トップに戻る

<< 前 次 >>

第六話『成された憎悪、生まれる憎悪』

単ページ   最大化   










 楠木ビル一階エントランス。物言わぬコンクリートの破片が我が物顔でそこら中に撒き散らされている中で、一人の男が仰向けとなりながら視線を宙へと彷徨わせていた。
 もう何も残っていない。そもそも最初から何も無かったのか。今になってはどうでもよくあり。只々、鑑田晃人は何を思う事も無く、刻一刻と冷えてゆく体と死の気配のみを捉えていた。
「――どうなってんだ、こりゃあ」
 無音に等しかったエントランスに、突如男の声が響いた。晃人は朦朧とする意識の中で、野暮ったい声の主を見ようと、声のした方へ首を曲げる。そこには、どこかで見た覚えのある男が立っていた。
 しかし、思い出せず。今際の際で見る最後の人が“コレ”かと、晃人は多少の落胆を感じながらも口を開ける。
「なん、だ。お前……?」
 鑑田晃人に話しかけられた男は一瞬だけ怪訝な表情を浮かべながら周囲を見渡すも、当の声をかけた本人を視界に入れた所で動きを止めた。その表情は怪訝なものから一転して、苦々しくも、懸命に喜ぼうとしているような、複雑怪奇なものに変わる。
 そんな男は黒を基調とした服に身を包んでいた。胸やら膝横にやたらと設けられたポケット。加えて両手で保持されている銃。一見して街中で立っていれば変質者では済まない格好だが、それも“下半身をバラバラにされたまま”喋りかけてくる男に比べれば可愛いものだろう。
「ただの山田だよ。つうかよ、なんで死にかけてんだよ、テメエ」
「山、田?」
「ああ? ……テメエは覚えちゃいねえだろうけどな。俺はお前の事をよおく覚えてるぞ。ああ、何度この日を待ちわびたことかね」
 そう言うと、山田は手に持った銃の先を晃人に向けた。銃口を向けられる形となった晃人は、無言で山田を見つめ続ける。
 本当に誰なのか分からない。目の前の山田と名乗る男に睨まれながら、晃人は必死に思い出そうとする。だが、その遅々とした思考速度は山田の機嫌を逆撫でするに十分な時間だった。
「やけに大人しいじゃねえか。なあ? “あん時”はガキみてえに喚きながら未央を殺しやがったくせによ。――少しは命乞いでもしてみろってんだ、なァ!?」
 言うが早く、山田は晃人の腹を蹴り上げる。予想していた音とは違い、甲高い、硬質な物を砕くような音が周りに響いた。
 目の前に舞い上がる晃人を構成していたモノを見た山田は、苦々しく舌打ちを漏らす。
「……チッ、アイツの仕業か、こりゃあ」
 とうに痛みなど麻痺していた晃人は、蹴り上げられながらも山田が言った事について考えていた。あの時、という言葉。そして未央と言う人物。なるほど、確かに“あの時”の事は忘れることは無いだろう。と、晃人は首だけを動かし、口を開く。
「誰かと思えば、ああ、あ、あの時の。僕、だって、忘れるわけがない。大事な、僕、の腕を失くしてくれたんだから、ね」
「そいつは良かった。覚えてもらっていて、さぞ未央も喜んでいる事だろうよ。しかし、残念だ。俺としちゃあ、テメエがもう少し動ける時に殺してやりたかったんだがな。これじゃあどうしようもねえ……まあ、とりあえず死んどけや」
 山田は晃人の応えを待つことなく、引き金に掛けられた指に力を込めた。一瞬遅れて、銃口から連続して弾が放出される。対象となった晃人の体は、既に真の能力によって体の殆どを凍り腐らせられており、銃弾が当たる度にその部分が砕けて飛び散り、エントランスの少々強めな照明を反射させる。
