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第八話『自慢じゃないが、俺は何の能力も無いぞ』

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 世の中は不条理な事ばかり起こる。それは十五年前に隕石が落ちた時からか、カレーしか美味く感じなくなった時からか、俺が祖父祖母から逃れた時からか、銀髪女と出会ってしまった時からか。きっかけはたくさんあるんだわ。どれも一つ一つなら、普段通りの日常を崩さない程度のハプニングとして見れたと思う。けど、全部が重なってしまった。だから世の中は不条理だ。
 でも、そんな不条理の中に身を投じてしまった俺にとって、それはただの現実に成り下がっている。逃れられようのない不条理は、言ってしまえば運命や必然という言葉で片付いてしまうんだろう。起きてしまったことは変えようがないからな。そんな風に考えてしまう俺はやっぱり変人なんだろうと思っちゃうセンチメンタルな放課後ちょっと過ぎ。……たとえ学校で銃を持ったいかれた女が居ようが、大企業相手に敵対しようとしているいかれた学生が居ようが、そういうもんなんだと納得してしまうんだ。とっくに俺も頭がいかれてますわ。……と、おかしくなったのは俺なのか、俺の周りなのか。たぶん両方だろうという結論に辿り着いたところで。
「鑑田晃人。なんで貴方がここに居るのかしら」
 見れば、俺は既に銀髪女の眼中に無かった。ナイフを落とされたにもかかわらず、銀髪女は立って腕を組みながら、イケメンに応える。
 このまま俺の関わらない範囲で話を続けてくれればいいんだけどねえ。そうはいかんわよねえ。
「てっきり研究室で一生を終えるのかと思ったわ。こんな所にまで来て疲れたでしょう? もう帰ってもいいわよ」
「その人を小馬鹿にした態度、変わらないね。でも、今回ばかりは反抗させてもらうよ」
「いいけど、殺すわよ? 私の目の前に出てきたってことは、“そう”いうことよね」
 帰っていいわよ、なんて。お前が言うなと声を大にして言いたいね。お前が帰れ。と、俺が内心思った時、何故かイケメン――鑑田晃人――がこっちを見た。振り返るが、俺の後ろは壁しかない。つまり、俺を見ている。やめろよそのイケてる面持ちで俺を見るな。
 なんて毒を吐こうと思った矢先、イケメンは俺の思考なんて知らないといった風に口を開く。もし能力とやらがもらえるのなら、俺は迷わずテレパシーを選ぶね。
「君が相羽光史くん、だよね」
「そうだけど男にフルネームで呼ばれるのはお断りだぞ。というかこっち見んな。銀髪女と仲良くにゃんにゃんしててくれ」
 そう言って、俺はごく自然に部室から出ようとする。が、もう一歩というところで後ろから腕を掴まれた。やっぱダメか。
 振り返ればもちろん銀髪女。俺のことはもうアウトオブ眼中に無いと思ったけど、どうやら逃がしてくれる気はないらしい。そっちの意味でアウト!
