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第二話『アンチメテオ』

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 これまで何度かメテオ・チルドレンとの戦いを繰り広げてきた真には、既に起こす為の手段、所謂計算式のようなものが頭に出来上がっていた。
 ……何故“起こる”のか、それを単純に表せば、“想像力”。
 人は誰しも何かを想像することが出来る。言ってみれば、メテオ・チルドレンが使う能力は全て想像であり願いなのだ。過程は違っても、全てはその使用者が望んだ結果を呼び寄せる力。
 例えるなら、そうだ。炎の力を持ったAと、氷の力を持ったBが居たと仮定する。二人は目の前にいる敵を殺したい。そう思った時、Aの場合は敵が燃え、Bの場合は凍る。ただ、それだけのことでしかない。
 ――“俺”は垣間見た世界でそういった知識を得て――だから、真は夢想する。戦う場合に於いて、真の頭には相手を殺す以外の考えは存在しないのだ。
<ちょっと! なんとか言いなよ豆腐野郎!>
(黙ってろ。お前の声が聞こえるとなんだか薄情な気持ちになってしまう)
<その心は>
(誰かさんの胸が薄いからな。必然的に情も薄れる。お後がよろしいようで)
<すごく全然よろしくないんだけどすごく>
 そういったやり取りをしながらも、真は着々と周りを自分に有利な場に変えつつあった。大気を冷やし、水溜りを凍らせ、何時でも目の前の相手を凍らせることが出来るように。今までと変わらない、半ば行動ルーチン化されている故に、それは自然と行われていた。
 それから何十秒か。そろそろ周囲の空気も“寒い”から“痛い”に変わってきた頃、真の心の内に疑問が芽生える。そう、目の前の男は、全く寒がっている様子が無いのだ。さらに言えば、男の表情が恐怖から余裕のある顔へ変わっている。……相手も、何かを起こしている。
 真がそう確信した直後、不可思議は起きた。
「ぐ、あっ!?」
 何も見えなかった。自然に漏れ出た自身の苦しげな声を聞きながら、真は飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止め、状況を整理する。
 真は、“勝手に”地面へ倒れていた。端から見れば、まるで自分からアスファルトへ突っ込んだかのように見えただろう。それくらい、唐突に。
 ……だが、違う。この状況下で勝手になどと。ズキズキと痛む額を押さえながら、真は立ち上がろうとし――再度、地面へ突っ伏す。同時に鈍い音が路地裏に響き渡った。
<だ、大丈夫? もしかしてデッド死んだデス系?>
(う、るさい。話しかけるな、今、考えている所だ)
 伝子はなんと言っていたか。真は今朝の会話を思い出す。……確か、そう、死体はぺしゃんこになっていたと、そんなことを言っていたはずだ。
 地面へ倒れたのではなく、潰された。点ではなく、面。なるほど、メテオ・チルドレンが持つ能力の傾向から考えると、この男の持つ能力、読めた。真はそこまで考えると、視線を鈍色のアスファルトから、男へ移す。
「おい、そこのお前。寡黙なことは唯一評価出来る点だが、一つだけ答えてもらおうか」
「……」
 真の言葉に対し、男は答えることなく、不可思議を起こすことで応えた。
 ずしり、と。地面に突っ伏す真に更なる重圧が降り掛かったのだ。先程までの瞬間的な圧力とは違い、今度のは持続する、じわじわと潰されていくようなそれ。
 真は痛みを感じながらも、その顔に浮かぶ不適な笑みを消そうとせず、ゆっくりと口を動かす。
「は、――はぁ、“重力使い”か。中々、今までに無い反則級の能力だな。一体コイツで何人を手にかけてきたのやら」
「……」
 男は真の言葉を聞くも、眉一つ動かさず、圧力を加え続ける。……事実、男は重力を操ることに長けている能力を持っていた。真の言葉は間違いなく真実であり、だが、それを知られたところで、男にとって何の不安要素にもならないのだ。