 時間にして二十秒足らずだったが、銃声が鳴り止む頃には、晃人と言う人間が居たことを連想させるものは全て無くなっていた。残ったものと言えば、周りに散らばる赤を主とした色の水溜りのみ。
「しかしまあ、呆気無いと言うか。未央の仇だってのに、何の達成感もありゃしねえ」
 空になった弾倉を腰に着けてあるポーチに入れ、新しい弾倉を取り付けながら、事も無さげに山田は言う。事実、山田の復讐心は晴れることなく、今も渦巻くようにして山田自身を急かしている。早く、速く、アイツ等を殺せと。
「……いっそ、メテオ・チルドレンになった方が気も楽になるのかね」
 最後に一言漏らすと、山田は開いたままになっているエレベーターに一人乗りこんだ。
 幕が上がったと伝えるように、ビル全体が鈍く揺れた。


第六話『成された憎悪、生まれる憎悪』


「クソッ、伝子! しっかりしろ、ああ、クソッ!」
「クソクソ言ってる暇があったら抱き抱えるなり何なりして逃げなさいな! ここはアタシが引き受けるから、速く!」
 本当に久しぶりだと、真は混乱した頭で思う。そう、こんなにも非常識。現実が信じられなくなるのは、本当に久しぶりだった。目の前に存在するそれは、幾多の感情をも凍らせてきた真でさえ、動揺するに足るものだったのだ。
<ア、アグ、ハイン……ッ! ド、コ……!?>
 頭の中を駆け巡る意味不明な言葉と感情。自身のものではないそれ等は、否応なく異物として思考を蹂躙する。真はそれらを振り払うように、傍で立ち呆けている伝子を引き寄せると、部屋の外へと強引に放り投げた。
 続けて、吐き捨てるように疑問を叫ぶ。
「女! コイツは何だ、説明しろ!」
「逃げろって言ったのに……! 彼、これは、メテオ・チルドレンに成りきれなかった“失敗作”よ」
「それで、その失敗作とやらは見た目に反して人懐っこいなんてことは――」
「――ないわ」
 なるほど、予想通りだ。と、真は一先ずの情報を得ると、間髪入れず一瞬で氷槍を十二本、宙に生成して見せた。
「つまり、コイツも“隕石に関係した生き物”ということか」
 会話を求めない一方的な呟き。それを合図に、氷槍は一斉に対象へ向け放たれる。
 無数の牙を見せつけている一本の触手へと放たれた氷槍は異常なく全てが突き刺さり、触手は赤黒い体液を撒き散らしながら床に力なく倒れた。
 建物の床を破壊して登場して見せた時はさすがに混乱したものの、所詮こんなものか。そう真が判断した時、再度、建物が揺れた。
「おい、念のため聞いておくが、コイツは何匹いるんだ?」
「“一人”よ。ソレの数を言うのなら、“無数”ね」
 床でぐちゃぐちゃになった触手を指差しながら女が応える。
「そうか」
「なんて淡白な返事なの。面白くないわ」
 等と。悠長な話をしている場合ではない。真はもう一度触手を一瞥すると、部屋から立ち去ろうとし、そこで呼び止められる。
「待ちなさいよ、もしかして私を一人残していくつもりなわけ?」
「そうだ」
「そうなのね。って、納得するわけないでしょこの薄情者! 普通の頭を持ってたら、五体不満足な女子をこんな触手死体と一緒に置いて行かないわよ!」
 女はボスボスと自身が寝ているベッドを叩きながら叫ぶ。真としても女が言うその心情は理解出来ないものではなかった――女子と言う部分を除き――のだが、それだけ。真の優先順位として、ぽっと出の女など選択肢にすら挙がらない。なので、真が女の言葉を聞き流しながら部屋を出て行くのは当然と言えた。
「――隕石男必滅キィーック!」
 ひょいと、部屋を出た瞬間に死角から叫び声とともに飛来する物体を避けると、真は何事も無かったかのように上を目指す。
