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第2話「この子はボーカロイド」

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第2話『この子はボーカロイド』

 昨日はあんな事があったせいで少し疲れた。
 さらには思いっきり手を伸ばせば触れられる範囲に初音ミクが寝ている。
 なんて異常な状況のせいでなかなか寝付けやしなかったせいか少しだけ頭がぼんやりする。
 そんな俺の心情を知らない彼女は、朝一番に俺を起こすという酷な事をしてくれたわけで、非常に迷惑この上なかった。
 昨日彼女から聞いた色々な事情をまとめてみると、彼女は戦う為にここへ来たそうだ。なにやら彼女と同じような敵がいるらしく、そいつをやっつけるのが使命らしい。
 「誰に作られたのか」とか「敵は何を目的にしているのか」等の俺には到底思いつかないことは残念ながら聞きだすことはできなかった。そりゃ当然だ。一万ある中からイエスとノーだけで一つしかない当りを見つけ出すなんてのは大変な労働だからな。彼女も疲れているだろうから、俺があまり深く聞かなかったのも一つの理由ではあるが。
 ちなみに、戦う方法は肉弾戦らしい。
 晩御飯を食べている最中に俺が問うと、彼女はどうやって説明しようかと考えたのか少しの間をおいた後、ご丁寧にも箸を持ったままシャドウボクシングの実演で説明してくれた。その時に俺の顔にご飯粒が飛んできたのは彼女には内緒だ。
 そんなこんなを聞きだすのに要した時間は四時間弱。そりゃ疲れるってもんだ。
 彼女が喋ることが出来ないのは俺の責任だから文句は言わないが。

 んで、今は衝撃の一日が明けた日の午後である。
 今朝は初音ミクに半ば無理やり起こされ、起きて5分もしない内に朝食を作らされ、もう一度寝ようと思ったら隣の工事現場の騒音でなかなか寝付けず、眠りに入りそうになったら再び初音ミクに起こされる。なんていう俺の人生至上類をみない気分の悪い目覚めだったわけだが、結局その後も眠ることが出来ずに今はパソコンを眺めている。
 初音ミクはなにをしているのかというと、テレビのバラエティ番組を見て大爆笑している。大爆笑といっても彼女は声が出ないから、手を叩く音や足をバタつかせる音が俺の部屋に響くだけなのだが。
 しかしその大爆笑の理由がバラエティ番組が面白いからなのかといえば、そうじゃない所がボーカロイドの不思議なところだった。
 二度目に俺を起こした後からずっと、子供向け番組やらワイドショーやら、果ては将棋の中継なんかを見ているがそのすべてを楽しそうに見ている。
 じゃあ全部の番組で大爆笑しているのかといえばそうではなく、将棋の中継を見ている時の彼女を説明すると、棋士が一手を打つ度にコクコクと一々頷いているのだ。ものすごいアホ面で。
 何を理解して頷いてるのか、そもそも将棋のルールを知っているのか、などの色々な疑問は尽きないが、まあいいだろう。楽しんでいるのならば。
 しかしだね初音ミク君。いちいちリモコンを持ってきてチャンネルを変えてくれと俺に頼むのは止めて欲しいんだ。正直言って面倒ったらありゃしない。せめて俺にリモコンを持たせてくれたらいいんだが。
 なんて事を思いながらも、彼女のリクエストに答えてチャンネルを変えて、その都度彼女にリモコンを返している俺は、お人好しかマゾっ子のどちらかなのだろう。
 という訳で彼女がテレビに熱中してくれているおかげで、俺は今こうしてパソコンをする自由な時間を得ているわけである。
 しかし、俺には本日一つだけやっておかなくてはいけない事がある。
 なにかと言うと、買い物だ。
 三日に一回少し遠い繁華街にあるスーパーまで自転車で行き、三日分の食料を買い貯めしている俺なのだが、フードファイター初音ミク様が、昨日の晩御飯、本日の朝食と昼食を各三人前分ほど平らげてくれたおかげで、家の冷蔵庫は空っぽになってしまった。
 別に大量の食料を食べられたことは何とも思ないが、はたして彼女を家に一人置いて出かけても問題ないだろうか?
「なぁミク」
 彼女はテレビを見るのを中断してこちらに顔を向けた。
 馴れなれしい俺の呼びかけに対して彼女がなんともない顔をしているのはなぜかと言うと、「初音ミク」と連呼する俺に対して、彼女自身がミクと呼べと主張したからだ。
 怒った顔をして口をパクパクする動作が「ミクと呼べ」って意味だと理解するのにアニメ一話分の時間がかかったけど、これも俺の責任だから文句は言わなかった。
「ちょっと出掛けたいんだが一人になっても大丈夫か? 寂しくない?」
 言ってから気付いたが、最後の一言は余計だった。
 気づいた時にはすでに遅く、彼女は「なに言ってんのこいつ?」ってな表情をしている。
 一人にしても大丈夫そうだな。俺の心は大丈夫じゃないが。
 昼食もたっぷり食べてたし腹については問題ないだろう。
 何か説明しなくちゃならないことはないかと考えた俺は一つの事に気がつく。
 よく考えたら初音ミクは一度もトイレに行っていないじゃないか。
 それに風呂は入るんだろうか……。べ、別にいやらしい考えなんてないが……。
 ウダウダ頭の中で会議したって意味ないからな。よし聞いてみよう。
「ミクはトイレに行ったりしないのかい? それと風呂に入ったりとか……」
 その言葉を聞いた彼女は咄嗟に手で胸とスカートを押さえ付けた。しかもこちらを睨むオマケ付だ。
 またしても失言だ。尋ねるのはトイレについてだけで十分だっただろ。
 風呂の事なんて後からいくらでも聞けるし、今聞くにしたってもう少し穏やかに尋ねるのは容易だったはずだ。
 彼女にいやらしい事は考えていないと言ったのに、不安に思われたらどうするんだよ。俺。
「ご、ごめん! そんなつもりはなかっ…………」
 必死でいい訳をしようと思ったが、どうやら彼女を残して出掛けたって問題はないようだ。この先を続けて言い訳する必要もなさそうだ。
 彼女はこちらを見てニマニマとした表情をしている。どうやら俺を馬鹿にしただけのようだ。
 昨日から今ままで一緒にいて俺は危険な人物じゃないと判断したのか、それとも信用はしてないが無性に俺を馬鹿にしたかったのか。俺には答えはわからないがどちらにしろこの初音ミクは侮れないな。
「……んで、トイレは大丈夫なのか?」
 改めて尋ねた俺に向かって、彼女は親指を立ててウィンクした。
 トイレに行かないってのはいいんだが、あれだけ食べた食料はどこに消えたのか?
 なんて疑問は残るが、彼女が実体化した事に比べればそんな事はほんの些細な事なので気にしない事にする。
 こんな様子だし出掛けたって大して問題はないだろうと判断した俺は、初音ミクからテレビのリモコンを無理やり奪い、あらかじめ番組構成を調べておいたチャンネルへと変更した。
 六時からは子供向けアニメ二本連続、七時からは歌番組、八時からジ○リ映画という完璧な布陣だ。
 この構成なら少しぐらい帰りが遅くなってしまっても、テレビに噛り付いているだろう。
「んじゃあ俺は出掛けるから、おとなしくテレビを見とくんだぞ」
 そう言いながら玄関に向かう俺に、彼女は手を振って答えた。

