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一日目。

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「うん、それはもう……わ、感謝してる……」
「だったら……」
 そう言いかけて舞は唇を結ぶ。
「――私が死ぬって分かったらどうする……?」
 一瞬どきりとする。いつだってどうしたらいいかなんて分かるわけがなかった。ただ、闇雲にもがけば周りの人間をも巻き込んでしまう。それがどうしようもなく怖かった。
「……わからない」
「私はね、修君と一緒に居られればそれでいいんだよ」
 ざあざあと海の絨毯をめくる音が流れ、紅い陽射しに目を向けたままの舞。
視線に気づいたのか、舞は手をわたわたと振りながら、
「も、もちろん昔みたいに一緒に遊んだりお話し出来たらっていう意味で……」それは、嘘なんだろ?
 俺には誰かを守る力も術もない。きっと誰かを好きになっても苦しむだけなのだ。
しどろもどろする舞をよそに後ろから溜め息まじりの声がかかった。
「はいはい、そろそろ良いかしら」
 声主は佐藤 英美(さとう えいみ)のものだった。わずかにウェーヴしたその髪を軽く肩に向かって掻き上げたその後ろには東条太一の影も重なっていた。頭を掻きながら目線を泳がせていた。
「いやあ、結局このメンバーで揃っちまうのか」
東条の言葉に舞はあっと声をあげると、
「ごめん! 食事があるから呼びに来たんだったの」
「そうだよ、舞。それをさっきから見せつけてくれちゃって……お腹一杯だけど生きるために必要なお腹はぺこぺこなのよ」
 長い髪を人差し指でくるくると巻きながら英美が言った。それをさっと払って整った顔がニヤける。
「ま、とにかく飯食おうぜ。バイキングらしいから、俺達ほとんど残りもんだろうけど……」
 東条はそう言うとブリッジを後にした。言われてみれば腹は空いているし何かの気恥ずかしさから今はそれを種に逃げることにした。
「結局どこから見てた?」
 食事時間の制限が残り三十分といったところで四人は各々で皿に食事を装い同席した。予想通り、食堂には人影がほとんど無く、カウンター以外は閑散としていた。
「はむちゃんがなんたらってところかしら」
「なんだ、ほとんどじゃん」
 ふと隣を見ると、舞の顔はさっきから伏していて、わずかに頬が赤い気がした。
それを見た東条は箸を休める。
「まぁ、そんなに気にしなくてもいいんじゃないか? 水を差したのは悪かったがあのままだと飯が食えない上に見せつけられそうだったからな」
 けほけほと隣が咽せる。
「ま、舞。大丈夫か?」
「……うん」
 箸を止めて背中をさするが、そんな俺を不思議な目で見てくる奴が多い。
「あんた達ってそういうこと出来る仲なのに友達から一線を越えようとしないのよね。それ以前に友達なのかも怪しいくらい遠慮し合ってる感じだし」
 さすっていた俺の手が止まるよりも舞の体がわずかにはねた。
「ばーか。超えるところだったんだよ。今さっきな」
 つまりお前のせいだと英美を指して東条が笑い飛ばした。英美は首を振りながら大きくため息をつくと食事を再開した。
 時間のせいもあってか俺達はしばらく黙々と食っていたが、舞を残して全員が食い終わろうかという頃、騒がしくなった。
「ん、ありゃ宮下じゃね?」
 東条の目線の先を追うとそこには宮下 健太郎(みやした けんたろう)がせこせこと余り物の食事をトレイから全て皿に盛っていっている。というより、トレイをひっくり返して盛っている。
「あれは酷い……」
 それでも宮下は体の良い体格相応の山になったお盆を見て「足りねえ」などと口が動いているように見える。その足は迷うことなくこちらに向かってきた。
「ここ、いいか?」
 円卓テーブルで俺と東条までの空席三席の一番真ん中を指して言った。
「ああ、いいぜ」
 東条は臆することもなく了解した。
 どかっと座ると「悪いな」と開口した瞬間そいつは凄い勢いで食い始めた。半ば見入ってしまう。大した巨体でもないのにその胃袋にはあっさりとトレイ4つ分の分量は入った。食いつきぶりも最高で隣に座っていれば食いカスがデザートの中に訪問していただろう。つまり、こいつとは一緒に飯を食いたいと思わなくなりそうだった。
「うん、うまかった」そういうと最後は丁寧にナプキンで口を拭き上げた。
「す、すごいわね」
英美が唖然としていた。
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「もう時間だな」
 東条が時計を目視すると、食事時間の終わりを告げており、皆それぞれ席を立つ。
「悪いな、俺のために待って貰って」
 トレイを持った宮下が至って丁寧に切り出した。
「バカね。あんたを待ってたわけないでしょ。舞を待ってたのよ」
 突然話題の種が自分に向いたのに驚いたのか「ふぇ?」と素っ頓狂な声を上げる奴がいた。
「まい? ああ、桶川さんも結構食べる方なんだ」
「おいおい、いつから話題が食べる量になってるんだよ」
 つまり、こいつに友達がいないのはこういうことなのかと納得した四人。
トレイを返却し、食堂を出る。
「じゃ、女子の寝床はあっちだから」
 英美がわざわざ寝床を部屋と言い換えてわざわざ場所の詳細を説明して「ばいばい」と残して舞を引きずり行ってしまった。
「あいつ、始終どもってたな」
「舞か」
 東条はにやにやとしながら俺に尋ねる。
「ポテチ食うか?」
 突然俺達の目の前にポテチが出てきた。取り出したのは言うまでもなく宮下健太郎。
「ポテちもんはお呼びじゃねぇよ」
 東条の一喝をまるで意に介さず、うまいぞと念を押してくるが、もはやとりつく島もないので一枚頂戴する。
「俺はこの逃げ場のない海の上だからこそ、女子の部屋に潜り込みたい」
 そして何を思い立ったのか、東条。流刑を免れない男がここにいた。俺はどうしてこいつが学年No2のエリートなのか不思議だった。
「本気かよ。あれだけ昼間は女子と遊んでたのにか」
「ばっか、あんなの、じゃなかった。とにかく、俺は満足できん。そこでお前の力を借りたいんだ。西本、いや修様」
「やめとけ」宮下がポテチを唇につけながら言った。
「西本は忍び込んでも匿ってくれるだろう。だが、太一はロープで縛られると思う」
 だはは、と自分で言ったことにポテチを飛ばしながら笑う宮下。
「おま、俺を侮辱したな? しかも何で俺だけ名前で呼んでんだ」東条が打って出る。
「いや、宮下の言うとおりだぞ」
 廊下で立ち話していた俺達の前に現れたのは我がクラスの担任、田口克平だった。
「あっはっはっは、うちのクラスから犯罪者が出ないように今日はしっかり見張らないとな」
 東条は悔しそうに舌打ちをして、宮下は廊下で物を食うなと言われながらも先生にポテチを勧めた。

