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今日から家族?-3

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「二度と来ない」
「意に適ったようで何よりだ」
 店内で配布されていたちり紙で口の周りを拭いながら僕が愚痴ると、豪流院が満面の笑みを浮かべた。
 確かに、意には適ったのだろう。悪い意味で。
「努力しても出せんよ、この味は。あのドロドロともサラサラともしていない中途半端なスープに、そのスープを全く絡ませることのない縮れ麺! そして極めつけに、余計な節介ここに極まれりと言った按配の過度な量! 完璧だ! 甲乙の必要も無い、万人が認める『美味いラーメン屋』と言えるだろう! 飴ちゃんは如何かね?」
「貰おう」
 口直しが必要だった。豪流院がポケットから引きずり出した黒飴を受け取り、口の中に放り込む。

 高等学校の入学式を控えているという条件下での春休み。
 僕は豪流院と共に、「これぞ春休み」と言えるような怠慢の生活を送っていた。四六時中遊び呆けていたわけではないが、それでも自己研鑽と自主怠惰を比率円グラフで解析すれば、あまり穏やかな色合いにはならないのだろう。
 特に、厳しい制限や制約があるわけではない。
 無論、常日頃の行いや身の回りの出来事、それに対しての自分の心境やそれを経験した上で自分が受けた感銘などを、定期的にレポートとして提出する必要はある。或いは、何かしらの指示や父親からの命令があった際には、それに絶対に服従しなければならないのだが。
 逆を言えば、それらが無い場合は一概の学生に過ぎないのだ。そして今は、その「それらが無い場合」に該当する。
 受験戦争から卒業と、慌しい日々を続けていた後に待ち受けていた休暇だ、遊ばない理由が無かった。そんな時に豪流院から「ラーメンを食べに行こう」と言う、何とも豪流院らしくない普通の「遊びの誘い」に乗った僕が連れて来られた場所、というのが……

