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2/1 : 死にたい女

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 天気予報によれば、今日は夜から雪で、予想最高気温はもちろんひと桁だ。
 手袋なしではすぐに手がかじかみ、鼻からの呼気でさえ白くなる。
 ――春はまだ遠い。
 
 最近、まったくもって運がよろしくない。
 先月は、暴走トラックとの交通事故なんていう一大事に遭遇してしまった。
 ツイているのかいないのか……。
 今こうしていられるのだって、それ自体が奇跡に近い。
 今や体に傷一つないなんて、おかしな話だ。

 ――そして再び、二月がやってきた。
 今月もまた、色んなことがあるのだろうか。
「――うう、やっぱ二月ともなると寒いな」
 自分のボヤキが、口から白い息となって出て行くのが見えた。
 ついこの間まで暖かな日々が続いていたと思ったら、途端に寒空が街を覆った。
 大通りの街路樹は、枝を覆う葉さえ持たない。街を行く人たちは心なしかその身を縮めているように見える。
「ええっと、確かバイトのシフトが入ってるんだったな」
 またしても独り言が漏れる。
 ――どうも俺は、いつもぶつぶつ言ってていけないな。
 そして俺は、コートやらマフラーやらを身につけてもこもこした格好の人たちが行き交う通りを歩き出す。
 そのまま俺は何事もなく、バイト先に到着するはずだった。
 ――が、違ったようだ。
「あの」
 突然、呼びかける声が聞こえた。女性の声だ。今の空気と同じくらい冷たくて、澄み切った女性の声が鼓膜を震わせた。
 もしかしたら、近くで聞こえただけで、俺に対する呼びかけではなかったかもしれない。それでも気になって、俺は声のした方を振り返った。
 すると、そこには俺より頭一つ分ほど背の低い女の子が立っていて、こちらを見つめていた。
 どうやらあの呼びかけは、本当に俺に向けられたものらしかった。
 俺は視線を落として、顔を確認した。
「あっ……」
 ――可愛い子だった。
 俺の網膜に投影された凛とした表情を見て、思わず声が漏れ出てしまった。
 そして、それ以上に俺を動揺させるものが、彼女にはあった。
 俺はこの出会いに、普通ならざるものを感じた。単に可愛い女性に呼び止められて浮かれているわけではない。
 それでも、俺はこう思わずにはいられなかったのだ。

 ――運命ってやつか、これ?

 ガラにもなくそんなことを考えていると、彼女がその小さな口を開いた。
「ちょっとお話いいですかね」
 彼女の吊り目と、この高圧的な態度がぴったりとマッチしていた。
 ――俺はかなり動揺していた。そのせいか、あとのことはよく覚えていない。

 ――気が付くと、俺は通り沿いにある喫茶店に連れ込まれていた。
 店に入ったときに感じた屋内特有の暖かさが、俺の意識を元の世界に呼び戻してくれたようだ。
「……随分簡単についてくるんですね」
 俺の対面に座っている彼女は、呆れたように言った。彼女の取ってつけたような敬語には、俺を敬うような姿勢は見て取れない。
 ついて来させた張本人にこんなことを言われる筋合いはない。
 彼女の言動が頭に来たこともあり、俺は少々無礼に言い返した。
「人を強引に連れてきて、随分な言い方だ。――一体なんなんだ? このあと俺を簡単なアンケートに協力させて、男二人組とバトンタッチでもしてみるか?」
 典型的なキャッチセールスの手口を疑うように、わざとらしく溜め息までついてみた。
「……そんなに胡散臭いように見えますか?」
 いや、見えないだろう――。
 彼女の言葉には、そんな含みが見え隠れしている。
 少し拗ねたようにも見えるが、彼女の反応はいたって普通――、むしろ冷淡でさえあった。
「いきなり他人に呼び止められたりしたら、誰だってそう思う」
 俺は悪びれる様子のない目の前の女性――低い身長のせいか、外見は俺より年下に見える――に毒気を抜かれ、今度は優しく、肩をすくめながら言った。
「すいません、確かにそうですね」
 彼女の口から初めて謝罪の言葉が発せられ、俺は少し気分を良くする。
「……とにかく、俺は呼び止められた理由を教えてほしいな」
