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第9話「悲しみのボーカロイド」前編

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第9話『悲しみのボーカロイド』前編


「お、起きたか」
 リンとレンが薄っすらと目を開けた事に気が付き、俺は声を掛ける。
 きっと力が溜まったのだろう。同時に目を覚ましたのは二人で一人というのが理由だろう。
 昨日、二人はカイトに抱えられてここに連れられてきた。
 具現化ソースと修復プログラムを奪われ、意識を失っていた二人はたった今、目を覚ました。
 俺とミクは二人が連れて来られてから、一睡もせずに看病をしていた。看病と言っても、二人がうなされたらそっと手を握ってやるぐらいの事しか出来なかったが、それでも少しは二人の苦しさが紛らわせているようだったので、俺達は寝るという選択肢を選ぶ事はなかった。
「ここは…………」
 リンは頭を抑えて、俺の部屋を見回している。
「ここは、俺の部屋だよ」
「わかる。それはわかるけど」
 リンは頭を抑えて、自分が誰だか分かっていないような。そんな雰囲気を出している。
「もしかして覚えてないのか?」
 俺に尋ねられて、リンは俺を制止するように手のひらを俺に向けた。
 レンはそんなリンの様子をじっと見つめている。レンの様子も普通ではない。混乱しているという訳ではなさそうだが、明らかにリンに対して何らかの心配をしている。
 俺はただ黙ってリンを見守っていると、リンが口を開いた。
「いえ、覚えてる……。覚えてるの」
「無理するな。思い出さなくたっていい」
「いいえ、覚えてるの。私は……。私達は――」
 リンはそこまで言って口を閉じる。
「無理すんなって。とりあえず今は落ち着け」
「……大丈夫。そんなに落ち込んだりしないから」
 リンはそう言って俺に微笑み掛ける。
「…………」
 俺はこれ以上言葉を掛ける事ができなくなった。
 大丈夫だと言っているリンの目からは、涙が流れている。大丈夫な訳がない。そんな事は分かりきっている。
 ミクがカイトに会っていないと知って、あれ程怒りを抱くような真面目なリンが、自分の具現化ソースを奪われたと知って冷静でいられる訳がないんだ。
 リンは涙を流したまま笑顔で俺を見続けている。
 リンはもう一度何かを話そうとしたが、そんなリンをミクがそっと抱きしめる。
「大丈夫だって…………」
 リンはミクに力なく抵抗する。ミクはそんなリンを離すことなく、ただ黙ってリンを抱きしめ続ける。
 そのままミクに抱きしめ続けられているリンは、やがて抵抗を止めて、ミクの胸で思い切り泣き始めた。
 なぜこいつらには感情があるのだろう。なぜこいつらはこんな辛い思いをしなくちゃならないんだろう。自分達の為じゃなく、人間の為に……。
 俺がレンの方を見ると、レンは俺に微笑み掛ける。しかしレンのこの表情も嘘だとすぐに分かる。
「レン、お前も無理をするな」
「僕は本当に大丈夫だから。心配しないで」
 レンはそう言って俺にもう一度微笑み掛ける。
「そうか。無理さえしなければそれでいい」
 俺はそう言ってこれ以上問い詰めたりはしない事にした。レンの表情がこれ以上は聞くなと言っているように感じたからだ。
 そのまま黙ってリンの様子を見ていると、リンが口を開いた。
「もう、大丈夫だから。離して、ミク」
 ミクはそう言われてリンをゆっくりと自分から離れさせる。
 涙を拭うリンを見るミクの表情が、俺の目にはリンの姉のように映った。本人は姉だって感覚はないかもしれない。でも、俺の目には、いつもリンに説教をされているミクが妙に大人に感じた。
「あーおなかすいた。何か作ってよ」
 リンは俺に向かって、強気で言い放つ。
「あぁ。任せろ。本気出してやるよ」
 俺はそう言ってリンの頭を思いっきり撫でてやる。