「……ね、待って、待ってよ! めん君! この部屋に入ってから、大事な忘れ物をしてるよ!」
「……」
「ぎょええ!? まさかの無視!? ナッシングアイ!? ナッシング・愛!?」
「……なんだ伝子、居たのか。胸が無さすぎて視界に入らなかったぞ。次からはパッドを入れて話しかけるんだな」
「隕石男必殺ドロップキィーック!」
 ひょいと、真は既視感のある飛来物を事無く避けると、文字通り何事も無かったかのように上を目指し始めた。
「……それで、わけのわからんことはもう治ったのか?」
「言葉だけじゃ何言ってるのか全く分かんないけど、言おうとしてることは分かったよ。治った」
 変わり映えしない廊下を延々と進みながら、真は仕方なしに何も言おうとしない伝子の容態を聞く。一応これでも、真はそれなりに伝子の事を心配している。いまいち生死の危険に晒され続けているという自覚が無いのか、所構わず漫才を繰り出す伝子には困ったものだと、真は溜め息を漏らす。
「あのね、間違いなくエスカレートしてるのはめん君の所為もあるんだからね? 自覚してる?」
「おお、凄い。あの能無し・文無し・胸無しの伝子が横文字を違和感なく使えているとは。仕方がないから自覚してやろう」
「今年度一、ニを争う酷い言葉出ました! さすがの僕も堪忍袋の緒がずたぼろだよ!」
 今正に伝子が真に飛び掛かろうとしていた時、背後から呆れた口調を隠しもしない声が届いた。
「二人の仲が良いのはこれ以上なく伝わって来たから、もうちょっと静かに歩きなさいよ。自分達から居場所を教えてどうすんの」
 微かな動力音を響かせながらついて来ているのは、電動の車椅子に座っている銀髪の女だった。
「俺が今一番言いたいことを教えて欲しいか?」
「結構よ。私は静かにしろと言ったわ」
「遠慮するな。だが、遠慮して帰れ。何勝手に自然な成り行きで同行することになりましたオーラ出してんだ」
「え、ダメなのかしら?」
「おい伝子、コイツ分かって言ってるんだろ。そうなんだろ」
「うん。思考の所々にめん君に対しての侮蔑チックな言葉も見え隠れしてるよ」
「女……骨まで腐らすぞ……」
「あら、何か不都合でもあるのならわかるけど、無いでしょう?」
 さも当然と言わんばかりに自前の銀髪を揺らす女を見て、真は自然と溜め息が漏れている事に気付いた。
「俺にとって、俺以外のヤツはそもそも不都合だ。何を基準にして不都合が無いだなんて言っているかは分からんが、唯でさえメテオ・チルドレンを殺したくて仕方がないこの俺を納得させ得るメリットが、お前にはあると、そういうことでいいんだな?」
「ええ、あるわ」
 正しく女は言い切った。動きを止めた真と伝子は、そのまま女に視線を集める。
「理由を聞こう」
「つまりね、貴方達の目的は隕石ないし“アイツ”だろうと私は踏んでいるわけなの。で、その両方……というか、このビル全てに関わってくる人物がいるわけ。誰だかわかるかしら?」
「マティウス・ガーラックか」
 女の言う人物で瞬時に思い浮かんだ者が、マティウス・ガーラック。例え真でなくともそう応えたことだろう。真は応えた傍から、マティウス・ガーラックの人物像を思い出す。
 一代にして大企業と呼べるものを作り上げ、多数のメテオ・チルドレンをその袂に保有し、この街に隕石を落とした元凶とされている人物。後半は真がアンチメテオで得た知識であるが、要は隕石の元を辿ればその男に行きつくと、真はそう結論付けている。
「その通り。で、その実の娘が何を隠そう私なのよ。これで私を連れて行くことにどれ位の価値があるのか納得行った?」
「ふむ。考えさせろ」
「いいわよ」
(……それで、どうだ?)