 さてと、今からスーパーへ買い物に行くだけなら一時間程しかかからない。
 だけど俺には他に行くところがあった。
 自転車で三十分。今俺は大手家電量販店にいる。パソコンのパーツなんかも取り扱っている所だ。
「あのー。すみません。このマザーボードにつけられるメモリって在庫ありますか?」
 ボロボロになった説明書を店員に見せながら俺は尋ねる。
 店員も少し困っているようだ。そりゃそうだろうな、こんな化石みたいなマザーボード誰が使ってるってんだ。
「申し訳ございません。在庫切れとなっておりました」
 こちらに戻ってきた店員が頭を下げながら俺に丁寧に説明してくれる。
 初めから期待はしていなかったので余り気にはならなかった。
 ちなみに俺の用はこれだけしかない訳で、これ以上ここにいても意味はないので店を出る。
「さて、次ぎ行くか」


 かれこれ一時間以上たっただろうか。
 俺はこの繁華街にあるすべてのパソコンパーツを取り扱っている店を回った。
 しかしどこの店で聞こうとも、
「申し訳ございません」
「現在取り扱っておりません」
 なんていう返事が返ってくるだけで、無駄足もいいところだった。
 彼女の核であるパソコンを強化すれば喋ることが出来るようになるかと思ったが、パーツが手に入らないなら意味はないな。
 ネットオークションや通販なんかでも見つからなかったし、手に入れるのは困難のようだ。
「そろそろ帰らないとな」
 時計はすでに七時を回っている。
 今からスーパーへ行って買い物をすれば、家に付くのは八時半を超えるだろう。
 少し急ぎ気味にスーパーへ向かい、速やかに買い物を済ませる。買った量はいつもの四倍。
 大量の荷物を持ちながら自転車を漕いだせいで家に付いたころにはすでにヘトヘトだった。
 荷物を一旦地面に置き、鍵を開けようとドアの前に立った俺は少しだけ違和感を感じた。
「やけに静かだな」
 俺の家は学生一人暮らしに相応しい程度の広さしかなく、外とはいえドアの近くまで来れば多少なりとも室内の音が聞こえるはずだ。
 しかし今はなんの音も聞こえない。
 もしかして彼女が出て行った?
 それにしたって彼女はテレビの消し方は分かっていないし、ドアには鍵が掛かっている。
「なにかあったのか…………?」
 不安に感じた俺は急いで鍵を開け、部屋の中へ入る。
「これは……」
 部屋の中に彼女の姿は見当たらず完全に無音だった。
 玄関のすぐ近くにあるキッチンには鍋やらインスタントラーメンの袋が散らかっており、コンロのつまみが強火をさしている。幸いにも元栓を締めていたので惨事にはならなかったようだが、居間にいたっては本来テレビの裏側にあるべき配線のすべてがコンセントを引き抜かれ、コタツ机の方へと引きずり出されており、さらにはパソコンデスクの横に置いていたゴミ箱が部屋の中央で転がっているなんていう悲惨な状態だ。
 なんでこんな事になってるんだ……。
 まあいい。それはまあいいんだ。そんなことより彼女はどこにいるんだ。
 困惑しながらも、彼女を探す為に居間に入った俺はさらに驚く事となる。
「ミク……。一体どうしたんだ……」
 なにがあったのか分からないが、彼女は元々ゴミ箱があった場所のパソコンデスクと壁の間で膝を抱えて座っていた。
 俺の声が聞こえたとは思うが、彼女は膝に顔を埋めたままピクリとも動かない。
「……なにかあったのか?」
 彼女は膝に顔を埋めたまま微かに首を横へ振った。
「それじゃあ一体どうしたんだ? テレビに飽きたのかい?」
 この問いにも彼女は同じように返答した。
 なにがなんやらさっぱりわからない。
