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番外編その2

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【本編とは関係がないお話】

福島係長、通称「窓際3号」氏は、陽当たりのよい窓辺の椅子にもたれ、パソコンのディスプレイを眺めていた。他の従業員がせわしなく電話接客に追われる平日の午前中、彼に課せられた唯一の業務は、Yahoo! Japanの最新ニューストピックスをくまなく閲覧することだ。あわただしいフロアの片隅で、彼の周囲にだけは、穏やかな時が流れている。深山幽谷で碁を打つ仙人のように、悠然としたたたずまいであった。一流の給料泥棒は、かくありたいものだ。

「そろそろ説明会を始めますので、会議室に集まってくださーい」
事務方の社員が、フロア全体に号令をかけた。窓際3号氏はディスプレイから顔を上げ、数日前に部署内全員へ配信されたメールを思い出した。

今日の午前11時から2時間ほどかけて、『社内情報セキュリティ説明会』を開催するという通達が出ていたのである。この説明会のために、わざわざITセキュリティ専門会社の講師を招き、スピーチを依頼したらしい。案外、その会社の営業にあることないこと吹き込まれて、まんまと説明会の開催に到っただけかも知れない。何しろ、窓際3号氏が業務用PCを勝手にカスタマイズしようが、怪しげなソフトをインストールしようが、ファイル共有ソフトを堂々と立ちあげていようが、一切お咎めのない当社である。IT化の波に乗り遅れること10年、丘サーファーを卒業するのは、そうたやすくは無いと思われる。

フロアに在席する社員たちが、ぼちぼちと会議室へ向かい出したので、窓際3号氏もその流れに加わることにした。説明会には興味は無いが、これを契機として、ファイル共有ソフトの使用禁止令が出ないとも限らない。命令だけならまだしも、通信をブロックする措置まで講じられた場合、為すすべなく、暇つぶしの手段が一つ減ってしまうのだ。彼にとっては、由々しき事態と言えないこともない。状況の推移を見守るためにも、粛々として、会議室へ足を運ぶのだった。

会議室に入ると、すでに座席の半分以上が埋まっていた。普段は車座に並んでいる机と椅子が、上座のひな壇に向けて一方向に並び替えられている。大学の小教室を思わせる雰囲気である。窓際3号氏は、入り口近く、最後列の空席に腰かけた。しばらく待つと、今回の会議の発案者、藤原部長が、鼻息荒くひな壇に上がった。50代後半にして精力絶倫、ゴルフ焼けした褐色の肌は松崎しげるとほぼ同じRGB値という噂だ。

「ウェッヘン、オホン、アー、アー。ではそろそろ始めるとしようか。全員集合したかな?本日の説明会は非常に重要なんだから、聞き逃してもらっては困るよ。ITの道は一日にして成らずと言うてな・・なに?欠席者が数名?困るなあ。えーと、経理課の増田くんもいないようだが・・ほう、急な所用で外出?どんな用事だね?真昼間からデートじゃあるまいな?いやいや、別に増田くんのプライバシーを探ろうとしとるわけじゃないぞ。決して若い娘に興味があるとか、イヤラシイ意味は全然ない。増田くんは真面目な子だからね、心配しとるんだよ。親心。娘のようなもんだ。娘とのスキンシップを図りたいのが親心。そうだ、今度の社員旅行は伊豆か熱海の温泉がいいんじゃないか?混浴風呂で肌と肌を触れ合って、心ゆくまで上司と部下が語り合う。オツじゃないか。旅情、湯けむり、長い夜。しっぽり濡れる白い肌。いやいや、イヤラシイ気持ちは微塵もないよ。親心。仏心。夜のとばりがおりる頃、観音菩薩がご開帳。・・え?いや、きみは娘というほどの年齢でもないから、社員旅行は無理に参加しなくてもいいんだが・・」

