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冷めていくもの

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 なんでこんなことになったんだろう。
 僕の前に座っている女子生徒が、涙目になりながら、赤い顔をして居心地が悪そうに俯いているのである。
「ごめんなさい」
 何度もそう口にする彼女を見るたびに、かえってこちらが申し訳ない気持ちにさせられる。何しろ、僕は事の顛末をハルカ先輩にどう報告しようか、と頭を悩ませているだけであって、特に知り合いでもない女の子を責めているつもりなど毛頭ないのだから。彼女がしたことは他愛ないちょっとした悪戯に過ぎないし、物事の発端なんていつだってそんなもんだろう。
 定食の味噌汁が冷める。
 何も昼休みじゃなくても良かったのでは、と正直少し後悔していたのは事実だ。しかし学生食堂の陽気な喧騒が、今はむしろ有り難かった。
「もういいって。僕に謝られても困るし」
「でも……」
「ちょっと拍子抜けっていうだけで、別に深く気にするようなことではないと思うよ」
 正直に告白する必要すらなかったんじゃないかとさえ思う。黙っておけば誰も咎めない。
「面白半分だったので……ここまで大事になるとは思ってなくて」
「それこそ考えすぎだよ。大丈夫、なんとかなるさ」
 多分ね。保証はないけど。
 彼女はこくんと頷いた。
「佐倉君って優しいんですね。わたしのイメージしていた通り」
 見ず知らずの生徒にそう言われることが多いのは確かだが。
「別に優しいわけじゃないよ。こちらこそ責めているような形になってしまって申し訳ないと思ってるんだ」
 そうなのだ。
 騒ぎを大きくしたのは僕らのほうなのだから。そもそも文芸部の幽霊部員たちの気まぐれが原因だった。


「サクラって奴いるか?」
 数日前、図太い声が教室の入り口の前でこう切り出したときは何事かと思った。
 僕は普通に慎ましやかな学校生活を送り、放課後になったのでいつもどおり文芸部の部室に向かおうとしていた。ハルカ先輩に依頼された都市伝説の取材の続きをやらなければいけなかったからだ。
「おい和貴、呼んでるぞ」
 クラスメートの松崎が僕に向かって叫ぶ。
 はいはい今行くよ――と言って僕は席を立った。窓際の一番後ろが僕の席で、そこから目的地の扉までは約10メートルくらいか。心臓をどきどきさせながら足早に向かう。
 教壇の横の入り口には強面の上級生が立っていた。なんか雰囲気がヤバそうだ。理不尽な因縁でもつけられて殴る蹴るされるような予定はあっただろうか。いや、身に覚えはない。
「お前が佐倉和貴か」
「ええ」
「俺は榎戸佑介だ。よろしくな」
 いきなり右手を差し出されて戸惑う僕。何がよろしくなのか分からないが、逆らわないほうが良い気がしたので、不承不承僕も右手を持ち上げて相手の掌を握り返した。ごつい。強く握られたら僕の右手などひと捻りだな。
「ところで何事ですか」
「いや、成田さんに頼まれてな。お前を手伝いに来た」
「成田さんって、ハルカ先輩のことですよね」
「おう」
 廊下を歩きながら詳しく話を聞くうちに、どうやらこの強面は文芸部の幽霊部員のひとりだということが判明した。意外だ。ものすごく意外だった。ちなみに成田晴香、というのがハルカ先輩のフルネームだ。そのハルカ先輩が、この人に連絡を取って僕の取材を手伝うように指示したらしい。彼女にしては積極的な行動と言えるだろう。取材というのは無論モフモフさんの件だ。この数日間、クラスメートや同学年を中心に僕なりに情報収集を試みたが、ろくな成果が上がっていなかった。
「で、どこに行くんですか」
「とりあえず空手部の部室に来いよ」
「空手部?」
「俺、掛け持ちだからさ」
「なるほど」
 それで幽霊部員というわけか。しかし、モフモフさんの件で話があるなら文芸部の部室だって構わないのではないか、と僕は思ったのだが、榎戸氏は「渡すものがあるからさ」とだけ言うとさっさと先導していく。仕方なく僕は後を付いていく。まあ、悪い人ではなさそうだ。
 空手部の部室というのはこう、なんともいえない臭気が蒸している。男の汗を凝縮すると、こういう匂いになるのだろう。部室にはハンガーに掛けられた湿気の多い空手着や帯紐、脱ぎっぱなしの靴や洋服、読み捨てられた分厚いコミック誌のほかにはグレーの簡素な机が置いてあるだけだった。
 その簡素な机の上には何やら印刷された紙の束が置いてある。
「これだこれだ、いい出来映えだろう」
 榎戸氏は、紙束の一番上の一枚を僕に渡して自慢げにニヤついた。気持ち悪いからやめてください。そう願いつつ、僕は紙を受け取り、そこに印刷された文字を眺める。
 ――これは。

