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「────で、その第十二メインポッドのプログラミング修理を行ってもらいたい、と」
緑色のソファに座ったリーベルトが、陶器のカップに入ったコーヒーの最後の一口を啜る。
「はあ、アンダーグラウンドの生まれながらにして、優秀プログラミング技術をお持ちのスミスさんなら、どうにかできると
思いまして.....」
背の低い机を挟んで反対側の、紅いソファに座った気弱そうな中年男性がもじもじと言う。
「私はちゃんとした資格を持っているわけではありません。ですから、お国の....いや、大陸の問題に
私みたいな馬の骨が関わることになりますが、よろしいのですか、メンデルさん」
口の端に卑屈とも取れる笑いを浮かべるリーベルト。
役人が困り顔で何かを喋ろうとすると、給湯室のドアが勢いよく開いた。
「はーい、コーヒーのお代わりがいかがですか」
事務所の古臭い装丁には不釣合いな、真新しい装丁のドアが開き、助手のアンネが盆を携え出てくる。
「ベンジャミン君、お客様がいらっしゃるんだから、もう少し静かに入ってきてくれたまえ」
空のカップにとくとくとコーヒーを注ぐアンネに、リーベルトは静かに注意をする。
「えー、『マスタング共和国 浮遊動力管理官 ワトソン・メンデル』.....
すごーい、スミスさん、役人の方からお仕事貰えるようになったんですね」
彼の注意も上の空。アンネは机の上に置かれていた名刺を手に取り読み上げた。
「わかったから、君はそのティーポットを置いてさっさと行ってくれ。商談の邪魔ですよ」
いたずら猫でも追い払うかのように、リーベルトは手で彼女を払う。アンネは盆を机の上に置いて、不機嫌そうな顔をしてドアの内側へと消えていった。
「いや、申し訳ありません。悪い娘ではないのですが、時折お転婆が過ぎるというか...」
肩を竦めるリーベルト。
「いや、いや。なかなか綺麗なお嬢さんではないですか」
肩を揺らし、愉快そうに笑う役人、ワトソン・メンデル。
リーベルトは新たに注がれたコーヒーを啜るが、想像していたより熱かったようだ。顔を少し顰める。

 「とりあえず、大雑把でもよろしいので仕事の内容を教えてもらうと有難いのですが」
上半身を乗り出すリーベルト。
「ええ、ええ。そうかと思いませて用意させて頂きました。では」
ごほん、と一つ咳払いをし、役人は一つの紙筒をとりだす。
机の上に紙を広げる。紙には巨大な機械の断面図と、上部に大きく"CAMPANERLA''と活字で刷ってある。
「今我々の立っているこの大陸は、ご覧のように百個近くの『反重力ポッド』と呼ばれるものによって、空中に浮遊することができている訳です。
ジャック・ギブソン博士はご存知ですよね。彼が生涯を掛けて作り上げた世界で最初の機械大陸の浮遊システムです。
このシステムは、エネルギーの100%再利用のできるものなのですが、出力の調整が難しいところが唯一の難点なのです。
一つのポッドが不具合を起こすと、大陸全体に徐々に傾きが生じます。わずかですがね。でも、放っておいても良いことは何も無いので、歪みが大きくなる前に
早めに直してしまおうということです。」
機械の構造図、最も、それは円盤のようなものだが、役人は円盤の下部所々についた丸を指差しながら説明をする。
「なるほど。しかし、私以外にも優秀で信頼のおける方々はいるでしょう。何故私に.....」
顎を手でいじり、図を凝視しながら喋るリーベルト。
「はあ、悪戯なんでしょうが、なぜかここ一週間ほど、ポッドの動作システムの方に頻繁に干渉してくる輩がいるらしいのです。
その輩のハッキングの腕が大した物らしくて、梃子摺るらしいのです。有能なメカニックはそちらの防衛の方に出払ってまして、
頼み込める人があなたしかいない訳なんです」
役人がハンカチを取り出し、額の汗を拭う。
「ふぅん.....その第十二メインポッドの不具合ってのも、ハッキングによる影響なのですかね?」
「それは調査中ですが、可能性は否めませんな」
眉間に皺を寄せる役人。
「ふむ、そうですね。こちらも準備がありますので、明日あたりにでもまたいらしてください」
「で、では引き受けて下さるのですか! 有難うございます!」
役人が握手を求め、手を差し出す。
リーベルトの華奢な手が、それを優しく握った。

