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16th.Match game4 《青パジャマ赤パジャマ黄パジャマ的な》

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「カレー……カレーだよな、材料的に」
「そう正解。今日はシーフード・カリー」
「すげえ」
「何が?」
「カレーが」
「カレーが?」
 キッチンで恵姉と一緒に食材たちを広げていく内に、思わずそう発してしまった。
 驚いたことに、カレーだった。華麗なる一致。聞けば、3人も同じ香りを買い物がてらかがされて刺激されてしまっていたとのこと。懐かしい思い出とともに鼻孔やら脳髄をくすぐり倒すあのかぐわしさは、きっといつまでも人間を魅了する存在なのだろう。調理器具を2セット分取り出し、隣で意気揚々といった表情を見せている恵姉に渡しながら、そんな感傷に俺は浸っていた。
 先にお客様方にはお風呂を楽しんでもらっているので、調理場にいるのは我々神崎組だけである。2人には超ゆっくり浸かってもらうよう言っておいたので、時間的にはまだまだ余裕があった。テレビのニュース番組が流れる中、黙々と俺たちは作業をこなしていった。
 恵姉には最低限の仕事だけをさせた。具体的にはジャガイモの皮むきやにんじんの皮むきやタマネギの皮むきといった主に下ごしらえまで。火は使わせない。使わせてはならない。それ以降の調理段階を俺がやることで、今日の夕飯は安全かつ美味しく召し上がることができる、そういう寸法だ。

「これでよし。さ、鍋に火を入れるわよー! 功、油の量っておたま何杯だったっけ?」
 下準備が終わったところで、脱衣所から2人の声が聞こえてきた。完璧なタイミングですありがとう。勿論無言ながら、しかし思わず賞賛の声を、きっと今まさに桃源郷と化しているであろう脱衣所の彼女たちへ送る。恵姉に調理の主導権を与えてしまうと、本気で生物的危険物を作りかねない。彼女の調理の腕は今の質問内容やさしすせそを未だ理解できていないことからも明らかだ。今日はこうしてお客様もいるわけだから、安全な食をおもてなしする義務がある。
 とどのつまり、俺には努めてやんわりと言いくるめて、恵姉のやる気をはぐらかしにかかる必要性があった。
「ええっと……そうだ、恵姉、先に風呂はいりなよ。もう2人上がったみたいだしさ」
「え、いいよまだ。だってやっとカレーを作る楽しみをこれから味わえるってのに」
 当然の反応で返された。しかしこちらには武器がある。セクシュアル的なね。
「でも、俺だってこう、入りづらいじゃん。精神衛生上よろしくないって言うかさ。恵姉とはもう小さい頃からの付き合いだから流石に平気だけど、2人のすぐ後にってのはよくないだろう? かと言って掃除してまたお湯溜めるのも面倒だし、水道代だって馬鹿にならない。だからお願い、ここはお先に入ってくれませんでしょうか」
「……確かにそれもそうよね。あーあ、2人に腕をふるってあげたかったんだけどなあ」
「申し訳ない。でも、恵姉の意志は俺が立派に受け継いで形にしてあげるからさ」
「しょうがない、わかった。じゃあ後は頼んだぞ、功!」
 親指をぐっと立てて恵姉は調理場をあとにしてくれた。ミッション・コンプリート。今日はきっと布団に入って眠りにつく前に自分を誉めてあげようと思います。ちなみに俺と恵姉は小さい頃よく一緒に風呂に入っていたそうで、よく希さんと3人で湯船にもぐって、どれだけ息を止めていられるかを競ったりしていたそうだ。幼少時の記憶がもう思い切り不透明になってしまった今ではまるで覚えちゃいないが、なかなか贅沢な時を過ごしていたと今になって思ったり思わなかったりする。が、とりあえずゲンキに言ったら間違いなく妬み殺されると思うのでこの件に関しては秘密にしている。 
「おフロお先でしたー。おお、シェフがいるぞ。はかどってるかね? 順調かね?」
 恵姉と入れ違いに入浴組がダイニングへと入ってくる。当然ながらふたりともまだ髪が乾ききっていないご様子。頑張って無表情を心がけたが、肩までしかない恵姉とは一味違うふたりのロングの濡れ髪に、少しだけ胸の鼓動が早まった気がした。
「ええ。がんばって炒めてますよ」
「ふうん。えらいえらい」
「うわ、感情こもってねー」
「そんなことないって」
 頑張ってる? やっとるか? はかどっとる? 順調かえ?