「この流れなら俺を無視してあのイケメンとバトっちゃうと思ったんだけど」
「ええ、正しいわね。でもね、それでもアンタが死ぬ結果は変わらないわ。いいから大人しくそこで座ってなさい」
「ぎゃあ」
 掴まれた腕を強引に引っ張られ、俺は部室の中へ。予想外にマッスルな勢いを殺しきれず、床に尻餅をぺったんこ。無償に泣きたくなる寒い日でした。
 自分のやわ尻をさすりながら、俺は扉の向こう側を見る。どうやらともちゃんと部長は無事に逃げられたようで、屋上に姿は見えない。よしよし。銀髪女は皆殺しとか言っちゃってたけど、もうこの時点でそれはなくなったな。気が楽になったぞ。
 胸を撫で下ろしたところで、こうなっては逃げられない、と。俺は半ば投げやりな気持ちで、イケメンと銀髪女を観察することにした。床は冷たいので、椅子に座る。特等席だな。全然嬉しくねえ。
「それで、どうするんだいガーラック。銃もなければナイフもない。それに君の能力はわかっている。もう、詰みじゃないのかな」
「確かに武器は手にしてないけど、能力がわかっているのはお互い様じゃないかしら? それと、私は武器が無くても、貴方を殺すには十分な力と技術があるわ」
「……一応聞いておくけどガーラック、体重はいくつ?」
 イケメンの突拍子もない言葉に空気が凍った。さすがの俺も銀髪女に体重を聞くってのがどれだけ命知らずなことなのか、それくらいはわかる。女に体重を聞くのはご法度、それは宇宙全体に広がる物理法則にも似た決まり事なのだ。
「殺すわ」
 みんなの期待に応えて、銀髪女は有無を言わさぬ反応速度で地面を蹴った。スタートダッシュ限定で言えば、ありゃあ世界記録も狙えると見たね。そんな速さで近付かれたイケメンは別段驚くこともなく、いや俺は驚いてるんだけど、そうじゃなくて、まあ、やけに落ち着いて身構えていた。
 微かに銀髪女の舌打ちを聞いた気がしてふと耳を澄ませば風を切る音。それは銀髪女の速さによる真空的な何かとも思ったけど、数秒後に数秒前まで銀髪女が居た位置にコンクリートの破片らしき物が空から落ちてきた。ここが屋上だということを忘れて視線を上に向ければなんてことはない、どこから集めてきたのか、今しがた降ってきた破片と同じようなものがぷかぷかと宙に浮いていた。軽く見積もって三桁くらい? もう何でもアリだなもう。
「思うに、僕よりガーラックの方が重い。なら別のものを“こう”すればいいだけだよね。……近づけるのかい? 逃げてもいいよ?」
「あー、うざったらしいこと言わないでくれるかしら。今ちょっと考えてるんだから」
 なんて、ちょっとローなテンションで交わされている会話だけれど、見た目はボゴズガと振ってくるコンクリ片を銀髪女が避けつつイケメンとの距離を縮めているというとっても心温まる光景。
 ……いや、確かに銀髪女は銃とか持ち出しちゃってるし? 自業自得なんだよバーカなんて思わなくもないんだけど、あのコンクリ片、結構当たったらちょっと死んじまうよな。特等席だとか思ってたけど、人死にがすぐ目の前で見ることが出来る特等席ってのは、はたして特等席と呼んでいいのだろうか。
 そんな倫理観とか小学校の道徳の時間なんかを考えながらも、俺は目の前の光景から視線を離せずにいた。こう、なんか足が動きたがってる。混ぜてほしいとかそんな危険思想は持ち合わせちゃいないけど、いや、まあ、突っ込みたいとは思ってるんだわ。あわよくばお二人には平和的な解決をして欲しいという淡い思いがね。だがしかし今も耳に入ってくる破裂音とか殺す的なニュアンスの言葉とか聞いてると、むやみに動けばそれを向けられるのが俺になりそうな気がして云々。まいった。
 永遠に変わらない現状かと思った。しかし、次第に破裂音が鳴る間隔は長くなり、言葉が途切れ途切れになる。そりゃあそうだ。最初から一歩も動かないイケメンに対して、銀髪女はコンクリ片を避け続けている。要するに疲労だ。永遠なんてそう簡単に存在されてたまるか。
「そういえば僕、出来るならガーラックも連れて来いって言われてるんだよねえ。そろそろ疲れただろうし、終わりにしないかな? これ以上は不毛だと思うんだけど」
