「白崎 思織の白黒」
ーーーーーーー
香矢と久しぶりに話をして抱いた感想がまずあいつはあまり変化をしていないといった端的なものだった。口調はぶっきらぼうで見た目は人目を気にせず、そして私を少し優しい目で見てくる。
レンズの向こうで観察するおとめ座の星々をレンズで観察しながらそれを線で引っ張り、頭の中に浮かび上がったその図形に息を呑む。何度見たはずなのにその美しさは私の中できらめいていた。夜空の中でそれは一際映えることだろう。
だけど今日だけはそれに入り込む雑念がある。それが香矢のことだった。望遠鏡から目を離して制服のままごろんと横になる。硬いコンクリートの姿を背中から感じて海のような夜空を見ていると、香矢のことをまた考えてしまう。
一つだけ変わったことといえば私のことを直視しないといったところだろうか。口では何も言わないけどやっぱり昔のことを気にしているのだろう。私はやはり香矢と二人きりになることは少し避けたらよかったかもしれない
だけど確かめたかったのは私のことではなくあいつと葵さんとのことだ。横槍を入れるように感じてしまうが葵さんのことを考えるとやはり私が考えなくてはいけないことだった。
夜空に浮ぶ雲が星を隠して見えなくなる。まるで鯨のように大きな雲は星を飲み込むように空を覆い隠し私の視界に何も映さなくなる。そろそろ寝袋の中にもぐりこむ時間かもしれない。
寝転んだ体のまま屋上の床を転がり予めひいておいた寝袋にもぐりこむ。寝袋の表面は夜の水気を吸い取り湿っぽかったけど中にもぐりこむと昼間に干しておいた分の暖気を十分に閉じ込めていてすぐに眠気が訪れてきた。
星を見ないと考えることは志工兄妹のことだった。今日あったことではなくて、昔のことのほうだ。それを考えてしまうのは珍しい。香矢と久しぶりに話しただからかもしれない。そっと目を閉じるとまだ何の関係も築いていないときの私と香矢がまぶたを閉じた目の前に現れてくる。
ーーーーーーー
私が入学してからクラスは魔女の噂で持ちきりだった。ほんの一瞬の目撃談から根も葉もない噂が徐々にそれに身をつけ、一つの不思議話としてクラスの中で浸透していた。中には面白がってその話にさらに脚色を加えるものまで現れていた。
私は遠巻きにそれではしゃぐクラスメートを山の風景を楽しむように眺めながら、自らは輪の中には入らなかった。そして私の顔と意識は同じようにクラスの動きを離れてみている一人の少女に向いていた。
高校生に見えない私の背中よりも少しだけ大きいその背中でも椅子の背もたれにほとんど隠れている。後ろ髪をざっくばらんにうなじ辺りで切りそろえている髪の毛は光を飲み込むほどに黒々としている。
私はそっと立ち上がって彼女が座っている席の机に腰をかけた。彼女は私の顔を見上げて開きかけた口を閉じた。かけられている気持ちだけ細めの眼鏡が他人を拒絶しているように感じる。
「気分はどうよ」
私はさっき感じたことには無視をして気楽に振舞う。私を奇妙な小動物のような目で見てくる志工 香は私ではなくまだ魔女の話で盛り上がっている集団を細い目で見て、気が抜けるため息をこぼした。
「別に」
風鈴が鳴るようなどこか澄み渡る声だった。彼女はふてぶてしくいったつもりだけど地声の美しさから私に不快な印象は与えない。彼女の口ぶりは逆に自身のかわいさを高めるほうに効果がありそうだ。
志工 香は他人にはあまり興味がないような雰囲気をかもし出している。そのせいで周囲からは少しだけ浮いている。私だって彼女の秘密を知らなければなれなれしく会話を始めることはしなかっただろう。
「でもあんたのことじゃない。面白いとか思わないの?」
「さぁ。それに私だけのことではないの」
どういう意味かを尋ねる前に香は立ち上がると教室から出て行った。車輪つきの鞄をカラカラと音を立てて出て行く彼女の後姿は迷子の子猫のようだった。放課後はもう前から始まっている。
私は机から飛び降りるように立ち上がると自分の席に戻っていった。私もそろそろ帰るつもりだ。朝のテレビで見た感じからするに今日は満月なうえに夜は晴れるらしい。誰が考えても天体観測をするに絶好の夜空だということだろう。