<嘘はついてないよ>
(そうか)
 視線を床に向けながら、真は女が言う価値を考える。端的に女は、自らを駆け引きの材料とすることを是としているのだ。成程確かに使えないことは無いだろう。しかし、それでも弱い。何故なら真は“そのようなもの”を当てにしてこの場に居るわけではないからだ。そう、真一人でも目的を完遂出来ると踏んでいたからであり。
 そこまで考えた所で、真は一つ見落としていた事に気付いた。それは女にとってのメリット、目的である。
「一つ聞かせてもらおうか。女、お前の目的は何だ」
 思考から抜け出し、視線は床に向けたまま真が聞く。対し、女は大層機嫌が悪そうに荒く鼻息を一つ。
「あのね、もしかして女って私の事?」
「……そうだが。女じゃないのか?」
 明らかに女の機嫌は悪くなっていた。こめかみが痙攣し、握り締めた両手からは今にも血が流れそうな勢いである。その機嫌の悪さの源を伝子はこの場でいち早く察知していた――正確にはもっと前からだが――が、面白そうなので黙っている。
 当の真は理由など見当もつかなかった。いや、考えすらしなかった。
「女よ。私は確かに女よ。なに、見えない? 見えないの? このどこからどう見てもお嬢様で通りそうな美貌を持っている私が、女に見えないってわけ?」
「自分でそこまで言うのはどうかと思うが、見えるぞ。いや、俺も女だと思っていたんだが、そこでお前自身が女という言葉に疑問を投げかけて来たんだろう」
「そうじゃなくて、そうじゃないでしょう。そこじゃないのよ。私が言いたいことはね、私にもれっきとした名前があるということを言いたかったわけ。わかった?」
「ああ、わかった。……で、女、お前の目的は何だ?」
 終始真顔のまま、すらりと会話の軌道修正に入ろうとする真を見て女も真顔になると、ゆっくり伝子の方へ視線を移す。
「……ねえ、そこの貴女、コイツ殺してもいいかしら?」
「僕も何十回かおんなじこと思ったんだけどね。たまに素で“こういうこと”するから、もう諦めた」
「馬鹿は反応した方が負け、ってことね。ええ、わかるわ。相手にしたら負けなのよね」
 何やら意気投合し始めた二人を見て、真は内から湧き上がってくる苛立ちを抑えようともせず口を開く。
「今物凄く馬鹿にされた気分なんだが。お前は付いて来たくないのか、そうことでいいのか」
「……最初に言っておくわ。私の名前はハインリーケ・ガーラックよ。女でも銀髪女でもお前でもないわ。覚えておきなさい」
 ビシリと人差し指を真に突き付け、ハインリーケは名乗りを上げた。対する真の表情は、正しく。
「何言ってるんだコイツ。今そういう話じゃないだろ。湧いてるのか」
 文字通りの表情を浮かべていた。伝子が鉄面皮と称する真にとって、これは珍しい事でもある。
「いいわ、アンタがその気なら私も考えがある。殺すわ、もう許さない。徹底的に殺す」
「ほう。ちょうど俺もそう思っていた所だ。勝手について来たかと思ったら無駄に足止めしてくれて、殺すぞ」
 カチャリ。重みのある金属音がこの場に居る者の耳に引っかかるように鳴ったかと思うと、ハインリーケの手にはハンドガンが握られていた。どこから出したのか、誰かがそうツッコむ間もなく今度は鉄琴を強く鳴らしたような音が響いた。直後、真の背後に一本の氷槍が生成される。
 そして、今正に互いが互いを持ち前の武器で撃ち抜こうとしていた所で、ふらりと、間に割って入ってくる伝子。
「あのね、凄く言い辛いんだけどさ、また来るよ、アレ」
「……ああ?」
「アレ?」
 伝子の言葉を聞き、二人して不思議そうに眉をひそめる。それと同時に、ビルが揺れた。
 この場に居るものに床が揺れているのか、ビル自体が揺れているかの違いが分かる者などいない。只々揺れを感じ、それと同じくらいに少しばかりの恐怖を感じていた。思い出したのだ、あの怪物を。
「クソッ、どこかの銀髪女の所為で時間を食った! 伝子、走るぞ!」
「待ってよめん君! 手! 手え繋いでよお!」