  『WANTED!! モフモフさん情報大慕集。見かけたらいますぐにご連絡を!!』

 そこには剛毅な文字で大胆にそう書かれていた。ご丁寧に僕の名前とクラスまで書かれている。大募集の字が間違っているのはお愛嬌だろう。指摘する勇気が僕には欠如していた。
 タイトルの下には、二つ目玉のついた毛の塊のようなものが指名手配犯の肖像よろしく手書きで描かれている。おそらくモフモフさんの想像図なのだろう。しかし可愛いというよりも、なんかリアルだ。
 で、この印刷物の束はなんだろう。
 いや、分かっている。分かっているがしばらく思考停止させてくれ。そんな心境であった。
「よし、では配りに行こうか」
 僕は軽く頭を振って邪念を追い出した。


 学校はちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
 それはそうだろう。例の指名手配ポスターが学校中のあちこちに貼られているのだから。各クラスにも40部ずつ配布されている。幽霊部員を総動員したのだと榎戸氏は言った。僕も図書室にお願いして置かせてもらってきた。当然、学校中でモフモフさんのことが話題になり、特に女子生徒の間ではその話題でもちきりの様子である。探偵団まがいの自主的なマニアグループまで登場したようだ。
 僕の元にも、モフモフさんを目撃したとかしないとか、その手の情報が続々と寄せられるようになった。
 もちろん「高校生にもなってくだらねえよ」という松崎の台詞が大多数の生徒の意見を反映しているのだろうが、それでもモフモフさんの名前を知らないものは今や学校内に存在していないだろうという点では効果があったと認めざるを得ない。
 戦略的には大成功だろう。
 大成功だろうが、しかし、僕の中に辟易した気分が無くはなかったことは否めない。こうも話が大きくなるとは正直思っていなかった。しかも騒ぎの中心に僕がいるというのが、面倒この上ない。榎戸氏は大変ご満悦であったのだが。
 もうひとり、この快挙を大変お喜びになっている方がいた。
「これで『モルフォ』に書くネタも十分ね。きっと大盛況よ」
 ハルカ先輩は満足そうに何度も頷く。ときどき、むふふ、と満面の笑みを零す。
 自作自演もいいとこだろう、なんてことは僕も口には出さない。
「でも、目撃情報っていうのも曖昧なものばかりなんですよね。姿とかはっきり見た人はいないし」
「そういうもんよ。そのほうが夢があるじゃない」
「夢ねえ……確かに、正体とか分かったら意外とつまらないものかもしれないですしね」
「そういうこと言わないでよ。正体を暴く、っていうのも来月号の重要なネタなんだから」
「暴くって、白猫とかウサギとか、誰かが勝手に推測した話をまとめるだけじゃないですか」
「文章のタイトルはセンセーショナルなほうがいいのよ」
 やれやれ。
 ハルカ先輩のレポート記事は、騒ぎに更なる火をつけるつもりだろうか。このままでは誰かがモフモフ狩りとか始めそうな勢いだ。
 それでも、僕は微笑ましく眺めていた。都市伝説といったら呪いとか死体とか物騒なものが多いが、今回のはどちらかというと女子生徒に人気が出る類の「可愛い」奴だったからだ。モフモフさんを見た人は幸せになれる、なんていう付加情報まで登場しているくらいだ。
「それがね、そうとばかりも言えないのよね」
 そう言って、ハルカ先輩はノートパソコンのモニタを僕のほうに向けた。
 表示されていたのは、都市伝説の話題を取り扱ったまとめサイトの掲示板だ。そこには、過去にモフモフさんを捕まえた人が行方不明になった、という記事が匿名で投稿されていた。モフモフさんの正体は学校で首を吊った生徒の魂ではないか、などともっともらしく書かれた議論が後に続いている。
「こういう悪質な噂も出回り始めているのよ」
「まあ、こういう噂のほうが愉快に思う人も多いから」
「そうよね」
 彼女は悔しそうな顔をした。
 部室にしばらく思い空気が流れた後、それじゃあそろそろ私は記事をまとめるわ、とハルカ先輩は再びノートパソコンに向き合った。
「まあ、取材はもう少し続けてね。盛り上がるようなら次の号にまた特集してもいいし」
 OK、把握した。僕はそう告げて部室を後にした。
 
