、痛みを感じる間もなく、何かを考える暇もなく死に伏すだろう。それ故に、慎重にならざるを得ない。
 ただの殺人狂の集まりだと思っていたら、火炎を自由自在に操る男に水を精製する女、とどめには銃弾を喰らっても首を傾げるだけの大男だ。way:にはまだ裏がある。その化け物を生み出すきっかけになった人物がどこかに必ずいる筈だ。そしてそれだけの力を持っているのだから、当然この組織の親玉かそれと同等の権威を持った人物だろう。
「組織ってのは大抵一番上の首を取ればどうにかなる筈なんだがな……」
 逆に頭を取る事でこの組織のメンバーは飛散し、各地で同時に事件を起こし始める可能性がある。まだ指令を出している人間がいた方が安全なのだ。それにある程度の行動の予測ができる。それに異能の者を生み出している存在を捕らえてからでないと、またそこから面倒な事になるだろう。
『一つ、教えておこうか』
 あの時、私がここに突入する前に赤眼の青年が言った言葉も脳内にこびりついている。
――この組織の目的は、テロ行為による虐殺。
 その後一体どんな方法で殺害を試みようとしているのかを問いかけても彼はただただ首を横に振るだけであった。
「テロ行為なんてさせてたまるか……」
 吐き捨てるように呟く。と同時に、こちらに向かってくる三つの足音を聴きとる。私は瞬時に曲がり角の影に身を滑り込ませてから拳銃のトリガーに指を添え、その足音がもっと距離を詰めるまで待ち続ける。
 ゆっくり。
 ゆっくりと。
 その足音はやってくる。
 そして――
 それが私の横を何の警戒もせずに通過していく。これは好機だと、私は物陰から飛び出し、そして三人組の背中に銃口を突き付けた。
「止まれ」
 焦らずにゆっくりと、覇気を込めて叫んだ。
 が、その三人組の後ろ姿は、どれも見覚えのあるものだった。
「御陵さん……ですか?」
 その三人組のうち一人、杉原修也は、ゆっくりとこちらに顔を向けると、黒く染まったその瞳でこちらを見つめていた。

act.6-5

 本当に予定外だった。回収できたのが越戸の所持していた装置だけ。しかも越戸は救出され、瞳とダミーも回収できず終い。誰一人として殺すことなく舞台を降りてしまった事が得に腹立たしい。本来ならば瞳も回収し、あの場にいた人間もインフェルノも始末をつけられた筈なのに、全く幹部にしてやったのにここまで役立たずとは。
 僕は悪態を着きながらワゴンの中から窓の外を眺める。平穏な街だ。本当に穏やかな時間の流れの中で人々が生活している。
「あの……」
 怯えた声が僕に向けて放たれた。その声の主はよく知っている。自分勝手に動き、しかも自らの弱点を曝し重度の火傷を負った人物。僕は振り返ると、君の悪い風貌をした黒髪の少女―ケルピー―をじっと睨みつける。
「今回はよくやってくれたね」
「え……?」
 ケルピーは僕の言葉に戸惑いの視線を向ける。褒めているとでも思っているのだろうか。だとしたら、本当に頭の悪い人間だ。いや、元々“欠陥品”だったか。僕はクスリと笑みを漏らしてから一番後ろに座っている人物に声をかける。
「爆弾魔―ボマー―、これからだっけ? あの依頼」
 後部座席の少女は可愛らしくニッコリと笑うと頷く。
 ケルピーは、その一言で全てを把握したようだった。彼女は眼を潤ませながら僕に向かって謝罪の言葉を喚き続ける。こういうところも鬱陶しいんだこいつは。僕は彼女の言葉の全てを右から左へと流し、そして言葉を続ける。
「こいつも、お前のゲームに参加させてやってくれ」
「喜んで。裏切り者ではあったけど、男の中では結構好きだったのよ、インフェルノ君。だから、私が目をつけてた子をキズモノにしたってことで、あなただけ難易度を高くしておいてあげる」
 ケルピーが表情に絶望の色を浮かばせる。その顔だけは素敵じゃないか。と思ったが、言葉にはしないで胸にしまっておこう。
 ああそうだ、と僕は爆弾魔の隣にいる彼に声をかける。
「準備はできてる?」
 彼は頷いた。良い子だ、と僕は笑みを浮かべてから、再び窓の外を覗きこむ。