 午後九時四十八分。
ゆらゆらと揺れる蛍光灯の光が蠢く部屋の中に少女達の姿があった。
「ねぇねぇ、聞いたあ?」
「実はこの海路って難船が多いらしいよ」
「えぇ? それやばくないですか?」
「……」
「道理で今回の修学旅行は自主参加な上に格安だったってわけ。しかもお、難船する予兆には必ずおかしな女の子が迷い込んでいて、転覆した船からは乗客がいた形跡が見つからないんだって」
「こわい……」
 しばらくの沈黙の後、電子音が船内に響き渡り少女達は身を強ばらせる。
『只今、嵐の接近により船内が揺れるため青縁高等学校一同様は安全のためお部屋にて待機下さい』
 再び電子音が船内に木霊する。
「南子、そっちいっていい?」
「マジどんだけえ」
携帯は既に圏外で、GPSを持った子ですら、位置は特定できないというのを小耳にはさんでいた。
 きゃははと笑いながら白いシーツの上に横たわる少女は圏外を示す携帯をいじりながら悪態をつく。その姿は先の通り、森本南子であった。
「南子も圏外?」
「うん、ありえないんだけど」
 ぐらりと地面が傾き、思わず携帯を落としてベットにしがみつく南子。
「きゃっ」
 点滅を繰り返す蛍光灯がブランコになる。
「大丈夫? 南子」
「うん、玲奈は?」
「私は大丈夫」
「いずみは?」
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「っ、ちょっと頭ぶつけたみたい……」
 いずみの影は額を抑えながらベットの横の壁際で座り込んでいた。乱れた髪の毛が揺れが大きかったことを思わせる。
「ちょっと見せて」
 わずかに腫れている額を見て南子はいずみをベットに寝かせる。
「冷やすもの持ってくるから待ってて、玲奈はいずみのこと見ておいて」
 そう言い残し、南子は揺れる部屋をおぼつかない足取りで出て行った。