「黙れ黙れ! 貴方が死ねば全て解決じゃない!」
「物騒だなあ」
 物騒なのはお互い様だろが、と小声で漏らす。イケメンの背後にはこれまたどこから持ってきたのか、ぐにゃりと歪んだ長い鉄棒が浮かんでいた。アレをコンクリ片と同じ調子で飛ばして、もし当たりでもしたら大変なことになるな。いや、どっちもどっちか。何が当たったとしても、無事じゃあ済まない。
 イケメンのニュータイプ的な多方向攻撃はいつの間にか銀髪女をいたぶるような動きに変わっていて、疲れた足でもギリギリ避けきれる範囲で音が鳴り続けている。見てられん。
「おい。おい銀髪女。この寒空の下で温まりたいのはわかるけどな、そろそろ降参しとけよ。第三者から見るとお前が弄ばれているようにしか見えないぞ」
「……うるさい」
「さいですか」
 人の親切心を耳の中に住む犬に食わせてしまったんだろう、銀髪女の返事はこの季節によく合う冷えたものだった。だがしかしめげない俺。
 そもそも人が死んでもいいのは天寿を全うする時だけであってだな。空から落ちてくるコンクリ片だか鉄棒だかに当たって死ぬ道理なんて無いんだよ。もちろんそれが人の手だってんなら、尚のことだ。
 いつかの開道寺が蒸発させたアレを思い出す。いや、アレは失礼だな。話を聞く限りは人間だったんだろうアレだな。まあそれだ。あの時は結局見てるままで最後には気を失ってしまうという、とっても後味悪い終わりだったわけなんだけどね。なんだけどね、今はまだ俺は怪我をして動けないわけじゃないし、正直コンクリとか鉄棒とか現実的な分、動く度胸もあるというかなんというか。端的に言えば目の前で人が死ぬのはごめんなんですよお母さん。そう言ったらお母さんのお母さんには俺、ひどいことしたよね。ごめんなさいしないといけないよね。……まあそれはまた今度というわけで。
 立ち上がる。そのまま根を張っていた足を浮かして、前に進む。部室から出て寒気を全身に受け止めながら、俺は口を開く。
「お前らそんなことよりサメの話しようぜ!」


第八話『自慢じゃないが、俺は何の能力も無いぞ』


「サメの肝油に含まれるなんちゃらとかいう成分はお肌に良かったり免疫に良かったりするらしいぞ。ついでにフカヒレは味がしないらしい」
 銀髪女の背後に立ち、イケメンと対峙する形で俺はサメフィールドを展開した。見れば顔を俺に向ける銀髪女は“きがくるっとる”的な表情を浮かべていて、イケメンはイケメン。むかつくなおいイケメン。
「要するにだな、隅から隅まで役に立っているサメに免じて物騒なことは止めろと言いたいんだ俺は。それでいいだろオイ。黙るなよ。まるで俺がちょっと滑った話を無理矢理な比喩表現で流れを戻そうとしてるみたいじゃねえか」
「……面白いね、君。それはもしかして、ガーラックを庇っているのかい?」
 俺の必死な自分フォローを聞き流して、イケメンは薄っすらと笑みを浮かべながら、そんなことを言った。
「いやだってどう考えてもこのままじゃ死んじゃうじゃんこの子。ちょっとバイオレンスな奴だけど、目の前で死なれるのは夢見が悪いじゃん」
「僕は別にいいんだけどね。ただ、彼女に庇う価値なんてあるのかな。彼女は例え盾となるために人が目の前に現れても、後ろから刺してしまうような女だよ」
「それは困るな」
 なんとなくイケメンの言うことを聞くのが癪だったので、俺は応えながら銀髪女の前に進み出た。背後で息を呑むような音が聞こえたような気がしなくもない。……もしかして今、俺ってば滅茶苦茶カッコいいんじゃね。自分に惚れるわ。
「まあそれはそれとしてだな、物騒だから今もぷかぷか浮いてるメテオ候補生達をどっかにやってくんねえかな。当たったら死んじゃうかもしれねえだろが」
「ふん。なんで僕が先に折れなくちゃいけないのさ。それを言うなら、君の後ろで今も殺意の波動に目覚めている彼女に言うべきじゃないのかな」
 振り返る。すぐにイケメンに向き直った。
「……そんなこともある。というかそんな子供地味たこと言うな」