 相変わらず、外は平穏そのものだった。

   ―――――

「そうか、奴らは全員逃亡したのか」
「ええ」
 私の問いかけに対し杉原は頷いた。
「それで、何故こいつは捕らえられておきながら生き延びたんだ?」
「……」
 杉原はぎゅうと黙り込む。どうやら組織の人間が突然消え去ったことすら彼には予想外の出来事であったようだ。
 そんな彼の肩に手をやると、私が嫌悪の視線を送っている男、越戸要は穏やかな表情を浮かべながら口を開き、静寂を横に薙いだ。
「僕の所持していた珠が彼らの狙いだったんです」
 そう言うと彼は自らの両手を見つめてから、その手で傍らにある雑草に触れた。
 瞬間、触れられた雑草はあっという間に生気を失い、鮮やかな緑から浅黒い緑へと変色していき、やがてそれはほろりと砕け散ると風に乗って散ってしまった。彼はその次に少し奥にある枯れかけの花に手を当て、静かに目を閉じる。テレビアニメ等でよく見る魔法とか言う類を使った際の発光などはしていない。だが、ゆっくりと、じわりじわりとその枯れかけの花は生気を取り戻していき、最終的には自らの力で茎を支えられる程の状態まで回復してしまった。
「生命力を吸い取ったり、送ることのできる力。これが、今までの被害者を無傷で救……殺した能力です」
 正直、信じられないという気持で心が埋まった。今度は生命力を奪う能力が出てきてしまった。一体今この事件は、どれだけ人間離れした存在が舞台に立っているのだろうか。 
 確かに、今目の前で見せられたことが真実ならば、今までの被害者の死因も全て合致するのは確かだ。人体に影響を与えずに生命だけを吸い取り生体機能を停止させる。手品のような、現実味のない殺害方法だが、実際に目で見てしまったのだから信じざるを得ない。
 そして同時に彼は私に、能力を使用して殺害した場合のデメリットを、またも実物を見せて細かく説明する。彼がどうしてここまで詳しく説明しているのか、正直私は理解ができないが、とにかくじっと黙り、その彼の何かの籠った瞳を見つめながら、その言葉の一つ一つを丁寧に脳にインプットしていった。
「……これが、僕が施し屋、またはMr.suicideと呼ばれる所以です」
 全てを説明し終えた彼は、名前の刻まれた上体の上にシャツを羽織ってから、一息つくと私をじいと見つめ続ける。
「それで、水島有紀、いや沙希……だったか。彼女がこの状態になっているのは何故なんだ?」
 一息ついた彼に向けて私はそう問いかける。今ここにいる彼女は明らかに今までとは違っている。性格、言動、表情、彼女の背負っている雰囲気、その全てが彼女ではなくなっているのだ。この変化は一体越戸のその珠となんの関係があるのか。それをもっと詳しく聴いておきたかった。
 彼は視線を彼女に向けた後、次に杉原と視線を投げ掛ける。その越戸のコンタクトに対し杉原は一度だけ頷くと、自らの瞳を指さす。
「彼女にも、特異な能力があったのをご存知ですか?」
 私は一瞬その発言に驚きの声をあげようとしたが、なんとか押し留まって、歯を食いしばったままゆっくりと一度だけ首を横に振った。
「俺は以前から知っていたんですけど、彼女の瞳は『死を背負った人間』と『殺人を犯した人間』が見えるものでした。彼女は僕が人を殺してしまう事も予言していましたし、多分ネクロフィリアや須川の時も犯人を特定していたと思います」
「じゃあ、何故それを君や私達に伝えようとしなかった?」
「今この状況でなら僕達はきっと信じていただろうけれども……」
 なるほど、と彼の言いたい事を大体把握する。
 確かにあの時に彼女が「犯人はこいつだ」と言ったとしてもそこに証拠は存在しないし、この瞳は殺人鬼を移せるものだと言われても失笑されてそれで終わりだろう。その為彼女は事件を起こして現場を押さえなければ捕まえる事ができなかった。だが所詮は女子高校生の力だ。そんなか弱い少女にはいすいませんでしたと捕まる馬鹿はいない。