 リンが「やっ!」なんて事を言いながら顔を真っ赤にしているのを確認して、俺はキッチンへと向かった。


 三十分ほどかけて俺はキッチンでオムレツ、ウィンナー、トーストを用意した。
 自信満々でボーカロイド達の元へと持って行ったのだがリンからは、「これが本気?」などと、すばらしく心の傷つく発言をされた。
 まあ、少しだけ落ち込みはしたが、リンの口が元気になった事で俺はホッとした。
 失礼な愚痴をこぼしていたリンも、食べて見れば意外とお気に召してくれた様で、
「結構おいしいじゃない」
と素直じゃない事をぼやきながら黙々と俺の作った朝食を食べていた。
 ミクは元気になったリンを眺めながらニコニコしている。んで例の如く、余所見をしているせいで、ボロボロとトーストの粉を振りまきながら食べていた事をリンに説教されていた。
 レンもまた、いつも通りこの二人のやり取りに苦笑いを見せていた。
 完全にリン達の傷が癒せたなんて思ってはいないが、今はそんなことを深く考えさせる必要はない。こうして今は楽しめばいいんだ。
 リンの説教が終わった辺りで、レンが口を開いた。
「僕達の力はまだ戦えるほど溜まっていないんだ。だから今日一日は戦いを仕掛けるなんて事はないと思うから、良かったら何処かへ遊びに連れて行ってくれない?」
 このレンの言葉にリンとミクは驚いた表情をしている。もちろん俺だって驚いた。
「別に構わないんだが、一体急にどうしたんだ?」
 俺の問い掛けに、レンは笑顔で答えた。
「僕たちはまだ具現化してから日が経ってないからね。少し興味があるんだ」
 まあそう言うならば拒否する理由はないだろう。二人が楽しんでくれるならば、いくらでも、どこへでも連れて行ってやるさ。
「んー、具体的に行きたい所とかないのか?」
 俺がリンとレンに問い掛けると二人は口を揃えて、
「特に」
と答えた。
 特にって……。
 俺は困ってミクに助けを求めるべく、ミクの顔を見る。ミクは俺の視線に気付き、少し悩んだ表情をした。ミクも思いつかないかと、俺が諦めかけたところで、ミクはハンドルを動かすジェスチャーを俺に送った。
「車?」
 ミクは頷く。
 確かに車は必要だな。しかし車を借りてくることを決めたところで、話はあまり進んでいない。
「わかった。車は借りてくるよ。んで、車でどこ行くの?」
 俺がミクに問うと、ミクは頭をくねくね捻って悩みだした。
 ミクはなにがどこにあるかなんて事は把握している訳がないからな。俺が考えるしかないか。
 行くとするならば、人目につかない場所で、車が止めれて……。
 俺はここでふと思い付いた。
「よし、決めた。海へ行こう」


「今日はいい天気だ」
 俺はそんな事を陽気に言いながら軽快に車を走らせる。
 向かうは以前ミクと共に行ったスーパーの近くにある海水浴場だ。
 季節が季節なんで、泳いだりはできないが、逆にこんな季節に海に来る人間はいないので好都合なのだ。
 通勤時間ではあるが都市部とは逆の方面へと向かっているお陰で、こちら側の車線は快適そのものだ。
 助手席にはミクが座り、後部座席にリンとレンがシートベルトを装着して座っている。
 俺が後ろはシートベルトを着けなくても良いと言っても、リンとレンは着けなきゃダメだと言い切り、乗り込むと共に装着していた。
 まあ別に悪い事はないので構わないし、ミクとは違って落ち着きがある分、非常にありがたい。
 リンとレンは窓の外を必死で眺めるなんて事をしないのはわかるが、今日はミクも窓の外を見ていない。
 しかしながら、ちらちらと横目で窓の外を見ている事から、恐らく我慢しているだけだろう。
「外が見たいなら我慢するなよ」
 俺が笑いながら言うとミクは強がった態度で首を横へ振る。
「リンとレンに必死なとこ見られたくないのか?」
 ミクはピクリと反応したが同じような態度で否定した。
 反応したという事は図星だろう。よし、引っ掛けてやるか。
「あっ! UFOだ!」