 真は舌打ちをしながらも伝子の手を握ると、上へと走り始める。それを追いかけるように、ハインリーケの乗る車椅子も唸りを上げた。
<いいなあ……楽ちんそうだなあ、あれ>
(いいからもっと早く足を動かせんのか。軽量化されてんならもっと早く動けるだろ)
<どこ! どこ見ながら言ってんの!?>
「待ちなさいよ! 暴言は目を瞑ってやるから、ひとまずどこに向かってるか自分で分かってるわけ!?」
「わからん! 上だ!」
「だと思ったわよ。……ええと、私の部屋が二回り下だから、そう、あと三回りほど登ればエレベーターホールに出るわ! そこまで走りなさい!」
 と、ハインリーケが言い終わったところで、背後から一際大きな揺れがあったかと思うと、どこかが崩れたような音が三人を追うようにして響いてきた。続いて、床全体が細かく揺れ始める。
<来てるよ!>
(ああ、分かってるよ。クソ! 仕方ないか)
「おい銀髪女、伝子と先に上へ行け!」
「え、ちょっと!」
 真は伝子を無理矢理宙へ引っ張り上げると、そのまま並走していたハインリーケの膝に乗せ、叫んだ。抗議の目を向けていたハインリーケであったが、場合が場合であることは自覚しているのだろう、そのまま速度を落とす事無く緩やかな曲線の向こう側へ消えて行った。
 その光景を見届けた真が目の前に視線を移した所で、“ソレ”が姿を現した。
「同じ日に二度もこんな化け物を見ることになるとはな……」
 みっちりと何かが詰まっているのだろう長大な体躯は、通路に隙間を残す事無く。まるで通り道にあるものは全て飲み込む勢いで、口内に生えた無数の牙を見せつけながら、怪物が真に迫っていた。
 見た瞬間、加減という言葉を忘れた真は単純に“止まれ”と願う。願いは粒子と共に現実へ干渉し、行使者が持つ能力に則った結果を顕現させる。
 過程を飛ばして現れた結果は、単純な願いと同様に単純なもので、巨大な氷塊を真と怪物の間に生み出すというものだった。
 単純だが、その圧倒的な質量の前では例え開道寺改であったとしても処理をするに無視出来ない時間をかけることになるだろう。そう真は判断した。しかし、その直後に怪物がとった行動は真の判断を一瞬で覆すこととなる。
(おいおい、この量を“食う”のかよ!?)
 怪物と同じく通路に隙間一つ残さず、壁として出現させた氷塊。厚さ五メートルは下らないそれを、怪物は食い始めたのだ。そう、齧るだのという速さではなく、その口の大きさと無数の牙を生かして削るように食っているのだ。あと三秒も経たない内に食い尽くされる勢いである。
「なら、死ね――ッ!」
 即座に願う。真が望む完全な死。
 真の目の前で氷塊を食い終わった怪物が、動きを止めた。遅れて、氷を踏み締めるような音が真の耳に届き始める。それを聞いた真が即座に氷槍を五本生成すると、怪物へ向けて飛ばした。
 大口を開けたまま止まっていた怪物に一本目の氷槍が衝突した瞬間、怪物が砕け始めた。続いて二本目、三本目と立て続けに氷槍は怪物を砕き、最後の氷槍が衝突した頃には、怪物の姿は跡形もなく消え去っていた。残されているものと言えば、どす黒いピンク色の欠片のみ。
(終わったか)
 そう思って先に行った二人を追いかけようとしたところで、またも真の足に揺れが伝わる。また来たのか、そう思った所で真は不意に浮遊感を覚えた。遅れて、地に足が付いていないのだから当たり前だと冷静に自分へツッコみ、下を見て、その冷静さは脆くも崩れ去った。
 先程倒した怪物と同じように大口を開けた怪物が、今、足元に居る。浮いている自身、崩れている床、迫りくる牙の数。結果は言わずとも真の脳裏に浮かび上がった。
「――のっ、防げッ!」
 今まで感じたことも無いような衝撃が真の体を襲った。宙で弾かれるように飛ばされた真は、そのまま壁へ叩き付けられる。どこを打ったのか分からなくなるくらいの痛みを感じながらも、真はすぐさま自身を吹き飛ばした怪物へと目を向ける。しかし、既にその姿はこの場から消え去っていた。残っているものと言えば、砕け散った氷と、天井に開けられた巨大な穴のみ。
(上……? いや、拙い!)