 その為に彼女はあの赤眼の青年や、杉原、そして越戸を味方につけて殺人集団に挑む事を考えたのだろう。
 全く、こんな小さな少女がここまでやるとは……。危険に飛びこむその姿勢に対して本来は叱ってやるべきなのだろうが、その前に、敬意という言葉が立ちはだかり、そして私はその敬意という言葉をそのまま受け入れる。
「全く、大した子だな……」
「彼女の言う復讐ってのが、なんなのか全く分からないですけど、それでもこの執念は、本物だと思います……」
 杉原は俯いてそう呟いた。ここまで話してくれたのだから、私も打ち明けるべきなのだろうと、彼の表情を見てから、そう思った。
「彼女の家族は彼女を除いた全員で心中したんだがな……」
 彼の眼の色が一瞬にして変わったのに気づいたが、私は気にせずに続ける。
「その時、彼女の父は創設したてのway:に殺人兵器の開発を迫られていたらしい。彼女の父親は当時無名ながらも、優秀な活躍を見せていた天才だった。あと数年すれば、時の人としてあがめられる存在、いやそれ以上だったかもしれない……」
「……」
「“家族を人質に取られて大量の死をまき散らすのならば、私は自らに終止符を打つ”」
 冷たい風が、私と杉原との間を流れてゆく。ざあざあと草木のざわめきが気味悪く響く。
「それに家族は賛同し、そして全員で命を断つ事を決意したそうだ」
「どこからその情報を……?」
 ああ、と私はゆっくりと彼を見つめる。
「俺の唯一信じられる部下にな。秘密裏に動いて探し回ってもらった。これなら、彼女がway:に強い復讐心を持っても仕方ないと思う。まぁ何故一家心中した筈の妹の方が生きているのかまでは知らないがな」
 さて、話が逸れたな、と私は話題の路線を再び“何故彼女がこうなっているのか”という方向へと移す事にし、この話に区切りをつける。杉原を見ると、彼は再び自らの瞳を指さした。
「俺に、その彼女の持っていた瞳がなんらかの理由で移った事で、彼女の精神に、異常を来した……としか言えない」
「とすると、今はその異質な能力を君が持っているのか……」
 彼は頷く。どうしてその能力が水島沙希から杉原へと移ったのかまでは語ってくれないようだ。いや、語れないのかもしれないという考え方もあるかもしれない。まあそれについてを難しく考えると最早私では解決できそうにないので、とりあえず「彼が瞳を手にした事で彼女の記憶が消え、人格も変化した」ということだけを把握しておくことにしよう。
 さて、ある程度状況が分かったところで、私は再度越戸に視線を移動させる。
「越戸要、何故お前は私に自らの秘密をさらけ出した? 私はお前を追っている側の人間だぞ?」
 私の問いかけに対し、彼は一拍置いてから言葉を吐き出す。
「あなたは僕らと同じく、way:とあいまみえることのできる存在だと判断したから」
「……?」
 越戸は首を傾げる私に構わずに、言葉を放ち続ける。
「やり方は違えど、僕も杉原君も、貴方も組織を潰す事を目的としている」
「……どういう、ことだ?」
 越戸は今、確かに「僕も」という、まるで自身もway:の存在に対して敵意を示しているかのような発言をした。だが、彼も殺人鬼という時点ではway:と何も変わらないではないか。一体生命を奪い続けて彼は何をしようとしているのか、今私にはその方が疑問であった。
 越戸は自らの拳を見つめている。
「塾生との約束は、彼らがあの珠を使用した時に果たされる……」
「それで、珠っていうのは一体なんなんだ?」
 杉原が割って入るように、問いかけを彼に投げつける。
「君は、水島沙希が黒い玉を持っているのを見たことはないかい?」
「あぁ、一度だけ……」
「あれは、僕らに能力を発現させた覚醒装置なんだよ……」