「大体ね、僕は久しぶりに楽しんでたんだよ。それに僕は君を助けていると言ってもいい。なんで邪魔するのさ」
「あ?」
 俺の言葉を無視して、イケメンの顔が歪む。さっきまでの余裕すら見れた笑みは消えて、なにやら捲し立てている。
「その女は敵なんだよ! どうしてわからないんだ! ここで殺しておいたほうがいいに決まってる!」
「おい殺すとか言うなよおい。話を聞けよ」
 俺が一歩前に出たところで、数歩先にコンクリ片が飛散した。
「邪魔しないでよね」
「容赦ねえな。頼むから落ち着いて話を聞けよ。せっかくのイケメンが台無しだぞコラ。人が死んじゃうようなことはやめろっつってんだよ。そうじゃなかったら別に邪魔はしねえよ。お前ら二人で心置きなく好きなだけやってろ」
 ぼごん。今度はさっきよりも近い場所にコンクリ片がSPLASHHHHHH! 洒落にならない。さっきから破片が足に当たってちょっと痛い。
 ちょっとビキビキしながらイケメンを睨むと、イケメンはもっとビキビキしてました。ガキかコイツは。
「自慢じゃないが、俺は何の能力も無いぞ。そんな俺にそんなそんなことしちゃちゃちゃっていいんですか!?」
 心の中では余裕のあるお兄さん的な感じで考えてたけど、口から漏れたのはちょっと頼りない言葉でした。自分で言っておいてなんだけど、相変わらず生きて帰れる気がしない。今日の晩御飯はカレースープ。食いてえ。泣けてきた。
 どうやらイケメンは落ち着く気なんて全く無いようで。宙に手を置きながら、視線は俺を確実に捉えていた。……さすがに殺されないよな? 銀髪女はともかく、コイツは殺そうなんてしない――なんとなく右に跳んだ。
 いきなり無言で転がるとか、端から見ればちょっと危ない人だけど、まあ落ち着こうぜ。さっきまで俺が居た場所を見ればこぶし大ほどのコンクリ片が今まさに飛び散ろうとしているところだった。冗談抜きに死ぬところでした。ちょっと怒っちゃうぞ俺。
「冗談じゃねえぞバカかお前。死ぬぞ。俺が死ぬぞ。俺が死んだらダメなんじゃねえのかよオイ。それ以上なめた真似してっと帰らせていただきたいんですけど」
 最後に本音が混じった気がするけど別に問題はない。本音だし。それはともかくとして俺の言葉が食わなかったのか、イケメンが顔を伏せてプルプルと体を震わせていた。やばいな。アレだよアレ。小さい子供にありがちなアレ。“なんで避けるんだよお、当たらなきゃだめだろお”的なアレ。もしかしたら俺は自分の命に気をとられて、余計なことをしてしまったようだ。……自分の命最優先して何が悪いんだよ! ドッ、ワハハ。
「ハハッ! 避けた! ねえ、今、見えてないのに避けたよね!? それってさ、君の言う“能力”なんじゃないの!? ねえ、もう一度やってみてよ!」
「きがくるっとる」
 俺の予想に反して、イケメンの口から飛び出たのはあまり理解したくない類の言葉だった。さすがの俺もこれは予想外。今すぐにでも背を向けてここから立ち去りたいところだけど、それこそ死亡フラグな気がしてならない。どうしよう。
 いやだってさ、普通頭の上から不審な風を切る音が聞こえたら何か落ちてくるって思うじゃん。ただでさえ頭上にはコンクリ片がこれでもかと浮いてたわけだし。普通は避けるなり何なりするだろ。誰だってそうする。俺だってそうした。なもんだから、俺は今さっき聞いたばかりの音を敏感にも察知して、さっきと同じように飛び退いた。
 遅れて、飛び散るコンクリ片。
「今日で一生分の飛び散るコンクリ片を見た気がするからな、もうそろそろやめて欲しいかな。飛び出した俺が悪かったからさ、そろそろ銀髪女とよろしくしてくれよ」
「……君に怪我させたら怒られるしね、僕もそう思うんだけどさ。楽しいんだよ。命令を差し引いても、止めたくないんだよね」
「いや、ここは純粋な縦社会に従っておこうぜ。死ぬくらいなら俺、どこだってついてくからさ。な。な!」
 死にたくない。そう、死にたくないので、さすがの俺も晩御飯と自分の命じゃ、命のほうが大切だ。泣く泣く晩御飯を捨ててついて行こうという気になったんだが、俺の言葉を聞いたイケメンは何故か黙った。そこは黙るとこじゃない。万事解決するところだ。