 バイトを後に控える身としては、いつまでもこんなところに居るわけにはいかない。
 一般論から言えば、街中でいきなり話しかけてきた赤の他人の話を聞くような義理はないのだから、さっさと席を立ってしまってもよかったのだが――。
 俺がこの子に対して持つ、大きな興味がそれをさせなかった。
 最初に呼び止められて、この子の顔を認識した瞬間から、俺の中の、彼女への興味が鎌首をもたげ始めたのだ。
 知らない男をいきなり呼び止める彼女は、一体――。
「話すと長くなるんですけど……」
「長くって、どれくらい?」
 そう言いながら、俺は店員の運んできたコーヒーに角砂糖を一つ落とすと、銀色の小さなスプーンでかき混ぜる。
 話を聞く気があるとはいえ、あまりにも長いと少し困るのは事実だ。
「……あなたが納得するまで」
 目の前の女の子は、静かな話し方を崩しはしない。
「……納得?」
「人によりますが、数時間くらいは――」
 曖昧な表現な上に、「人による」ときた。
「おいおい、そんなにかかるのか? しかも、『人による』だって? ……まるで他の奴にも同じようなことを何回もしたみたいな言い方だな」
 彼女の物言いはひっかかるし、そもそも街中で俺を引き止めたこと自体が既におかしい。
「とにかく聞いてもらえませんか? ……お願いします」
 質問が流され、俺が受け取ったのは答えではなく、彼女のお辞儀だった。
 どこか横柄な態度だが、ここで初めて頭を下げられた。
 ――そこまで言うのなら、聞こう。
 もともと彼女の話を聞くのにやぶさかでない俺だったから、大して迷わずに携帯電話を取り出すことができた。
「ちょっと待ってくれな」
 彼女は首を傾げたが、何も言わなかった。
 代わりに目の前の紅茶が入ったティーカップに口をつけた。
 そんな彼女の様子を視界の隅に意識しつつ、俺はメモリからある番号を呼び出すと、発信ボタンを押した。
 お目当ての相手に繋がるや否や、俺は用件を切り出した。
「ああ、薫――すぐに出てくれて助かったぜ。ちょっと悪いんだけどさ、このあとのバイトのシフト代わってくれ、頼む」
『え、ちょ、ちょっと』
 俺の突然の依頼に、向こうから慌てた可愛らしい声が聞こえる。
「頼むよ」
『いきなり電話してきて、意味分かんないんだけど!?』
 電話の向こうで、薫がうろたえる様子が目に浮かんで、少し可笑しくなった俺の口角が自然と吊り上がる。
 その様子を見て、向かいの彼女はカップに口をつけたまま上目遣いに俺を見つめ、より一層怪訝な表情を浮かべた。
「急用なんだ、頼むよ薫ちゃん」
『「薫ちゃん」って言うんじゃねえ!』
 まるで俺の鼓膜を突き破ろうかとするような甲高い声に、耳が痛んだ。
「うんうん、怒った声も可愛いよ、薫ちゃん」
 それでも俺は、笑ったまま薫をなだめる。
 テーブルを挟んだ正面に座っている彼女は、俺が親友と交渉する様子を、静かに眉を顰めながら眺めている。
『大体、助はいつもこんな風に――』
「とにかく頼んだ、今度なんか奢る! じゃあな」
 薫がこぼしかけた文句に強引に蓋をしてしまい、有無を言わさず通話を叩っ切る。
『え、おい、たす――』
 ――それを最後に、受話器から聞こえてくるのは無機質な電子音に切り替わった。
「よし、これでいい、話、聞かせて貰おうか」
 何事もなかったかのように俺が彼女の方に向き直ると、さすがの彼女も反応に困ったようだった。
「……いいの?」
 ――俺の強引な依頼のしかたを聞けば、まあそう思うだろう。
「……気にするな。さっきのは桃井薫ちゃんっていって、必ず俺を助けてくれる、頼れる可愛い親友だ――男だけど」
 彼女は口を開けて、驚いたようにこちらを見ていた。
 ――余計なことを喋ってしまった。
 薫との軽い雰囲気の会話のあとで、口が回りやすくなっていた。
「……とにかく、話を」
 ごまかすようにして、話を促した。
「結論から話させてもらうわね――」
 重々しく、彼女が口を開いた。
「ああ」
 彼女の口から何が聞けるのか――ちょっとした緊張状態に陥った俺は、口内に溜まった唾液を嚥下した。
「……私は死ぬ方法を探しているの」
 ――時が止まったような気がした。
 実際に停止していたのは俺の方だったようで、もしかしたら俺は瞬きをすることさえも忘れていたかもしれない。
 俺は彼女が敬語を崩したのにも全く気が付かないくらい驚いていた。