 寺岡先輩はほぼ毎回俺を見るたびこうした声かけをする。そろそろ『あなたはまるで年に数回会うか会わないかの親戚のおじさまおばさま方ですか』とでも問おうか、などと思う今日このごろだ。
「功一くん、わっち超ノドが乾いたでありんす。何かおいしい飲み物はないナリか?」
「ないナリって……ありますよ、多分冷蔵庫にオレンジジュースが」
「あったー」
 鍋の具材に注視しながら答えるが早いが、ささっと冷蔵庫のドアを開けて先輩はお目当ての清涼飲料水を右手に取り高々と宙に向かって掲げた。はは、相変わらず気持ちいいくらいの遠慮の無さでござんす。
 でもそれが先輩のいい所なんだよな。あっさりして裏表の無いところが。
「知ってたくせに。いつも希さんがオレンジジュースを切らさず買い置きしておくこと」
「えへっ。あ、清夏ちゃんも飲むでしょ?」
「私は後でいいでーす」
 草原先輩も遠慮せず飲んでください、と言おうとして顔を上げると、もはや冷蔵庫付近には誰もいなかった。どうやらふたりともリビングにいった様だ。パジャマ姿に気もそぞろになってしまった自分を落ち着かせようと、頬をぺちぺち叩く。と、突然左隣に気配を感じた。
 両手を頬にくっつけたまま恐る恐る気配の先へと振り向けば、そこには艶やかな黒髪をしたたらせた草原先輩が立っておいででした。首に黄色のタオルをかけ、さっきまで恵姉の使っていた包丁を手にお持ちで。虚を衝かれて、一気に全身ごとごりごり凝り固まってしまう。
「せ、先輩? 何を……」
「何って、私も手伝うの。サラダ作るから」
「え? あ、いいえ。俺やるんで。先輩も寺岡先輩とリビングで休んでいてください。ここは俺が」
「ううん、やります。私も料理大好きなの。やらせて?」
 と、何か非常にいやら……いや、なんでもない。積極的な先輩の姿を目の当たりにして、思わずコクコクと首肯してしまった。そうして、炒まりきって飴色になった野菜を木べらで撫ぜながら、30センチ程の距離で並んだ現状を俺は必死に受け入れようと意識を集中させていった。  
45, 44

  

 恵姉が風呂を済ませる頃には無事に料理も出来上がりを見ることができ、悔しがる彼女を尻目に安堵のため息をつける幸せに俺はひたれていた。草原先輩はと言うと、結局サラダをわずか5分ほどで仕上げてみせて特級厨師ぶりをアピールし、その手馴れた包丁さばきにはただただ感心することばかりであった。そうそう、コップやらお皿やらを並べていただいた寺岡先輩にも感謝感謝、と。
 夕食は俺の入浴の後行われ、寺岡先輩の挨拶にはじまり女性陣のおかわり攻めにも遭いながら、しかしとても楽しくすごす事ができた。味のほうもなんとかご納得をいただけた様で、ほっと胸を撫で下ろす思いだった。その後腹ごなしにベランダで開催された、少し早めのプチ花火大会も大好評の元に行われ、寺岡先輩に点火した花火を向けられ追い掛け回されたりもしたが、なかなか充実した時間をすごす事ができた。
 しかし。しかしだ。幸せはそう長く続きゃしねえとはよく言ったもので。
「あー、そこその定理使うんだ。なるほどねえ」
「多分だけどね。いづみちゃんの解き方も合ってると思うけど、こっちの方が早いかも」
「うーん、さっすが図書委員にしてクラス5本の指に入る女傑。よっ、清夏ちゃん!」
「いづみ、その囃しヘタすぎ」
「あは、こりゃ失礼」
「あははっ」
 再び始まってしまった勉強会。しかも会場は再び俺の部屋となれば、勿論参加は強制だ。新出漢字の書き取りをやりながら、ひょっこり顔を出した心地よい眠気とのリターンマッチに俺は追われていた。とにかく眠い。隣にブラックコーヒーを置いてはいるものの、期待していた睡魔撃退効果は一向に現れてきてはくれない。
「功、起きてる?」