香矢と久しぶりに話をして抱いた感想がまずあいつはあまり変化をしていないといった端的なものだった。口調はぶっきらぼうで見た目は人目を気にせず、そして私を少し優しい目で見てくる。
レンズの向こうで観察するおとめ座の星々をレンズで観察しながらそれを線で引っ張り、頭の中に浮かび上がったその図形に息を呑む。何度見たはずなのにその美しさは私の中できらめいていた。夜空の中でそれは一際映えることだろう。
だけど今日だけはそれに入り込む雑念がある。それが香矢のことだった。望遠鏡から目を離して制服のままごろんと横になる。硬いコンクリートの姿を背中から感じて海のような夜空を見ていると、香矢のことをまた考えてしまう。
一つだけ変わったことといえば私のことを直視しないといったところだろうか。口では何も言わないけどやっぱり昔のことを気にしているのだろう。私はやはり香矢と二人きりになることは少し避けたらよかったかもしれない
だけど確かめたかったのは私のことではなくあいつと葵さんとのことだ。横槍を入れるように感じてしまうが葵さんのことを考えるとやはり私が考えなくてはいけないことだった。
夜空に浮ぶ雲が星を隠して見えなくなる。まるで鯨のように大きな雲は星を飲み込むように空を覆い隠し私の視界に何も映さなくなる。そろそろ寝袋の中にもぐりこむ時間かもしれない。
寝転んだ体のまま屋上の床を転がり予めひいておいた寝袋にもぐりこむ。寝袋の表面は夜の水気を吸い取り湿っぽかったけど中にもぐりこむと昼間に干しておいた分の暖気を十分に閉じ込めていてすぐに眠気が訪れてきた。
星を見ないと考えることは志工兄妹のことだった。今日あったことではなくて、昔のことのほうだ。それを考えてしまうのは珍しい。香矢と久しぶりに話しただからかもしれない。そっと目を閉じるとまだ何の関係も築いていないときの私と香矢がまぶたを閉じた目の前に現れてくる。
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私が入学してからクラスは魔女の噂で持ちきりだった。ほんの一瞬の目撃談から根も葉もない噂が徐々にそれに身をつけ、一つの不思議話としてクラスの中で浸透していた。中には面白がってその話にさらに脚色を加えるものまで現れていた。
私は遠巻きにそれではしゃぐクラスメートを山の風景を楽しむように眺めながら、自らは輪の中には入らなかった。そして私の顔と意識は同じようにクラスの動きを離れてみている一人の少女に向いていた。
高校生に見えない私の背中よりも少しだけ大きいその背中でも椅子の背もたれにほとんど隠れている。後ろ髪をざっくばらんにうなじ辺りで切りそろえている髪の毛は光を飲み込むほどに黒々としている。
私はそっと立ち上がって彼女が座っている席の机に腰をかけた。彼女は私の顔を見上げて開きかけた口を閉じた。かけられている気持ちだけ細めの眼鏡が他人を拒絶しているように感じる。
「気分はどうよ」
私はさっき感じたことには無視をして気楽に振舞う。私を奇妙な小動物のような目で見てくる志工 香は私ではなくまだ魔女の話で盛り上がっている集団を細い目で見て、気が抜けるため息をこぼした。
「別に」
風鈴が鳴るようなどこか澄み渡る声だった。彼女はふてぶてしくいったつもりだけど地声の美しさから私に不快な印象は与えない。彼女の口ぶりは逆に自身のかわいさを高めるほうに効果がありそうだ。
志工 香は他人にはあまり興味がないような雰囲気をかもし出している。そのせいで周囲からは少しだけ浮いている。私だって彼女の秘密を知らなければなれなれしく会話を始めることはしなかっただろう。
「でもあんたのことじゃない。面白いとか思わないの?」
「さぁ。それに私だけのことではないの」
どういう意味かを尋ねる前に香は立ち上がると教室から出て行った。車輪つきの鞄をカラカラと音を立てて出て行く彼女の後姿は迷子の子猫のようだった。放課後はもう前から始まっている。
私は机から飛び降りるように立ち上がると自分の席に戻っていった。私もそろそろ帰るつもりだ。朝のテレビで見た感じからするに今日は満月なうえに夜は晴れるらしい。誰が考えても天体観測をするに絶好の夜空だということだろう。