 上には今さっき昇って行った二人が居る。そこに思い至った真は、ふらつきながらも立ち上がると急ぎ上へと向かい始めた。
 


 真が一匹目の触手を砕いた頃、途中で先に進むこととなった伝子、ハインリーケの二人はエレベーターホールに辿り着いていた。
「ちょっと、何時まで乗ってんのよ」
「え、駄目?」
「アンタの乗り物じゃないの。勘弁して頂戴」
 そう言って、ハインリーケは渋る伝子を膝の上から降ろす。文句を漏らしながらも降りた伝子は、不満げな表情を薄めると、不意に動きを止めた。
「めん君、まだかなあ」
「……会ってから三十分も経ってないけど、見るからに仲が良いのね、貴女たち」
 と、ぽつりと呟いたハインリーケに対して伝子は向き直ると、何かを言おうと口を開き、そこで止まる。考えていたのだ。確かに仲は良い。それは間違いない。しかし、自分と真の関係を、果たして仲が良いで表すことが出来るのだろうか。そう、言ってみれば依存だ。
「どうなんだろう。たぶん、仲が良いとかじゃないよ。ただ、たまたま僕の目の前にめん君が居て、めん君が僕を見つけたってだけ。うん、そんな感じ」
 的を射ない伝子の応えに、ハインリーケは一瞬考えるも、考えても仕方がない事に気付いて止めた。
「そ。てっきり恋人同士かと思ったんだけどね」
「……そ、そんなんじゃないよ! 絶対違う! 僕は別にめん君なんて落ちてるチン毛程にも思ってないし!」
「ふうん。まあ、貴女がそう言うのならそうなんでしょうね。例えは今年度トップ三に入るくらい最低だけど」
 ……何故急にこんな話をしたのか。ハインリーケは会話が落ち着いたと同時に、動機を思う。しかし、それは迷う程の事でもない。只々、自分も“アイツ”とそんな風に話せるような仲に成れていたのか、そう思ってしまっただけ。
 ぎしりと、ハインリーケの乗る車椅子が軋んだ。その時だった。
「あ、来る……!?」
「え?」
 突然の伝子の言葉を聞き、その時初めて、ハインリーケは車椅子の軋みが自身に起因するものではなく、接地面の揺れから来ている事に気付いた。
 その揺れは、徐々に近付き、大きくなっている。
「まさか、ここまで来るってわけ? あのスカした男は何してんのよ!」
「わかんない、わかんないけど、ここは危ないよ!」
 言うが早くその場を離れようとした二人であったが、それは遅すぎた。二人から五メートル程離れた床に小さな亀裂が走る。その亀裂を中心から、それが現れた。
 一本の触手、しかしながらその大きさは触手の範疇を超えている。これが触手ならば、本体はどれほどの大きさになるのか。
 その触手はゆらりと宙で先端を動かすと、開けた口を二人に向けた。
 まずいと、その時ハインリーケは思った。只でさえ五体満足であっても、“あの時”に対処しきれなかった相手。さらに、荒事に慣れていそうにない者が一人いる。どう考えても、対峙していい相手ではないのだ。
「銀髪女さん、あれ、お兄さんなの?」
 不意に、伝子の口から飛び出た単語が、ハインリーケの記憶を刺激した。
 兄。そう、間違いはない。かつて兄と呼んだ成れの果てが、この目の前で醜悪に口を開いている怪物だ。しかし、何故それを知っているのか。
「たぶんあの“ヒト”、銀髪女さんを欲しがってるよ。それに、それを上回るくらい、上の階に居る人を欲しがってる。……怖い」
「貴女、読めるのね。心が。それなら納得出来るわ」
 この期に及んでまだ意識の残照があることに驚いたハインリーケであったが、今この状況においては重要ではない。如何にしてこの場から逃げ切ることが出来るのか、それを考えなければならない。
 だが、どうする。
 ハインリーケにはまだ死ねない理由がある。目的がある。それは二年前から変わらず、胸の中で燃え続けている復讐心。実の父に対するその気持ちが無くならない限りは、死ぬわけにはいかないのだ。
「とにかく、アイツから逃げ続けるわよ。あの男が死んでない限り、すぐ追いついて来るでしょうからね」