「――は?」
 数秒たってやっと発せられた声は、単なる音に近いものでしかなかった。
 それからやっと、俺の思考回路が彼女の発言についてくる。
 ――確かに今の世の中じゃ、自殺志願者なんか珍しいものでもなくなってきてはいるが……。
 いざこうして目の前に現れられると、それはそれで対処に困るものだ。
「でも、死ねないのよ……」
 俺の反応をどう解釈したのかは知らないが、彼女は憎らしいほど冷静なまま、さらにそう続けた。
「――え?」
 俺が固まっているのも意に介さない様子の彼女は、先ほどまでと何ら変わりない様子で紅茶を啜っていた。
 彼女の一言目でさえも俺にとっては十分に衝撃的だったが、二言目の方がさらに大きな衝撃だった。
 ――そもそも、二言目が存在していた事実自体も衝撃だ。
「ちょ、ちょっと待て、話がよく見えないんだが……死ぬ勇気がないってことか?」
 今度はフリーズしてしまわないように、彼女に必死に聞き返した。
 彼女は死ぬ方法を探している。
 それはつまり、彼女が死にたいという願望を持っていることを示しているのは把握できたが、どうにもそれ以上の理解が追い付かない。
 一思いに首を吊るなり、手首を切るなり――もちろん俺自身が試したことはないが、当人がそのつもりになれば、人間なんてあっけなく死んでしまうものだと思っていた。
「違うわ……本当に死ねないのよ……。今までこうやって話をさせてもらった人は皆、最初はそういうリアクションを取る。……そのあとは普通逃げちゃうわ」
 彼女はうつむき、本当に残念そうに呟いた。
「――いやいや、整理させてくれよ。……今、『皆』って言ったか? さっきも『人による』とか言っていたし――」
 意味が分からない。俺の理解の範疇を超えている。
 ――おかしいことばかりだ。
 俺はまるで答えを求めるかのように、自分の前のコーヒーの水面を覗き込んだ。
 そこは真っ黒で、俺の顔さえも映し出さず――俺の思考を吸収しながら小さく揺れていた。
「こういう話をするのは、あなたが初めてじゃないから――」
 予想通りではあったが、それではなおさらおかしい。
「じゃあつまり、君は手当たり次第に知らない男に声を掛けて、『死にたいけど、死ねない』と告白していくわけか?」
 落ち着きを失っている俺の言い方には、配慮の欠片もなく、皮肉っぽい辛辣な言い口で彼女を責める。
「――別に男とは限らないけど、一か月に一回ね」
「月刊、月替わりペースかよ……」
 そして俺は、さっき薫に電話をかけるときに見た、携帯の待ち受け画面を思い出す。
 ――今日は二月一日。
 ということは――。
「……それじゃ、毎月一日にこうやって他人を捕まえるわけか?」
「まあ、そうとも言えるし、そうとも言えないのよ」
 彼女はどう言えばいいのか迷っているようにも見えた。
 ――ややこしすぎる。
 彼女と一言、会話を交わしていくごとに、疑問が解消されていくどころか、むしろツッコみたいところがひとつ――いや、それ以上に増えてしまう。
「あなたは今まで会ってきたどんな人よりも、落ち着いているわ」
 ――どこがだ。
 どこをどう見ればそのような結論に辿りつくのか、それさえも俺の中の疑問に加わって、俺はどんどん混乱の深みにはまっていく。
 ――俺はこんなにも混乱しているんだぞ。
 口に出してツッコむこともかなわないほどに俺の脳内は渦を巻き、冷静な思考を阻害してしまう。
「――だから、ちょっと早いけど一番重要なところを教えるわ」
 彼女は一人、先へと話を進めようとする。
「……これ以上俺を混乱させないでくれよ……」
「……落ち着いて聞いてね」
 落ち着きようがない俺を置いて、彼女は話を続ける。
 彼女の大人っぽさが彼女の顔の険しさをも増長させて、ますます凛とした様相を呈す。
 ――ああ、もしかしたら、俺の方が年下かもしれないな。
 彼女の様子を見ながら、そんなことをぼんやりと考える他なかった。
「さっき、あなたは『毎月一日』と言ったわ」
「――言ったね。今日は二月の一日だからな。何が理由で月替わりなのかは知らないが……」
「残念ながら、月替わりじゃないのよ」
 残念でも何でもないとは思ったが、どうやら俺の言ったことは外れていたようだ。
「……私には、三月は来ないの」
 ――三月が、来ない?
