他人に憧れを抱かないで生きていられる人間がいたとしたら、そいつはよっぽど優れた人間なのだろう。
全てにおいて誰より優っているのであれば、誰かを羨む必要なんて無い。
他人の内に、目標を見出す必要性は全くない。
―――でも、実際にそんな人間がいるはずが無く。
自分より優れている人間に憧れる。
相手を越えることを目標として、己を高めようとする。
憧れというそれは、向上心の表れととることもできそうだ。
しかし、だ。これは危うい感情ではないのか。自分より優れていること、これは自分が劣っていること、と言い換えられる。
自分のマイナスポイントを自分で認める事は、簡単そうで、これが結構難しい。
それがどうしても出来ない弱い人間にとって、憧れと言う感情は、表裏一体の別の感情となって対象へ牙をむいてしまう。妬みや、嫉み、となって、己の向上を妨げてしまうのだ。
そして、どんどんと黒く暗い方向へ沈んでいく……。
いや、私が抱いているのは、そんな淀んで腐りきった感情では決してない。だって私は、全ての点でアイツに勝っているのだから。
周りがそれに気づいていない、ただそれだけ。
唯一の私の、どうにもならない”不幸”。
「C……!」
握りしめた拳で、数多の鬱積した感情を根こそぎ払底するように、力を込めた。
2
ビルの蘇生は間一髪で間に合っていた。
さすが、IQ600超と噂されているジャスティスと、情報収集能力はCIAクラスのインカムだ。
さすがの二人にも医療の心得はなかったが、ここにホワイト=カル=ピース、つまり三崎春子の知識がドッキングしたとき、文殊の知恵がビッグバンを起こした。
白衣の天使は平和を呼ぶ、という意味の称号、『White, Call Peace』は伊達じゃあない。
やりすぎて、地球上の全ての炭疽菌が死滅したくらいだ。
さすがに衛星から照射したのはまずかったみたいだ。
……と、今日の放課後の話を、夕飯の食卓で楽しげに語るCの言葉は、楽しげな弾みを帯びていた。
「うふふ、一体何を照射したのかしらね」
Cの母、和子つまりKは、一本編んだお下げが似合う微笑みで柔らかなツッコミを放った。
「専門用語で言うと、……怪光線ということになるかな、つって笑ってた」
食卓の上のエビフライの消耗が激しい為に、喋りつつも食指を休めないC。
「またそんな戯言ばかり。いい加減もっとちゃんとしたらどうなの」
何一つ具体的な提案のない言葉で、Cがまさに今、箸に摘んだエビフライを、フォークで刺して横取りしたあげく宙に放りあげうまく口でキャッチし、咀嚼しながら忠告するのは、Cの姉の百合だ。あだ名はリリー。百合だからだ。
「もっとちゃんと、ってなんだよ。別に成績悪くもないんですけどー」
「例えば、ほら。クラス委員とか学祭の役員とかさ」
役員、という言葉にCの表情がこわばる。
笑顔の食卓の裏で、ただ一人密やかに背筋に緊張をはしらせている。
「あんたもっとそんなのやったほうがいいよ」
内心の動揺が出ないように、笑いながらあいづちを返すC。
やってるのに……。
本当は心の底からそう言いたい。
自分は、役員会の議長なんだぞ、って大きな声で叫んでやりたい。
しかし、それが何の意味を持つのか。自分で解ってもいないのに、声を張り上げることが怖かった。
ホントは全て妄想なんじゃないのか、なんて考えることもあった。だって他人にそう指摘されたら、返す言葉がないから。5人以外の人間が誰も知らないと言うこと。第三者による証明、自分を肯定してくれる存在が、Cには欠如していた。それがCの自信を、失わせていた。
今日だって、一体何と戦ったんだ。
春子もインカムもジャスティスも、ビルを救うのに、額に汗して必死だったじゃないか。
僕は何をした?
ただ、黒板消しをもったまま突っ立っていただけじゃないか?!