 そんな男を見ながら、真は不敵な笑みを浮かべ続ける。が、男と違い余裕があるわけではない。強すぎる重力により、表情が上手く動かせないだけだった。
 なるほどなるほど、ますます反則だ。と、真は苛々しながらも、頭に疑問が残っていることに気付く。確かにこの男の能力は強い。だが、俺の能力もそれなりに脅威だろう、と。これだけ気温を下げていて余裕面を見せていられるのは、現実的に、非現実的に考えたとしても、おかしい。
 そこで、真はすっかり傍観者となっているだろう伝子に対し、“意識”した。
(伝子)
<なんだよお。寒いから頼みごとは無しだよ>
(黙れ。いいからあの男の考えを読め。俺の凍腐が効いていないのが納得出来ん)
<そのとうふってネーミングどうにかなんないの>
(お前の胸が成長しないことくらいどうでもいい話だろそれは。早くしてくれ)
<豆腐ぶつけるぞ!>
 みしり。と、嫌な音が真の頭に響いた。折れてはいないが、間違いなく、骨が痛めつけられている音。その音は次第に頭の中を覆い始め、それに比例して全身の痛みも増えてゆく。最早地球上の生物が生きてゆける重力ではなかった。
<おーい、めん君。おおーい。……死んだ?>
(ま、だ……)
<よろしい。たった今ちらっと視えたけど、なにやらメテ男は体の周りをとんでもない重力で覆っているらしいよ>
 なんだそれは。もしや最強の能力なんじゃないのか、それは。
 つまるところ、重力に影響を受けない物体など無い。それは空気、ひいては原子にしても同じこと。不可思議な自然現象と言えど、起こる過程はどうあれ、起こった後は現実準拠となる。つまり、真が起こした極低温の大気は、全て届いていなかったのだ。なるほど確かに、最強と言っても過言ではない。
 真は某国民的アクションゲームで最初に出てくる敵のように潰される自分の姿を一瞬だけ頭の中に思い描いた。それ程までに、彼は追い詰められているのだ。そこに、伝子の小馬鹿にしたような、いや、小馬鹿にしている声が頭に響く。
<珍しくユーモア溢れる想像をしてるじゃないの。めん君にはお似合いだよ。天罰だね>
 天罰。そう、それだ。真は伝子の一言から、一瞬にして名案を思いついた。そう、天罰だ。
(助かった、ぞ、伝子。お前のおかげで、なんとかなりそう、だ。……あと、一つ、言っておく。心配しなくとも、あの雑魚敵でも、お前の胸よりかは薄くならない、ぞ)
<こんな状況でもボクの胸に持っていく気概を別の何かで発揮して欲しいとつくづく思うよ。死ね>
 そうしみじみと呟く伝子を他所に、真の頭の中は既に現況に対しての殺意で埋め尽くされていた。一般人を潰し、今日という休日を潰し、そして今俺すらをも潰そうとしている。許せることではない。
 真は渾身の力を持って首を動かし、男を見る。依然として、男の顔には余裕の笑みが浮かんでいた。……渦巻く殺意を、男の頭上に意識する。――巨大な氷塊だ。真は、男の頭上に氷塊を生み出した。まるで何も無いところから急に現れたように見えるそれも、現れたからには、現実となる。
 そこからは、瞬きをする間に終わっていた。
 男が気付いた時には、既に角ばった氷塊が頭部にめり込み始めた瞬間だった。そのまま一秒とかかることなく、男の姿は消え去っていた。残った物は、砕けた氷と真っ赤な粉砕物。
<うわ、えぐい>
 伝子がこう言うのも無理はない。が、真は特別な感情を抱くわけでもなく、やっとのことで異常な重力から開放された体を起こす。
 男の周囲を覆う超重力。そもそも、重力というのは下に落ちる力そのものだ。確かに男を軸とした百八十度において言えば、完璧な防御だったに違いない。だが、その軸はどうだろうか。上から落ちてくるものに対しての防御はどうだろうか。……結果は、見ての通りだった。通常の重力で見ても重い氷塊、単純に言えば重力が二倍になるだけで、百キロの物は二百キロになる。……真は氷塊を生み出しただけであり、男は、自らの能力により、こうまで原型を留めることなく粉砕されたのだ。