「はあ」
 なんだか詩人のような表現をする彼女に、俺はもはや呆れていた。
「今日から二月二十八日までを過ごして、その夜が明けると――」
「……明けると?」
「――二月一日に戻っているの」
 ――俺がバカだった。
 彼女の話を聞いたのは間違いだったのだ。あいにく俺は、こんなに非現実的な話を信じるほど愚かではない。
 長い沈黙の後、俺が口を開く。
「……いい加減にしてくれよ。俺は――」
 こんな話をしている時間はない、そう言って俺から話を終わらせようとしたとき、新しい声が聞こえた。
「――この話をするなら、その先は私が話さなくてはいけないかな」
 ――いつの間にか、どこからか現れた長髪の女性。
 彼女は優雅ささえ感じさせる振る舞いで、弥生の隣へと腰を下ろした。
 その外見を一言で形容するなら、「姉御」と言ったところだろうか。
 少なくとも、弥生よりはるかに背が高くて年上に見える。
 彼女の明朗そうな顔つきは、俺を諦めさせた。
「――ああもう、いいから話してくれよ」
 礼儀を欠いているのは重々承知だが、向こうだってそれは一緒だ。
 この女性の登場は、俺を「もう何を言われても驚かない」という状態にしてくれた。
 その「姉御」然とした女性は言った。
「まず、自己紹介すると、私は神……いや、女神か」
 軽い口調で自称「女神」は自己紹介をする。
 女神、ね……。
「……はあ」
「名前はまあ、『ハルカ』ってことで」
 ハル、カ――。
「苗字は?」
「ないよ。女神だから」
 分かるでしょ、と彼女は当然のように言った。
 ラフな服装に身を包んだ、無駄に明るいこの女性が女神を名乗れるというのならば、今、喫茶店の窓から見える街を行く女子大生たちでさえも女神になれそうだ。
「で、ハルカと、彼女はどういう関係が?」
「さっき弥生も言っていたけど、彼女はこの二月の中に閉じ込められていて、三月には行けないの」
 俺は敢えて何も言わなかった。肝心の内容よりも、俺を引き止めた女の子の名前が判明したことが、何か嬉しかった。
 俺はハルカの話に耳を傾けながら、弥生ちゃんの方を見つめた。
 彼女は話を完全にハルカに任せたとでも言わんばかりに、くつろいだ様子で紅茶を味わっている。
「だから彼女は死んでしまっても、また二月一日から人生をやり直しなんだよね。――それで、そんな弥生の様子を監視して上に報告するのが私の仕事」
「……上?」
 こんな周辺情報ばかりが気になってどうしようもない。
「――そう、上。上司。私、公務員だから」
「……ええい、もういい」
 もう俺は面倒臭くなっていた。
 こんなの、宗教の勧誘でもなければセールスでもないし、詐欺でもないだろう。だとしたら彼女らが嘘をつく道理がない。
「とりあえず、疑うだけ無駄だから信じさせてもらう」
 俺が弥生と呼ばれたこの子を見つめているのに応えるようにして、彼女もまた俺を見つめ返していた。
「……信じないというなら、明日の新聞記事の内容について予言するわ」
 今まで信じてくれない人には必ずこれをしているのよ、と彼女は言う。
「……なるほど、今まで何度も『明日』を体験しているから可能なわけだ」
 ここまできて、俺はようやく話についていけるだけの余裕を得ていた。
「政治や国会の記事はある程度予測できるから、何か事件が起こるならそれを教えてくれ」
 もう彼女を疑っているわけではなかったが、ちょっと試してみたくなった。
「九州で山火事が起こる。四日の朝まで燃え続けて、延焼面積は――」
「もういい、わかった」
 彼女の口から出かけた山火事の詳細を遮った。
 ――彼女の言うことは信じるに足る。
「明日を待たずとも信じるよ」
 このとき俺は、こういった「女神」だの、超常現象だのを受け入れやすい精神状態だった。
「……ホント?」
 彼女のキツい目は俺を疑っているようだった。俺は何も悪いことをしていないのに、心臓が嫌なリズムで脈打った。
「ああ、信じる」
「嘘つかないで。普通信じないわよ……今までの人は皆そうだった」
「今の俺はそういうの疑う気になれないんだ、ホント」
 実際、俺は彼女とハルカの言うことをすんなりと受け入れてしまっていた。
 ハルカが女神であることにも、大きな疑いは持たず、自分の中でただ納得していた。
「もしかして、宗教にでも入ってるの?」
「いや、そんなんじゃない」
 弥生ちゃんは俺を訝しげな目つきで眺めていたが、やがてこう言った。