 俺がイケメンに対してやきもきしている時、不意に背後で“ひゃあ”なんて可愛らしい声と共に何かを叩くような音が聞こえた。なんだ今の声。銀髪女か。いつもドスの利いた声聞いてたから、ちょっと焦ったぜ。
 イケメンを待っても仕方がないので、俺は銀髪女のほうに振り返った。なんか地面に突っ伏してるんですけど彼女。……あ、顔上げた。なんだか殺意の波動をビンビンに目から発してるけど、まあ無視だ無視。さすがに銀髪女も女の子。徒手空拳同士なら俺だってやりようがあるからな。少し余裕を持って、俺は話しかける。
「何やってんだお前。転んだのかよ。何やってんだお前」
「……別に、今なら貴方を殺せると思っただけよ。それなのに、まるで狙い澄ましたようにコンクリートの破片が地面に埋まってたわけ。……ホント、なんでこんな」
 文句を言いながら、銀髪女は服に付いた汚れを払いつつ立ち上がった。立ち上がってからも不穏なことをブツブツと呟いているが、さすがの俺もそろそろコイツに付き合うのは疲れてきたので、話題を変える。
「で、お前はどうしたいんだよ。いや、殺したいってのはナシな。いやいや、やっぱどうしたいかって質問も無しだわ。帰れ。俺今からあのイケメンとどっか行くからさ。頼むわ」
「何一人で完結してるわけ? 言っとくけど、今この瞬間にも、私は貴方を殺せるのよ?」
「さすがに無理だろ。俺だって男の子だぞ。腕力なら勝てる」
 俺の言葉を聞いて、銀髪女まで黙ってしまった。なんだなんだ、コイツ等よってたかってコミュ力皆無かよ。俺も人のこと言えたもんじゃないけど、会話くらいは出来ますよ。終わってんな。……なんて、鼻で笑おうとした時、銀髪女が予想外の行動に出た。それというのもアレでアレだアレアレアレ。なんでか知らないけど、その、制服ですね、スカートをゆっくりとまくり始めました。自分で。自分でだよ。あと少しでパンツですよ。パンツが顕現しちゃいますよ。というか何、銀髪女ったら何、なんなの、こんなところで発情しちゃってるわけ? いや、俺か。なんかドギマギしちゃってるんだけど。俺がドッキンコしてどうすんだよ。いやでもほら、パンツ見えちゃいますよ。
「パンツ見えちゃいますよ!」
「うるっさいわね! コレよコレ!」
「ぎゃあああパンツ見えええええ、ないな。……なんだ、ただのナイフか」
 勢いよくスカートを捲り上げてパンツが見えなかった。その代わりに銀髪女が取り出したのは、なんだ、ただのナイフか。
 ただのナイフか。
「あれ? 徒手空拳じゃなくね?」
 銀髪女は別にパンツを見せようとしたわけではなく、太ももに巻かれたバンドからナイフを取り出すためにスカートをめくっていたのでした。……スカートめくる意味、あんまないよな。セクシーコマンドーを垣間見た気がする。
 なんておどけている場合ではなく、銀髪女はいつの間にやら勝ち誇った笑みを浮かべて、ナイフを構えていた。後退する俺。
「あわわわわ」
「そういうわけで、殺す。やっぱり貴方と会話していたら駄目ね、調子が狂うわ」
「いいこと思いついた。カレーの話しようぜ!」
「だからッ!」
 ヒュン、と。空を切り裂く音。寸でのところで後ろに飛び退いた俺の目には、自分の切られた髪の毛が映った。そういえば最近、床屋に行ってなかったな。ちょっと長くなりすぎたか。
 ちげえよ。なんでこんな漫画やアニメでしかお目にかかれないようなことを体験せにゃならんのか。髪だけ切れるって。髪ですよ髪。あと数センチで事切れてますよ。あ、俺今上手いこと言った。やべえ、笑う。
「ぶふう」
「……やっぱり貴方、避けることに関しては何らかの“能力”を持っているんじゃない? じゃなければ、そんな余裕のこもった笑いなんて漏らさないわよ、ねッ!」
「ちげえ! ごめん! ちがう! ごめんなさい!」
 ヒュヒュンヒュン。振り回すように描かれる銀色の線を後ろに飛び退くことで避けながら、俺は必死に謝る。しかし、銀髪女は完璧に怒っているようで、どうやら殺す気満々なようだ。あれ、いつもと変わらなくね?