―――――

 あの時見たあの黒いビー玉。あれがこの瞳や越戸の能力が発現した原因……。この事件の根幹に関わっている存在がこんなに、こんなに近くにいたとは思わなかった。
「それで、あんたのその能力を発現したことで、一体何が起こるんだ?」
 僕の問いかけに対し、越戸は首を横に振って「言えない」と呟く。なぜ言えないのかと食ってかかろうと思ったが、流石に大人気ないので拳を強く握り自らを抑える。
 だが、あれを一番求めたという事は、彼らは生命力を奪い取る能力さえあれば大規模なテロ行為が可能だと踏んでいるのだろう。瞳の珠はもう必要性がないと、そういうことなのだろう。そのくらいの予想はすることができる。
「ただ、彼らの計画を止める事と僕の行動は対極にあるとだけ言っておく」
「……」
 御陵さんは黙り込んだまま、越戸を見つめている。未だに彼の言う「約束」が明かされていない今、越戸を逮捕されるのは正直辛いものがある。越戸の今現在の連続殺人が最終的にこれから先起こるであろう大事件を引きとめられるのならば、ここは彼を全力で逃がす事をすべきだと思う。
「御陵さんは、越戸を逮捕……するのか?」
 僕がそうまじまじと御陵さんを見つめながら問いかけると、彼は微笑みを浮かべながらゆっくりと首を横に振る。
「赤眼の青年と一つ賭けのような事をしてな、俺は負けたんだ。まあ割に合わない賭けだったのは元から分かっていたし、もしかしたら私はこの結果を望んでいたのかもしてない」
 と彼は言うと背を向け深く息を吐き出す。
「行け、お前の考えているその計画とやらを果たしてもらわないと、大勢人が死ぬのだからな」
 御陵はそこに「だが」と一言付け加える。
「もしも奴らのテロ計画が成功してしまった場合、私はどこまでもお前を追いかけて、俺自身の手でお前を殺してやる」
「そんな事にはならないようにします。一年前から決めていたことですから、失敗なんてさせません」
 越戸は凛とした瞳で御陵を見据えてから、胸を張ってハッキリとそう言い放つ。御陵は満足げに彼に笑みを浮かべ、そして越戸は軽く会釈を行った後僕へと視線を移した。
「……なんだ?」
「一つ、忠告しておこうと思う」
 彼は色のない表情を浮かべたまま僕の両肩を掴み、耳許で小さく囁いた。
――ここから、君は全てを敵と思って行動するべきだ。僕も、御陵さんもね……。
 そう言うと彼は僕に背を向け、そして硬直する僕を尻目にこの場を去っていった。彼の後姿を見つめながら、ドクンと強く鼓動音を放つ心臓を手で抑える。
 全てを敵と思って行動しろ、というのは一体どういうことなのだろうか、その言葉の真意が全く受け取れない。だが、それを聞く前に越戸は去ってしまった。だが聞くべきではないという事も分かっている。自分で考えて、そしてこの言葉の真意を探し出せなければ、僕はこの地獄で生き残れないだろう。
「誰も信じるな……か……」
 彼という存在は、この先も僕の心の中に居座り続けるのだろう。そして、分岐点に辿り着くと必ず現れ、僕を悩ませる存在となる。きっと、そうなる。
 水島をふと見てみる。彼女は僕の視線に対して、可愛らしく笑みを浮かべてから首をくりんと傾げた。僕が気を失っている間に、一体何が起こったのか、今となってはもう知る事は出来ない。

