自動ロックの四桁の数字を手馴れたように押して、僕は自宅のマンションに入った。
少し前まで、体力作りと称して階段を使用していたが、程なくして挫折し、今はエレベーターを使用している。僕の部屋は九階だった。
「↑」の表記のボタンを押すと、七階で止まっていることを示すランプがカウントダウンを始める。
贅沢な悩みだ、とは思わなかった。
家族なるものに崇高な何かを感じるでもなく、羨ましいわけでもない。
家族の微妙な距離も、施しの加減も何も無い。
僕には、家族はいない。
いないのだから、それを知る術は無く、従って豪流院の悩みには共感し得ることは無く、またそれに従い、解決法が解るでもない。
明確には、居ないわけではない。ただ、同じ時間を生きているわけではないだけだ。
父が一人。
たった一人の、僕の家族だ。
母親は居ない。物心付いてから程なくして亡くなった。
父は。
定時に仕事が終わり、定時に家に帰り、ナイターを見て、食事をして、入浴して、寝て、起きて、定時に仕事に行く。
そういう生き方をしている人間ではなかった。
二十四時間、常に仕事のことだけを考え、仕事の為だけに動き、仕事の為だけに生きている人間である。
それもそのはずで、父は一つの財閥の総帥だった。
「芥財閥」という一つのコンツェルンは、銭金に少々関心のある者、或いは日々日本で起こる経済変動に関心のある者なら、基礎知識として数えても差し支えの無い大規模な企業である。
それは総帥の苗字から生まれた財閥名であり、当然というべきか、僕の「芥 統也(あくた とうや)」という名前には、何の瑕疵も無い。
そんな大財閥の総帥に相応しく、父は多忙だった。
父と顔を合わせた数は、片手の指で収まる。
僕が生まれた時。
僕が財閥の御曹司として、各子会社の役員連中に紹介された時。
父が僕を、この住まいに住むように仕向けた時。
以上、だ。
エレベーターの数字が「1」になり、僕の目の前の扉が無機質に開く。
僕はエレベーターに乗り、「9」の数字を押す。この数字は、一番上にあった。
エレベーターが、動き出す。乗る者は、僕一人だけだった。
帝王学を、受けた。
母が亡くなり、この住まいに移ると同時に、父は僕に帝王学を教え込むよう仕向けた。
小学校から帰るなり、父が己の目を使って選別した訓練士達に促され、僕は学校で教わる五科目とは別の世界にある教育を受けた。
帝王学とは、一つの確立した学問ではない。
寛平遺誡や宇多天皇御記等の、所謂一つの教訓のようなものである。
故に、定まったものは無い。従って僕が叩き込まれた帝王学とは、芥財閥の芥財閥による芥財閥の為の教育であり、その内容足るや、道徳や倫理などとは遠く離れた場所にあるようなものだった。
嘘の付き方。
嘘の見抜き方。
威圧の仕方。
金銭の価値。
人の価値。etcetc……。
馬鹿じゃないかと思う。一つとして、まともに受けた記憶が無い。
しかし教育とは、一種の「洗脳」である。
教育のすべてを修了し、本来の義務教育に戻った時、僕の意思とは無関係に、日々休まることなく聞かされ続けた教訓やセオリーが僕を無意識に突き動かすことが、時折あった。
芥財閥次期総帥。
不本意ではあるが、僕という人間を知るならば、それを言った方が一番早いのかもしれない。
僕の意思とは別にあるその肩書きを、僕は大いに気に入っていない。
・
扉についている指紋認証装置に指を乗せると、扉のロックはいとも簡単に外れた。扉を開けて、靴を脱ぎ散らかし、部屋の電気をつける。
九階部屋、3LDK、自動ロック完備、防災装置完備、最新鋭施設完備。
僕の住まいである。
この部屋は、一人で住むには、少し広すぎる。一ヶ月に幾ら支払えばいいのかとても検討がつかないが、おそらく「0」の数が六つを下回ることは、天地がひっくり返っても無いのだろう。尤も支払っているのは僕ではなく、財閥の資金から卸るらしいのだが。