 そんなことを考えていたからだろう、俺は背中で誰かとぶつかってしまった。
「あ、ごめん」
 なんて。ここにいるのは銀髪女とイケメンだけなのにね。目の前に銀髪女がいるってことは、俺がぶつかったのはイケメンってことなのにね。そういえばイケメンのことをすっかり失念していた。言わば後門とか前門の猛獣共。逃げ場なんて無いんじゃないのか。
 俺はじりじりと距離を縮める銀髪女を警戒しながら、ちょろっとイケメンのほうを見た。……なんかまだ黙ってる。なんなの、まだ悩んでんのか。そんなに俺が避けたのが楽しかったのか。もしかしてコイツ、アホの子か。
「おいイケメン! 銀髪女が俺のことを殺そうとしてるぞ! おい! なんとかしろ! 大人しくお前についてくから、早くなんとかしろ! なんとかしろ!」
「え? ……ああ、ガーラックか。ごめん、今ちょっと考え事してるから、静かにしてくれないかな」
「ばっかお前! いいからコンクリ落としまくって銀髪女の動きを止めるくらいしろよ! あ、当てるなよ。警戒させるだけでいいからな」
「そういうのは、私が居ないところで言うべきね」
「そうですね」
 こんな状況で黙って何かを考えているイケメンを傍目に、俺は銀髪女を見つめる。そこで、銀髪女の向こう側にプレハブがあることに気付いた。そう、銀髪女はプレハブを背にしている。ということは、銀髪女と向かい合っている俺の背後には屋上の出口があるということ。
 チャンスだな。今なら背を向けても全力で逃げれば逃げ切れる気がする。そうだ、校舎に戻ってしまえば、銀髪女も下手なことは出来ないだろう。逃げ続ければ俺は家に帰れる。ゴールイン。天才すぎる。
 俺はイケメンを盾にする形で少しずつ銀髪女から離れる。死ぬかもしれないという緊張で速まった鼓動を落ち着かせながら、慎重に機会を待つ。……まだだ、もう少し離れることが出来れば、確実に逃げられる。
 冷や汗を流しながら、俺はふと、名案を思いついた。……いや、これは失敗したら俺が危なくなる、言わば諸刃の剣。俗に言う両手剣。しかし、この嫌な均衡を破るには、やるしかないだろう。……よし!
「――あ、ああああ、ああああ! あんな所になんか浮いてる! やべええええええ!」
 迫真の演技。俺はがくがくと体を震わせつつ後退しながら、斜め上を指差した。
「なんかって何よ?」
 かかった! かかったよ! かかったよ! 引っ掛かった!
