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第八話『悲劇は伏線の無いサプライズ』

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 新宿の東口から歩いて五分ほどの所にある喫茶店。そこに村上健の彼女がやってきたのは、約束の時間より五分ほど前の昼下がりのことだった。
「すいません、お待たせしちゃいましたか?」
 彼女はそう言って譲の向かいに腰を落とすと、店員にアイスティーを注文する。
「いいや、こちらも今来たばかりですから」
 嘘だ。
 本当は、三十分も早くに着いてしまって周りをブラブラ歩いた挙句、することもないので十分ほども前から店内にいた。だが、そんなことを言えるわけもなく、譲は当たり障りのないコメントを返した。
 しかし、相手は何が気に食わなかったのか少し眉をしかめると、
「あの、同い年なんですしタメ口でいいですよ? って、私のほうも敬語になってたけど……。健君の友達なら、すぐ友達になれると思うから」
 と言って、人好きのする笑みを浮かべる。
 彼女は、芝浦幸と名乗った。
「柴咲コウっているじゃない? ニュアンス的に似てるからなのか、字面で最初に見た人はみんな「コウ」って読むんだよね。でも違うから。「さち」だからね? そんな男みたいな名前じゃないんだから」
 健との馴れ初めは、中学の同窓会だったと幸は語る。当時の思い出話などをしているうちに、お互いがそのとき好き同士だったという話になり、何度か遊びを繰り返しているうちに正式に付き合うことになったそうだ。
 傍から見れば、それはとてもいい話なのだろうし、実際彼女はとても幸せそうにそれを語った。
 だが、高校時代に健から告白されて体まで許した挙句、それでも恋人という関係にはついにたどり着くことのなかった譲からしてみれば、そのノロケは胸糞悪くなるもの以外の何者でもない。
 譲も簡単な自己紹介を終えたところで、幸が注文したアイスティーが運ばれてきた。彼女が話を中断してミルクを入れてかき混ぜているのを見ながら、譲も自分の氷が溶けかかったアイスコーヒーをすする。
「……健とは、どれくらい付き合ってるの?」
 本当は聞きたくない質問でもあったが、どうしても確認したい気持ちを抑えられず、譲は聞いてしまった。
「えっと、ちょっと前に半年記念だったから……七ヶ月くらいかな」
(……と、いうことは――)
 もう、すでに性交渉は済んでいるだろうな、と。そんな自分の考えに呆れながらも譲はため息を吐く。それを聞いてどうすることができたわけでもないのに。
 そんなことは、健の部屋に我が物顔で遊びに来ていたところからも容易に察しがついていたのに……。
 自分から聞いておいて、黙り込んでしまう。
 健という人間が何一つ分からない。
 目の前の『女』は自分以上に彼を理解しているのだろうか。男を抱いたことがあることとか――自分とのこととか――を知っているのだろうか。
「えっと……それで、今日は何の用で呼び出したんだ?」
 テンションが下がってきたのを理解した譲は、一刻も早く帰りたくなって自分から本題に触れてみる。
 今日彼女に会いに来たのは、それが今、唯一健と再び繋がる方法かもしれないと思ったからだ。でも、別の意味で芝浦幸は、一番関わりあいになりたくなかった人物でもある。
 この間の別れが最悪だったこともあるが、それ以上に『健に彼女がいる』という事実は、自分が健にとって本当に無用のものになってしまったと思わされてしまう。
 幸に改めて会って、譲の胸には後悔以外の感情などなかった。
 せっかくバイトが休みの日だったというのに、なぜこんな予定を入れてしまったのだろう。とりあえず店を出てこの女と別れてから、光一に電話でもしてみようか。
 時間もまだあるし、いつものようにホテルに行くだけじゃなくて、一緒に町をぶらつくのもいい。これからどんどん暖かくなることだし、春物のジャケットでも見繕ってもらおうか。
 そんな考えは、幸の次の発言で頭から全て消え去ってしまうことになった。
「吉川さんって……中村光一さんって方と仲がいいって聞いたんだけど……」
「……は?」
 自分でも驚くくらい大きい声が出てしまった、と譲はセリフが口から出てから自覚した。それに気付いたのも、幸の顔が一瞬何かに怯えるように歪んだからだ。
 それを見て、慌てて平静を取り繕った譲は、極めていつも通りのつもりで、しかしきっぱりとした口調で問い質す。
「光一? 光一があなたと、一体何の関係があるんだ?」
 気を付けたつもりではあったが、自然と口調は険しくなる。
 譲にとって、光一は自分の居場所を作ってくれる、文字通り最後の砦に他ならない。こうして、健に繋がるかもしれない機会には来てしまってはいるが、半ば諦めての行動にすぎない。結局は、光一という安心できる位置があればこそなのだ。
 高校から大学に上がり、今のような関係になって約二年。光一という安息が脅かされることなど、譲は考えたこともなかった。
 幸は急に険しくなった譲の様子に戸惑っているのか躊躇う素振りを見せたが、一息付くと譲の目を見て話し始めた。
「健くんの部屋に中村さんが行ったって話、吉川さんは知ってる?」
「……いや、知らない」
 言葉を吐き出すことが、こんなにも労力を要するものだと、譲は初めて実感していた。
 途端に周囲の空気が泥のように重たくなったかのような錯覚。
 それは、一番有り得ないと思っていた。いや、想像にすら浮かばなかったほど、予想外の事実だった。
 家に行っただけ。それだけなら、大したことではない。譲だってこの前は一人で行ったのだ、『高校時代の友人』という同じ立場の光一が同じことをしていても、どこもおかしなところはない。
 だが、悟ってしまった。
 家に上がっただけ。それだけでは彼女が譲を呼び出す理由が無い。
 聞きたくなかった。先に続く言葉を。知りたくなかった。決定的な瓦解を。
「泊ってたみたいなの。……それも、何日も」
「……へぇ」
 それを知ったきっかけは? 本人は認めてるの? そもそも、泊ってるからといって、どうしてそれが怪しいと思う?
 聞かなければと思う問いはいくつも思い浮かんだのに、言葉に出たのはたったそれだけ。
「あ、あのっ! 私もそういうこと詳しくないから分からないんだけど、男の人同士でそういうことになってるってのが、もしホントだったとしたら私、――――」
「分かった!」
 せきを切ったように溢れ出す幸の言葉を、切り捨てるように言い放ち譲は立ち上がった。
 黙って財布から千円札を取り出すと、テーブルの上に置く。
「俺が直接確認してみる。それでいいだろ。事情が分かったら連絡するから」
「え、ちょ……」
 返事を待たずに喫茶店を出る譲の顔を幸は見ることはなかったが、もしそうなっていたならば幸は驚きを隠しきれなかっただろう。その時の譲の顔は、高熱を出した病人のように真っ青だったのだから。
「あー……チクショウ……」
 何も聞きたくなくて店を出た譲は、しかし、心のどこかで分かってしまっていた。
 全てが繋がったような気がしたのだ。今までいくら考えても、全く答えの出なかった疑問に、一つの解答例が浮かんでしまった。でも、それは今まで考えなかったからこそ、一番認めたくなかったもの。
 喫茶店から駅まで、足を止めることもせず、ポケットから携帯電話を取り出すと、一番最近の発信履歴から淀みない動作でボタンを押す。
 短いコール音の後、電話に出た相手に譲は確認せねばならなかった。
 そして、知らなければならない。
 今まで決して答えの出なかった問い。

 なぜ、あの時の健の相手は自分だったのか?
8

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