四十路を越えたお局社員に問い詰められて、一旦は言葉を濁らせた藤原部長であったが、すぐに気を取り直し、本題に戻った。

「アー、では早速、スピーチに移ろう。今日はね、ITのセキュリティに詳しい方をお呼びしているから、皆、心して聞くように」
藤原部長がいそいそとひな壇を降りる。入れ替わりに、ブランド物スーツに身をつつんだ、20代後半の男性がひな壇に上がった。薄型ノートパソコンを小脇に抱えている。

彫りの深い顔立ちは、平井堅をほうふつとさせるイケメンであった。先ほどまで退屈そうに手元の携帯電話をいじくっていた女性陣が、いっせいに顔を上げた。普段の業務ではお目にかかることのない媚を含んだ眼差しが、一斉に壇上へ注がれる。その瞳の奥にうごめくのは、久々の獲物に舌なめずりするサバンナのハイエナだ。喰うか喰われるか。喰われるフリして喰うか。野生動物たちの声なき咆哮。この様子をビデオ撮影してTBSに持ち込めば、「どうぶつ奇想天外!」で放映してもらえるかも知れない。

ひな壇の上のイケメンは、熱い視線に気負うことなく、慣れた手つきでマイクの角度を調節すると、おもむろに口を開いた。

「初めまして、マイクロソニー株式会社の古賀と申します。弊社はITセキュリティに関する調査・研究と、セキュリティ関連製品の開発・販売を行っております。本日は、企業における情報セキュリティの重要性につきまして、実例を交えながらご説明させていただきたいと思います。さて・・」

さっそく話を進めようとする古賀氏だったが、藤原部長が横から口を挟んだ。

「マイクロソニーさんはね、東証マザーズにこの間上場したIT業界の風雲児なんだよ。皆、もっと勉強しときなさい。ポカーンとした顔をして。君たちは新聞も読んでないのか?呆れたな。ビジネスマンなら新聞ぐらい読みなさい。なに?ワシは毎日読んどるよ。そうそう、ニッケイ。ニッケイを読んどるよ。ニッケイをね、読んどる。ニッケイというか、むしろ、中日スポーツを読んどる。そんな話はどうでもいいんだ。馬鹿者。ええと、マイクロソニーさんは・・え?上場したのはマザーズじゃなくてヘラクレス?ああ、そうですか。カブトムシみたいな名前ですな。・・まあ、なんというか、あれですな。我が社を薩摩藩の藩主、島津斉彬に喩えるとするならば、マイクロソニーさんはさしづめ、斉彬の養女に抜擢された篤姫といったところですかな。ワハハハハ」

NHKの大河ドラマで得たばかりの知識を披露しつつ、藤原部長は「してやったり」の笑顔を浮かべた。部長の取り巻きを自認する幹部候補生たちも「これは上手い喩えだ」とか「部長は高橋秀樹に似てますよね」などと囃し立て、お追従笑いに余念がない。壇上の古賀氏は、この難しい空気にとまどいながらも、頑張って微笑みを浮かべるのだった。

場が落ち着くのを待ち、古賀氏は話を続けた。企業における情報セキュリティのあらましを、懇切丁寧に述べていく。会議室に集った全員が、その説明に熱心に耳を傾けた。ほどよい緊張感の中、説明会は進行していくのだった。

前置きを一通り話し終えた古賀氏は、「では、パソコンを使って実演してみたいと思います」と断って、ノートパソコンを映写機に接続した。映写機の電源を入れると、会議室の白い壁面に、パソコンのデスクトップ映像が大写しに投影された。

「皆さまもニュースなどでお耳にしたことがあると思いますが、Winnyというファイル共有ソフトがあります。これがどういうものか、今から実際に動かしてみたいと思います」

古賀氏はデスクトップ上の「Winny」というショートカット・アイコンをダブルクリックした。Winnyが起動すると、検索フィールドに「日本」「映画」という二語を入力して、エンターキーを押す。邦画のタイトルが一覧になって、画面に表示された。