「うん、わかった。……あ、来るよ!」
 伝子の言葉を聞いた瞬間、ハインリーケは車椅子の操作レバーを思い切り前へ倒していた。すぐ頭上には、今までハインリーケが居た地点へ口を飛び込ませている触手の胴体があった。
 地面から生えるようにしている一本の触手、たった今アーチ状となったその下をくぐるように移動すると、ハインリーケはすぐさま伝子に向かって叫ぶ。
「止まっていたら食われるわよ! とにかく逃げ続けなさい!」
「う、うん!」
 会話を遮るように抉れたコンクリートから頭を出した触手が、今度は伝子へとその口を向ける。
 ハインリーケは二年前の経験もあり、その触手の行動パターンを多少なりとも知っている。しかし、伝子は違う。あの、時間差で突っ込んでくるという動きを理解していれば、不意に来ない限りは殺すことは出来なくとも逃げ続けることは出来る。
 そうした思考を感じた伝子は、言われた通り立ち止まることなく触手が床に突っ込むまで動き続けた。
<こんな感じで大丈夫、なんだよね?>
(え? ……え、ええ、そうね。その調子なら、食われることは無いはずよ)
 いきなり頭の中に響いた声に戸惑うも、ハインリーケは瞬時に理解し、返答する。なるほど、この子は意思疎通に関しての能力を持っているのだと、そう納得させて。
 そうして何度か触手の突進を避け続ける二人。このままいけば持ちこたえることが出来る、ハインリーケがそう確信した時とほぼ同時だった、伝子が砕けたコンクリートで躓いたのだ。
「ば、馬鹿っ!」
「う、あ……」
 そのタイミングは絶妙な、伝子にとって最悪のタイミングだった。触手が方向を決め、今正にその口を地面へと迸らせる、そんな時。ハインリーケはすぐさま車椅子の下に忍ばせておいたハンドガンを手に取り触手の根元に撃ち込む。が、確かにどろっとした体液が飛び散るも、動きは止まらず。
 無情にも、伝子は震えたまま動けず、そこへ向かって触手が近付く。
<やだ、死にたくない! めん君、めん君……!>
 その言葉はビル中に響いたと思えるくらいに大きなものだった。思わずハインリーケの引き金を引く指が止まり、そのまま耳を抑えてしまう程までに。
 しかし、それでも触手は止まらなかった。
「――“止まれ”ぇぇぇぇx!!」
 その言葉もまた、伝子の言葉に負けず劣らずの大きな声。その叫びがエレベーターホールに響いた瞬間、触手の動きが止まっていた。正確には、口元から急激に凍り始めているのだ。
<めん君! めん君めん君めん君!>
 いつの間にか流れていた涙を拭きながら伝子が嬉しそうに視線を向ける先に、真が息を切らしながら立っていた。その右手は触手に向けられており、また、可視化するほどの冷気が彼の周囲に漂っていた。
「うるせえ声、出しやがって。はあ、くそっ、久しぶりに全力で走ったぞ」
「う、うううう、だって、僕、めちゃくちゃ怖かったんだもん! 死んでたよ、間違いなく死んでた!」
「分かった、分かったから泣き止め。それ以上体から水分出したら、しぼむぞ」
「何処が? ねえ、何処がしぼむの? ねえ、こういう時にそういうこと言っちゃうの?」
 自壊していく触手を傍目にそんなやり取りをしている二人を見て、ハインリーケは溜め息を漏らす。なんだかよく分からないが、“アイツ”並みに緊張感が無い奴等だと。



「メテオ・チルドレンに礼を言うのは癪だが、一応伝子の助けになってくれていたみたいだからな、ありがとう。だが殺す」
「あら、それを言ったら伝子って言うの? この子も“そう”なんじゃないのかしら。何かと不公平ね、殺すわよ」
「残念ながら伝子はメテオ・チルドレンじゃない。純粋なテレパシストだ」
「うそ……」
「本当だ。前々から思っていたが、お前等メテオ・チルドレンはメテオ関連の事は受け入れる癖に、それ以外の不可思議となると途端に適応力が下がるな」