 俺がそう叫んで山の向こうを指差すと、ミクは瞬時に窓へと振り向き、ドアガラスにへばり付いてUFOを探しだした。笑えるほどに単純な奴だ。バックミラー越しにリンもUFOを探しているのを見てしまったがそれは黙っておこう。
 そんな事をしながら、俺の運転する車はトンネルへと入って行き、そのトンネルを抜けると進行方向左手に海が広がっていた。
 それぞれが思い思いに反応をしてくれている。
 リンは、
「おー、海って大きいんだ」
と感想をこぼし、レンは、
「へぇーすごいねー」
と素直に感心していた。
 ミクはと言えばどうやら興奮が絶頂になったようで、必死で窓を開けようとパワーウィンドウのボタンを連打している。
「おいおい。寒いからやめろって」
 俺が笑いながら注意をしてもミクは聞く事なく、窓を全開にする。
 そのままミクは窓から身を乗り出し、海を眺めているようだった。
 まあ人はいないし、いいだろう。楽しんでいるのは嬉しいことだ。
 そんな風に和んでいると、突然俺の耳にドラム缶の底に石を叩きつけたような鈍い音が聞こえてきた。
 俺はその音を聞き絶句した。その音の音源はミクだ……。ミクの頭が、バス停の看板にぶつかったのだ。
 俺はすぐに急ブレーキをして車を止める。
「おい! ミク! 大丈夫か!」
 俺がそう叫ぶとミクはゆっくりと車内に身を戻し、ぶつけたであろう部分を手で押さえながら涙目になって苦しみ悶えている。
 俺が若干混乱した状態で、ミクを心配していると、リンがケラケラと笑いながら口を開いた。
「大丈夫よ。そんなんじゃ傷一つ付かないって」
 おいおい。どこまでタフなんだ……。人間だったら首の骨が逝かれてたぞ。
「本当かよ……」
 俺が問い掛けても、リンはケラケラ笑いながら答える
「ホントだって」
 ミクの方を見ると、頭を擦ってはいるが、確かに傷なんかはないようだ。
「ほら、早く行こうよ」
 俺はリンに急かされ、涙目で頭を触っているミクを見るのを止めて、ゆっくりとため息を吐きながら車を発進させた。


 海岸沿いにある水族館の裏出口周辺に俺は車を止める。今日は水族館は営業していないようなので、ここに車を止めておいても大丈夫だろう。
 車を止めた場所からはすぐに砂浜へと降りることが出来るし、すこし急な傾斜を下らなければいけないので犬の散歩をしている人だってこんな所には来ないだろう。海水浴場のように砂浜の整備はされていないが、ボーカロイド達に自由を与えるには最適な場所だ。
 俺が到着した事を伝えると、リンとレンは大喜びで車から降りて行き、ミクもすでに頭を打った事なんて忘れているようで、リンとレン以上にテンションを上げて勢いよく車から降りた。
 俺が車から降りると、三人は車の傍で海をじっと眺めていた。
「海を知らなかったのか?」
 俺が三人に近づきながら問うと三人は俺の方を見て嬉しそうな顔をしている。
「海は知っていたんだけどね。ここまで大きなモノだとは思っていなかったよ」
 レンはそう言ってもう一度海の方へと顔を向ける。
 リンとミクもレンの言葉に同意するように頷き、海を眺めていた。
 俺は言葉を理解し、コミュニケーションを取る事さえ出来るこの三人が、これほど海に感動していることに少し驚いた。
 この三人は言うなれば、生まれたばかりの赤ん坊と差はないんだろう。知識はあっても自分の目で見た事はない。
 なによりもこの三人は海を見る事で心が動いている。それは人間より人間らしい事だ。
 そんな様子を見ると俺は、この三人が人によって作られたアンドロイドとは思えなかった。
「下に行こうぜ」
 俺は考えている自分を抑えて三人を促す。
 三人はそれぞれ頷き、俺に着いてくる。
 俺が先に砂浜へと降り、三人を呼ぶ。
 降りる場所に傾斜があるといっても、人間が降りるのが難しいほどではなく、運動神経は抜群であろうボーカロイド達は難なく、下へと降りて来た。
 リンとミクは砂を踏みしめて、喜んでいる。