ーーーーーーー
私の家庭は普通と呼ぶにはどこかずれているのかもしれない。だけど私にしてはそれが普通だった。私がこう夜遅くまで家に帰らないのも家庭にとってはいたって普通のことだった。
望遠鏡が入った鞄を持って屋上へと向かう。もう何度も通いつめた屋上に行くことは初めの頃はほんのちょぴっとだけ抵抗があったものの今はもうなんの後ろめたさも感じない。
持っている望遠鏡の重さを肩で感じて、私は夜の下へと踊りだしていった。春風は予想以上に骨身に染み渡る。校舎の屋上に立っているのに見下ろさなくても夜霧に隠れた木々の気配を感じることができた。
思った通り頭上には満点の星空が浮んでいる。私の身体は星の光を受けていつもより白く発光していた。私が屋上にまた私が入れたところをみるに教師たちは屋上の鍵が壊れていることを確かめていないのだろう。
私にとってはそれは好都合の何事でもない。ここでなら私一人だけで天体観測を満喫できる。普通個人的には何事も多人数でやるほうが充実した時間を過ごせるというのが私の意見だが天体観測だけはそう思えなかった。
天体観測は私の中で譲れないものだから。そして天体観測中の私を見られたくないから。そのことを肌で理解して屋上を独り占めするはずだった。だかそれは叶わなかった。朝の次に夜が来るように魔女が屋上の中央に立っている。それだけではよかった。でもそれだけではなかった。
魔女ともう一人誰かがいる。黒いマントをセーラー服の上から羽織り、月光を思う存分浴びている魔女の隣に学生服を身にまとった男性がもう一人いた。月明かりは私の前を照らす手助けになっているものの彼の顔を照らす明るさにはいたっていない。
私は屋上の入り口の前で魔女と彼の二人から目を離せないでいた。魔女と彼が何をしているのかは分からない。ここから二人の様子が見えないのではなく、二人はお互いをむきあったまま何もしていないからだった。
「こんばんは。魔女さん」
私はあえてその男性には気づかない振る舞いをして香の方に近づいていく。香が被っているとんがった帽子の先はぺたんと折れて、香の顔の前に垂れ下がっている。帽子の奥に隠れている彼女の表情はよく分からない。
私はここでやっと彼のほうを見た。ここからならよく彼を観察することができる。香と知り合いのようだが昼に彼女の近くで彼を見たことはない。夜の暗さに目が慣れてきて、私は輪郭から眼の形まで浮かび上がってくる。その様子はまるで夜のみにこのあたりを俳諧する亡霊のようだった。
別に幽霊は怖くはない。でも驚きで身体に寒気が通った。なんということなのだろう。男女の違いだけで顔つきが香にそっくりだった。そしてよく見ると香と彼の体格や雰囲気まで何から何まで瓜二つだった。
私が表情を変えたことに香も彼も沈黙を貫いていた。ただ三人の間に場の空気を乱すヒビのようなものが走ったのは確かだった。みんな考えていることは同じであるのに誰もそのことについて話したがらない。二人がずっと黙って意志を見せていたから私はあえて突っ込んでみることにした。
「双子?」
香は私の立った一言にびくんと身体を震わせると私から顔をそらす。彼のほうはうんざりをした顔で悪意の篭った視線を私に向けてくる。二人とも肯定はしない。だけど否定もしなかった。香がこうまで嫌がることはなかったので私は罪悪感でちょっぴり胸が痛んだ。
「私の兄さん」
帽子の中から香は声を出すと帽子をやや上向きにかぶりなおした。隠れて見えていなかった彼女の表情は私が昼に見るときと変わらない。ただ異質に光る眼鏡の奥にある目だけは見れなかった。私は香の兄さんと、香を交互に見比べて二人の違いがその眼鏡だけであることに気づく。
「志工 香矢」
眼鏡がないのに眼鏡をずり上げるような仕草をして彼は抑揚のない言い方で沈黙を破った。私はそれが彼の名前であることにしばらく気づくことはできず、香矢が私を見ているのを分かったとき気づくことができた。