 それに、時折こうやって恵姉に安否の確認をされるので、否が応でも反応しなくてはならない。前門の睡魔、後門の鬼姉とはよく出来たフレーズだよまったく。
「なんとか」
「とにかくどこかにゴールを決めて、そこまでやったら寝ていいから。でもまだ始めて30分しか経ってないんだから、しっかりしな」
「ふぁ」
 小言を言われてももう受け入れるだけの意識がない。返事すら億劫だ。今日は範囲分の書き取りを済ませて記憶したらそれでゴールにしよう。覚えられてる実感ないけど。
 ずっと遠くで救急車のサイレンが鳴っている。夕食と就寝の間、だいたい入浴や晩酌の時間といったところであろうか。部屋で作業しているこの時間帯に、よく耳にするように感じる。
 ペンを動かしていた手を止めると、カーテンの端を中央に向かってわずかにずらして暗い窓の外へと上体を向けた。音の小ささからして近所では無い事が振り向く前から明白だったが、俺は普段そうするように音のする方角を向かずにいられなかった。微妙に気になってしまうのだ。
 暗闇に邪魔をされ、視界はすぐに漆黒に染められてしまった。いつも通りだ。
「鳴ってるね」ため息をつくなり、ささやくような小さな声を投げかけられる。
「はい。いつもこの音を聞くと何か漠然とした不安に駆られてしまうんですよね」
 声に応えながら回転椅子にもたれた体を再び左へと回して反転させると、勉強を続ける姿勢を崩さずに、しかし先輩も自分と同じように窓の外へ瞳を向けていた。
「わかる気がするわ」
 先輩の髪は既に乾ききっていて、いつものさらさらしたロングを肩から腰の方へとしだれさせていた。憂いを帯びた瞳、端正な顔立ち。しばらく俺は先輩の横顔から目線を動かせず、結果的に見入ってしまっていたのだが、やがて再びこちらに振り返る動作を見せたので慌てて目を逸らした。
「あ、あーあーふたりして同じ格好でまあ……」
「ふふっ。ふたりとも英語の文法にバッサリ斬られちゃったみたいね」
「ゴールを決めてなんたらかんたら偉そうに言ってたのはどこのどいつだっての」
 テーブルを見ると恵姉と寺岡先輩が長机に突っ伏し、一様に穏やかな寝顔を浮かべていた。振り返って初めてふたりが規則的な呼吸音をさせていることに気づいたのだった。完全に先刻までとは立場が入れ替わっている。
「渡瀬くんこそどうしたの? あんなに眠そうだったのに」
「コーヒーが効いてくれたみたいです。もう全然眠くなくなっちゃいました」
 思いのほか漢字の書き取りに四苦八苦してしまったが、ようやくノートにそれなりの黒弾幕を纏わせることができた。覚える分にもあまり苦労することなく進み、意外なほど俺は集中できていた事になるわけだが、その理由を説明するのに足る要素といえばそれしか考えられなかった。無理矢理流し込んだ甲斐もあるというものだ。
「……にしても」
「ん?」
「どうしたのって問いかけはいかがなものでしょうね。俺はただ普通に漢字と向き合っていただけですけどね」
「あは、ごめんごめん。でもコーヒーさまさまってのは間違いないでしょう?」
「そーですね。ちぇっ」
 不貞腐れて皮肉をこぼすと、草原先輩は口に手を当てて笑うのをこらえる仕草を見せた。声を上げてふたりを起こさないように配慮してのことだろうが、俺にとってはむしろ妙な表情を浮かべて無言で悶える先輩の反応のほうがたまらなく滑稽にうつった。
「あはっ」
「ん、何? なんで笑った?」
「いえ、別に大したことじゃ」
「じゃあ笑うな。今変な顔してたからでしょ! わかってんのよ!」
「ご名答です、ふふっ」
「また!」
 どうにもおかしくて小さく笑っていると、恵姉お気に入りの黄色い基調のパジャマの袖から少しだけはみ出し加減の腕を振り上げて、先輩が消しゴムをこちらへ投げつけてきた。綺麗な顔が真っ赤だ。それがまた可笑しさをこみ上げさせる。