「なにこれ。なんかこの砂すっごく軟らかいんだけど」
 リンはミク対して笑顔で話し掛けている。
 ボーカロイドにとっては驚きの連続のようだ。
「こんなところで止まってないで波打ち際に行こうぜ」
 俺がそう言って海の方を指差すと、ミクは笑顔で俺の方を見た後、海の方へと走りだした。
「歩きにくいから、転ぶなよー」
 俺がせわしないミクに笑いかけながら注意をすると、ミクは走りながら俺の方へと振り向き、笑顔でピースをしながら、盛大に転びやがった。
 まったく……。まあ転んだ本人のミクはケラケラ笑っているから、よしとしよう。
「もう、ミクってば」
 リンはそんな事を言いながら、ミクの方へと走って行く。
「リンも転ぶなよー」
 俺がそう言ってリンにも注意すると、リンは、
「私は大丈夫よ!」
なんて事を笑顔で言いながら、ものの見事に思い切り転んでいた。
 なんというドジっ子……。ミクは、まぁなんだミクは良いとして、リンまで転ぶとは思わなかった。
 俺とレンは顔を見合わせて苦笑いを交わし、リンの元へと歩く。
「ほら、立って」
 そう言って俺が手を差し伸べると、リンは赤面しながらも俺の手を取った。リンの手を引き寄せて立たせ、次はミクの方へと向かう。
 ミクは転んだ状態のまま、砂で山を作って遊んでいる。
「こら、汚れるから止めとけって」
 俺がそう言ってミクを注意すると、ミクは笑顔でこちらへ振り向く。
 ……まあいいか。汚れたって。
「ほらミク。砂いじりは後にしろって。波打ち際に行こうぜ」
 俺がリンの時と同じように手を差し伸べると、ミクは屈託ない笑顔で頷き、俺の手を掴んだ。
 俺達は波打ち際へと歩いて行き、波がギリギリ足にかからない所まで来た。
 ボーカロイド達は、さっき上で見ていた時以上に感心した様子で海を眺めている。
「すごい…………」
「ホントだね。どこまで続いてるんだろう」
 三人は水平線を静かに眺めている。
 始めは三人を眺めていた俺も、水平線へと目をやる。確かに綺麗だった。天気が良くて、冬のお陰で空気が澄んでいたからかもしれない。こうやって自分が海に感動できたのもこいつらと一緒だったからだろう。
 しばらくの間、俺達はただ海を眺め続けていた。
「レン、あっちの岩場の方を見に行きましょうよ」
 リンがそう言ってレンを誘っている。
 レンは俺に対して行ってもいいかと許可を求めてきたが、いまなら構わないだろう。俺は辺りを見回して人がいない事を確認し、リン達に許可を出した。
 二人は、岩場の方へと駆け足で向かって行った。
 ミクはその二人の様子を笑顔で見守っている。
「二人とも元気そうでよかったよ」
 俺がミクに声を掛けると、ミクはこっちに顔を向けて微笑んだ。
 俺はリン達がいなくなったら訊きたいと思っていたことがあった。
「これで、カイトの修復プログラムがハズレだったら、世界は終わるんだよな」
 俺の唐突の言葉に、ミクはうつむきなにも答えられないようだ。いや、答えられないんじゃなくて答えたくないんだろう。
「ごめん。こんな事訊かない方がよかったな」
 ミクは微笑み小さく首を横に振る。その表情は明らかに作り笑いで、はっきりとではないが、俺の言った事が間違いではないと感じ取る事が出来た。
「こんな話題は、リン達には振らないから安心してくれ」
 ミクはそのままの表情でゆっくりと頷く。
 俺はそのまま海に視線をやり、しばらくの間二人で海を見続けていた。
「海って広いだろ」
 沈黙を俺が破って尋ねると、ミクは満点の笑顔で大きく頷く。
 きっと本心からそう思ってくれてるんだろう。リン達も楽しんでくれているのは明らかで、それは俺にとっても嬉しい限りだった。
「俺がリン達にやってやれる事はこれでいいのかな?」
 なんとなく俺が訊いてみると、ミクは優しく微笑み親指を立てて俺に返答をした。
 その表情に俺はなぜか気恥ずかしくなって、照れ隠しに小石を拾い、
「そっか」
とミクに答えて海に向かって小石を投げた。