テレビの電源を入れる。このテレビも無駄にデカく、目が疲れるだけだ。従って、僕はテレビを、テレビとしてではなくラジオとして使用している。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、三口ほど嚥下した。テレビから、踏み切りへの飛び込み自殺が報道されている。
四月から、僕は高等学校生徒になる。
日々の勉学が評価されたのか、それとも受験シーズンに培った理不尽な量の予習復習の正当な報酬としてか、僕は所謂「エリート校」に属される高校に進学することになった。
財閥の資金にモノを言わせる手もあった。だが、それだけはしたくなかった。
僕は、信じている。今回の受験の合格にしても、それは僕が僕の手で掴み取った、僕の勝利なのだと。
ただ一つ、納得が行かないのは……
「豪流院の奴、涼しい顔しやがって」
僕は、誰に聞かせるでもなく嘯いた。
そう。
豪流院修一もまた、僕と同じ高校に通うことを約束されている一人なのだ。
普段から、珍妙なことを口走っては、珍妙な挙動をし、珍妙な日々を送っている、豪流院のその最も珍妙な特徴。
それは、常人を遥かに凌駕した、万的天才能力にある。
何をやらせても人並み以上にこなし、また何をやらせても人並み以下になることなど有り得なかった。
確か、僕が受験シーズンに限界点を越えた猛勉強に心身滅却寸前の状態まで追い詰められていた時、アイツは飄々と日々を楽しんでいた。
──友よ、新たな発見だ! 私らが帰宅路として使用している商店街のラーメン屋が、舌を巻くほどに不味いらしいぞ! 私は早急にその縮れ麺を咀嚼し、店舗展開の価値の有無を確かめたい次第である!──
当然、僕は断った。ラーメンを口で啜る暇があったら、リスニングを耳で啜る必要があったからだ。ましてや暇がある時でさえ、わざわざ不味いと評判のラーメンの為に時間を割くことは無いだろう。
その後、豪流院は本当にラーメン屋に足を運んだようだ。ちなみに評価は「美味い!」だった。基本的に何を食わせても「美味い!」としか言わないのだが。
そんな風に、受験シーズンという大事な時期を、遊んでいたといっても過言ではない過ごし方をした豪流院も。
受かったのだ。
「エリート校」と謳われた高等学校に。それほど苦労した風でもなく。
「……そういう奴もいる、か」
そういう奴だからこそ、なのかもしれない。
生まれた境遇、受けた教育、価値観の違い。
それらの相乗結果として友達に恵まれなかった僕と友達でいられるのは、豪流院がそういう奴だからこそ、なのだろう。
異端には、異端のコミュニティがある。僕にとって友と呼べるのが豪流院だけであると同時に、豪流院にとって友と呼べるのもまた僕だけなのかもしれない。
オーディオを再生させると、クラッシック音楽がスピーカーから垂れ流しになる。聞いてもいるが聞いてもいないというのが、僕の視聴スタイルとして適切な表現だと思う。
「変わるのかねぇ、何かが」
呟きながら、僕は今晩の食事の目処をつける為に冷蔵庫の中身を漁くりにかかった。
変わらないのだろう。
そうそう簡単に何かが変わるのであれば、僕の日々は常に変化の連続なのだ。
仮に、変わったとして。
過程が変わっても、結果は変わらないのだ。
これから始まる高校生活において、僕の中の何かが劇的な変化を遂げるような何かが待っていたとしても、それは所詮「肥し」でしかない。
こと、僕という存在においての定理なのだが、過程が結果を変化させることは、無い。
何があっても、何が起こっても、何を言っても、何をしても。
僕の「結果」は、芥財閥次期総帥なのだ。
気に入らないことは事実だが、特に拒絶する理由も無い。
ただ、努力して何かになれることが、ひどく羨ましかった。努力が何かを変えるということが、ひどく妬ましかった。
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目を覚ました時、時計の日付は、目を瞑った時の数字に一を足した数字になっていた。
卒業式の日だった。