(帰るぞ)
 と、身体の異常の有無を確認し終えた真は、伝子を意識しながら簡潔に思う。
<え、帰るの>
 返ってきた言葉は予想通りと言えた。そんな言葉に対し、真はこれ見よがしに溜め息を漏らすと、今度は口を開く。
「さすがの俺でも、この光景を見てすぐに飯を食うのは気が引けるんだよ」



 その日の真は、非常に不機嫌だった。
 いつもなら過剰かと思えるくらいに作られる朝食も、今日に限ってはパントースト一枚。不満を漏らす伝子に対しても、いつものようなキレのいい貧乳トークは出てくることなく、普段から強面の顔が、さらなる鬼の形相へと変貌していた。
 原因は先日殺した重力使いのメテオチルドレン――ではなく、昨夜にかかってきた電話にある。“アンチメテオ”からの召集がかかったのだ。通常の任務については全て電話で済まされる。今まで数回しか無かった召集がかかったということは、それなりに大きな事が起こったということ。
 朝から何度目だろうか、溜め息を漏らしながら真は考える。真は、アンチメテオという組織が好きではなかった。
 アンチメテオ。それは、名の通りメテオに関することを根絶するために生まれた組織、簡単に表せばテロリストの集まりだ。メテオ関連を根絶するためならば手段を選ばず、だが、一般人を巻き込むようなことは出来るだけ避ける。そんな集団の目的には、もちろん、メテオ・チルドレンの排除も含まれていた。
 この街に隕石が落ちてから数年、メテオ・チルドレンによる犯罪は急増している。だが、大元である楠木コーポレーションが動くことなく、警察も対応しきれず、現状としてそれ等の犯罪は放置されているに等しかった。
 そこで動くのがアンチメテオだ。彼等は独自の情報網を駆使し、とりわけ凶悪と判断したメテオ・チルドレンを人類と認めず、排除している。
 排除。一般人がメテオ・チルドレンに対抗するのは至難の業だ。何故ならば、相手には常識が通用しない。メテオ・チルドレンから純粋な殺意を向けられた場合、一般人にはそれを防ぐ手立ては無いのだ。だから、アンチメテオにはその思想に共感したメテオ・チルドレンが何人か所属している。……真は、それが気に入らなかった。
 真にとって、メテオ・チルドレンに思想も何もない。人類ですらない。ただただこの世界を歪めるだけ歪めて、無為に命を奪っていくだけの現象でしかない。それはもちろん自身も含まれている。いくら正義の味方を気取ろうとも、その手法は正当な手段ではない。害を成すメテオ・チルドレンが一人も居なくなったところで、残ったメテオ・チルドレンが必ず“なにかを起こす”。それは、現実において許してはいけないのだ。
「めん君、ボクは今、非常に許せないと思ってる」
「ああ」
「めん君、なんでボクが怒ってるのかわかってる?」
「ああ。貧乳だからだろ、言わせるな」
「言わなくていいよ! ぶっ飛ばすよ!」
「ああ」
 真は伝子に殴られながら考える。メテオ・チルドレンによる犯罪が増えていると言っても、元々の数が少ない。この街で隕石の被害に遭いながら生き残っている住人は数万に上るが、メテオ・チルドレンともなれば、その内の数パーセントにも満たない数でしかない。
 加えて、真がアンチメテオに属してから排除したチルドレンの数は十六人、属する前から数えれば、先日の重力使いを加えて丁度三十人になる。元々の数が少ない彼等を、真は毎度失敗することなく、全てを殺し尽くしてきた。……つまり、今更メテオ・チルドレンの犯罪が起きたとしても、それは既に重要でもなんでも無いということだ。それが如何に何百人と罪の無い人々を虐殺しようとも、召集をかける目的にはならない筈なのだ。
 事、メテオ・チルドレンによる犯罪という点、それに限って今更召集をかける理由など在り得る筈は無かった。
 ならばこの召集、どう見るか。真は腫れ始めた頬を擦りながら考える。