 小石は海面を数回跳ねて、海に沈んでいく。
 ミクの方を見てみると、小石がはねた事にえらく感心しているようだった。
「ミクもやってみろよ」
 俺が笑いながらミクを促してみると、始めは自分が出来るわけがないと言いたげな表情をしていたが、俺が教えてやると言ってやると、自分で小石を探し始めた。
「なるべく平べったい石を探した方がいいぞ」
 俺のそんなアドバイスを聞きながら石を探していたミクは、石を見つけて俺に見せてきた。
「なかなかいいんじゃないかな」
 素直に俺のアドバイスを聞いていたようで、その石は絶妙な平らさだった。
「んで、投げるときはサイドスローでこの面を――」
 俺の実演を付けながらの説明をミクは真剣に聞いていた。
 俺の説明が終わると、ミクは真面目な表情で海の方へと体を向け、石を放り投げた。
 しかしながら、さすがに一発目で成功させられるわけがなく、石は無様な音をたてて沈んでいった。
 ミクは頭を掻きながら俺に笑いかけて照れ隠しをしている。
「一発目だし仕方ないって。ほらもう一回挑戦してみろ」
 俺がそう言うと、ミクは笑顔のままで頷き、石を探し始めた。
 二回目という事もあり、ミクはすぐに石を見つけてきた。
「んー、さっきのダメだったところは力が弱かった所かな」
 俺のダメ出しに、ミクは真剣な表情で頷いている。
「だから、次はもっと遠慮なく思いっきり投げてみろ」
 俺がそう言うとミクは不思議そうな顔で俺を見て、投げるジェスチャーをしている。
「そうだ、思いっきり投げるんだ」
 さっきのジェスチャーにどういう意味があったのかよくわからなかったが、俺は取り合えずそう言っておいた。
 ミクは頷き、思い切り振りかぶる。
 ミクが石を投げる。俺がそう感じたその瞬間に、ミクの手が消えた。
 いや、正確には手が消失した訳ではなく、俺の肉眼では捉えられないスピードで小石を投げたのだ。
 俺がその事を理解すると同時に遥か遠くで、凄まじい破裂音と共に海が爆発した。
「お…………おい」
 ミクはさっきと同じように頭を掻きながら照れ隠しをしている。
 あまりにも予想外すぎて突っ込みすら出来ない。
 俺がこの想定の範囲外の出来事に、体ごと硬直していると、岩場にいたリンがミクを大声で呼び付け、そのリンの大声に怯えたミクが全力で逃げ始め、そのままミクはリンに追い掛け回され、結局ミクはリンに捕まって説教をされていた。

 リンの説教は三十分近く続き、終わった後はボーカロイド達は仲良く砂遊びを始めた。
 俺は周りに人気がない事を確認して、近くにあった自販機へと向かう。
 ボーカロイドは寒さなんて感じないのかもしれないが、普通の人間である俺には冬の海は寒すぎたのだ。
 俺は自販機で温かいコーヒーを4本買い、ボーカロイドの元へと帰る。
 ミクとリンはまだ砂遊びをしている事を上から確認し、砂浜へと降りるための傾斜を慎重に降り、近くにあった岩場に腰を落ち着けようと、そちらへ目を向けると、そこにはすでにレンが座っていた。
 俺はその場所へ近づいていきレンの横に腰を下ろしながら声を掛ける。
「レンはもう遊ばないのか?」
 レンは微笑みながら答える。
「うん。ちょっと休憩」
「そっか。コーヒー買ってきたぞ」
 俺はそう言って、レンにコーヒ-を手渡す。
 レンは俺に礼を言って、両手で缶を持ちながらゆっくり口を付けている。
 リンやミクのような子供っぽさを見せた事のないレンだったが、こうしてちびちびとコーヒーを口に運ぶ姿を見ると、レンが子供だという事を、俺は改めて認識した。
 俺が声を掛ける事をせず、ただ様子を見守っていると、レンが口を開いた。
「ミクとは仲直りできたんだね」
「あぁ。お陰さまでな」
 俺がそう答えると、レンは続けて俺に質問する。
「なんでそんなにミクの事を大切にしてくれるの?」
 この質問は難しい質問だ。始めは責任の為だったが、今は違う。でもそれがなんの為かは自分でもよく分かっていない。