「このようにファイル共有ソフトを使えば、映画などのファイルを簡単に検索する事ができます。一見便利ですが、これらのファイルは著作者の同意なく複製されており、著作権の観点から社会問題となっています。また、セキュリティの観点からは、こうした映画などに偽装して、コンピュータウィルスが流通している点が問題です。映画と思ってダウンロードしたファイルが、実はウィルスで、パソコン内の個人情報をインターネットへ流出させてしまうのです。自業自得といえばそれまでですが、社内のパソコンでこのような事故が起きますと、企業情報がインターネットに流出するという大問題になってしまう訳です・・」

熱のこもった古賀氏の説明に、会議室の一同が耳を傾けている。いつも騒々しい藤原部長も、今ばかりは眉根に皺を寄せて、Winnyの実演をおごそかに見守っているのだった。

一方、壇上でスピーチを続ける古賀氏は、説明会の進行状況を確認しながら、先の見通しを大まかに立てていた。このままWinnyの説明を終え、情報漏洩対策について概説した後、質疑応答を行なう。ついでに自社製品のPRでも出来れば言うこと無し・・。

見通しにメドのついた古賀氏は、とりあえずWinnyの実演を終わらせるべく、ソフトの右上の×マークをクリックしようとした。その時、ずっとしかめっ面で話を聞いていた藤原部長が、口を開いた。

「アー、ちょっといいかな?」
「あ、はい」
「どうせなら、実際に何かダウンロードするところまで見せてもらえると、もっとよく分かると思うんだが」

古賀氏が思わず「えっ?」と聞き返すと、藤原部長が続けた。

「私はね、何事も最後まで自分の目で確かめなければ、気が済まないタチなんだ。中途半端は一番よくないね。スッキリしない。見せるならとことん見せてもらいたい。そういうこと。見えそうで見えないとか、脱ぎそうで脱がないとか、そういうのが一番困るんだ。おママゴトじゃあるまいし、私は承知しないよ。ここまで来ておいて、それはない。最後まで脱ぐ気がないならね、最初から脱ぐなと言いたい。散々期待させといて、肝心な部分だけはテコでも脱がないというのが、一番けしからん。どういうことだ。1枚脱がせるのに1万円も要求するなど、とんでもない話だ。最近の中学生は、本当に怖い。・・いや、それはいいとして、なんだ、ほら、ソフトタッチだけで3万という相場がもう、言語道断、怒り心頭。日本はどうなってるんだ。もっと金を持っていけばよかった。・・いや、そういう話ではなくて、ブツブツ・・」

途中から何の話だか分からなくなったが、藤原部長はツバを飛ばして力説した。取り巻きの幹部候補生たちも、頭の上に?マークを浮かべながらも、大袈裟に頷いたりしている。
壇上の古賀氏は、困惑した表情で口を開いた。

「えー・・ダウンロードまで行ないたいのはヤマヤマですが、映画ファイルはサイズが大きいので、ダウンロードが終わるまでに何時間もかかってしまいますし・・」
「もっとサイズが小さくて、すぐダウンロードできるものは無いのかね?」
「画像ファイルであれば・・しかし接続先の速度にもよりますし・・」
「ブツブツ言っとらんで、まずは試してくれたまえ。あっ、そうだ。折角だから、ウィルスに感染して流出したファイルが見てみたいな。ほら、さっきの検索語を入れるところに『流出』とか入れたら、たくさん引っ掛かるんじゃないか?」

言いたい放題の藤原部長に指図されるまま、古賀氏は検索フィールドに「流出」と入力した。

すると案の定、検索結果の一覧に、裏流出したアダルトビデオのファイル名が、すごい勢いで羅列された。卑猥なファイル名が会議室の壁に大きく映し出され、女子社員たちの目に嫌悪と侮蔑の色が滲んだ。古賀氏は嫌な汗を額に浮かべるのだった。

しかし、藤原部長はいたって気にする様子もなく「ほう」とか「なるほどね」とか興味津々に呟き、舐めまわすようにアダルトビデオのファイル名を一つ一つ確認していく。そして一通り確認し終えると、あらためて古賀氏に問い掛けた。
「で、どのファイルがウィルスで流出したものなのかな?」
「えーと・・多分、これ辺りでしょうか。サイズも小さいですし、ダウンロードするには手ごろかと思われます・・」