さっきは悪意のように感じた彼の目は限りなく不透明だった。私を見ているようで見ていない。でも顔は私のほうを向いているから私は嫌でも彼を意識してしまう。私と香矢が向き合ったままその間を香が見ているという構図が簡単に出来上がった。
「それで兄さん。どうして今日はここに来たのですか?」
「母親が今日は帰って来いと言っていた」
「そんなことどうでもいいのに……」
香は歯を食いしばると右足で地面を踏みにじる。彼女を中心をして風が吹き荒れているように木々がざわめきだし、私の髪が踊った。
私は人事のようには思えないけど香にかける言葉が見つからない。自分でも知らない心のどこかで香を肯定していた。香矢は香に同情するそぶりさえ見せなかった。でも優しく香の肩を掴む。
「すまない。だけど今日ばかしは言うことを聞いてくれ。俺からのお願いだ」
「わかり、ました。兄さんの頼みなら」
香はそっと帽子を取る。現れた香の髪の毛は月光の影響か少し紫色に見えた。香矢は香をそっと慈しむように頭に手をのせる。私は完全に蚊帳の外だったけど最後にまた香矢が私の姿を見た。ぴたりと周りの音が止んで香矢は彼らしく振舞う。私のことには興味なさそうな冷めた視線は私にとってちょっと涼しかった。
「友達か?」
香が答える代わりに私が答えた。といってもただ首を頷くだけだった。香矢の視線に完全に私はのまれ、言葉を完全に失っていた。
「ふぅん」
香矢は私を道端で歩いている野良猫をみるような目を私に向けさっきの言葉以上のことは何も言わなかった。無愛想な彼の態度にいい感情は抱かなかったけど香の兄と考えれば納得がいった。双子なだけに香矢も香と同じなのだろう。
香の後姿が消えてなくなるまでその場で立ち尽くし、私は天体観測という当初の目的を完全に忘れていた。
私の家庭は普通と呼ぶにはどこかずれているのかもしれない。だけど私にしてはそれが普通だった。私がこう夜遅くまで家に帰らないのも家庭にとってはいたって普通のことだった。
望遠鏡が入った鞄を持って屋上へと向かう。もう何度も通いつめた屋上に行くことは初めの頃はほんのちょぴっとだけ抵抗があったものの今はもうなんの後ろめたさも感じない。
持っている望遠鏡の重さを肩で感じて、私は夜の下へと踊りだしていった。春風は予想以上に骨身に染み渡る。校舎の屋上に立っているのに見下ろさなくても夜霧に隠れた木々の気配を感じることができた。
思った通り頭上には満点の星空が浮んでいる。私の身体は星の光を受けていつもより白く発光していた。私が屋上にまた私が入れたところをみるに教師たちは屋上の鍵が壊れていることを確かめていないのだろう。
私にとってはそれは好都合の何事でもない。ここでなら私一人だけで天体観測を満喫できる。普通個人的には何事も多人数でやるほうが充実した時間を過ごせるというのが私の意見だが天体観測だけはそう思えなかった。
天体観測は私の中で譲れないものだから。そして天体観測中の私を見られたくないから。そのことを肌で理解して屋上を独り占めするはずだった。だかそれは叶わなかった。朝の次に夜が来るように魔女が屋上の中央に立っている。それだけではよかった。でもそれだけではなかった。
魔女ともう一人誰かがいる。黒いマントをセーラー服の上から羽織り、月光を思う存分浴びている魔女の隣に学生服を身にまとった男性がもう一人いた。月明かりは私の前を照らす手助けになっているものの彼の顔を照らす明るさにはいたっていない。
私は屋上の入り口の前で魔女と彼の二人から目を離せないでいた。魔女と彼が何をしているのかは分からない。ここから二人の様子が見えないのではなく、二人はお互いをむきあったまま何もしていないからだった。
「こんばんは。魔女さん」
私はあえてその男性には気づかない振る舞いをして香の方に近づいていく。香が被っているとんがった帽子の先はぺたんと折れて、香の顔の前に垂れ下がっている。帽子の奥に隠れている彼女の表情はよく分からない。
私はここでやっと彼のほうを見た。ここからならよく彼を観察することができる。香と知り合いのようだが昼に彼女の近くで彼を見たことはない。夜の暗さに目が慣れてきて、私は輪郭から眼の形まで浮かび上がってくる。その様子はまるで夜のみにこのあたりを俳諧する亡霊のようだった。