 兎にも角にも、アンチメテオを統べている者は一筋縄ではいかない曲者だ。行く前からその目的が読めるほど単純な奴ではない。となれば、行くしかないのだろう。
 真は無言で立ち上がる。
「お、なんだ、やるのか! かかってこい! ボクは何時でも挑戦を受ける!」
 と、伝子が真の目の前で拙いシャドーボクシングを披露する。真から向けられる怪訝な視線に怯むことなく、ボスボスと真の腹を殴り始める。
「お前だけ何の話だ」
「え、ボクとめん君の一騎打ちじゃないの?」
「生憎だが、俺は小動物と貧乳は殴らない主義なんでな」
「確かにボクは小動物のように儚くて可愛いけどめん君にそんなこと言われても嬉しくないよ」
「俺は今初めてお前をその貧乳以外で凄いと思ったぞ。俺はお前ほどのバカを見たことが無い」
 そう言って真は伝子に背を向け、一張羅である黒いコートを着る。いつどこで凍えるようなことになるのかわからない為に、真にとってコートは必需品と言えた。そのコートを着終わり、このまま玄関へ向かおうとした時、真は背後から異様な気配を感じ取った。
 振り向けば、そこには無言で真を見つめる伝子の姿。
 ああ、これはまずい。真は今になり、初めて伝子が怒っている原因を考え始める。……うむ、わからない。と、真は誤魔化すようにいい加減な作り笑いを浮かべると、伝子に言う。
「一緒に行くか」
「うん!」



 雑踏。人々は自身の住む街に隕石が衝突しようと、見る限りは数を減らすことなく街を闊歩しているように思えた。建物は全てが作りたての白すぎるコンクリートに覆われているが、人々そのものはずっと前からこの街に住んでいるのだろう。良く言えば近未来的な建物群に対して人々が浮いているように見えるのは、その所為なのかも知れない。
 真はなるべく人とぶつからないように、目的地に向かって歩いていた。右手はコートのポケットに突っ込み、空いた左手で伝子の手を握りながら。
 思う。真は一連の不機嫌な伝子を思い返すに、自分と一緒に出歩く口実を探していたのではないのかと。別に自惚れでも何でもなく、真は伝子から向けられる好意に気付いている。その理由が三年前のある日に帰するものだと、それも自覚している。そして、それこそが真にとって最大の問題点であり、一番真を苦しめている点と言えた。
 あの日、真は荒廃した街の中を当てもなく歩いていた。周りにあるのは散乱した瓦礫と、思い出したようにこびり付いている赤い血。巨大な手が地面を盛大に振り回しても、こうはならないだろうと思わせる大きな穴。あちこちから火の手が上がり、黄色い声がどこからともなく耳に飛び込んでくる。
 ちょうど、穴の中心に近い位置に真の家があった。それを理解した時点で、真の頭からは帰るという選択肢は無くなっており、同時に、不思議な感覚が頭を埋め尽くしていることに気付いた。まるで見えているもの全てが現実感を伴わないような感覚。そんな状態だったからか、真は目の端に映る光景をしばらく呆然としながら眺めているだけだった。
 一人の男が、女を蹴り続けていた。男の口からは既に人が理解出来る言葉が放たれることはなく、獣のような怒号が吐かれている。それを女は怯えるわけでも激昂するわけでもなく、涙を流しながら見ているのみ。……それが、伝子だった。
 それからどうなったかは、真自身、あまり覚えてはいない。だが、今から考えれば、その男は間違いなくメテオ・チルドレンであり、真自身も、その時に初めて自身の能力を使ったということ、それだけは確かだった。
 ……そう、真は許せないのだ。メテオ・チルドレンである自分が、伝子のような“普通の人間”と楽しい時間を共有することに。左手に感じる温もりを、真は嫌なものだとは捉えない。が、同時に自身への嫌悪感。そんな、強烈なジレンマが伝子に対する冷たさなのだと、真はそう結論付けている。
<めん君、また変なことを考えているね。自惚れもいいとこだよホントに>
(……あ? 俺が何かを考えていたのか?)