脂汗を浮かべる古賀氏が、マウスポインタで指し示したのは、検索結果の上の方に表示されている、
『【キンタマ】【つこうた】【流出】hachi.zip』
という名称のファイルであった。
サイズは200キロバイトほどである。

その時、「あっ!」という悲鳴が、傍聴席の片隅で洩れた。衆目が一斉にそちらへ集まる。
「ん?どうした?いま声を上げたのは誰だ?」
藤原部長が問いただすと、声の主が恐る恐る挙手した。30代の男性社員であった。

「えーと、キミは確か」
「営業1課の蜂須賀です・・」
「そうか、ハチスカくんだったな。で、どうしたんだ?大声を上げて。何かあったのか?」
「いえ、すみません。何でもありません・・」
「ふむ、説明会の最中なんだから、静かにしたまえ。キミは確か営業1課の主任だったと思うが、こういう場には、もう少し主任らしい態度で臨んでもらいたいものだな」

藤原部長にたしなめられて、蜂須賀主任は黙って挙手を降ろした。なんだか青白い顔色で、「きっと違う・・違うに決まってる・・」と独り言をブツブツ呟いている。藤原部長はそのことをさして気に留めず、壇上に向き直った。

「では、ダウンロードしてくれたまえ」
「はい・・」

古賀氏が『【キンタマ】【つこうた】【流出】hachi.zip』をダウンロード対象にセットする。即座に通信先につながり、ダウンロードが開始された。接続先の回線容量が太いのか、5分も経たずにダウンロードは完了した。それを確認した古賀氏は、ホッと安堵の笑顔を浮かべ、顔を上げた。

「はい、いま見ていただきましたように、接続先へつながりますと、後は自動的にダウンロードが開始されるわけです。ファイルを入手するのが非常に簡単であることを、皆様、ご理解いただけましたでしょうか?では、Winnyの説明はこの辺りで終えまして、次に・・」
「ちょっと待ちたまえ」

話を先に進めようとする古賀氏を遮って、また藤原部長が口を挟んだ。

「まだ、ダウンロードしたファイルの中身を確認していないだろう?私は最後までと言ったはずだよ?聞いていなかったのかね?最近の若者は、すぐに終わらせたがるから困る。自分さえ満足すればそれでいいという発想だ。さっさと終わらせて、金だけ払わせようという卑しい性根。まるで金の亡者。ソフトタッチだけで3万。呆れてモノも言えん。指を入れるとさらに1万。2本同時で2万5千円。暴利もいいところ。都市部の中学生は本当に怖い。・・いや、それはいいとして、1回で終わりという考えが、そもそも浅はか。子供の浅知恵。1発2発でどうなるものか。ゆきゆきて3発。抜かずの4発。そういうこと。・・いや、そういう話ではなくてだな、とにかく、そのファイルを開いて見せてもらえんかね。ご開帳だよ。パックリ開いて、ヒダのヒダまで拝ませてもらおうじゃないか。エエ?」

「はあ・・」
古賀氏はウンザリしながらも、顧客の意向を無視するわけにはいかない。

ダウンロードしたZIPファイルを、解凍ソフトの上にドラッグ・アンド・ドロップし、解凍されたフォルダをおずおずと開いた。フォルダ内には、いくつかのJPGファイルが並んでいた。一つ目のJPGファイル名は、『matsu-01.jpg』であった。その次が『matsu-02.jpg』。以下、数十枚の画像ファイルが連番で並んでいる。

