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2/15 : He's female, or she's male

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「……休暇?」
 弥生は怪訝そうに眉をひそめて聞き返してきた。
 昼前に俺の部屋を訪ねてきた弥生は、部屋にあがりこむとすぐにハルカのことを質問してきた。玄関の扉を開けてやると、挨拶もそこそこに中に入ってきて、「ハルカが今どうしてるか、知らない?」ときた。すでに弥生とはある程度気心も知れているから、礼儀を尽くしてほしいなどとは思わない。それでもまだ風邪の治らない体に宿る心は、多少の苛立ちを覚えずにはいられないようだった。
「ああ、休暇だとさ」
 煩わしく思いながらも、同じ説明をもう一度繰り返した。
「……私に何も言わないで休みを取るなんて、変ね」
 俺は何も言えずに窓の外に目を逸らした。雪は夜のうちに止んだようだったが、ここからでは見えない地面には真っ白な雪が積もっているはずだ。
 ――俺に嘘をつかせやがって。バレたらどうするつもりなんだ。
 心の中で恨み言を唱えても、どうにかなるわけじゃない。
「まあ、たまにはそういうこともあるわよね」
 そう言って無理に自分を納得させようとしている弥生は、ひどくハルカを恋しがっているように見えた。その表情が、俺の胸を締め付けて、切なくなった。
 ……きっと、すぐ戻ってくるだろ。
 そう言ってやるのは簡単だが、そうなる可能性はほぼないに等しい。この一言があれば、当面は弥生を安心させることはできるだろう。しかし、これ以上、嘘の上塗りはしたくなかった。
「――あ、そう言えば」
 何やら思い出したように自分の荷物を探ると、弥生の手には小さめの赤い包みが握られていた。
「お父さんを助けてくれたお礼も兼ねて、一日遅れだけど」
 はい、と両手でその包みを俺に手渡してきた。ここで中身を尋ねるほど俺も鈍くないから、「ありがとう」と素直に言って受け取った。その瞬間、普段は冷たく見える彼女の眼が、和らいだように思えた。
「風邪、ひいてるんだって?」
「ああ」
 どこから仕入れた情報なのかは知らないが、弥生も俺の風邪のことを知っていたらしい。
「具合が悪いのに、押しかけちゃってごめんなさい」
「いいんだよ。ずっと一人でいる方が返って具合が悪くなる」
「……無理しないでね。頼りにしてるのよ」
「……おう」
 なんだか、不思議な感じだった。弥生の口から「頼りにしている」などと聞いたのは初めてだ。
「ずっと居ても迷惑だし、帰るわ。用事は済んだしね」
 弥生は立ち上がった。
「別に迷惑じゃないぞ。居たいなら居ても――」
「一応、男の人の部屋だし」
 何を今さら、と言いかけたが、それが弥生の「女心」とやらを刺激しかねないのでやめておいた。
「……チョコレート、ありがとな」
「どういたしまして」
 弥生は愛想良く笑うと、玄関でブーツを履いた。
「雪積もってるのに、来るの大変だっただろ?」
「昨日よりマシよ。それに、あんまり遅くなってもチョコレートの意味がないでしょう」
 まるで、チョコを渡すのがメインの目的だったかのような口振りだ。
 きっと、ハルカのことが心配だったに違いない。だから、俺に聞きに来たんだ。
「それじゃあ」
「またな」
 バタン、と大きな音を立てて扉が閉まった。風邪っぴきの男が一人、部屋に取り残された。こうなったら、寝るしかない。
 弥生に嘘をついているという事実が、俺に罪悪感を背負わせた。もうハルカと会えないと分かったら、弥生は一体どうするのだろうか。
 あまり考えたくなかった。



 街に積もった雪が、体感の寒さを倍増させる。
 道端に掻き寄せられ、行き交う人々の足に踏まれた雪はところどころ黒く変色しているが、それでもその冷たさは失わずにいる。
 大通りの交差点で信号待ちしながら家に帰って昼食を摂ろうと考えていると、背後から声をかけられた。
「やーよい」
 私が振り向くと、そこには相変わらず女の子みたいな格好をした、茶髪の少年が立っていた。
「薫ちゃん」
「どこに行くの?」
「助くんの家から、自分の家に帰るところよ」
 信号が青に変わる。私と薫ちゃんは、肩を並べて横断歩道を歩きだした。
「ふーん……お昼まだ?」
 何やら考えていた様子だったが、それもすぐに切り替わって質問してきた。
「……ええ」
「じゃ、一緒に食べようよ」
「そうね」
 私の予定は簡単に変更されて、昼食は一番近くのレストランで摂ることになった。