<うん。いやいや、照れなくてもいいよめん君。最初からめん君がボクにベタ惚れっていうのは知ってるからさ>
(視えるのをいいことに人の思考を捏造するな。俺はお前の言うようなことを考えていたつもりはない)
<て・れ・や・さ・ん>
 真は無視を決め込むことにした。真自身、言っていることに嘘はない。伝子が言うようなことは、全く考えていなかったのだから。それでも伝子の手を握る手が汗ばんでしまうのは何故だろう、と、真はよく分からないなりに考えながら、先を急いだ。



「え、今日の行き先ってここだったの」
「お前は何も知らずに着いてきたのか。その内恐いおじさんに連れて行かれるぞ」
「なんでそうなるのさ」
「お前くらいの歳なら連れて行けると思われるだろうからな。歳の判断基準は」
 真がその先を言う前に、伝子の拳が鳩尾にめり込んでいた。さすがの真も少し苦しそうな声を漏らすと、たった今殴られた部分を手で押さえながら口を開く。
「胸、だ」
「最後まで言わんでもいい!」
 真は腹に強烈な痛みを感じながら、伝子の向こう側に目を向ける。真達の前には、所々のコンクリートが崩れている廃墟があった。元はアパートか何かの店か、大きすぎることもなければ小さすぎることもなく。
 場所として未だに復興が進んでいない地域ということもあり、真が目を向ける建物は周囲と比べても目立つことはなかった。だが、それは“ここ”がどういった場所かを知らない第三者が見た場合の所見であり、真等にとって、間違いなく“ここ”は目的地だった。
「はあ、こんなことならついてくるんじゃなかったよ。大体僕は隕石野郎共とは関係ないのに、なんでもうほんとにもう」
「勝手についてきながら散々な言い草だな、おい」
「だってそうでしょ、ここにはいけ好かない隕石野郎しかいないんだからさ」
「いけ好かない、という部分には大いに同意せざるを得ないが、その考え方で行くと俺もいけ好かない奴等に含まれているんじゃないのか」
「いや、めん君は最初からいけ好かないし。というか、今まで会った隕石野郎の中で、めん君が一番いけ好かないね。いけ好かないね」
「そうか。お前はそんなに衣食住を取り上げられたいんだな」
「食だけは勘弁して!」
「衣と住も大事なことに気付いてくれ」
「いやいや、食が無かったら死んじゃうじゃん。めん君はそんなこともわからないのか。意外、いや、そのまんまのバカだね」
「お前マジホントに俺への態度改めさせるぞコラ」
 そうして長々と喧嘩じみた会話を続けていると、不意に足音が聞こえてきた。音の元は真等のすぐ傍、目的地である廃墟から。真等は会話を止めると、その足音の主が現れるのを待つ。
<めん君、助けて、嫌なイメージが頭に流れ込んでくる>
(あ?)
 と、伝子が真に語りかける。真は以前来た時も同じようなことを伝子が言っていたことを思い出していた。その時の感想と言えば、“無数のプリングルスみたいなヒゲ”が頭の中に流れ込んでくるらしい。なるほど、ということはヤツが来たのだと、真は一人納得しながら姿を現した男に目を向ける。
 真の目には、黒いシルクハットを被り、ステッキを持ち、タキシードを着たヒゲ面のオッサンが映っていた。
「やっと来ましたか、面真さん。待ちくたびれましたよ」
「それはこっちの台詞だ――獄吏道元」


第二話『アンチメテオ』


 真にとって、獄吏道元という男はこの世で最も理解し難いモノの一つだった。見た目、喋り方、性格、能力、経歴。全てが胡散臭く、そして、紳士なのだ。メテオ・チルドレンなんていうものが台頭する昨今でも、この男だけは未だに理解出来ない、妙に非現実じみた、ある種のメルヒェンとも言える、真にとっての獄吏道元とは、そんな男だった。
 獄吏は真と伝子の二人を見ると、その顔にとても爽やかな笑顔を浮かべ、ヒゲまみれの口を開いた。
「貴方達で最後です、早くお入り下さい。時間は有限なのですからね」
「入るから、その気持ち悪い笑い方を止めろ、伝子が死にそうだ」
「おぶぶぶぶ」
 見れば、伝子は地面に突っ伏す形で口から酸っぱいものを撒き散らしていた。