「ま、その方が私としても好都合ね」
「で、俺に何をさせたいんだ?」
 これがずっと気になっていた。
 二月が終わってしまえば――どうなるのかは分からないが、きっと俺は三月へと進むのだろう。彼女は二月に残ったままで。
 とにかく、俺と彼女の関係は一月限りのはずだ。
「一か月――二月二十八日まで、私と一緒に過ごして欲しい」
「は?」
「色んな人と関わりを持って、今までとは違う過ごし方をしてみれば、何かが変わって、私はこのループから解放されるかもしれない」
「……ああ、なるほど」
 彼女の言い分も分からなくはない。
 しかし、こんなことを提案してくる彼女は、とても死を望んでいるようには見えなかった。
「――でも、もうそれもほとんど望み薄。もう何百回と試して、疲れちゃった」
 高圧的だった彼女の態度が、ここで初めて緩んだのを感じた。俺はこの子に、憐れみと同情を感じた。
 ――そして、ゾッとした。
 何百回ということは、何百ヶ月ということだ。それこそ、数えることも出来なくなるくらいの回数、同じ二十八日間だけを過ごしてきたのだ。
「疲れちゃって、もういいやって、死のうとしたの」
 彼女の声は今や消え入りそうなほどに小さく、弱いものになっていた。
 ――そりゃ死にたくもなる。
 俺なら気が狂う。彼女が正気を保っていられるのが不思議なくらいだ。
「……でも死ねなかった」
 彼女の声が震え出した。
「……もういい」
 こっちが先に泣きそうになってきた。
 こういう雰囲気にはどうも弱い。
「ハルカ」
 俺は女神の名を呼んだ。
「何?」
「お前、女神だってんならこいつを助けることぐらいできるだろ? なんで助けてやらない?」
「い、いや、そんな怖い目で見ないでよー……。女神にもいろいろ事情があるの」
 彼女の目はバツが悪そうに左右に泳ぎ、時折弥生ちゃんの方をチラチラと窺う。
「納得いかないね」
「こ、この子を助けちゃったら私が上から職務規定違反で処分されちゃうし、それどころか下手に彼女を助けたりしたら、時空が歪んで、私は犯罪者になって、この世界が崩壊しちゃうかもしれないし、それに――」
「SFみたいなこと言いやがって」
 ああだこうだとまくしたてる、人間臭い女神様に向かって毒を吐く。
「……やめて」
 弥生ちゃんが口を開いた。
「ハルカは私にとっても良くしてくれている。ただの観察役だけじゃなくて、もう友達よ」
「親友と言ってほしいね」
 ハルカが訂正した。
 追及する気も失せた俺は、質問する相手を変えた。
「――結局、弥生ちゃんはどうしたいわけ?」
「弥生って呼んでくれていい。ちなみに苗字は望月」
「あ、ああ……俺は高宮助。助でいい」
 正直彼女の年齢はよく分からなかった。小さくて可愛らしい体形だが、顔はクールで大人びている。
 アンバランスさを感じさせる彼女の顔のつくりに、俺は改めて惹かれていった。
「いや、そんなことより、弥生はどうしたいんだ?」
「死にたい。……それでなければ、ループから出たいわ」
 死にたい……か。
 どうするべきなんだろうか。
 俺は彼女の手伝いをして、この二月の中で彼女の死を見届けるべきなのか。
 それとも、どうにかして彼女をこのループの外へ連れ出してしまうべきなのか。
 人が自殺するための手助けなんて、俺は真っ平ゴメンだ。
 それなら、そうだな――……とりあえずは彼女をこの状態から脱却させるべきだ。
 ――ループを出た後に彼女がどうなるのかなんてことは考えないことにした。
「なあ、俺は弥生に協力してもいいと思っている」
「なら決まりね」
「最後まで聞け。協力はするけど、死にたいなんてリクエストには答えられない」
「……」
 彼女は固い表情で押し黙った。
「俺は弥生がこのループを抜け出す手伝いをしたい。それでいいか?」
 彼女がこれでも死にたいなどと言うのなら、俺は彼女と出会わなかったことにする。それだけのことだった。
 彼女の返事は速かった。
「わかった。ありがとう」
 今度は笑顔が俺に向けられていた。
「よし、これから一月、協力するよ」
「よろしく」
「ああ、よろしく」
 テーブルの上で互いの手を握り合う。
 ――こうして、俺たちの奇妙な一ヶ月間が始まったのだ。
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