「あああっ!!」
またしても傍聴席から悲鳴が上がった。声の主は先ほどと同じく、営業1課の蜂須賀主任であった。今度の悲鳴は、以前にも増して焦燥感がにじんでいる。

藤原部長は、不愉快そうに顔をしかめて、振り返った。
「誰だ?また声を上げたのは?説明会の最中だと言っただろう?また、ハチスカくんか?」
「あ・・はい。すみません・・ちょっと・・」
「ちょっと、なんだね?」
「あの・・そのファイルを見るのは、また後日がよろしいのではないでしょうか?」
「後日?何を言い出しとるんだキミは」
「なんと言いますか・・恐らくそのファイルの中身は、非常に詰まらないと言いますか、見るほどのものではないと言いますか、見るべきではないと言いますか、そんな気がしまして・・ええと、どうでしょうか、ここは一旦、そのファイルを見ることのメリットについてじっくり検討した上で、最終的に見るか見ないかの判断は近々に一定の結論を得る、という方向が望ましいのではないでしょうか・・もしくは、もっと別の流出ファイルがよろしいのでは・・」

「何を言っとるんだね、キミは。なにが、近々に一定の結論だ。ねじれ国会の議長談話みたいなことを言い出して。検討もなにも、実際に中身を見てみなければ分からんだろう。黙って座ってなさい」
藤原部長に一喝されて、蜂須賀主任は力なくうな垂れ、沈黙した。場が静まったところで、藤原部長は壇上を振り返り、古賀氏に目で合図を送った。古賀氏は嫌々ながら『matsu-01.jpg』をダブルクリックするのだった。

ファイルが開いた瞬間、会議室が水を打ったように静まり返り、その後、女子社員たちの悲鳴が上がった。会議室の白壁に映し出されたのは、カメラ目線の女性がドアップで、アレを口にくわえている姿であった。アレというのは、「笑福亭鶴塀」「上島竜平」といったキーワードから連想される、男性の肉体の一部分である。タテガミを生やしたジャングル大帝が、ノーモザイクでパックリいかれている姿。悲鳴、怒号、そして歓声。ここぞとばかりエロ画像に食いつく男性社員たち。その様子を冷ややかに見つめる女性社員たちは、口々に「サイテー」と吐き捨てるのだった。

騒然とするさなか、誰かがふと洩らした。
「あの写真、営業1課の松本さんに似てない?」
一同の目が、会議室の中ほどに座る、小柄な女子社員に向けられた。その女性・・営業1課の松本早苗は、自分に向けられた視線から逃れるように、必死の形相でうつむいた。彼女の隣には、先般からおかしな悲鳴を上げていた営業1課の蜂須賀主任が座っており、挙動不信に目を泳がせている。松本早苗はじっと下をうつむきつつ、時々、隣の蜂須賀主任をキッと睨みつけるのだった。

卑猥なエロ画像が大写しにされた上、その被写体が同じ部署の女子社員と来ては、会議室の熱気もウナギ登りである。このお祭り騒ぎを丸く治められる人物は、この部署には一人しかいない。

「こら、静粛にしないか!」
藤原部長の怒号が会議室に響き渡り、騒然とした空気が凍りついた。
「まったくお前たちは、ちょっとした事で大騒ぎして、心構えがなってない。なに?この写真は営業1課の松本くんかも知れない?はは、まさか。他人の空似だろう。こうやってパックリいった時の顔はね、みんな似るものなんだよ。経験豊富な私が言うんだから間違いない。どれ、一枚だけではキミたちには分からんだろう。次の画像も見せたまえ」

藤原部長に促されて、古賀氏がヤケクソ気味に『matsu-02.jpg』を開いた。今度は、股間を丸出しにした男性と、先ほどの女性が、素っ裸で仲良くカメラに向かってピースサインを決めている画像だった。男性の方はどう見ても、営業1課の蜂須賀主任であった。仲良くピースサインを決めている女性は、同じく営業1課の松本早苗である。また会議室の視線が二人に注がれる。当事者の二人はひたすらうつむいている。

しかし藤原部長は、ワイセツ画像をためつすがめつ念入りに眺め回した上で、ぽつりと呟いた。
「うーむ、まだよく分からん。これが松本くんでこっちが蜂須賀くんだって?そう言われればそんな気もしないでもないが、やはり分からん。営業1課の二人とは断言できん。どれ、残りの画像も全部見せてもらおうか」