 
 で、この顛末である。
 翌日の昼休み、学食に向かう廊下の途中で同学年の物井佐和子に声を掛けられた僕は、また新たな目撃情報か何かかと思ったので、気軽に
「あ、じゃあ学食で一緒に食べながらどう?」
 と誘ったのだ。頷いた物井さんは、しかし少し怯えていた。
 例の不吉なほうの噂話を持ってきたのだろうか、と少し嫌な気分になったが、彼女から飛び出した話はそれ以上に僕を困惑させた。
「お味噌汁、冷めるよ」
「あ、はい」
「それで?」
「あの……ごめんなさい」
「え、何のこと」
 いきなり謝られても身に覚えがない。
 しかし、彼女の表情は真剣そのものだった。
「あの話……ええと、つまり、モフモフさんのことですけど」
「うん」
 物井さんは、また躊躇いの表情を見せてから一気に言葉を走らせる。
「あの話、実はわたしが最初に流したものなんです」
 ――な、なんだって!! 僕の中の誰かがそんな風に叫んでいた。
「いや、ちょっとまって。ということは、意図的に作られた話だったってこと?」
 はい、と答えた物井さんはすこし涙ぐんでいた。責められていると感じたのか、俯き加減になってしまった。
 それにしても、情報の発信源が登場するとは思わなかった。正直、驚いたが、僕のそのときの感情は怒りや戸惑いというよりも拍子抜けという表現が正しいだろう。あれだけ大騒ぎになって実は捏造でした、なんて。
「ごめん、責めているわけじゃないんだ。でも何でそんなことを」
「それは……」
 言い澱んでから「たぶん、目立ちたいっていう思いがあったんです」と彼女は言った。
「目立ちたい?」
「わたし、引っ込み思案な性格だから、率先して人前で何かをする勇気はないんですけど……」
 だんだん声が小さくなっていくのは、罪悪感からだろうが、普段からそういう性格なのかもしれない。
「だからクラスではいつも空気みたいな存在で。でも、心の中では誰かに影響を与えてみたいっていつも思ってて、それで匿名で噂を流してそれが広まったら楽しいだろうなってふと思ったんです」
 そういうことか。
 分からないでもなかった。いや、僕自身にそういう願望みたいなものはなかったが、ある意味でこの子はハルカ先輩と似ているんじゃないだろうか。ハルカ先輩も普段はおとなしく目立たない人だったはずだ。だから、文芸という媒体をもちいて精一杯の存在を主張していると考えることもできる。自分の書いたものが誰かに読まれ、そのイメージが共有されて広まっていく。そこには一種のカタルシスのような作用があるのだろう。
 物井さんの場合は、それが都市伝説的な噂話をこっそり広める、という行為であったに過ぎない。
 別にそれほど罪悪感を感じるような事ではないと僕は感じる。しかし、元々の真面目な性格があまりに大きくなった噂話に耐え切れなくなったのだろう、と目の前で必死に涙を堪える彼女を見て思った。
「そんなに気にすることないよ」
 消え入りそうな物井さんにそう声を掛けながら、僕は嬉々として『モルフォ』の執筆に勤しんでいるであろうハルカ先輩になんて言おうか考えていた。


 モフモフさんの姿を僕が見たのはその一週間後のことだった。
 
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