「じゃあなんでコンセントを抜いてまでテレビを消したんだ? あと使い方も分からないのにコンロを使おうとするなんて危険だ」
「ごめ…………ぃ」
 俺は怒ったつもりなんてなかった。だけど彼女は謝った。
 さっきの声が謝罪の言葉かはわからない。だけど俺には「ごめんなさい」と言っている気がした。
 彼女には俺が怒っているように聞こえて、自分が悪い事をしたと思っているんだろう。
 彼女を責める気なんてこれっぽっちもない。彼女はこんな所で生まれて、さらには声まで奪われて……。きっと俺にはわからない不安やなんかが色々とあるんだ。
 そんな事はわかってる。わかっているんだ。
 だけど、俺は会話で人との交友を深めたりだとかが苦手で、正直言って彼女になんて声を掛ければいいかがわからない。
 だけど、彼女を慰めたいし、彼女のこんな姿を見ていたくはない。
「…………」
 だったら、だったら素直に自分の考えている事を伝えよう。俺はそう決めた。
「ミク」
 彼女は膝に顔を埋めたままで動かない。
 それでも俺は構わずに続ける。
「俺は怒ってなんかいない。ミクを責めるつもりだってまったくない」
 少しだけ彼女が反応した気がした。
「だから今度からだって好きなようにすればいい。なんだったら永遠にここに住んで永遠に俺を困らせたって構わない。だから、だから……」
 ここで俺は言葉に詰まってしまった。
 ここから先を続けるのは少し恥ずかしい気がしたからだ。
 俺の言葉が彼女に取ってどれほど伝わるかわからないし、もしかしたらこんな言葉は意味が無いかもしれない。
 それでも一度決心した事を覆すつもりはさらさらない。
「だからさ、顔を上げて俺を馬鹿にしてケラケラ笑って見せてくれよ。その方が俺も安心だ」
 その言葉を聞いた彼女は顔をゆっくりと上げてくれた。
 だけどその表情は笑顔ではなく、彼女は涙を流していた。
 いつも俺に見せていた能天気な笑顔なんて想像できないほど崩れた表情。大きな瞳から涙があふれ流れている。
 彼女のその涙を見て俺はかなり動揺した。
 俺には慰めの言葉なんて思いつかないし、どうすればいいかもわからない。
「ミク……」
 俺がそう呟いた直後、突然彼女は俺に抱きいた。その瞬間、俺の動揺が混乱に変わった。
 頭の中がゴチャゴチャになって心拍数が一気に上昇した。
 これがもしも普通の女性だったならば、きっと俺は煩悩に支配されていただろう。しかし俺の心拍数はすぐに平常に戻った。
 彼女は俺にしっかりと抱き付き、彼女の顔は流れ出た涙がそのまま俺の首筋に伝ってくる程に近づいている。
 それほどの近距離に顔があるにもかかわらず、俺の首筋は彼女の息を感じ取る事が出来なかった。
 息をしていない。いや、そうじゃなく息をする必要がないんだろう。
 この子は間違いなくボーカロイドであり、確実に人間じゃない。
 そんなわかりきっている事が今の俺には寂しくて、だからこそ彼女を、いやミクを大切にしてやりたいと心から思った。
 ミクが泣き止むのを確認した俺はミクをゆっくりと自分から離れさせ、ミクの瞳をしっかりと見つめながら言った。
「俺はミクが楽しんで生活できるよう努力する。だからそんな顔しないって約束してくれるかい?」
 手で涙を拭いたミクは、俺に対して満面の笑みで答えてくれた。
 ただまったくの気のせいかもしれないが、その表情は無理をしている……そんな風に俺は感じた。


第二話完
2

石目 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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