「噂は嘘をつかないな。何て言うか……驚きの味だった」
「こういうのを『美味い』と言うのだ」
 豪流院はさも満足だと言わんばかりに楊枝で歯の間をこそぐっているが、反面僕の胃腸は穏やかな反応を示してはいない。
 店内で問題のものを食すまでは、店側の立場やメンツを考えて、あまり直結したことは言うまいとは考えてはいたものの、あれほどまでに客に対して気を使っていない味のものをドカンと出されてしまっては、そんな気遣いなど失せてしまった。
 結論を簡潔に申し上げよう、不味かった、と。
「あいにく、僕はそれと対極の感想を得たんだけどな」
「それは貴殿の認識と私の認識に相違があるからだ。問おう、『美味い』とはどういうことかね?」
「返答に困る質問をするな、お前は」
「容易く答案が出る問いなどに価値は無いからな」
 時偶、豪流院の質問の意図が読めない場合がある。
 尤も、「時偶」という言葉を使うほど時偶ではなく、豪流院の口から漏れる問いのその八割が理解不能なものなわけだが、今回のケースは、それらの中でもまだ解り易い方にカテゴライズされるのかもしれない。
「舌や胃に心地良い感覚を与えてくれるようなものが、美味いって言うんじゃないのか?」
「ふむ、いかにも一般ピーポーが考えそうな発想だな。結構、ならば次の問いだが、『不味い』とはどういうことだ?」
「その逆、だな」
「ええい、色気が無い!」
 豪流院が楊枝を吹き矢のように噴き出し、僕の額にヒットした。
「何すんだよ!」
「今の刺激で貴殿の脳細胞が覚醒し、その老廃物しか詰まっていない脳内にレボリューションが発生することを願って止まない次第だ。聞け、友よ!」
 どう好意的に考えてもラーメン屋に赴く際に身につけるものとしては相応しくない純白のスプリングコートを派手にはためかせ、豪流院が例のポーズを決める。人目が多いので、正直な感想を言えば他人の振りをしたい気持ちで一杯だ。
「心地良い味? 胃袋と舌がねじ切れそうな不快感を感じる味? どちらでも構わん、それらのような感銘を受けた時点で、その食べ物には『美味い』の感想を抱くべきだと私は考えているのだ。 貴殿は書物を漁る趣味はあるかね?」
「人並みには、な」
「書物にはそれぞれ、喜劇と悲劇が存在する。沈んだ気分を一転させるような愉快な道化が右往左往する喜劇を見れば、それはそれは晴れやかな気分にもなろう。また、実ることの無い夢や愛を追い求める者達が右往左往する悲劇を見れば、胸張り裂けんばかりに陰鬱な気分にもなるはずだ。だがしかし!」
 瞬間、僕にその長い人差し指を突きつけ、そのままその指を眉間に持って行き、眼鏡をクイ、と持ち上げる。イライラする。
「それほどまでに心境に与える変化が正反対であるもの達でも、『名作だ』と評価されるではないか。一つ括りに、晴れやかな喜劇も、陰鬱な悲劇も、だ。ならば逆説を見よう。『駄作』とは何か? 単刀直入に言うならば、洗練されていない、心に何の感銘も与えないようなもののことを言うのだろう」
「つまり、あれか?」
 ビーズ程度の大きさにまで溶けた黒飴を奥歯で噛み砕きながら、僕は豪流院に問いかける。
「あの、胃の中の襞も粘膜も余さず溶かし尽くさんばかりの凄まじい味も?」
「所謂一つの『美味い』だと、私は考えるな。逆に、何の感銘も無く、一日二日経てばどんな味だったかも忘れるような食物を、私は『不味い』と声高々に叫びたい」
 声高々に叫ぶ必要は無い。
 が、しかし。
「うぅん……一理、あるのかもな」
 案外、理に叶っているのかもしれない。
「美しい味」と書いて美味しい、「不明な味」と書いて不味い、だ。こうして字を分解して考えても、豪流院の理屈は決して読まずに捨てていいものではないのかもしれない。
「尤も、これは私の主観的理論であり、これに共感を覚えられても、私は些か不満を覚えるわけだが」
「何故?」
「反論が無ければ面白くないからだ。競争無き世界には洗練も又無い。貴殿にはまた、別の理論を持って貰わなければ、ちと退屈だと思わんかね?」
「なら、こういう線はどうだ? 確かに『不味い』の認識は認める。だけど『美味い』に関してはその限りじゃないぞ。美しい味と書いて『美味い』だ、さっきのあれは、どう考えても美しい味とは言えないんじゃないか?」
「付け焼刃の理論は、砕くのもまた付け焼刃で十分だと言う事を知るといい。美術を考えるのだ、パブロ・ピカソの描くキュビスムの表現は、決して万人が見て『美しい』と言えるものではない。だがしかし、それを『美しい』と絶賛する者もいるのだ」
「それはマイノリティに限定される話だろう? ポピュラーな視点で捉えるべきだ。万人が認めないと、それは正しい認識にはならないはずだろ」
 何か秘案でもあるのか、豪中院が自信の滲み出るような仕草で眼鏡を持ち上げると、不敵な笑みを浮かべる。
 その時。
 何とも言えぬメロディが、僕と豪流院の鼓膜を劈いた。ピアノとバイオリンが奏でる、無駄にうるさいクラッシックである。
「むっ、私の携帯電話か」
「何とかならないのか、その着信メロディは」
「エンコードする際に出力形式を間違えたようでな、このような雑音混じる不協和音になってしまった。しばし待たれよ」
 元々大きめのサイズなのだろうが、どうしても長身の豪流院に握られてしまっては頼りなく見えてしまう携帯電話を耳にあて、豪流院が通話を始める。
「私だが。……ああ、姉様か。如何なる用か? ……それは、本気で言っているのかね? 否、姉様が機械を天敵としている事は旧知の事実ではある、それは認めよう。だがしかし姉よ、私は今、友との物見遊山の最中なのだ。……姉様、いい加減良い年なのだから、その程度のことで泣きじゃくるのは控えていただきたい。……何? ……それは、まことであろうな? ふむ、悪い条件ではないな。……あいわかった、何かしら手を打とうではないか。念押しするまでも無いであろうが、約束を違えるような真似は控えてくれたまえよ? ……うむ、了解した、十分ほどで帰宅しよう」
 携帯電話を折り畳むと、スプリングコートのポケットに仕舞い込む。
「すまない、友よ。早急に帰宅せねばならなくなった」
「お姉さんか? 何か困ったことでもあったのか?」
「洗濯機が故障したらしい。現時点でチョークを極められたカニのように泡を吹いているそうだ。私はこれから自宅に舞い戻り、洗濯機の基盤と格闘することになるだろう、難儀な話である。報酬としてスレイプニルの燃料満タン一回分をせしめたがな」
「いいんじゃないか? 業者に頼むよりはずっと安上がりだ」
「本日物見遊山に赴くプランを立てたのは私であり、その私が率先して帰宅を所望することは理に叶わぬものであり、しかしそれをせざるを得ない私が貴殿に取る行動と言えば、謝罪という単一の行動に限定されるであろう。大いに私を詰ってくれて構わない」
「いいさ。早く戻って修理してやるといい、漏電を起こして電気料金が家賃を上回る前にな」
「そうするとしよう」
 スレイプニルのエンジンをかけると、情けない音を出してスレイプニルが鼓動を始める。名前負けとは正にこのことを言うのだろう。
「埋め合わせはしよう、ではさらばだ!」
 カブに跨り、白よりも白いコートをはためかせながら、颯爽と豪流院がその場を去っていった。