 午後十時二十二分。
「南子、遅くない?」
 そばにいた玲奈にいずみが言った。
「三十分くらい経つね」
 手洗い場から汲んだ冷水を何度もポリ袋にいれて代用していた玲奈はすっかりといずみの腫れを引かせていた。
「もう大丈夫だし、南子探しにいこ?」
 ――バタン。
 突然大きな音と共に部屋の扉が開いた。
「―っう」
そこには青白い顔をした南子が姿があった。
「南子、どうしたの?」
 玲奈といずみが駆け寄って見るが外傷はどこにも見あたらない。南子の手に提げられた袋の中の氷はすっかり水になっている。
「……される……」
「え?」
 べしゃりと袋の中の水が絨毯に黒い水たまりを作った。

午後十時二十五分。
「あー、つまらん」
「うっさいな。早く寝ろよ」
暗闇の中、携帯のライトを頼りに辺鄙なところで俺と宮下の前方で東条が寝袋でぼやいていた。
「やっぱり英たちんとこ行こうぜ」
「行かない方がよくないか。この船嵐の中だろ」険しい顔をして言う。
「びびんなって、みんなが部屋にいるから俺たちは誰にも見つからずに行動できるんじゃねーか」
 今更だが、東条は結構怖いもの知らずだ。そして、休憩室で寝ているのは俺と宮下と東条だけ。
「西本が行かないなら俺は一人でも行く」
東条はむくりと寝袋から脱皮し、半身を起こして言った。
「俺も連れて行け」
意外にも宮下が俺の後ろからその顔を覗かせて言った。
「旅は道連れってな。いいぜ」
「おいおい、お前は何の為に行くんだよ」
「腹が減ったんだ」
宮下は臆面することなく言い切った。
「わかった。俺も行く」
この二人にブレーキがちゃんとあることを祈るばかりだ。そうして俺達はかつてない危険な航海に踏み出したのだった。
「この道どこに続いてるんだ? っていうか、お前ら何で合羽姿なんだよ」
 俺の後ろにいた宮下が言った。
船内は昼間に一通り巡回したが、教員の見回りがないとも限らない。
俺達は人気のないところから迂回して目的地を目指すことにした。
「俺が昼間に調べたところによるとこの道は食料庫に続いて船の一番後ろのブリッジに出るんだ」
 東条は下調べをしていた。何か上手く乗せられた気がするのだが、今は黙っておくとしよう。
「ブリッジに出た後は?」
「ブリッジで待つ。話しをつけている女子がいるんだ。そいつが船内に入るためのドアの鍵を開けてくれる」
「開けてくれなかったら?」
「この嵐の中雨に打たれ続けるだろうな」
「そこまでして会いに行く理由って何だ?」
 東条のへらへらとした態度から張り詰めた空気が流れる。
「昼間に見せたビデオがあっただろ? あれは実はこの海路を渡った船員のビデオだ。今回この船に搭乗している船員も何人か見せた。そしたらお前は死ぬって言ったが、正確にはこれから死ぬ人間があの中にいた」
 宮下は何を言ってるのかわからないと言った調子で、食い物にさえありつければ良いと言ったきり黙った。俺に至っては自分の力を良い意味でも悪い意味でも使われたようで複雑な顔をするしかなかった。
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「生徒会である英の姉貴の話しによると、ここまでの遠出にも関わらず出費は某所からかなり賄われているらしい。自主参加だったり班決め以外は無計画だったりする修学旅行は前代未聞だろうな。そして今回の行き先は離島だ。加えて今乗っている船員は死ぬ。出だしから客船が貨物船なみにチープな点とか、気づいてる生徒は多いだろうな」
 まさに玲奈に呼び出された時の話しと一緒だった。玲奈はさらにここから踏み込んだ話しをしてきていたが……。
「だが、西本には周りの生徒が近いうちに死ぬ予兆は見えてないようだし、事故ってわけじゃない。そうなれば帰りの足はないってことだろ? だからこれからの動きを話し合いに行く必要があるんだ。なるべく信頼できる仲間同士でな」
 珍しく真剣な東条を目の前に俺も思考をフル回転させ始めた。
「つまり、誰かの企てが裏にあるってことか」
「お前の力が本物なら可能性としては無くはないが、高いな。だが、理由も証拠もないのが現状。あくまで今日やることは心の準備と多少の保険を掛けることくらいだ」
結論は玲奈と同じか。
「何故、そこまで知って、もとい分かってて船に乗る前に見せなかったんだ?」
 声は宮下のものだった。
「馬鹿、誰だって難船が多い場所とか言われたって噂程度にしか思わないだろ。英の姉貴から船に乗った後、しばらくしてからメールが来てな。そこでピーンと来たってワケだ。何で船で行くのか謎だったが、どうやら青緑学園は俺達を消すかもしれんぜ」
 狭い暗がりを進む三人は息を呑んだ。