 他愛もない囁き合いだった。けれど、先輩と話すのはとても楽しい。時間を忘れるようだ。
 今、俺は目の前にいる人に恋をしているのだろうか。それともその数歩手前なのだろうか。
 この関係を、どう定義していくのが一番自然なのだろうか――。
「ね、渡瀬くん」
 胸のうちに問いかけるように考えをめぐらせていると、いつの間にか真剣な表情を浮かべた先輩がこちらを見つめていた。
「確か恵ちゃんの部屋にもベランダってあったわよね?」
「え、ええ。ありますけど」
 質問の意味がわからないまま曖昧にうなずくと、先輩はペンを教科書の間に置いて静かに立ち上がった。ちらと顔から足の方に視線を移すと、上着を見ていて予想していた通り、足もパジャマからはみ出し加減であることを確認できた。若干のつんつるてんっぷりだ。
 先輩はそのままドアの方へと歩みを進めていく。
「あの、トイレなら階段を降りて右です」
「それは知ってる。さっき行ったから。いいからほら、功一くんも立って」
 ドアをそっと押し開けると、先輩はこちらにふりかえって右手をクイクイと数度ひらひらさせた。そのジェスチャーから「あっちいけ」か「ついてこい」という2つの意思表示が予想出来るが、たぶんここでは後者の方で間違いないはずだ。
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 自室のドアを開けるその間際、自身の数秒後の未来を予想していた正にその通りに、肌に触れてくる廊下の生温かい空気は一気に俺の気持ちを悪くさせた。確か9時過ぎまで部屋には冷房が入っていたので仕方がないとは言え、1年で1番暑いこの時期、やはり廊下は絶賛リアルな真夏の熱帯夜だ。
 蒸す。後ろに半歩戻って楽園に帰りたい。と言うか、女性陣。3人とも薄手ながらよく長袖を着れるもんですね。痛みに耐えてよく頑張った感動した。あ、ノースリーブですみません。 
「ん、今何か言った?」
「えっ、や、別に。何も喋ってないですよ?」
「そう? 変ね……今何か……」
 いつの間にか下らない夢想が脳みそからあふれてしまっていたようだ。気をつけよう。 
 
 前を歩いていた先輩は恵姉の部屋の前に着くなりこちらへ振りかえった。何か言いたそうに見えたので黙って頷いて先を促す。先輩は何か考え込むように視線を宙に泳がせていたが、少しだけ間を置くとひとつ空咳を吐いて「一応聞いておくんだけどさ」と切り出した。
「なんですか?」
「うん。あのさ、功一くん。なんて言うか、こうやってある意味勝手に恵ちゃんのお部屋に入るのって初めて?」
「え? あ、いいえ。何度も入ってましたよ」
「ました?」
「ました、ですね。ぶっちゃけかなり久しぶりめです、今日」
「ふうん……そっか」
 言われて考えてみると、そうだったことに気づく。小・中学校前半のころはまだ鉛筆を使っていた。だから、1日に何回かは必ず削りにこっちに来る必要があった。一家に一台、それに年功序列とあらば、是れ即ちしょうがなかったのである。彼女が1階にいようが2階にいようが、俺は堂々と部屋に行っていた。中学校に入ってしばらくしてからは流石に思春期男女特有のアレやアレでアレなもんだったから、今のように彼女の了解を得て入室する流れに自然となっていったわけだけど。
「あ、どうぞどうぞ。汚い部屋ですが」
「ふふ。じゃあ、失礼しまーす」
 コンコンと無人のドアにノックをして、さながら学校の職員室に入室するかの風情をかもす先輩の後ろに続くと、昼間のうだるような熱気の残りを恵姉の部屋はまだ残していた。改めて夏の盛りを感じる。
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