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 「ふう、やれやれ。やっぱり役人相手に喋ると疲れる」
地上へと客を送り出し、事務所の階段を下ってきたリーベルトはワイシャツの袖で額を拭う。
「もう、私だって助手なんだから一緒にお話聞いたっていいじゃないですかぁ」
ステンレススチールの盆を抱え、アンネが頬を膨らます。
「君が一緒にいたら何を言うかわからないだろう.....だが、僕は君の腕は買っているんだ。
どっちにしろ連れて行くつもりだから安心したまえ」
アンネの頭に優しく手を乗せる。
「まあ、連れて行ってくれるんならいいんですけどね....」
口の中で篭らせるように呟くアンネ。
「ま、とりあえず、だ。初仕事は結構な大物になりそうだ。だから君は仕事に備えて、しっかり睡眠でも取っていてくれたまえ」
腕を伸ばし、口を空け欠伸をするリーベルト。
「もー、私を実戦で使う気あるんですか? ほとんどスミスさんが片付けちゃいそうなんですけど」
アンネがソファに腰掛ける。バネが驚いたウサギのような鳴き声を上げる。
「大丈夫だ。こればっかりは実際に経験しないと身に付かない。ちゃんと君の取り分は残しておくさ」
リーベルトが向かいのソファに腰掛ける。
「所で、私たち便利屋風情が大陸修理なんて大それたコトしていいんですかねぇ」
口を尖らせるアンネ。
「私はこれでも、野良プログラマとして有名な方であったと自負しているよ。
自慢するわけじゃあないが、私の仕事の実績を見れば、別段不思議な事でもないと思うが」
ソファに背をもたれる。
「ふーん。そういえば私ってスミスさんの仕事を生で見るのは始めてになりますねぇ。
プログラマ、リーベルト・スミスの助手兼弟子として、明日はしかと学ばせて頂きますよ」
アンネが卑しい笑みを浮かべる。
リーベルトはそれに答えるかのように、お手柔らかに、と笑みを浮かべた。


 朝の日の光はリーベルトにとっては敵そのものである。
勿論、彼は遥か昔から伝わる吸血鬼の子孫である、などといった三文芝居の主人公さながらの生い立ちなどはない。
単に彼は朝起きるのが苦手という、典型的な朝嫌いの男なのである。
彼の今度経営することとなった事務所より徒歩十分、くすんだ白塗りのアパートの一室で彼は今朝も目を覚ました。
彼が目を覚ます度に目に入る、東向きの窓から射す日の光を見ると、光の無い場所へと行きたいと切に願うのであった。
そのまま日の光に焼かれて消滅してしまうのではないか、という呆け事を考えながら、リーベルトは上半身を起こす。
明るくなった室内を見回す。寝ぼけた蒼い目に映るのは整然と片付けられている室内。
本棚は壁にきちんと背をつけ、中の書物は従順な兵士のように黙って整列をしている。
スチール製の机の上には数冊の本と、紙が数枚、それに筆記用具がすこし散らばっているだけ。
いやに殺風景で不気味な部屋だ、と彼自身は常々思っている。
物事は同じもの同士で分け隔てられているのが美しい。綺麗なものは一箇所に集めて飾り、
汚いものは集めて排除する。決して混沌を許さない。同属は同属の中でこそ、真価を発揮できる。
彼はかねてより、そう考えてきた。
「ちょうど空の民と地の民のように・・・」
額に手を乗せ、呟く。
ベッドから立ち上がろうと、冷えた床に足をつける。
不意に喉に違和感を感じると同時に、その苛立ちにも似た感覚は咽頭を駆け上がる。
口腔内でそれは爆発し、唾液の飛沫を周囲にばら撒いた。
「いかん、風邪をひいたかな」
ふう、とため息を一つ吐き、ゆっくりと立ち上がった。
後ろを振り返る。やや大きめの窓に映し出されるのは、七本の摩天楼。
読んで字の如く、どれもがまさに空を擦らんとするほどの高さを誇っている。
マスタング共和国の主要行政組織の集まるビル群は今日も朝日を浴びて、燦々と輝いていた。
「私は・・・・決して許さない」
冷徹な、しかし熱を秘めた眼で、銀色に輝く天空の塔を睨む。