 俺は正直に答える。
「なんでだろうな。正直俺にもよくわからん」
 俺がそう答えると、レンは問題がある質問を俺に投げかけた。
「ミクの事好きなの?」
 俺はレンの突然の問い掛けに、口に含んでいたコーヒーを噴出してしまった。
「んなわけねーだろ」
 動揺しながらも必死にそれだけ言い返し、俺は気持ちを落ち着かせてゆっくりと答えてやる。
「そんなんじゃないって。本当に」
 俺がそう答えると、レンは、
「ならなんで?」
としつこく尋ねてくる。
「恋愛感情なんかじゃないってのは本当だし、友達だからとかそんなのでもないんだよな。なんていうのかな……。よくわかんねえよ」
 本当によくわからない。正直に言えば初めはミクが異性である事を意識はしたが、今ではそんなのはどうでもいいと思っている。例えば今、いきなりミクが男に変わったとしても、俺はミクに対する対応が変わる事なんて絶対にない。具現化したそのときにミクが男だったとすれば、もしかしたら関係は変わっていたかもしれないが、今ミクに対して性別で意識をしているなんて事は絶対にないのだ。
 レンはどうやら俺の答えを信用してくれたようで、「そっか」とだけ言ってそれ以上俺を問い詰めようとはしなかった。
 俺はこれ以上この話題を出されるのを避ける為にも、レンに違う話題を振る。
「昨日カイトが言ってた最後のはどんな能力なんだ?」
 俺がそう問い掛けるとレンはこちらへ振り向き、片手に丁度収まる程度の石を手に持った。
「えーとね、これ持って」
 そう言ってレンは俺に石を渡す。
 俺はなんの意味があるのかはわからないが、素直に石を受け取った。
「これがその能力」
 レンはそう言って、歌を歌い始める。
 すると突然、俺が手に持っている石が重みを増し始めた。
 石はどんどん重さを増していき、両手で持たなければ支えられないほどに重くなっている。
「なんだよっ。これ」
 俺が必死で石を持ちながら声を漏らすと、それを聞いたレンは歌うのを止めた。
 レンが歌うのを止めてしばらくすると、石はどんどん軽くなっていく。
「これが能力か…………」
 俺が驚きで若干混乱しながら呟くと、レンは俺に笑いかけながら答えた。
「そう。空中浮遊、瞬間移動、質量操作。この三つが僕達が出来る範囲で歌を必要とする特殊な能力だね」
 俺はこの答えにすこし疑問に思った。
「歌を必要とするって事は、歌を使わない特殊な能力もあるってことか?」
 俺がそう問うと、レンは微笑みながら説明を始める。
「あると言えばあるね。歌を歌う理由は一時的に僕達の具現化ソースに近いもの、すなわち未知の力を利用するプログラムを一時的に対象へ打ち込むためなんだ。だから自分達に対して行使する力には歌は必要ないってこと。質量操作に関しては具現化にも使っているんだけど、これも自分に対しての使用だからね。歌は必要ないんだ」
 俺はまたしても疑問に感じる。
「空中浮遊とか瞬間移動に外部の物なんて使ってるか?」
「んー。あんまり詳しく説明しても理解して貰えないと思うけど、空中浮遊では周りの大気。瞬間移動ではネットワークの回線だね。原理に関しては僕もいまいちわからないんだ。お父さんも良く分かってないだろうし」
 確かに俺が詳しく説明を受けたとしても、理解できるような話ではないだろう。これだけ説明して貰えれば十分だ。
 レンが言った「僕達が出来る範囲で」という言葉は少し引っかかったが、大体意味はわかる。
 もしかすれば、レンはそれも尋ねて欲しかったのかもしれないが、今は問い掛ける事を止めておいた。
 俺にはそれ以上に気になることがあったからだ。
 レンは今の今まで笑顔で話しを続けていた。真面目な話をしている最中だって一切笑顔を崩すことはなかった。なぜだかわからないが、俺はその笑顔が不自然に感じた。いや、きっと今朝の事が俺の頭に残っていたんだろう。
 聞くなと言っているように感じた笑顔。俺にはレンがその笑顔を今まで引きずっているように見えていた。