かくして、全数十枚のワイセツ画像が1枚また1枚と白壁に映し出され、そのたびに男性社員たちの歓声が沸き起こり、女子社員たちの悲鳴がこだました。紙芝居のように新しい画像が表示されるたび、被写体の×××な行為もエスカレートしていく。20枚目まで来たところで、若い男性社員が数人、無言で股間を抑えて、会議室をそそくさと出て行った。行き先は恐らく、トイレの個室である。その一方で、高卒入社1年目の女子社員が、あまりの卑猥な画像に耐え切れず、嗚咽を洩らしながら会議室を逃げ出していった。天国と地獄が同居する阿鼻叫喚のスライドショー、その進行作業を不本意ながら担う責を負った壇上の古賀氏は、死んだ魚のような目つきだ。

営業1課の蜂須賀主任と松本早苗のハメ撮り流出写真を最後まできっちり確認して、部長がまた余計なことに気づいた。
「ん?解凍されたファイルの中に、take-01.jpgというのが1枚混じってるが、それは何だね?」
古賀氏はもうどうでもいいや、と投げやりな気持ちで、無造作に「take-01.jpg」を開いた。すると、営業1課の蜂須賀主任がやはり素っ裸で寝そべっていて、その隣に全裸の女性が身を横たえている。しかしその女性は、松本早苗ではない。

「あれ、総務部の竹下さんじゃない・・?」
誰かが言うと、似てる、確かにそうだ、という言葉が方々で洩れた。今しがた、蒼白な顔で意気消沈していた松本早苗が、その画像を確認するやいなや、やにわに目を吊り上げた。隣で頭を抱えてダンゴムシみたいに縮こまっている蜂須賀主任の胸倉をつかみ、鬼のような形相で睨みつけた。

「ちょっと、これ、どういう事?ねえ?浮気なの?浮気してたの?」
「いやいや、違うよ、違うって」
蜂須賀主任がシドロモドロで言い訳を始めると、背後からよく通る女性の声が上がった。
「違わないわよ。わたしと蜂須賀くんはね、セックスフレンドなの」

松本早苗が血走った目で振り返ると、蜂須賀主任の後ろに着席している、総務部の竹下恵と目が合った。竹下恵は涼しい顔に半笑いを浮かべ、松本早苗の威嚇を受け流している。完全なる開き直りだ。二人の間でドス黒い火花が飛び散った。

「セックスフレンドですって?いやらしい。この売女」
「あら、今の写真を見た限り、あなただって随分といやらしいことしてたみたいだけど?」
「私と蜂須賀くんはね、入社当時から付き合ってるの。もうすぐ結婚するの。愛があるの。あんたみたいなオバさんは遊びでしょ。あーあ、オバさんは可哀想。結婚もできないで、セックスフレンドとかゴマカして。遊ばれてるだけなのに。オバサンはいやね。オバサンは。ああ何か臭い。これが加齢臭ってやつ?」
「オバサン、オバサンって、あんただってもうすぐ三十路じゃない。男にしがみつくしか能の無い女って可哀想よね。人間としての中身がまるでないのに、よく平気で生きてられるわよね。あ、頭がカラッポだから、そういうこと考えられないのか。ゴメンね。中身が無いから、若さだけが取柄なのよね?じゃあ、もう若くないから、取柄はゼロってことかな?そろそろ捨てられちゃうね?どうすんの?あんたみたいに脳味噌軽いだけのマグロ女とは、セックスフレンドになるのも願い下げだって、蜂須賀くん言ってたわよ。そろそろ捨てられるとも知らずに、結婚?プッ。おめでたいわね」
「なによ、この三十路ババア!」
「マグロ女がいきがるんじゃねーよ!」