 不意に、御陵のポケットから味気ない着信音とバイブ音が響く。御陵は携帯を手に取ると耳に当て、誰かと会話を始める。
「――誰だ、お前は?」
 その戸惑いの色の混ざった声に僕はすぐさま反応し、彼の下へと駆け寄った。が御陵は僕に残った左手で制止するようにといった意味合いのジェスチャーを送ってから、携帯の音量を全開にまで引き上げた。
『コンニチワ御陵聡介、杉原修也、越戸要』
 ボイスチェンジャーで変えられた声。
 御陵はこちらを見つめている。僕はその視線に対し、頷きで返答した。
「お前が、この馬鹿げた殺人集団を作り上げた気違いか……」
『ソウデス。キチガイデ愉快ナ集団ヲ私ガ作リ上ゲマシタ』
「越戸要の所有していた珠を使って何をするつもりだ?」
『アララ、彼ハソコマデ話シタノデスカ』
「質問に答えろ!!」
 感情に溢れた御陵の怒声が響く。だが、携帯から帰ってきた返答に、僕と御陵は凍りつく。
『御陵遼、結城翔――』
「お、お前まさか……」
『ソロソロ貴方達ニハ大人シクシテモライタインデスヨ……私達トシテハネ』
 人質を取られた。それも全くノーマークだった二人が。
「結城と御陵は関係ないだろ!!」
 思わず僕は叫んでしまった。だが、そんなこと彼らには関係ないってことくらい、ちゃんと分かっている。彼等はあくまで「僕と御陵が動けなくなる人物を人質として取った」だけなのだ。卑劣だが、それでも僕等にとっては十分過ぎる攻撃なのだ。
『ナニカアレバ、イツデモ私タチは容赦ナク行為ニ移セル事ヲ覚エテオクトイイ』
 そう言って、携帯はブツリと切られた。
 放心状態になった僕と御陵はじっとその場に立ち尽くす。
 静寂。
 静寂。
 静寂。

――静寂。

   ―――――

 沈黙の空気が流れ続けているこの状況を何か変えなくては。私は脳内で何か話題はないものかと探すのだが、見つかる気配はない。
「……」
「あ、あの……」
 驟雨と呼ばれていた女性は、声に対して視線で返事を返してくる。ああ、できれば声で返してくれれば何か話題を作れるかもしれないのにと私の言葉が喉元で詰まる。
「驟雨、さん……もやっぱり人を沢山殺してきたのですか?」
 何故、その問いかけをしたのかは分からなかったが、ふと出てきた疑問がそれだった。彼女は杉原君や水島さんの追いかけている組織の幹部だったと聞いた。それならば人を殺しているなんてことすぐに分かるのだが、それでも彼女の口から聞いてみたいと思った。
 驟雨さんは少しだけ、視線を上にあげて考えた後、口を開いた。
「ええ、殺したわ。大勢ね……」
 透き通るような声が、私の耳を通過していく。なぜだろうか、ひどく恐ろしい発言である筈なのに、彼女が言葉にするととても美しく感じてしまう。
「殺す事で全て解消できると思っていたから……」
「じゃあ、なんで裏切ろうと思ったのですか?」
 驟雨さんは視線を外し、窓の外、遠くを見つめる。
「止めたい人がいるから……」
 その瞳が、とても儚く、切ない色をしていると、私は思った。

―――――

『――そう、にわかに信じがたいけど、そんな事が私と結城君の裏で起こってたのね』
 今までの出来事を全てを説明しても、彼女はいたって冷静に反応を返してくる。どうやら連れ去られたというわけではないらしい。監視されているか、二人に一人づつ殺人鬼をつけ、命令一つで殺せるようにしているのかもしれない。
 僕は、ひとつの疑問を彼女に告げる。
「結城も、そこにいるのか?」
『……』
 沈黙のあと連絡が取れない。という言葉が返ってきた。自由に行動する事を許されているのはどうやら御陵のみらしい。
「そうか……分かった」
『あぁ、杉原君、切る前にお父さんに伝えてほしいことを言っておくわ――』