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「あれ、今日は早いんですね、スミスさん」
装丁の地味な、薄いドアを開けると、小柄な少女はソファに姿勢正しく腰掛け本を読んでいた。
先日リーベルトの読んでいた青い表紙の本だ。
「ああ、今日は早くに眼が覚めてしまったからね」
たまには早起きもいいだろう、とも付け加える。
リーベルトは黒の上着を、アンダーグラウンド人の時代区分で言う、中世時代風の彫刻が施された帽子掛けに乱暴に掛ける。
「ああ、またそんな風にぞんざいに扱って。シワになったらどうするんですか」
アンネが口を尖らせ、眉間にシワを寄せて小言を言うが、わざわざ直しに来てくれるわけではない。
「・・・ところで、今日は大陸修理の依頼日だけど、精神状態は良好かい?」
部屋の奥にある木製の机に浅く腰掛ける。
「ええ、まあまあってところですね。シンクロ八割を少し越すくらいでしょう」
活字を追う眼を休めず、答えた。
「そうか・・・少々低い気もするが、いいだろう。とりあえず、今日は君にフロントマンを務めてもらうよ」
はた、と動いていた眼を止め、リーベルトを見つめるアンネ。
「え、え、大丈夫なんですか? 私なんかが大陸に干渉しちゃって、ねぇ」
たどたどしく言葉を紡ぐ。
「大丈夫だ。日ごろからのシンクロテストはそこそこの値は出せているだろう? 大陸の動力制御システムといえど、基本的なシステムは通常の機械と大差はないさ。
違うのは情報量と力が絶大なだけ。呑まれないように気をつければ君でもなんとかなるよ」
へらへらと答えるリーベルト。対するアンネは俯いている。
「・・・本当に、私が・・・」 
震えるアンネの緊張を和らげようと、リーベルトが励ましを掛けようとしたが、同時にアンネは若き情熱に駆られた輝く眼を向けた。
「やった! 私の腕を見せるチャンスなんですね! ありがとうございます! スミスさん!」
形容などではなく、バネに精一杯の悲鳴を上げさせながらソファから飛び上がるアンネ。勢いよく両腕を上げると同時に、青い本が床へと落ちる。
「ふむ、緊張してるのかと思ったが、そうでもなかったようで安心したよ。だが、あまり興奮しすぎるのはよしてくれ。
精神的なコンディションに関わってくる」
彼女の喜びように少し驚きながら、机の上にある煙草の紅い紙製ケースを手に取った。
馴れた手つきで蓋をスライドさせ、手を僅かに跳ねさせる。
一本だけ出てきた、茶色の紙で巻かれたフィルター部を口に咥える。
ライターを点火させようとした時、彼はアンネが睨んでいるのに気づいた。
当の本人は疑問を孕んだ顔をして、そして思い出したように頷く。
「ああ、悪かったね。ついクセというか、なんだ、要はまだ禁煙は成功してないんだ」
細めの紙タバコを咥えたまま、後頭部を掻いた。
「まったく、健康管理は何においても大事なんですから・・・しっかりしてください」
腕を組むアンネ。小姑さながらな口ぶりは彼女の特徴の一つだ。
「では代わりにコーヒーでも入れようか。君は薄いのしか飲めないんだよね」
からかうように笑うリーベルト。拗ねた子供のように、アンネが頬を膨らませた。


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