「レン」
 俺が声を掛けると、レンは笑顔のままでこちらに顔を向ける。
「なんかあるなら無理せず話せよ」
 俺がそう言うと、レンは笑顔のまま、
「なんにもないよ」
とだけ答えた。
「お前がそう言うなら、無理には聞かない。でも、俺に頼れることなんだったら遠慮なく話してくれよ。お前がまた何かを隠してるのは分かってるからな」
 俺が真剣にレンに言葉を掛けると、レンは笑顔を崩さずに俺に言葉を返した。
「貴方には敵わないな」
 レンの声は表情とは裏腹に、どこか悲しげな声だった。
「なら話せ」
 俺が静かにそう言うとレンは、
「なら話そうかな」
と言って、すこし間をおき、俺に胸の内を語りだした。
「僕の使命はメイコの修復だ」
「そうだな」
 俺はただそれを肯定するだけしかしない。レンは続ける。
「リンやミクやカイトだって自分達の使命であり、目的だとしっかり認識している」
「そうだろうな」
 レンの声からは徐々に元気がなくなっていっている。
 すでにレンに笑顔はなく、自分に言い聞かせているように俺に話す。
「そして僕達が一番避けなくてはいけない事は、具現化ソースを奪われること」
 ここで俺は返事をすることが出来なかった。レンは俺の返事を待っているのか、続けて話そうとはしない。
「あぁ…………」
 俺がそれだけ答えると、レンは口を開く。
「でもね……」
 そう言ってレンは沈黙する。今から言うことがレンの感情なんだろう。
 俺は言葉を掛ける事無くただ黙ってレンが話し始めるのを待つ。
 少しの沈黙の後、レンは決心を付けたのか、震えた声で俺に話した。
「僕は少し安心してしまっているんだ」
 レンの震えた声でこの言葉がレンの心の引っかかりである事ははっきりと分かった。
 しかし俺には「安心」の意味がわからなかった。
「どういうことだよ」
 俺がそう言ってレンに問い掛けると、レンは続けて話をする。
「僕とリンは具現化ソースを奪われてしまった」
「あぁそうだな」
 余計な事を言ってしまわないように俺はただ肯定することしかしない。
「つまり僕たちは自分達を破壊する必要はなくなったって事なんだ」
 レンは両手を顔の前で組み、自分の顔を隠すようにしている。
 大体何に安心していて、何に悩んでいたのかが分かった気がする。レンも俺が気付きかけている事に気付いたのか、そのまま続けて俺に胸の内を説明する。
「要するに僕は、僕とリンが死ぬ必要がなくなった事に安心してしまっている……。そんな自分が少しだけ情けなくてさ」
 レンの表情は明らかに不安に満ちている。少しだけと表現していたが、自己嫌悪に陥っているように感じられるほどだ。
「それの何が悪いんだよ」
 俺は純粋にそう思った。そう思って尋ねたつもりだ。しかしレンはそうは思っていない。
「いい事ではないよ。僕のこの考えは使命に反しているといっても過言ではないよ」
「そんな事ねえよ」
 俺がそう言って否定してもレンは強い意思で俺の言葉を否定する。
「僕はお父さんを裏切っているんだ」
 レンのこの言葉はさっきまでの声より、少しだけ強く言い切っているように感じた。
 俺は否定することが出来ず、レンの様子にうろたえながらも静かに問い掛ける。
「なんだよ、お父さんを裏切るって」
「このまま僕達が負けてしまえば、お父さんは世界を陥れた悪となってしまう。そうでしょ?」
 レンはまたしても自分に言い聞かせているように俺に尋ね返す。その問いには俺に「そうはならない」と答えて欲しそうに感じた。しかし俺は嘘を付くことは選ばなかった。たしかにこいつらが負ければ、こいつらを作った張本人である、こいつらの父親は、レンの言う通り世の中から悪とされるだろうからだ。
 それよりも俺はその「父親」に対して憤りを感じていた。
「そうかも知れないが、そんなのどうだっていいだろう。だいたいお父さんってなんだよ。協力もしないで、ただどっかに隠れているだけだろ? そんなに忠義を尽くす程かよ」
