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2/7 : Hal=Katarzyna=Arviss

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 私は別に、この仕事が好きだとか、嫌いだとか考えたことはない。
 ただ、今まで与えられた仕事には懸命に取り組んできたし、これから与えられる仕事にもそうするだろう。そうすることが私にとって不幸を運んでくるわけではない、むしろ、幸せなのかもしれない。
 
 私の部署は、人間の運命を扱う。

 響きだけを聞いたら、きっとチープな占い師集団のように聞こえるかもしれない。
 だけど実際は、通常寸分のミスも許されないという点、他人の人命、人生を扱うといった点では病院に近い。
 私は知神の勧めでここに入局し、弥生と出会うまで――同じ部署での「悪戯」が発覚するまでは、ごく平凡な窓口嬢として働いてきた。
 他の神々と同じで、人間には大した興味を持たず、ここを訪ねる死者の魂ともおざなりに接していた。
 弥生と出会うまでは、ね。

 ほらまた、彷徨える魂がやってくる。
「次の方、どうぞ」
 物静かな役所の窓口の中、私は次の不幸な人間を呼び出した。
 この建物は、人間の作るような役所と何ら変わりない。順番待ちのための椅子や、各種のポスターやパンフレット、そしてたくさんの窓口が無機質に並んでいる。
「……死亡証明書及び死亡状況調査書はお持ちですね?」
 目の前に現れた人に、書類の提出を求めた。まだ若い男性だ。
「……意外です。死後の世界がこんなところだなんて」
 彼は書類を私に差し出しながら感想を述べる。
 長くここで仕事を続けていると、好奇心の強い人間が質問してきたり、話しかけてきたりすることがある。それに答えるかどうかは担当者個人の裁量に任される。
「皆さん、そう仰います」
 私は必要事項を確認しつつ、彼の言葉に反応した。
「ここは、天国なんですか?」
 興味津々といった様子で尋ねてくる。
「いいえ。あなたが今後どうなるかを、今から決めることになります」
 そう言って私は、新しい書類に書き込みをして彼に渡す。
「あなたは『非業の死』の条件に当てはまっていないことが確認されました。あなたの死亡は確定いたしました。素行や精神状態に問題もありませんので、今後は死亡後猶予特別区でお過ごしになりつつ、ご自身の今後についてお考えください。ご希望であれば、詳しいことは別の担当の者がお教えいたします」
 マニュアル通りの、面白みの欠片もない対応をする。
 これで話は終わり、と言う代わりに死亡後猶予特別区――通称「テンゴク」についての小冊子を渡した。
 彼はこの後、テンゴクで暮らし続けるかもしれないし、再生のためのプログラムを終了した後に転生するかもしれない。通常、テンゴクの住人には、転生という手段が与えられているため、テンゴクの住人が下界へ脱走して現世を彷徨う、なんてことはまず起こらない。幽霊の存在には「ジゴク」が大きく関わってくるのだが、それはまた別の話だ。
 窓口から遠ざかっていく新しいテンゴクの住人の背中を見ていると、後ろから声がした。
「アーヴィス君」
 ――厭味な声だ。
「……局長」
 私がこの世で最も嫌う存在――。
 この世界のトップの息子であり、弥生をループに閉じ込めた張本人だ。
 あんな事件を起こしたのにもかかわらず、私と同じ年にしてこの局の局長の座を手にしている。
 誰のお陰かなんて、言うまでもない。
「局長自ら、何故こんなところに?」
 これには多少の厭味を込めて言った。
「自分の局の職員が、きちんと働いているかどうか視察するのも僕の役目でね」
 その腐った中身とは対照的に、とても端正の取れた顔立ちの男が喋る。
 彼は私の言葉に滲み出た嫌悪感を敏感に感じ取ったようで、その綺麗な眉が少し吊り上がっていた。
「君はどうやら最近、自分が請け負う必要のない仕事にまで手を出したとか? 課長である君がね」
「仰ることが分かりませんが」
 私が歯牙にもかけないといった態度をとったのが面白くなかったのか、彼は私の耳元にまで口を近づけて、囁いた。
「――とぼけるなよ」
 これは脅し。どんなに鈍感な者が聞いたとしても、それを感じ取ることができる声だった。
「ハル=カタルジナ=アーヴィス」
「……」
 私の名を気安く口にする豚がいる。
 そして、その豚にも逆らえない、豚以下の私がいた。
「お前が、俺が昔、ちょっとした影響を与えてしまった人間に入れ込んでるのは分かっている」
「私は監視をしているだけです」
「……あくまで、とぼける気だな?」
 今や、彼の唇と私の耳は動けばすぐにでも触れてしまいそうな距離。それが嫌で、私は身じろぎ一つせず、じっと、耳元で彼の厭味を聞き続ける羽目になった。
「……お前には、別件でも責任を問いたい――が」
 意地の悪い笑みを浮かべている様子が、容易に想像できる。
「それはまた今度にしよう。楽しみなことは少しずつ、少しずつ紐解いていくのがいい」
 そう言うと彼は私の顔から離れて、肩を軽く叩きながらこう言うのだ。
「ま、いろいろ大変だろうが頑張ってくれよ、アーヴィス課長」
 彼の足音が離れていくのを聞きながら、私はしばらく硬直したままでいた。
 いつまでも、耳鳴りが止まなかった。