「僕も帰るか」
 一人ごち、普段から通学路として使用している道を、普段通りに歩く。
 学生の身分としては紛うこと無く春休みではあるのだが、社会人としてはその限りではない。従って人通りは閑散としており、その代わりと言っては何だが、お昼時とあって飲食店の類は繁盛の兆しを見せていた。
 ふと、電気店が目に入る。
 どこの町に行っても、おそらくはその名前を目の当たりにするであろう程度に全国規模でチェーン店を構えるその電気店は、僕にとってもまた見慣れた名前である。
 確か、この電気店の筆頭株主に父の財閥の名があるはずだ。
 この辺りの商店街では比較的大規模な店舗にカテゴライズしても広告に偽り無しと断定出来るであろうその電気店の昇りには、「社会人新生活応援フェア」と記載されている。
 社会人新生活応援フェア。
 高等学校、専門学校、大学院、或いは中等学校。
 それら教育と呼ばれるものから逸脱し、日本経済の礎となるべくその身を企業に捧げ、親元を離れて一つの世帯の世帯主となる成人達を、その名の通り応援するフェアである。
 実際、消費者からしてみれば相当に悪くない催しだと思う。そこに展示されるのは、最新式という言葉からはかけ離れた、型落ちで旧式の質の有無とは別の世界にある、所謂ジャンク品というやつなのだが、それで十分だろう。身分にそぐわない物品で身の回りを固めるべきではない。
 店内に入ることはしなかったが、窓越しに中を覗いてみると、おそらくは母親であろう女性と共に、電子ジャーの前でウンウンと唸っている男性が見えた。

 あらアンタ、これなんかいいんじゃないの?
 うーん、でもこれちょっと高いよ。こっちの方が安いみたいだし。
 馬鹿ねアンタ、こういうものを買う時は高い方を買うべきよ。大きな買い物なんだから。
 大きな買い物だから安く済ませるんだろ、お金を出すのは僕じゃないんだから。
 ヤダねこの子は、お金のことなんか気にしなくてもいいのよ。アンタが良いと思うものを買いなさい。

 きっと、こんな会話が成されているのだろう。尤も逆のケースである可能性も否定出来ないのだが。
 だからどうしたんだと言われると。
 その通りだ。だからどうした、となる。
 電気店。
 社会人新生活応援フェア。
 親子連れの電子ジャー議会。
 一切合切、関係無い。関連する部分を見つける方が難しい。
 電気店にお世話になるほど、現存の電化製品に不備を感じてはいない。
 新生活と銘打つほど、今の一人暮らしに真新しさを感じてはいない。
 連れる、親がいない。

 帰ろう、と思った。
 寂しさを感じたわけでも、妬ましさを感じたわけでもない。
 少し前に持っていた思考回路に戻しただけだ。
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六月十七日 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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