 触手の襲撃が止まり、ようやく落ち着いた中で、真とハインリーケの二人が言い合う。それを見ながら、伝子は似た者同士だと、心を読みながら思うのであったが、それを口に出すようなことはしない。それこそ殺されかねない空気が、この場には確かに有ったのだ。
 一先ず二人から離れようと、伝子はエレベーターのボタンを押し、そのまま待つことにした。
「で、だ。肝心の話に戻るが、マティウス・ガーラック。そして、メテオはどこにある」
「最上階よ。私もこの二年間、意識は“あっち”に行くことはあっても実際にこの目で見たわけじゃないから、まだあるかは分からないわ。ただ、恐らく六十階にあるはず」
「割と使えないな、恐らくだの“はず”だのと」
「……なに、じゃあ一階からくまなく自分で探すのね。私は一足先に行くけど」
 真の目的はメテオに関連する物全ての破壊であるが、ハインリーケもまた、それに近しい目的を持っている。互いにその殺す対象同士ではあるが、目的と言う点だけで見れば十二分に協力してもいい関係にある。そう思う伝子であったが、それも口に出さない。理由は言わずとも。
<めん君、エレベーター呼んだから、多分もうすぐ来るよ>
(まあ待て、とりあえずこの気に食わん女をどうにかしない事には俺が納得出来ん)
<もー……>
  伝子は頬を膨らませながら不満げな意識を真に送る。それすら意に反さない真を見て諦めた伝子は、ちらりとエレベーターを見る。そこで違和感に気付いた。確か、ボタンを押したときは五十二階にランプが点灯していた筈だが、今では一階に点灯している。降りる人が乗っていたのならば仕方がないが、それにしては昇ってくる気配が無い。
 些細な疑問だったが、原因について考えようとした瞬間、扉の向こう側で何かが動く音がしたかと思うと、扉が開き始めた。扉が開き始めた事でその疑問も消え、伝子はそのまま中に“入った”。
「え……?」
 まず最初に感じたのは、空気の違い。そして、足元の感覚。その時、“暗がり”に入った伝子は気付いてしまった。急いで振り返り、外へ出ようとした。硬い床に足が届き、そのまま真の方へ走り出そうとしたのだ。
<めん君、助け――!>
「なっ!?」
「えっ!?」
 伝子の声が頭に届いた瞬間、真とハインリーケは驚きの声を漏らしながら先程まで伝子が居た位置まで視線を向け、そのまま、言葉が詰まった。
 真にはその光景が非常にゆっくりとしたものに見えた。右足から駆け出そうと力が入っていることが分かる。自分の周囲に冷気が生まれ始めている。後もう五歩も駆ければ手が届く距離。だが、それ以上に目の前で動いている状況は早かった。
 泣きそうな顔で腕を伸ばす伝子、その背後には今日一日で見慣れてしまったあの“口”が迫っており。
 ――そのまま、伝子の右腕から向こう側が触手の口の中へと消えた。
<や、あっ、ぐ、痛い、痛、めん君、助け、たすけ、あ、あああああああああああああ!!>
 どうして、その時動くことが出来なかったのか、真にはわからなかった。どう“願えばいい”のか。それは、叶えられる範疇を超えていると、分かってしまっていたからなのか。
 ずるずるとエレベーターに戻る触手の目の前には、伝子の右腕だけが残っていた。真の頭に新たな伝子の思考は届いてこない。ただ、最後の叫びが木霊するように残っている。それしか、残されなかったのだ。
 ハインリーケは何を言えばいいのかわからなかった。今まで、自分の目的上、人が死ぬところなど何度も見て来た。自分の手で殺したこともある。だが、メテオ・チルドレンではない、何の関係も無い人が不可思議によって死ぬところは見たことが無い。そして、それが近しい者に降りかかった真に対して、一体どんな言葉が自分に言えるのか。
 しばらくの間、真はメテオ・チルドレンになってから初めての涙を流し続けるのだった。



次回:第七話『目覚めのトリガー』
39

人大甲 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る