「……。……っ。――っ、……」
「……まだ可能性が無い訳じゃないんだからね。現時点では、という事なんだぞ、いいかい」
完全に容態が安定して一般病棟へ移されてから数日。僕は際限なく襲い来る痛みの中にあって、しかし心穏やかな毎日を送れていた。わずかに動かせる首が、だだっ白いだけのつまらない天井だけでなく、春先の陽光と青空とを存分に味わわせてくれていた。姉がお気に入りの音楽CDを持ってきてくれて、病室がちょっとしたライブ会場へと変わった。相変わらず友人たちが入れ替わり立ち代りお見舞いに足を運んでくれた。鬱になる時間なんて生まれるはずもなかった。
そんな折。包帯で全身ぐるぐる巻きにされたまま、僕は担当医師からこうして告知を受けることとなったわけだ。
あー、やっぱりなって感じ。この展開は予想できてたんだぜ。
静かに頷いて話をするよう先をすすめた僕を見て、先生たちは少し驚いていた。
僕にはわかっていた。ある日を境に、両親の態度に変化が出ていたことを。顔を見るだけで何があったかは容易に想像できた。いつかはこういう日が来るとわかっていたので、僕は特に動揺もなく先生の話を聞く態勢が出来ていた。
「君に言わなくてはならないことは、2つ。まず1つ目だけど――」
一呼吸置いてから、ゆっくり先生は話し始める。不意に母の顔が見たくなり、わずかに動く首を動かすと、こちらを見つめて微動だにしない母の頬には、既に幾筋の光粒が伝っていた。
告知その1。はねられて地面にたたきつけられた時、その衝撃の全てを右腕が支えることになったせいで、その機能がほとんど失われてしまうであろう、ということ。なんとか切断だけは免れたが、重度の麻痺により日常生活に支障をきたすかもしれないとのことだった。
だが、僕はこの右腕の件についてはなんとなく予想ができていた。予感があった。
目覚めて以来、全く感覚が無かったから。
ひっきりなしに痛みを訴える全身のなかで、不思議と右腕だけが沈黙を保ち続けていた。それも、体からぷつりと切り離されてしまっているような、そんな不穏な静寂。
沈んだ。しかし、きっとリハビリで挽回できる、と強く信じるしかなかった。
「大丈夫かい? 辛いなら泣いてもいいんだよ。こういうことは我慢しないほうが体にいい」
先生は僕にそう言ってくれたが、このときはまだ自分が死の淵から這い上がった事に感謝する気持ちのほうが強くて、不思議と涙は出てこなかった。それに、先生の顔がまだ何か秘密を隠していることを語っていたので、全てを打ち明けられてから考えたかったのだ。
僕は何も言わず先生を見つめて、告知の続きをするよう哀願した。
でも、流石に声を失うことになるかもしれない、という発想は生まれてはこなかった。
「着地後もんどりうってきみが地面を転がる内、きみの脳は深刻なダメージを追ってしまったんだ。そのせいで、主に言葉をつかさどる機能に影響が及んでしまっている。まだここで結論を言うのは早計だけど、この先、君はしゃべれなくなるかもしれない。確率は――」
何を言っている? 僕の声が失われる? 馬鹿言え、現にこうして今喋っているじゃないですか。先生、ほら、僕の声、聞こえているでしょう。ねえ、先生。先生!
「……っ、……」
だが、僕は発声していなかった。息を漏らすばかりで、声が、言葉が、音にならない。懸命に口を動かそうとしても、顔の筋肉どころか口元さえも満足に動かすことが出来なかった。
「ひっく……ああああああああっ!」
母が叫び声にも聞こえるような泣き声をあげてその場に崩れ落ち、ようやく自分の声が失われてしまったことを自覚した瞬間、僕は声を上げて泣いた。
わんわん泣いた。だだをこねる幼児のように泣きつづけた。家族や医師たちに、誰も止めようとする人はいなかった。
西日の差し込む病室には、精一杯の沈黙が鳴り響いていたのだろうと思う。
★ ★ ★
半年かかって、ようやく僕は元の日常を取り戻すことができた。
けれど、生きるために支払われた代価は、やっぱりあまりに重いものだった。右利きの自分に残った無感覚の右腕は、生活リズムを根底から破壊してしまった。
着替える、コンタクトレンズをつける、箸を使う、靴を履く、ドアを開ける。そして、真っ直ぐ歩き、真っ直ぐ走る。今まで自分が自然にやれていた日常生活のリズムを、まっさらになって初めていとおしむべき物だったのだ、と気付かされた。
登校。授業。下校。放課後に病院へ通ってのリハビリ。淡白な日常。無限ループ。
ただ時間が経つばかりで、一向に機能の回復を感じられない日々。知らない間に折り重なっていくストレス。そんな気持ちを言葉にしたくても、僕の口からは微かに息がこぼれるだけ。
誰もこの苦しみを理解してくれる人はいない。言葉にできない、声に出せない想いを、僕は吐き出せないままどんどん心にしまいこんでいった。
なれない左手での生活と、声を出せない現状。助けが欲しくとも、左利きではない自分にはまともな字も書けない。リハビリに行く回数は、学校に登校する回数とともに減少し、次第に僕は外界とのコンタクトを避けるようになっていった。部屋から出ない日が増えていく。
生きるつらさを感じ、夜な夜な僕は泣いた。泥酔したまま死を遂げた若者に対する憎悪は次第に薄れ、代わって自分の体の不自由さに自分自身がどうにも許せなくなっていった。
こうしてまた半年がすぎた頃。僕は、貰った命を投げ出すことに決めた。