別に幽霊は怖くはない。でも驚きで身体に寒気が通った。なんということなのだろう。男女の違いだけで顔つきが香にそっくりだった。そしてよく見ると香と彼の体格や雰囲気まで何から何まで瓜二つだった。
私が表情を変えたことに香も彼も沈黙を貫いていた。ただ三人の間に場の空気を乱すヒビのようなものが走ったのは確かだった。みんな考えていることは同じであるのに誰もそのことについて話したがらない。二人がずっと黙って意志を見せていたから私はあえて突っ込んでみることにした。
「双子?」
香は私の立った一言にびくんと身体を震わせると私から顔をそらす。彼のほうはうんざりをした顔で悪意の篭った視線を私に向けてくる。二人とも肯定はしない。だけど否定もしなかった。香がこうまで嫌がることはなかったので私は罪悪感でちょっぴり胸が痛んだ。
「私の兄さん」
帽子の中から香は声を出すと帽子をやや上向きにかぶりなおした。隠れて見えていなかった彼女の表情は私が昼に見るときと変わらない。ただ異質に光る眼鏡の奥にある目だけは見れなかった。私は香の兄さんと、香を交互に見比べて二人の違いがその眼鏡だけであることに気づく。
「志工 香矢」
眼鏡がないのに眼鏡をずり上げるような仕草をして彼は抑揚のない言い方で沈黙を破った。私はそれが彼の名前であることにしばらく気づくことはできず、香矢が私を見ているのを分かったとき気づくことができた。
さっきは悪意のように感じた彼の目は限りなく不透明だった。私を見ているようで見ていない。でも顔は私のほうを向いているから私は嫌でも彼を意識してしまう。私と香矢が向き合ったままその間を香が見ているという構図が簡単に出来上がった。
「それで兄さん。どうして今日はここに来たのですか?」
「母親が今日は帰って来いと言っていた」
「そんなことどうでもいいのに……」
香は歯を食いしばると右足で地面を踏みにじる。彼女を中心をして風が吹き荒れているように木々がざわめきだし、私の髪が踊った。
私は人事のようには思えないけど香にかける言葉が見つからない。自分でも知らない心のどこかで香を肯定していた。香矢は香に同情するそぶりさえ見せなかった。でも優しく香の肩を掴む。
「すまない。だけど今日ばかしは言うことを聞いてくれ。俺からのお願いだ」
「わかり、ました。兄さんの頼みなら」
香はそっと帽子を取る。現れた香の髪の毛は月光の影響か少し紫色に見えた。香矢は香をそっと慈しむように頭に手をのせる。私は完全に蚊帳の外だったけど最後にまた香矢が私の姿を見た。ぴたりと周りの音が止んで香矢は彼らしく振舞う。私のことには興味なさそうな冷めた視線は私にとってちょっと涼しかった。
「友達か?」
香が答える代わりに私が答えた。といってもただ首を頷くだけだった。香矢の視線に完全に私はのまれ、言葉を完全に失っていた。
「ふぅん」
香矢は私を道端で歩いている野良猫をみるような目を私に向けさっきの言葉以上のことは何も言わなかった。無愛想な彼の態度にいい感情は抱かなかったけど香の兄と考えれば納得がいった。双子なだけに香矢も香と同じなのだろう。
香の後姿が消えてなくなるまでその場で立ち尽くし、私は天体観測という当初の目的を完全に忘れていた。
ーーーーーーー
出会いはあのようなものではあったが、香矢の思い出は甘いものがある。私にありのままで接してくれた。私を好きでいてくれた。私に魔法をかけてくれた。そして私を大人にしてくれた。だけどそれらはすごく痛い。私が香矢に依存しなければ香はあれほど思いつめることはなかった。
だから同じ過ちを繰り返すことだけは避けなければならない。私にできることは香矢にその意志があることを確かめるだけだった。
何時も同じクラスで見てきたとおり香矢は変化していない。しかし言葉だけでまだ分からないけど香矢はもう変わろうとしている。私との記憶がそうさせるのか。それなら私の記憶もまんざら無駄ではなかったものなのかもしれない。
でも……でも私は変わろうとしている?私は香矢を確かめるほどの資格はあるの?そういう意志を持っているの?