午後十一時二分。
蛍光灯に揺れる部屋の灯りは22世紀も後半の雰囲気とはかけ離れていた。
 その四角い空間に女が二人いる。
 髪の長い女の方は落ち着かない様子で切り出した。
「舞、ちょっと私友達の部屋にいくから」
 窓にあたる雨が薄明るい白を鱗のように反射させる部屋で英美が言った。
「え、危ないよ。さっきも凄い揺れたし」
「ちょっとだけよ」
 そういう英美の顔に余裕の表情はなかった。
「どうしたの? 何かあるの?」
 英美は東条からブリッジの鍵を開ける時間を指定されていた。誤差は携帯で教えると言われたが、圏外になっている。その指定された時刻も当に数十分を過ぎており、東条以外にも西本がいるとなると英美の焦燥は極まっていた。舞には内緒で驚かせようと思っていたが、部屋の外が妙に騒がしかったため、部屋を出る時機を逸していたのだ。
「とにかく、誰にも見つからずに裏のブリッジまで行きたいのよ」
「ブリッジに行くと何があるの?」
 こういう時だけ鋭い舞は時々煩わしく感じる英美だったが、そんなことは言っていられなかった。
「東条と西本君がいるのよ」
 他に上手い言い回しはなかったのかと後から英美は後悔した。
「今!?」
「ごめん、本当は内緒にして驚かせたかったんだけど部屋の外が騒がしくてどうしたらいいのか……東条には見つかるくらいなら来るなって言われてるし」
 舞はドアの方に行き外の様子を慎重に確かめる。
「舞?」
 英美は舞が出て行こうとしているのを見て咄嗟に止める。
「ちょっと待って」
「なに! みんなこの嵐の中ブリッジにいるの、英ちゃんは平気なの?」
「大丈夫よ。それより約束忘れたの? 東条は見つかるくらいなら『来るな』ってはっきり言ったんだからね」
舞はその一言で諦めたのか、すっと手をおろす。
 かつりかつりと部屋の外から音が聞こえる。
「……」
 英美と舞のドア越しにその人物は止まる。
 舞が英美を伺う。今の話しが聞かれていたのではないのかという思考が一瞬頭の中をよぎる。

