――――其の4
霧が出てきた。
ぼくは草原を越えた向こう、森の中を歩いている。さっきまでは鳥が鳴き、木陰から陽がこぼれる緑の広がりの中だったが、今では無音、少し先も見渡せない案配だった。
それでも歩を進める。この場合、立ち止まってどうなるものでも無かろう。
朝、彼女はぼくに道順を教えて、自分はあとから行くと言った。牛の世話とか、朝食の食器洗いとか、なんだか雑多な理由を挙げていたけど、まぁ、好きにすればいい、と思った。
それから、朝出発してから、どれほど歩いたろうか。ずいぶん長い間だった気もするし、ほんの短い間だった気もする。
歩を進める。前方に茂み。手で押しのける。
周りを森に囲まれた、ひらけている場所に出た。しかしいまだ霧の中。水の流れる音。ここから向こうまで幅2~3mくらいの川が流れている。向こう側は、霧で見えない。その川に、まっすぐ小さな橋が架かっている。その橋は人間の片足がようやく乗る程度で、ほとんどつなわたりだ。そこを行く。道を踏み外して、落ちやしないだろうか。神経が高ぶり、研ぎ澄まされる。
一歩一歩、歩を進める。前を向く。しかし歩けど歩けど、向こう岸の光景が見えてこない。不思議な感覚、違和感、を感じた。しかしそれを脳で解釈される前に、急に霧が引いた。
陽が射した。空気が急に変わった。ぼくはさっきとは別の場所に居るように感じた。それはこの世の物事とは思えなかった。違和感を感じる。しかしやはりアタマに疑問が浮かぶ前に、目の前に現れた光景が気を引いた。
それは畑だった。しかし作物は植えられていない。土がむき出しで、その土は、ある部分では、ぼこぼこと煮立っていたり、ある部分では静かであったり、統一性のない動きを繰り返している。
煮えたぎる土から、小さな何かが宙に放り出されている。それは液体のようで、空中で球体を為した。次々と、幾つもの球が放り出されている。
その無数の球たちはしかし、不安定で、頻繁に形状を崩したり、空中を飛び回ったり、静止したままだったり、他の球とぶつかったりして、あるいは色を変えたりする。やがて勢いは衰え、または急なスピードのままに。
そして、最後には土へと帰る。しかし空中の喧噪がやむことはない。ひとつの球が土に帰ると、また生み出される新たな球が宙を舞う。
「それが人間よ」
ぼくの後ろから彼女が語りかける。
「宙にぼんやりと生まれ出でて、なにかをやったりやらなかったりして、そしてまた消えていく、その“現象”が人間」
ぼくは呼吸が荒かった。なにか嫌なものがあたまを、
なにかの強力な衝撃、破片、急激に揺れた視界、赤色灯、そしてもう一つの赤いものはきっと、ぼくの血
よぎった。
「思い出したよ」
ぼくは彼女に向き直った。
「ここがどこなのか、ぼくがだれなのか、どうしてここにきたのか」
「一旦家に帰りましょう」
彼女がそう言うと、ぼくらは小屋のすぐ前にいた。