二日目(3)
「あいかわらず、ぼろいビルだな」
玄関の扉を開けたその先に、スキンヘッドの男が立っていた。
憎まれ口をたたいたその顎は、除草を怠った庭のように、無精ひげをのばしている。それが、刑事としての風格をむやみに高めていた。
彼が、井原だった。
水野は彼を部屋にうながす。ひとりだと思っていたが、部下らしき警官も何名かついてきた。革張りのソファを示すと、井原はどっかりと腰を沈めた。つづいて水野も座る。その他の部下達は井原の側に控えた。
井原は、感情に富んだ顔づきを殺して、冷たく手を組み、何かを思索している様子だった。どう切り出してよいか、考えあぐねているような――
「井原さん……それで、用って何です?」
たまらず水野は訊いた。親しい人間の深刻そうな顔は、見ていてあまり気分のいいものではない。
井原は、ふぅーと息をついて、コートの裏に手を入れた。
「ここ、煙草大丈夫か?」
煙臭くなるのは厭だったが、ノーとはいえなかった。
「どうぞ」
ふ……と紫煙を吐き出し、狭い事務所の天井を眺めながら、井原はぽつりと訊いた。
「昨日の夜、どこへ行ってた?」
「え――?」
咄嗟に森林公園を思い起こした。ぴちちちと鳴く虫、ざわざわと騒ぐ木々。そして――ケモノに喰われたという、大塩。
偶然の一致としてはできすぎていた。
つまり、水野が来る前には、すでに――
疑われても、仕方のないことだ。
「なあ、教えてくれ。昨日の夜、お前は一体どこにいた?」
「…………」
場の空気が、ぴしりと張りつめた。隣で控える警官達も、次の展開に身構えていた。水野は答えを、高速で構築させなければならなかった。真実をいえば疑われ、嘘をいっても疑われる。
『お前はどこにいた?』
これはこの街に住む、何千何万の人間に訊くべき質問だ。そのなかからひとり、水野忠邦を選択したのには、相応の理由があるからにちがいない。
――たとえば、昨夜、森林公園で目撃されていたとしたら。
嘘をついてしまえば、確実にその容疑をかけられてしまうだろう。
ここで最善なのは、真実を述べること。
「森林公園に、いました」
部屋に一瞬、細かい振動が走った。警官達は目配せし合い、さらにきつい眼差しを水野に向けた。
質問者の井原はというと、やはり呆然としたまま水野を見ていた。あやうく手元の煙草を落としそうになり、寸前のところで気がついた。
「だけど自分は、大塩を殺してなんかいません」
いわなければ、そのまま罪が確定されてしまいそうだった。しかしそう弁解したことによって、自分が犯人として追いつめられているような錯覚をおぼえた。
井原は灰皿に煙草を潰し、手を組んだ。
「そこまでは、訊いていないが……本当か?」
その目は、半信半疑で水野を見ていた。
「本当です。自分は昨日、大塩に呼びだされたんですから」
疑いの色が、一瞬消えた。だがそれは砂浜に描いた絵のように、すぐに消えてしまった。けれど新しい情報を得た所為か、さきほどのような、犯罪者に対する態度はいくらかやわらいでいた。
それはどこに? と井原は訊いた。
水野は携帯を取り出し、メールを表示させ、井原に手渡した。
「なるほど……杉田、お前はどう思う?」
後ろを振り向き、警官のひとりに声を掛けた。きりっとして、頭の回転が速そうな顔つきだった。
その警官は、瞬時に答える。
「私は、それが殺人の動機と推測します」
ちら、と見ただけではわからなかったが、杉田と呼ばれた警官は女性らしい。かなり引き締まった身体と、中性的な顔立ちで、判断ができなかったのだ。
「彼、水野は、被害者、大塩から何か重大なことを指摘され、かっとなって殺害にいたった――」
「重大なこと?」
「はい、たとえば……」
杉田は一瞬、言葉をとめた。
「彼が、ケモノだという証拠、など」