 銀髪女は怪訝な表情を浮かべながらも、俺が指す宙へ顔を向けた。今しかない。
 ……“あーっ! UFO!”という古典的な引っ掛けに“なんか”という不確定な要素を追加したことで対象の好奇心をくすぐるという戦術。さらにイケメンのお陰で何かが宙に浮いてるのは間違いないわけで、何も無かったという直後の怒りという懸念すらも解消した悪魔の引っ掛けだ。これを思い付いた時、俺は自分の将来を憂いだね。自身の悪魔的頭脳が世界を変えてしまうかもしれない、と。
 そんな感じで自分を褒めながら、俺は嬉々として階段を降りていった。



 雪が降ってないと言っても、まだまだ寒い季節。あまり寒すぎるのは好きじゃないけど、ついさっきまで全力疾走していた体には、冷え切った風がありがたかった。
 いやはや、なんとかなるもんだ。死ぬかと思ったけど、なんてことはない、俺にかかればざっとこんなもんよ。これで安心して晩御飯のことだけ考えられるってもんだな。俺は自分の家に向かいながら、今日も死ななかったことをどこの誰ともわからない人に感謝した。
 それにしてもアイツ等、学校でもお構いなしだったな。明日から学校休みたいんだけど、さて、涼子さんにどう言い訳したものか。風邪とか熱とか、そんなんじゃ駄目だ。もう何度も使ってきたからさすがにダメだしされるだろう。じゃあどうするかって言ったら、そりゃあ、思いつかないわ。悪魔的頭脳もここまでか。短い命だった。
 というかそんなことよりも今日のカレースープだよ。カレーなのにスープってなんなんだよ。カレー味のスープなのか、スープ味のカレーなのか。やっぱり修学旅行でおなじみのジャワカレーならぬシャワカレーっぽいあのシャワシャワしたカレーなんだろうか。いや、シャワシャワしたスープ味のカレーなのかもしれない。……それはスープだ。あんま食いたくねえな。でも、涼子さんのことだから、俺が思いつかないようなとんでもなくおいしいカレーを作ってくれているに違いない。毎日が感動の連続! 今日もカレーがうまい!
「――相羽光史君、僕に黙ってどこかへ行ってしまうなんてひどいじゃないか」
 なんだか知らないが空耳だろうか。俺のカレー脳が汚された。無視しよう無視。
 だから今日のカレーはまたしても俺の知らないカレーとなるわけだ。スタンダードなカレーもいいんだけど、この前のカレードリアのように独創的なカレーもいいよね。世界にはまだまだ俺の知らないカレーがある。いつかインドに行ってみたいわ。多分俺の前世はインド人だったのよ。カレーにまみれて死んだのよ。だから俺はこうして生きている。輪廻って素晴らしい!
「無視しないでよ」
「――あ、ああああ、ああああ! あんな所になんか浮いてる! やべええええええ! イケメンだあああああ!」
 演技じゃない。どんな原理かは知らないけど、イケメンが街路樹くらいの高さで宙に浮いていた。さすがの俺もカレー思考を中断せざるを得ず、イケメンを注視する。なるほど、屋上に残したイケメンと銀髪女が気になってたけど、宙に浮けるなら屋上でもどこからでも移動出来るわな。厄介だなオイ。
 俺の意識が自分に向いたことで気をよくしたのか、イケメンは笑顔を浮かべた。
「話に聞くと、君はチルドレンの能力を判別出来るらしいじゃないか。まあわかると思うけどさ、僕は自分の体重以下のものを動かすことが出来るんだよね。横文字で言うとテレキネシスって言うのかな? ま、そんなわけだから、自分のことは自由に浮かすことが出来るのさ」
「そいつはすげえな。すごいのはわかったからさ、俺、帰るわ。じゃあな」
「つれないこと言うなあ。せっかく紗綾ちゃんから君の居場所を聞いたのに」
 さや……あー、いつぞやの黒ずくめちゃんか。もう一ヶ月会ってないけど、元気でやってるみたいだな。こんなイケメンと話してるくらいだもんな。可愛かったけど、イケメンと繋がってるってのはちょっとマイナスだわ。ちょっとどころじゃないわ。