 御陵さんはぼうっとしていた。全てが抜け落ちたかのように落ち込んでしまっている。
「御陵さん」
 その危うく揺れる背中に、僕は声をかけた。彼はすぐに顔をこちらに向けてくれた。
「娘さんからあなたに、伝えてほしいという言葉をもらいました……」
「……なんだ?」
 一瞬躊躇った後、僕は姿勢を正し、ハッキリとした口調でそのメッセージを口にする。
「“仕事、頑張って”」
 その言葉に、御陵は眼を見開いた後、フフ、と笑みを漏らし、そして同時に目から涙を流す。
「全く以て残酷な伝言だな……」
 僕はひたすらに口をつぐみ続ける。ここで何か慰めの言葉を捻りだしてはいけない。何故かはわからないけれども、そう思ったのだ。
「杉原君、行こうか」
「……」
「娘に仕事しろと言われちゃ仕方がない。ちゃんと終わらせないと娘の前に顔は出せないな」
 彼は潤んだ瞳を拭いつつそう言うと、右の拳で左の掌を思い切り叩いてから吠える。
「ぶっ潰すぞ」
「はい!!」
 僕は強く頷く。
 刹那、僕等の入ってきた方から大量の警官とカメラがやってくる。僕は思わず身構えるが、御陵は少し驚いた声を放つ。
「先輩!!」
「木下か……」
 ありったけの人員を連れてきました。と彼は得意げに行って見せる。何故ここが分かったかと彼は非常に疑問の色を浮かべていた。だが、とりあえずこれでこのアジトを調べてもらえる。ある程度の事は分かるだろう。少し安堵した自分がいた。
「君!! ちょっといいかな!?」
 ふと、カメラを持った人間がこちらにやってくる。
「○○ニュースの報道者なんだけど、ちょっと話聞かせてもらっていいかな?」
 御陵が何も言うなという視線を送っているが、僕はそれを無視して一度頷く。報道陣がわっと押し寄せ、マイクをこちらに向けてくる。
 ふと思ったのだ。これは、奴らの組織があえて情報をリークさせてここに集めたのではないかと。ここであえて敗北宣言をさせようとしているのではないかと……。その為に人質をとったという連絡をよこした。
 ならば、僕はハッキリと言ってやろうと思った。
「こちら現場です。先日に捕まった連続殺人犯達の所属する組織の隠れ家が発見されました。」
「現在連絡を受けた警察が捜索中。また、そこで高校生の少年少女が二人無断でここに侵入していたようです」
 フラッシュがまぶしいが、それでも気にせずに視界をフルに活用し続ける。きっと視力が落ちるだろうなとぼんやりと考える。
 不意に、マイクが向けられた。
「今回、無事に命を落とさずに生きて帰れたわけですが、何か思うところはありましたか?」
 僕は、ゆっくりとマイクを取り、カメラに目を向ける。
「多分どこかで見ているあんたらに一つだけ言っておく」
 周囲がどよめいている。だが僕は止まらない。もう止まるつもりはない。
「敗北宣言なんてするつもりはない。脅しにも屈しない」

――お前らの組織、完璧に俺達が叩き潰してやる。

 この生放送以降、僕のこの発言が世に出回る事はなかった。だが、見ている人はいるもので、周囲で僕の発言に対する噂がささやかれることとなった。
 何故この発言を規制しようとしたのか、全く意図はつかめないが、一つだけ分かった事がある。
 放送局に圧力をかけられるだけの存在がいる。

―――――
 まあ聞く耳持たないとは思っていたが、ここまでハッキリと宣言されてしまうとは思わなかった。
『やはり殺しておくべきだったかもな』
「いいや」
 僕は否定の意を送る。彼はどうしてだと疑問を投げかけてくる。
 そんな事決まっているじゃないか。僕は楽しげに笑みを浮かべながら受話器の向こうの相手に語りかける。
「楽しいことになってきたと思わないか? 僕が望んでいたのはこういう刺激なんだよ」
 そう、こういう刺激が欲しかったから僕はこうやって彼の計画に参加したのだ。自由気ままにやりたい事を起こして、快楽に身をゆだねることは本当に素晴らしい。
「さあ、僕達も彼らを全力で潰しにかかろうか」
『まあこの状況を楽しんでるのは良い。だが、あのダミーだけは回収させてもらうぞ』
「ご自由に。敵対宣言をしたのは彼だけど、正直彼は死んでくれた方が僕にとっても都合がいい」
『そのためのダミーだからな』
「ああ」
 そう言って、通信は切れた。まあダミーがいなくても消息不明のインフェルノ、驟雨、越戸要、御陵聡介、ああそれと水島沙希。
 十分過ぎる。
「やっぱこうでなくちゃやる気が起きない」
 僕はドクンと脈打つ鼓動に心地よさを感じる。これは果たして恐怖なのか、それとも……。


Act.6「way:」
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硬質アルマイト 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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