ーーーーーーー
寝袋に入っている私に覆いかぶさるように七子が馬乗りになっていた。いつから七子はここに来たのだろう。寝顔を見られることは私の趣味ではないけど七子は何時も私のを見ているから対して憤りを感じなかった。
七子は何もいわない。ただ自分の両手で私の両手を押さえている。あまり本調子ではない頭でも私は七子が何を考えているのかおのずと理解できた。雲が風に乗って空高くを移動し、顔を見せた月があたりを照らす。
七子の顔がありありと私の前にその姿を現した。唇の色がまるでざくろのようにみずみずしい赤色だった。その唇がうっすらと曲がる。ぬめりけを帯びた七子の唇から真っ白な歯が頭を出している。
思いつめているというわけでもなく、うれしさが顔ににじみ出るということもない。七子は何時もと同じようだった。だけど七子の気持ちは私に伝わってくる。七子は私を欲しがっている。
七子は自分の右手の人差し指を私の首元に伸ばす。鎖骨をなぞるようにそれを動かしのど元まで迫るとそのまま私の服のボタンを一つ一つ外していく。谷間と呼べない谷間で指を止め、ため息をついた。
七子の頬が恍惚で赤く染まる。私はそのような七子の表情を初めて見た。七子は変わっている。香矢は変わろうとしている。でも……でも私は変わろうとしている?
夢の中でよぎった疑問が私の中で小刻みに揺れる。自由になった右手が動く。そのまま七子へとまっすぐ伸びていった。
気が付くと私は七子の手を掴んでいた。七子は狐に包まれたような顔をしていて、私も同じ表情をしているのかもしれない。しかし私は前を見据えると七子から目を離さずに小さい口を開いた。
どこからかやってきたのか、その小さな身体を暗闇の中にまぎれさせて、数羽の梟が屋上の塀にとまる。小さい身体なのに月光を受けて浮かび上がるその影はとても大きく、私たちを簡単に飲み込んでいく。そして梟の真円の瞳は左右に揺れる首に従って動き、黄色の軌跡を残していた。
裁判官の判決のように一切の反論の余地をなくした口調で今から宣告することは七子にとっても、私にとっても酷なものであるに違いない。だけど七子とこういう関係を続けていくといつか七子を傷つけてしまう。
「思織……」
静かな悲痛な叫びが七子の口から漏れている。唇が震えてかすかな吐息しか出てこない。その一言で七子の今の全てを表していた。ざっくりと切り開かれたような痛みのある後悔が私の胸から血のように流れ出す。
そして徐々に力を失って虚ろな私だけが残る。でもそう感じることで自分を納得させるのは間違っている。本当は私自身七子とそういう関係を続けたくなかった。
「どうかしている。私も。それに七子も。七子はどこか変わってしまったの?あのとき、一日だけいなかったあの日に何があったのさ」
私はもう口を閉じることができない。今まで言いたかったことが堰を切ってあふれ出す。
「変わってしまったことが悪いことではない。七子はずっと我慢してきたのを知っている。主張する手段が七子の小説だけなのはとても残念なことだと思う。でもごめん。もう無理。こういう関係を続けていくのは七子のためではない」
「分かっているよ。でも分かっているだけなの」
一切の迷うなく口走ると七子とは思えないようなすばやい動作で私に対する拘束を強める。私は抵抗することを考えるというよりも七子がこういう行動を起こしたことに納得していた。誰だって自分が拒絶されれば傷つく。しかも七子はそれに人一倍慣れていない。
優しい風が七子と私の間を走る。それは七子にとって癒しになるのだろうか。私が感じる不安はそれだけだった。前髪が揺れて七子の目が隠れる。私は動けないまま七子が取り出したものを見てしまった。
七子の手に持つ注射器の先から透明な液体が一滴垂れ落ちる。それは注射器が涙しているような悲しい雫のように映った。私の中にようやく困惑が生まれる。なんでだろう。七子はなぜそのようなものを持っているのだろう。