何もできないからと、何をするでもなく、ただ見ていた。最低だ。
これが例え妄想だったとしても、なんて自分に不都合な妄想なんだろう。
そうだ、僕たちの集まりは意味がない……いや、あの集まりの中で僕は意味がない。生産性のない集団に、生きる資格はない。
それどころが、このまま続けていたら今日のように誰かが危険にさらされてしまう。集まっても意味がないのに、これではさらされ損だ。
解散すべきなのか……。
気づけば、食卓の上にエビフライはなく、レタスだけが大皿に取り残されていた。誰に箸をつけられるでもなく、皿に緑色を付加するだけの道化。
まるでこのレタスだ、僕は。皿というひとまとまりの中の、価値のない存在。
……明日……解散決議案を提出しよう。
それを採択するのが、議長である僕ができるけじめだと思う。
僕は箸をおいた。
「リリーのいうとおりだよ……ごちそうさま」
そういってそそくさと席を立つ。
「……変なの」
リリーと母さんは首を傾げていた。
僕だってそう思う。
「結局、犯人は解らずじまいだったよ」
ほおずき色に染まった第二家庭科室で、約束事のように役員会は始まった。議題は当然、先日の”ビル暗殺未遂”について。
ジャスティスとインカムが、あの後ダッシュで向かった購買には、結局一切の手がかりはなかったそうだ。
その間に念のため、取りあえずビルに濃密な人工呼吸を施してみたことは、みんなには秘密にしている。
折角生き返ったビルのガラスハートが砕け散ってしまわないように、との僕なりの配慮だ。
「じゃあ、やっぱり無差別だったのかしらね……」
怖いなぁ……と言いたげに肩を抱く春子。
確かに、もしあのガムを食べたのがビル以外の人間、役員会と関係ない生徒だったり、ともすればジャスティスやインカムだったとしても、きっと助からなかっただろう。そう言う意味では、偶然にもこの役員会は役だった訳だ。僕の存在を除いて。
「まぁ、今回はよかったよ、ビルが無事で。それだけだ」
インカムは両肘を付いて、手の上に頭を凭れていつもの無表情を決め込む。ただし、若干口元が弛んででいるように見えるのは気のせいだろうか。
切り出しづらい……この空気で昨日の決意を伝えるのは。
「Gahahahaha、やっぱりオレタチ、最高のブラザーだぜ! なッ! C!!」
議題の中心であるだけに、黒板の前、僕の横に立っていたビルは隣の僕の背中を軽快にバンバン叩いた。
僕も気色悪いビルの唇の柔さを思い出しながらも、「全くだ! Ahaha!!」なんて気軽に返していたけれど。
ここに、自分が居ていいのか、よくわからない。
なんの特異な能力もない自分が、みんなにこうして受け入れられているのが不思議だ。
自分のどこが好かれているのかわからないから、何を維持すればいいのかもわからない。
だから、不安だった。
いつこの状況が崩れるのか、それを推し量る手段がないことが、僕の足場を脆くする。
続けていたいけど、その事自体がみんなを危険に晒している。
そして、危険に見合うほど、自分と一緒にいることでメリットがあるとは、どうしても思えなかった。
みんなの為に、そして嫌われたくない弱い自分を守る為に、解散することはやはりどうしても必要だと思えた。
「なぁ、ビル、それにみんな」
僕は改まったふうを装って、教卓に両手を付いた。
「今日はちょっと……話し合いたいことがあるんだ」
切り出してしまった。もう、止めることは出来ない。
「ん……どうした?」
ジャスティスが僕の顔色を伺いながら、訝しげに聞いた。
「昨日……ビルの命が狙われて、ちょっと考えていたんだ。僕たちが今ここに集まっている理由」
ほおずき色一色に染まる教室には、早くも蝉の鳴き声が聞こえ始めてきていた。他の音は今この第二家庭科室にはなく、ただただ蝉が生涯唯一の伴侶を求め泣いている声だけが響く。
「誰か、初めてここに来た日の事を覚えているか?」
核心に迫る問いを投げてみた。全員が俯く。
「誰も覚えていない。誰に言われ、何の為に集まっているのか、誰も知らない!! そんななのに、ただ集まるだけで何故かみんなが危険に晒されてしまう。もう僕には耐えられないよ……」
「確かにオレタチ以外は役員会の存在は知らないし、自分達でも何故集まっているのか知らない。でも、ならオレタチは”集まる”目的を考える為に、集まればイイ。」
ビルはこの集会を愛していた。それはここにいる全員が同じ気持ちだ。だからこそ、失われる可能性がある状態で存続させている今が、苦しくて、怖い。
「確かに、ビルの言うように、それが一番素敵な形だと僕も思う。でも、もしここから何か一つでも欠けたら、そう思うと崩折れそうになる。」
……。
「つまり、集まらずともそれぞれが友人としてやっていければ、それでいい、と言いたいんだな」
インカムが論点を要約してくれた。言葉が私情を挟まない事実だけになると、途端に寂しく聞こえてしまう。
「……ああ」
…。
……。
―――聞こえた……。
ワタシの部室の真上にある、第二家庭科室から、私の内側を澱ませてならないアイツの声が。
許せない。
折角、役員に選出されたのに、その権限を以て解散?