 平日の昼のレストランは、オフィス街から流れ込んできたOLやサラリーマンの姿もあって混み合っている。
「あちゃー……。ちょっと待つかもね」
「どうする?」
 私が思うに、薫ちゃんは待つのが嫌いそうな性格をしている。彼はしばし指を顎に当てて考えていたかと思うと、こう言った。
「外寒いし、ここで待ってよう」
 そう言って、彼は入り口近くに用意された椅子に腰かけた。
 私は扉の前の用紙にモチヅキと名前を書いた。私が名前を記した欄の三つ上の欄に書かれた名前までは横線が引かれていて、すでにその名前の客が案内されたことを示していた。
「……あと二組かな」
 薫ちゃんの隣に座りながら言った。
「じゃあ、すぐだよきっと」
「そうだ、薫ちゃんは昨日、誰かにチョコレート渡した?」
 話題が欲しくて、誰にでも共通のイベントであるバレンタインをネタにした。
「まさか。これでも私は男だってば」
「……あ」
 コロッと忘れていた。この子と一緒にいると、性別なんて関係なくなってくる。
「ごめんなさい」
「いいって。よくあること」
 そう言った薫ちゃんは、何やら自分のコートのポケットをまさぐり始めた。
「電話。ちょっと外で話してくるね」
「ええ」
 せわしなく立ち上がった彼の姿を見送りながら、私も意味なく自分の携帯を取り出した。
 着信も、メールもない。当然と言えば当然だった。
 私は電話帳を開いて、ひとりひとりの名前を目で追いながら、彼らのことを思い出していた。
 ――どれも、連絡を取らなくなって久しい名前だ。
 決まった日付に連絡をくれる友達もいる。でも、それはいつも同じ内容だった。
「おまたせ」
 液晶画面を見つめていて気がつかなかったが、薫ちゃんが戻ってきたようだ。
「助からだったよ」
「何て?」
「暇だから、うちに来てくれないかってさ」
「……そう」
 悪いことをしたかもしれない。もう少し、彼の家に居ても良かったかも――。
「まあ、昨日『俺を頼りにしろよ』みたいなこと言っちゃったばかりだしな……後で行ってあげることにしたよ」
 薫は楽しそうに笑った。彼は、助くんのことを親友として一番に慕っている。
 ――羨ましかった。
「やっぱり、二人は仲がいいわね」
「弥生とハルカだって、私が見る限りでは十分に仲良しだけど」
 彼の口から不意に出た名前は、私をどきりとさせた。
「最近、ちょっと用事があって帰ってこないみたい」
 暗さを感づかせたくなくて、無理に笑った。
「へえ」
 薫ちゃんは気に留めない様子だったが、それ以降、店員に呼ばれるまで何故だか会話は途切れてしまった。

 席について、対面に座りながら互いに無言のままでメニューを眺めた。
「……決まった?」
「うん」
 私が尋ねると、彼も頷いた。
 テーブルの上の呼び出し用のベルを押すと、店員がすぐにやって来て、ところどころ間違った敬語で私たちの注文を取る。そして、店員が去って行くと代わりに訪れるのは、お決まりの沈黙だった。
「前から気になってたんだけど、聞いてもいいかな?」
 しばらくして、場の空気をどうにかしようと、私から口を開いた。
 助け舟が来たとばかりに、薫ちゃんもそれに飛び乗った。
「うん、いいよ」
「どうして、助くんと仲良くなったの?」
「それ、前にも教えなかったっけ」
 訝しむように彼が言うので、私はこう言った。
「もっと詳しくよ」
「……んー……」
「それにね」
 もう一つ、気になることがあった。
「……どうして、助くんの前でだけ『俺』なの?」
 この質問に対する薫ちゃんの反応は意外なものだった。いつものように笑って「それはね……」と教えてくれるものだと思っていたが、それは違った。
 彼は息を呑んで、うつむいた。
 私は焦った。慌てて「話したくないならいいのよ」と言ったが、薫ちゃんは頭を左右に振った。
「……いいよ。友達だったら、ずっと隠しておくのも悪いからさ」
 そう言って彼は語り始めたのは、彼の本当の性別を知った時、誰もが知りたがる話――「彼」が「彼女」になる話だった。
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