うろたえた私は唯一自由な首を振る。そのようなことをしても誰もいないと思っていたが、一人こちらを見ている人がいた。このような深夜に学校を歩き回る大義名分がある人は私の中で一人しか思い浮かばない。屋上の入り口で寄りかかって腕を組んだままこちらを見ている。その人がまとっている白いカーディガンは私がよく知る人のものだった。
「ひらさかせんせ、」
言い切る前に肩がちくりと痛んだ。
ーーーーーーー
■人物
○志工 香 しこう かおり
香矢の妹。
髪型、背格好、性格、容姿まですべて香矢と同じ。
それは双子のため。唯一違うところは眼鏡のみ。
現在行方不明。
■すくらっぷ
○思織が魔法をかけられた日
「なんで泣いているんだよ」
「あんたはいつだってそうね。知っているのに知らないふりをする。他人から離れようとする。なんで?余計なことにかかわりたくないの?」
「お前が明るく振舞っている裏側には自分の身体に対するコンプレックスがあることは知っていた」
「……」
「それを言えなかったのはあまり人を傷つけたくないんだ。魔女という隠れ蓑がなければ俺は他人に干渉できない」
「そう。不器用なのね」
「ずっとそれを続けていたから。それに慣れきって、それが一番いい方法だと思いきっていた。けど余計にお前を悲しませていたのかもしれない」
「いいわよ。もう諦めたから。私はずっと子供のままなの」
「身体は無理でも心を大人にならさせてやるよ」
「できるの?」
「俺がそういう魔法をかけてやるよ。俺だって魔女なんだから」
「ばかみたい。そんなことを簡単にいえるなんて」
「思織……」
「でも……。香矢が本当に魔法をかけてくれるなら……。私の身体を香矢に委ねてもいい」
出会いはあのようなものではあったが、香矢の思い出は甘いものがある。私にありのままで接してくれた。私を好きでいてくれた。私に魔法をかけてくれた。そして私を大人にしてくれた。だけどそれらはすごく痛い。私が香矢に依存しなければ香はあれほど思いつめることはなかった。
だから同じ過ちを繰り返すことだけは避けなければならない。私にできることは香矢にその意志があることを確かめるだけだった。
何時も同じクラスで見てきたとおり香矢は変化していない。しかし言葉だけでまだ分からないけど香矢はもう変わろうとしている。私との記憶がそうさせるのか。それなら私の記憶もまんざら無駄ではなかったものなのかもしれない。
でも……でも私は変わろうとしている?私は香矢を確かめるほどの資格はあるの?そういう意志を持っているの?
ーーーーーーー
寝袋に入っている私に覆いかぶさるように七子が馬乗りになっていた。いつから七子はここに来たのだろう。寝顔を見られることは私の趣味ではないけど七子は何時も私のを見ているから対して憤りを感じなかった。
七子は何もいわない。ただ自分の両手で私の両手を押さえている。あまり本調子ではない頭でも私は七子が何を考えているのかおのずと理解できた。雲が風に乗って空高くを移動し、顔を見せた月があたりを照らす。
七子の顔がありありと私の前にその姿を現した。唇の色がまるでざくろのようにみずみずしい赤色だった。その唇がうっすらと曲がる。ぬめりけを帯びた七子の唇から真っ白な歯が頭を出している。
思いつめているというわけでもなく、うれしさが顔ににじみ出るということもない。七子は何時もと同じようだった。だけど七子の気持ちは私に伝わってくる。七子は私を欲しがっている。
七子は自分の右手の人差し指を私の首元に伸ばす。鎖骨をなぞるようにそれを動かしのど元まで迫るとそのまま私の服のボタンを一つ一つ外していく。谷間と呼べない谷間で指を止め、ため息をついた。
七子の頬が恍惚で赤く染まる。私はそのような七子の表情を初めて見た。七子は変わっている。香矢は変わろうとしている。でも……でも私は変わろうとしている?