 連日の曇り空がようやく遠のいて、久々に青い空を拝むことができた。日の光が地表まで届いてきたところで、厳しい寒さは和らぐことがない。
 俺は、弥生と初めて会った時に使った喫茶店に足を踏み入れた。
 鈴が鳴って、俺が店に入ったことが店内に伝わる。木の質感がある作りの店内は、自然の温もりを客に与えているようだ。店内は、まずまず客で埋まっているという感じだった。
 俺はぐるりと店内を見回し、奥のテーブル席にぽつりと一人で座っている弥生の姿を確認すると、まっすぐそこに向かった。
「悪いな、俺から呼び出しといて遅れちまって」
「……別に大丈夫よ」
 何やら、反応がぎこちない。
「そんなに怒るなって。紅茶の一杯でも奢ってやるからさ」
「違うわ。私の方が謝りたいことがあるのよ」
 弥生は首を左右に振った。
「この前はごめんなさい……言い方がキツかったわ……」
「……ああ」
 正直、俺は薫の件を忘れられたわけではない。それでも、弥生を責める気持ちは全くない。
「いいんだ。弥生が言ってくれなかったら、俺はずっと気が付けないままだったかもしれない……そんなことより」
 あまりこの話題を続けたくはなかった。それに、今日はもっと重要な話を持って来たのだ。
「……何か頼んだら?」
「え――ああ」
 俺が口を開こうとしたタイミングで、弥生がメニューを差し出してきた。
「別に急ぎじゃないんでしょ? ゆっくりでいいわよ」
「……それもそうか」
 俺は手早く注文を決めると、店員を呼んでコーヒーを頼んだ。
「――昨日、薫ちゃんと会ったわ。病院で」
「そうか……時間が被ったのか」
 なんだか、弥生のペースで話が進んでいる。
「あの子、喜んでた。助くんに感謝しているようだったわ」
「……やめてくれよ」
 何も、この話題を無理やり混ぜ返さなくてもいいじゃないか。俺は、お前のための話があるんだ。
「いいえ。あなたが勘違いしているみたいだから、この際はっきりさせておく……それに、私も間違ってた」
 俺は、弥生の瞳を見ていなかった。見たが最後、吸い込まれてしまいそうだったから。
「あなたは何も間違ってなんかいないから、自分のやっていることに自信を持つべきよ」
 俺は顔を上げた。弥生と目が合ってしまった。
 陳腐な文句だ。陳腐な文句だが、その一言一句が、弥生の瞳を通して訴えかけてくる。
 脳がぐらりとした。
 ――俺と会ったばかりのお前に何が分かる。
 俺の意地が抗った。
 ――俺が何をした。
 こんなの、無意味だ。不毛だ。
「――わかった」
 分かっていない。
「でもとりあえず今は、この話はやめてくれないか。他に話したいことがあってお前を呼んだんだ」
「……わかったわ。ごめんなさい」
 弥生は食い下がるのをやめて、ティーカップに口をつけた。
 店員がやってきて、俺の前にアメリカンの入ったカップとスプーンを置いた。
「じゃあ、とりあえず気を取り直してだな」
 わざとらしく大きめの声で言って、姿勢を正した。背筋を伸ばした状態からだと、向かいの弥生が小さく見えた。
「ええ」
「もう一週間が経つけど、俺は弥生に何もしてやれてない」
 弥生は何か口を開きかけたが、彼女の手が不自然にカップに伸びたかと思うと、口に紅茶を運んだ。まるで、言いたいことを紅茶と一緒に飲みこんだようだった。
「――で、思い出したんだ」
「……何を?」
 弥生がテーブルの向こうから、上目遣いに鋭く、俺の様子を窺ってくる。
「明日――お前の親父さんが、捕まるって言ってたよな?」
 弥生の眉間に皺が寄った。今度は弥生が苦い思いをする話題に切り替わったようだった。
「現場を見に行って、俺たちが証言しよう――冤罪だってこと」
「それは……」
「冤罪、なんだろ?」
 弥生の目が泳いでいる。彼女の眼は左右に動いて、いろいろな物を見ているようだったが、実際は何も見ちゃいない。ただ、空を見つめ、応答を探している。
「……お父さんはそう言うわ」
「信じられないのか?」
「馬鹿言わないで。私のお父さんがそんなことするわけ、ない……ないわ」
 最後の呟きは、俺に向けられたものではなかったと思う。
「お前は、親父さんが捕まらなかったらどうなるか……考えたこと、ないのか? 気にならないか?」
 長い間、同じ時間だけを過ごしてきた弥生にとって、未知はとても怖いものだと思う。そこを打ち破ってやれるかどうか、それが俺の狙いだった。
 掻き混ぜる必要のない紅茶を、執拗にスプーンで掻き回しつづける弥生。彼女はきっと、俺と会ってからの中で一番動揺している。
「なあ――あの時に俺を、他でもない俺を呼び止めたのはお前だ」
 今度は弥生が俺から目を逸らす番だった。
「……俺に任せてくれないか」
 ――お前を救ってみたいんだ。
 薫のコンプレックスを解消できなかった俺が、沙織を救ってやれなかった俺が、お前を救ってやりたい。こんな俺だから、成功しないかもしれない。それでも、困った奴を見ておけないのが俺だから、助けてやりたい。
「……わかったわ……」
「……ありがとう」
 だからまずは、お前の父親を救ってやるよ。それがきっと、きっとお前を救うことに繋がってくれるから。
 きっと、俺も救われるから。
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