ふざけるのも大概にしろ。
いや、辞めるのはヤツだけで良い。むしろ好都合だ。後がまになるのは、このワタシだ。
「ゴメンっ、ちょっとハズすね。あとおねがいっ☆」
ワタシは即、行動を起こした。
「え、ちょ、ちょっと、とも子ぉ~!?」
済まない。ワタシにはワタシなりに生きねばならない道がある。今、霧は晴れた。
「……」
やはり窓の外から、蝉の声が入るのみで、第二家庭科室の中は息詰まるほど静かだ。
「ふっ、馬鹿げている」
その静寂を破ったのは、インカム。
「インカムの言うとおりだ。オレタチは例えどんな危険に晒されたって、乗り越えていけるじゃないか。オレなんか死ぬ目にあったんだぜ。それをすら克服できたのは、コイツら、ブラザーのお陰だ」
「そうだ、ここではいさよなら、なんて出来る程チャチな集まりじゃねぇだろ。俺はここでお前といる時間が、他のどの時間より落ち着く。誰に狙われていようとな」
ビル……ジャスティス……。
「私もだよ、Cくん。Cくんだってそうだよね?」
みんな……。
「オレタチに勝てるやつがいるか? 考えても見ろ。IQ600と噂されてるヤツに、常時接続&分離合体可能男、ナースの卵に、そして、童貞のお前。バラバラな個性をうまくつないで、束ねた一つの力にできる」
それが童貞とどこで関係しているのかは分からない……。でも、悪い気はしない。
昨日のレタスだって、残されてはいたけど、食べればビタミンがある。彼らはそれを分かっていて、健康のために全て美味しく食べきるタイプなのだろう。
「実はオレ、昨日死んだ時、……その、お花畑ってヤツに行ってきたんだ」
この局面でビルが衝撃的発言をした。
「綺麗だったぁ……、でな、やっぱり死んだグランマが向こうにいるんだ。一生懸命叫んでたよ、こっちくるな、って」
「非科学的な……。だがそれもまた良い」
一瞥もくれず、しかし僅かに微笑みながらインカムがつぶやく。
誰もが、ビルの体験に耳を傾けていた。
ほおずき色に差す陽光が、長く教卓の横にビルの影を造っている。
「でな、オレにいうんだ。『ユー達、6人のパワーがミックスされれば、きっとデンジャラスなハプンもパストアウェイする事が出来る』ってな。だから、解散なんて言うなよ」
「ビル……へへ、わりぃな」
半ベソで格好悪いが、ビルの気持ちが伝わった。
そっか、こうやって6人集まれば、乗り越え……
6人?
見ればビル以外の全員が、惚けた顔をしている。
それを見て今更ながら気付いたらしい。ビルも、あ、という顔で顎に手をあてた。
「「「「「6人?」」」」」
ビシャアァァァン!!
突然、ドアが勢い良く開いた!
そこにいる闖入者の、只ならぬ殺気。
しまった、1人……足りない……のか!!