夢の中でよぎった疑問が私の中で小刻みに揺れる。自由になった右手が動く。そのまま七子へとまっすぐ伸びていった。
気が付くと私は七子の手を掴んでいた。七子は狐に包まれたような顔をしていて、私も同じ表情をしているのかもしれない。しかし私は前を見据えると七子から目を離さずに小さい口を開いた。
どこからかやってきたのか、その小さな身体を暗闇の中にまぎれさせて、数羽の梟が屋上の塀にとまる。小さい身体なのに月光を受けて浮かび上がるその影はとても大きく、私たちを簡単に飲み込んでいく。そして梟の真円の瞳は左右に揺れる首に従って動き、黄色の軌跡を残していた。
裁判官の判決のように一切の反論の余地をなくした口調で今から宣告することは七子にとっても、私にとっても酷なものであるに違いない。だけど七子とこういう関係を続けていくといつか七子を傷つけてしまう。
「思織……」
静かな悲痛な叫びが七子の口から漏れている。唇が震えてかすかな吐息しか出てこない。その一言で七子の今の全てを表していた。ざっくりと切り開かれたような痛みのある後悔が私の胸から血のように流れ出す。
そして徐々に力を失って虚ろな私だけが残る。でもそう感じることで自分を納得させるのは間違っている。本当は私自身七子とそういう関係を続けたくなかった。
「どうかしている。私も。それに七子も。七子はどこか変わってしまったの?あのとき、一日だけいなかったあの日に何があったのさ」
私はもう口を閉じることができない。今まで言いたかったことが堰を切ってあふれ出す。
「変わってしまったことが悪いことではない。七子はずっと我慢してきたのを知っている。主張する手段が七子の小説だけなのはとても残念なことだと思う。でもごめん。もう無理。こういう関係を続けていくのは七子のためではない」
「分かっているよ。でも分かっているだけなの」
一切の迷うなく口走ると七子とは思えないようなすばやい動作で私に対する拘束を強める。私は抵抗することを考えるというよりも七子がこういう行動を起こしたことに納得していた。誰だって自分が拒絶されれば傷つく。しかも七子はそれに人一倍慣れていない。
優しい風が七子と私の間を走る。それは七子にとって癒しになるのだろうか。私が感じる不安はそれだけだった。前髪が揺れて七子の目が隠れる。私は動けないまま七子が取り出したものを見てしまった。
七子の手に持つ注射器の先から透明な液体が一滴垂れ落ちる。それは注射器が涙しているような悲しい雫のように映った。私の中にようやく困惑が生まれる。なんでだろう。七子はなぜそのようなものを持っているのだろう。
うろたえた私は唯一自由な首を振る。そのようなことをしても誰もいないと思っていたが、一人こちらを見ている人がいた。このような深夜に学校を歩き回る大義名分がある人は私の中で一人しか思い浮かばない。屋上の入り口で寄りかかって腕を組んだままこちらを見ている。その人がまとっている白いカーディガンは私がよく知る人のものだった。
「ひらさかせんせ、」
言い切る前に肩がちくりと痛んだ。
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■人物
○志工 香 しこう かおり
香矢の妹。
髪型、背格好、性格、容姿まですべて香矢と同じ。
それは双子のため。唯一違うところは眼鏡のみ。
現在行方不明。
■すくらっぷ
○思織が魔法をかけられた日
「なんで泣いているんだよ」
「あんたはいつだってそうね。知っているのに知らないふりをする。他人から離れようとする。なんで?余計なことにかかわりたくないの?」
「お前が明るく振舞っている裏側には自分の身体に対するコンプレックスがあることは知っていた」
「……」
「それを言えなかったのはあまり人を傷つけたくないんだ。魔女という隠れ蓑がなければ俺は他人に干渉できない」
「そう。不器用なのね」
「ずっとそれを続けていたから。それに慣れきって、それが一番いい方法だと思いきっていた。けど余計にお前を悲しませていたのかもしれない」
「いいわよ。もう諦めたから。私はずっと子供のままなの」
「身体は無理でも心を大人にならさせてやるよ」
「できるの?」
「俺がそういう魔法をかけてやるよ。俺だって魔女なんだから」
「ばかみたい。そんなことを簡単にいえるなんて」
「思織……」
「でも……。香矢が本当に魔法をかけてくれるなら……。私の身体を香矢に委ねてもいい」