今にも殺し合いが始まりそうな緊迫した状況の下、蜂須賀主任は床の上を腹ばいになり、会議室の出口へ向かって逃亡を開始した。

その一方、殺伐とした局地戦には目もくれず、男性社員たちは最前列に陣取り、和やかなムードでエロ画像の品評会を始めているのだった。「僕は5枚目のズッポリ感が素晴らしいと思う」「いやいや、8枚目の舐め方が尋常じゃない。あの目線は心底イヤラシイ」「むしろ1枚目の素朴なサスり方に一票入れたい」などという下品な発言が、ところ狭しと飛び交う。ストリップ小屋で意気投合した常連客みたいに、何はばかる事のない言葉の応酬。水魚の交わり、刎頚の友とは、かくのごとき友情の謂いであろうか。・・だがそんな朗らかな雰囲気の中で、一人シクシクと泣いている男性社員がいた。彼は入社3年目で、まだまだ若手の一角である。

「おいどうした?モザイク無しがショックだったのか?確かにあの色はちょっとナシかも知れないが・・」
「いえ・・違うんです」
泣いていた男性社員は顔を上げて、涙に濡れた頬を拭った。気を落ち着かせて彼は言った。
「愛だな、って思ったんです」
「愛?」

「そうです。これは愛だと思うんです。あんなにグロテスクな蜂須賀主任のアレを、ものすごく愛しそうにアンナコトしてる姿に、僕は・・心を打たれました。胸一杯、感無量です。だって、愛が無ければ、到底こんなこと出来ません。もちろん卑猥です。ものすごく卑猥です。今すぐトイレに駆け込むか、個室ビデオ店でしかるべき処理を行ないたいぐらい、オイシイ画像です。・・でも、松本さんの笑顔はどうですか?澄み切ってます。やってることは卑猥なのに、まばゆいばかりの笑顔。二人だけの時間を満喫してるんです。肌と肌を触れ合ってるんです。温もりを感じあってるんです。・・僕はつくづく思いました。一体、人間の幸せって何なんだろう?って。一人ぼっちの個室で一発抜くことが真の幸せたり得るのでしょうか?・・否。断じて否!幸せとは、人間にとって価値あるものとは、他人を媒介しなければ生まれて来ないんです。愛なんです。万国のセルフ・イジリストは団結すべきなんです。個室ビデオで満足するなんて、人間疎外です。心が本当に満たされるためには、一人ぼっちじゃいられないんです・・」

彼の言葉に、他の男性社員たちはしばらく無言であったが、一人がぽつりと口を開いた。
「悪かった。すまん」
「え?」
「お前をいつも個室ビデオにばかり誘っていた俺としては、心から反省せざるを得ない。先輩としては失格だな」
「いえ・・そんな・・」
「今度から抜きキャバにしよう」
「先輩・・ごっつぁんです・・」
二人はガッチリ肩を組み、爽やかに社歌を口ずさみはじめた。殺伐とした現代企業社会に、奇跡のような涼風が吹きぬけた瞬間であった。その時、午後1時を知らせるチャイムが鳴り響き、残っていた女子社員たちは呆れ顔で会議室から続々と退出していった。

ひな壇の上に一人残された古賀氏は、虚ろな目つきで会議室の惨状を眺めていた。
ベトナム帰りのアメリカ兵みたいに、ゲッソリとやつれた顔。
今後数日間にわたり、この惨憺たる説明会の記憶が、枕元でフラッシュバックするに違いなかった。
そこへ藤原部長がいそいそと近寄ってきて、小声で尋ねた。
「肝心なことを訊き忘れてたんだが、そのWinnyとかいうソフトは、どこで手に入るのかね?」

後日、古賀氏から藤原部長あてに、Winnyに偽装したトロイ型ウィルスが添付されて来るのだが、それはまた別の話である。

・・ここまで見届けると、会議室の最後列で息をひそめていた窓際3号氏は、おもむろに席を立ち、騒々しい会議室を後にした。この分では、ファイル共有ソフトの使用禁止令が出ることは、まず無いだろう、と彼は考えた。どんな正しい理念も、受け入れる人間がいなければ意味をなさない。なるようになる、というぐらいの尺度が、この猥雑な社会にとっては望ましいのかも知れない。

のんびりと廊下を歩いていくと、窓から差し込む陽射しが、穏やかに彼の頬を撫でた。彼にとって長く退屈な午後は、これからようやく幕を開けるのだった。
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