 人には得手不得手、得意不得意がある。伝子にとっての獄吏道元とは、不得手不得意の最たるものであり、それは生理的な域に達していた。獄吏道元から漏れ出るジェントルな意識は、伝子にとって害悪そのものであり、さらに、その顔に満面の笑みを浮かべられたとあっては、なるほど確かに納得であった。
 獄吏はその光景を見て寂しそうな顔を浮かべると、もそもそと喋りだす。
「失敬。レディに対しては細心の配慮を心がけているつもりなのですがね、中々どうして、上手くいかないものですな。ニコッ」
「おぶぶべべべべべ」
「やめろおいやめろ」
「失敬。イギリス流のジョークはさておき、中にお入り下さい。既に“他の方々”は首を長くしてお待ちしておりますぞ」
 そう言うと、獄吏は真等に背を向けて建物の中へと姿を消した。残されたのは、嘔吐物まみれの伝子と呆けた真。一瞬、真の脳裏に伝子を置いて行くという選択肢が現れたが、渋々色々なものを処理して建物の中へと入るのだった。



 この建物に入るのは何度目だろうか、真は暗闇の奥から反響してくる靴音を聞きながら記憶を掘り起こしていた。
 少なくとも、目が慣れない状態で足取り確かに前へ進めるくらいには来ているのだろう、真は思い出すことが面倒くさくなり、そう結論付けた。そこに、弱りきった伝子の声が割り込んでくる。
<もう帰りたい>
(俺は構わんぞ。帰りたいのなら帰れ)
<めん君は僕がゴーホームしてもいいと、呼び止める気も無いと、そう言いたいんだね! なんて薄情なんだ!>
(無理に止める気は無いってことを言いたかったんだがな。というか元気だな、おい)
<全然少しも全く元気じゃないよ。めん君にはわかるかな、この奥へ進む度にヒゲが頭の中を飛び交う感覚が>
(すまん、想像したら死にたくなった。お前は今死んでいい)
<今さらっと言ったけどさ、僕はキルユーされたってことでいいの? ねえ? ひどくない? いたいけな女の子を捕まえておいてその扱いはひどくない?>
(捕まえたとは何だ捕まえたとは。まるで俺が誘拐犯みたいじゃあないか)
<身寄りの無い僕を雨が降らない四角い部屋に閉じ込めて自分好みの服を着せたばかりか、餌付けまでしてる始末!>
(ちゃんと飼われてるという自覚はしているんだな)
<ご主人様ぁー>
(来た、来た、今とてつもなく寒くなったぞ、心が。お前やるな、俺がここまで寒いと感じるのは幼いメテオ・チルドレンを殺した時以来だ)
<反応に困るんですけど!>
「着いたな」
 と、真はそこで会話を終わらせるように口を開く。端から見れば無言で黙々と歩いてきた二人。その目の前には、この建物の外観、ここに来るまでの内装に似つかわしくない、真新しい鉄製の扉が在った。
 この扉を見るたびに、真は心をざわつかせていた。なんせ、この扉の向こう側にはメテオ・チルドレンが居るのだ。それも一人二人ではなく、十数人単位で。
 伝子は不意に覗かせた真の殺意を感じ取りながら、そんな真を見て顔を伏せる。
 人の殺意とは慣れるようなものではないのだ。だからこそ、“こんな時”、“ほんの少し”しか殺意を見せない真の傍がいい、伝子はそんなことをしみじみ思いながら、扉の向こう側に渦巻く大きな殺意から意識を逸らし続ける。
 傍らで震える伝子を感じたのか、真は用件を素早く済ませるべく目の前の扉に手を押し当てる。すると、見た目に反して自動扉だったのか、鉄の扉は難なくスライドして、その向こう側を真達に晒した。
 すぐさま目に入ったのは、一人の男。まるで真達を待ち構えるかのように、男は道を塞ぐように立っていた。
「よォ、遅かったじゃねえか。いつものことだが、一番下っ端のクセして社長出勤とはよくやるもんだ」
 びくん、と。伝子の身体が震えた。真はそんな伝子を庇うように前へ出ると、二人を出迎えた男に向き直る。
「すまない、なんせ急だったものだから、朝食を食べていたらすっかり遅くなってしまった」
「これだからメテオ・チルドレンってヤツはよ、常識ってーのを知らねえんだ。だから人を平気で殺せる。……聞いたぞ、お前また殺したらしいな。だが、あの地域は俺が担当していたはずだ。次に出しゃばった真似をしたら、例え同じ組織に居ようとも、遠慮なく殺すからな」
「それは済まないことをしたな。文句があるのなら獄吏に言え、俺は言われた通りにしているだけだ」