 俺は嬉々としたイケメンの説明を頭の中で分解しながら、無視して帰ることにした。が、すたすたとイケメンの下を通過しようとした時、背後から声がかかる。
「相羽さん! 待ってください!」
「あ?」
「ちょっと、はあ、話を、聞いてくださいっ」
 振り返ると、噂をすれば黒ずくめ。息を切らした黒ずくめちゃん改め紗綾ちゃんが立っていた。その後ろには紗綾ちゃんの兄、つまり開道寺の姿もある。……参ったな、なんだか知らないけどコイツ等、数で攻めてきやがったぞ。
「君は黒ずくめちゃんじゃあないですか。ついでにお兄さんも。揃いも揃って今夜はぱあてぃーってやつですかな。じゃあ俺は帰るわ」
 営業スマイルで俺は別れの挨拶を済ませると、紗綾ちゃん達に背を向けて家に帰ろうというところで、何故か背を向けたらイケメンが立っていた。何故かじゃねえか、意図的だわ。逃がす気無いわコイツ等。
 それでも諦めない健気な俺は、ちょっと目つきが怖くなるよう意識しながら口を開く。
「おいイケメン、そこどけよ。俺は帰るんだよ。それ以上そのイケメンを俺に向けたら殴るぞ。お前の顔が許せない」
「やだなあ。一緒の学校に通う仲じゃないか」
「そういうのを赤の他人って言うんだよ。記憶から消したいから今後は話しかけんなよイケメン野郎」
「……さっきから気になってたけど、それ、蔑称になってないよね? 悪い気はしないけど、僕の名前は鑑田晃人だよ。これくらいは覚えてくれてもいいんじゃないかな」
 あきとあきと。はいはいあきとあきと。名前もイケメンですね。
「あの、相羽さん、いいですか?」
 俺がそろそろイケメン――晃人を殴ろうかなあなんて考えていた時、視界にひょこっと紗綾ちゃんが飛び出してきた。相変わらず恥ずかしいセンスの黒服が目を引くが、やっぱりかわいいな。……いやあ、どんな状況でも目の保養は大事だと思うんだわ。決して紗綾ちゃんに甘いわけではない。
「何かな? 話なら聞くけど」
 やっぱ甘いわ。
「あのですね、今日は相羽さんを招待しに来ました。相羽さんを――メテオ・チルドレンとして」
「あ? めて男? ……ああ、いや、前々から言ってるけど、俺は別に何の能力も無いからな。あったら今頃、堂々とお前らから逃げてるからな。家に帰ってるからな。常識的に考えような」
「でもっ、安達さんは相羽さんがメテオ・チルドレンだって言っていました! ですから、私……」
 紗綾ちゃんはまだ変人っぽくないし、否定したら引き下がってくれるかとも思ったけど、帰ってきたのは俺の否定をこれまた否定する言葉だった。
 安達ってのは前に楠木ビルで会ったいけ好かない男だな。なんでそいつが俺をその、あー、能力者だなんて言ってんだ。ありえねえだろ。純粋な紗綾ちゃんを騙したのか。許せねえな。
 が、そこまで考えて、俺は昂ぶりかけた気持ちを落ち着かせる。俺が口で言っても信じないのなら、いっそのこと、コイツ等についていって、実際に能力なんて無いってことを証明したほうがいいんじゃないのか。それだ。天才すぎる。
 が、そこまで考えて、俺は纏まりかけた考えを止める。その証明とやらが、されちまったんじゃねえのか? いやだってほら、安達って奴に変な金属ヘルメットを装着された時。あれがその、俺が能力を持っているのかいないのかを調べるためのあれだったじゃねえか。それが終わった今、安達が俺を能力者だっつってんだから……ああ、あれ?
「相羽さん、私たちと一緒に来てくれませんか?」
 頭の中が隕石やら能力やらでいっぱいになってしまった俺は、紗綾ちゃんの言葉に頷くことしか出来なかった。




次回:第九話『つまり俺は全知全能の神ってわけなんだな』



18

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