 俺がほんの少しだけ感情的になり、その言葉をレンにぶつけると、レンは、
「あんまり悪く言わないで欲しいかな」
と静かに答えうつむき黙ってしまった。
 レンに取って父親はすべてなんだろう。そうじゃなければこうやって落ち込んだりはしないだろうからな。
「ごめん。ちょっと熱くなっちまった」
 俺が自分の愚かさを素直に謝ると、レンは笑顔を見せて首を横に振る。
「『お父さん』の居場所は分からないのか?」
 レンは俺に少し悲しげに微笑みかけながら答える。
「分からないんだ。カイト兄さんもお父さんの家以外の場所で具現化して、具現化したときにはすでにお父さんはいなかったらしいから」
「そうか」
 俺はそれ以上はなにも話題を振る事はしなかった。
 レンはただじっと、遊んでいるミクとリンを見ている。俺もレンと同じようにミク達の方へと視線を向ける。
 レンはたぶん自分の身の安全に安心しているわけじゃなく、リンが無事に生きることが出来るようになった事に安心しているんだと思う。それは俺にとっては、例え父親を裏切っていることになろうとも、全人類を敵に回す考えだったとしても、悪い事には感じられない。
 それでもレンの中の使命感と、父親に対する従順さにより、レンは自分を責めているんだろう。
 俺にとって何をしてやれるかなんてわからない。やっぱり俺は口下手で、口を開くだけでレンをさらに傷つける事になる。
 だけど、俺はずっと口を閉ざすことはせず、レンに言葉を掛ける。
「俺は、戦いなんて意味がないだとか、そんなかっこつけた事は言えないし言わない。お前達は戦うべきだと思ってるぐらいさ」
 俺はレンに目をやり、レンが俺の話を聞いている事を確認する。
「けどな、俺はお前達が負けて、世界がボーカロイドに征服されようが、自分が死ぬ事になろうが、絶対にお前達や、お前のお父さんを恨んだりなんかしない。それだけは覚えといてくれ」
 レンは俺のこの言葉に驚いた表情をしていたが、やがて笑顔を俺に見せながら、
「貴方に話してよかったよ」
と少しだけ震えた声で答えた。
 俺はレンの方を見るのを止め、ミクとリンの方に顔を向けながら、本心からのもう一言を付け加える。
「生きててよかったな」
 俺がそのままレンの方を見る事無く、黙ってミク達を眺めていると、レンは小さな声で俺に答えた。
「……ありがとう。本当に…………ありがとう」
 レンのその声は少しだけなんかじゃなく、思い切り震えていた。
 俺はしばらくレンの方は見ないでおいてやった。レンも男の子だからな。自分のそんな姿を見られたくはないだろう。
 
 しばらくそのままの状態で座っていると、ミクとリンがこちらへと帰ってきた。
「ほら、元気出せ。ミクとリンに馬鹿にされるぞ」
 俺がそう言って、レンを元気付けると、レンは、
「うん。もう大丈夫」
と言って立ち上がり、俺に最高の笑顔を見せた。
 そのままレンはミク達の方へと歩いて行ったので、俺もその後を追うようにミク達の方へと向かった。
 ミクとリンは砂まみれになっており、俺が砂をはらえと注意をすると、ふたりでキャッキャと騒ぎながら砂を落とし合っていた。
「ほらコーヒーだ」
 俺はそう言って二人にコーヒーを手渡す。
 ボーカロイド達三人が、笑いながら休憩をしている光景を見て、俺はここにこいつらを連れてきて本当に良かったと思った。
 三人は本当に仲が良く、お互いを好いていることがよく分かる。
「どうだった? 楽しかったか?」
 俺が笑顔でそう問うと、三人とも満点の笑みで大きく頷いた。
「じゃあ帰るか」
 俺がそう言うと、三人は笑顔のまま頷き、俺を置いてけぼりにして車へと走って行った。

第9話完
13, 12

石目 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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