 男はそのまま応えずに背を向け、奥へと姿を消す。真は意に返さないといった風に後に続くが、伝子は足を進めない。
 殺気の正体はあの男なのだ。伝子は身体が震えるほどの恐怖を感じると共に、奥底にくすぶる悲しみを感じる。何があったのか読み取れないくらいに、頭の中が殺気で埋め尽くされている。けど、垣間見えるのは殺気の大きさに負けないくらいの悲しみ。
 伝子はこびり付いたものを払うように頭を振ると、足早に真の後を追う。



 延々と続くかと思われた真新しい通路の先に、不意に広がる空間。眩しすぎるくらいの照明の下に、ぽつぽつと人が立っている。真は自身の心が冷たくなりすぎないよう、平静を装い中心へ向かう。
 円形を象った部屋。徐々に各々の顔が判別出来る距離に近付いた頃、真と同じように中心へ向かってくる人物が居た。伝子はその人物を見て、素早く真の後ろへ隠れる。
「これで全員揃いましたね。では、始めさせてもらいましょうか」
 獄吏道元が中心に立ち、口を開いたことで、周りの空気が変わったと、真は一人感じる。こんな男でも一個組織のトップに立つ男なのだ、それなりに理由があるからこそ、下に人が就くのだろう。そんなことを真が思っている矢先に、イラついたような声が部屋に響いた。
「始めるって、何を始めるんだよ。説明もなしに集めやがって、こんなことをしている間にも、メテオ・チルドレンは人を殺しているんだぞ、おい、わかってんのかよ」
 声の発生源は、先程真の前に立ち塞がった男だった。それを見て聞いて、尚のこと伝子は真にすがりつくように身を隠す。
「山田君、確かに貴方の言う通り、今も死んでいる人が居るのは確実でしょう。ええ、私に言わせれば間違いなく、絶対に。ですが、辛抱して欲しいのです。長らく悲願であった計画を実行に移すときが来たのですから」
「チッ」
 山田、そう、山田という名前だったか。真は男の名前を思い出す。それというのも、こうまでアンチメテオの構成員が一堂に会すことなど、そうそうあることではないのだ。さらに言えば、真はここに集まっている者の中で名前を知っているのは、今思い出した山田と獄吏道元くらいだ。
 山田はこれ以上噛み付くのは得策ではないと踏んだのか、舌打ちをして引き下がる。それを見て満足そうに頷くと、獄吏道元は話の続きを始める。
「そう、我等が大敵にして目標である楠木、その本拠地に攻め入ることにしたのです。した、と言いましても、これは私がアンチメテオを創設した理由でもあるのですがね」
「――攻め入ると言っても、今まで散々戦力不足という理由でお流れになっていたじゃあないですか。なんで今なんです?」
 話の腰を折って、一人の男が当然の疑問を口にした。それはここに居る誰もが思っていたことだろう。
 楠木を潰さなければ、メテオ・チルドレンは増え続ける。だからこそ前々から攻めるという意見が飛び交った。だが、事あるごとに獄吏道元がそれを認めず、それは今さっきまでに到っていた。
 真にしてみれば、それは願ってもみない話であった。長らく本願だったメテオ・チルドレンを全て殺すという目的が大きく前進するのだから。
「時期が悪かった、という理由では満足していただけませんかね? 皆様は当然知っていながら私に着いて来て下さっていると思うのですが、私にはある程度の未来が分かる。それらを念頭に置いてこそ、私は“今”やるべきだと感じたのですよ」
 話の腰を折った男は、獄吏の言葉を聞いて素直に引き下がった。
 未来が分かるなどと言われ、耳を疑うものはここに居ない。何故ならば、獄吏の未来把握があるからこそ、メテオ・チルドレンが出現する場所を特定することが出来、尚且つ対応出来ていたのだから。
 獄吏道元は他に意見が無いことを確認すると、尚も話を続ける。
「実行に関する詳細については追って連絡します。時期も場所も未定。……ですが、目的は明確に、今言っておきましょう。我々私達最大の目標――相羽光史の確保です」
 相羽光史。当然、真や伝子は知るはずも無い名前であった。




次回:第三話『相羽光史』
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