――コンコン。
「え?」
 英美と舞が耳を疑った。恐る恐る部屋を開ける。
「お前らー、もう就寝時間は過ぎたぞ」
 そこにいたのは東条と西本の姿だった。
「ふざけるなよ東条、余裕ぶっこいてる場合じゃない。早く入らないとまた先公が来る」
 東条は俺と共に部屋に雪崩れ込んだ。
「宮下をまさか囮にするとはな……お前は敵に回したくない相手だよ」
 俺が苦笑する。
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「ちょ、あんたたち! 何が『お前は敵に回したくない相手だ』よ。そのびしゃびしゃの格好なんとかしなさい」
英美がまくしたてると俺達は雨合羽を脱ぐ。
「あいつは捕まってもこの土砂降りの中、食い物ほしさにブリッジまで出てしまった哀れなヤツとして助かるさ」
「わかってたよ。お前が宮下を誘ったあたりからな」
 英美は目を白黒させながら、今の現状に安堵したのかため息を吐く。
「……とに……したん…から」
「それより、英。どういうことか説明してもらうぞ」
「ごめん、東条。部屋を出ようにも人の気配が凄くてさ」
 東条と西本の表情は険しくなった。英美は自分のせいだと思って再三に謝った。
「いや、それはもういいんだけど。それ以外に何か気づいたことは?」
 英美は自分が怒られているのではないと悟って安堵すると同時に何か怪訝な雰囲気を感じていた。
「あ!」
 舞が突然紅潮する。
「どうした? 何か気づいたのか」
 東条は訪ねてから理由に気づいたのか笑い出す。
「パジャマ?」
 英美が指摘し、皆が一斉に笑い出す。俺が気づいてから笑ったのを見て、舞の頬は紅潮を極めた。
「英ちゃんのばかぁ」
 くすくすと笑いながら英美は舞に叩かれていた。
「そ、それでこんな夜中に女の子の部屋に来るなんてパジャマ目当てじゃないんでしょう」
 腹をかかえながら言う英美とは反対に東条と西本はもう既に真剣な面持ちだった。
「英ちゃん……」
 舞がそんな二人を見て悟ったのか英美に声をかける。
「やっぱりただ遊びに来たわけじゃないのね……」
 静寂の中に船が揺れ、黒い魚はじっとりと四人を見つめていた。

――翌日。午前七時二十一分。
 今回の修学旅行の責任者として同行している男は近藤と言った。彼は白髪の髪に威厳を纏い、人生の経験を顔に刻み込んだかのような風貌で唸った。
「誰がこんなことを……」
 早朝に近藤の元を訪れた一人の生徒は血相を変えて、彼を先導した。案内されたのは朝会で使うはずだった船の一室。
 周囲には一室を取り囲む生徒達が鼻を押さえながら一目見ようとたかり、部屋の中には大量の魚が飛散していた。
「そういえば、この魚全部目玉がありませんね」
 ある生徒の一言で一同は眼を見張った。後ろの生徒達からは黄色い声が上がる。
「――静かに」
 確かに目玉がくり抜かれている。どれも寸分の狂いもなく丁寧なものだった。くり抜かれたというよりは自然に無くなったと言った方が納得出来る。
「近藤先生! 田口先生を見かけませんでしたか」
 駆け寄ってきたのは前島という若い教師だった。数学を受け持つ活発な人柄でテニス部の顧問もしている。
 しかし、彼の今までにない取り乱し方は近藤を狼狽させる。
「いや、見てないが……前島先生、顔色が優れないようですが、これはどう見ても悪戯ですぞ」
 前島の表情は青ざめていた。さらに彼はそこに飛散する魚を見た途端、脚をわなわなと震わせ後ずさった。
「前島先生?」
 前島の異常な反応に近藤は何か背中に悪寒を感じていた。
「た、田口先生の部屋に……ぅ、め、め、めぇ……」
 近藤は悟った。これはただの悪戯ではないと。
「保健委員長。前島先生を休憩室の先生のところまで頼む」
 近くにいた生徒に今回の件は悪戯なのであまり近づかないこと。と告げ、その場を後にした。とにかく、田口の部屋に寄った後、船員に報告しなくては……と。
 生徒を集めて問題が起きていることを告げる近藤の頭の中は霧がかかったようにもやもやとしていた。常軌を逸したこの出来事に近藤は少なからず昔の事件の面影を嗅いでいるようだった。

 午前七時二十七分。
 近藤は田口の部屋へ急いでいた。出来るだけ早くいかなければならない。
 最も船の端にある彼の部屋は妙に薄暗い気がした。
「先生、失礼しますよ」
 近藤はノックとかけ声と同時にその扉を開けた。
20, 19

ゆの舞 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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