第二十話 死神の吐息
<南二局 親:八木>
南二局、ちょっとした事件が起こった。
ふと天馬が何気なく振り返ると、ある変化が起こっていたのだ。
シマがいない。
「えっ」
心臓を鷲掴みにされたような声を上げ、天馬が腰を浮かそうとした。
彼が今、わずかな正気を保っていられるのは、うしろにいるはずのシマを支えにしているからだ。
それが消えたとなっては、迷子の羊のように戸惑う他ない。
「動くなっ!」
鋭い雨宮の叱咤に天馬は体を震わせた。
「シマがいないんだ……」
「べつにいなくたって構わねえだろ。勝負に影響はない」
「で、でも」
「うるせえなあ。それより、おまえ俺の話を聞いてなかったのか?
勝負の最中に、席を立つことは禁止だ。
やったらその場で、負けだからな。
ここまできて逃げられちゃたまんねえよ」
「うっ……」
確かに雨宮は勝負が始まる前にそう言っていた。
天馬は名残惜しそうに浮かしかけた腰を落ち着かせた。
結局、シマは戻らず、天馬は捨て牌でチートイツを完成させ、その局は倉田が天馬から喰いタンをアガった。
天馬:26300
倉田:7700
雨宮:52200
八木:13800
<南三局 親:天馬>
不運続きの天馬、その最後の親番である。
ここで大物手を成就させねば、ほぼ逆転不能。
事実上この二回戦のオーラスに等しい一局であった。
誰もがほぼ勝負は決まったモノと思い、その場から熱い勝負の気は薄れかかっていた。
なにせ天馬と雨宮の点棒状況は25900の大差。
親マン直撃でもハネツモでも、引っくり返らないのだ。
しかし、十一巡目……
<天馬 手牌>
一一二二三三①⑧12399
ツモ:③ピン
打:⑧ピン
機、舞い降りる――!
ここで天馬、リーチはかけない。
うしろで固唾を飲んで見守るカガミも、この判断に異はない。手のひらに滲んだ汗をスーツの裾で拭いながら河を見渡す。
(下手にリーチをかければベタオリされるのがオチ……。②ピンは二枚見えているし、捨て牌は誰がどう見ても下の三色気配……しかし)
ちらり、と対面の雨宮を窺う。
(あの強気な雨宮なら、打ってくる可能性もありうる)
そうなれば、逆転である。
そして……
「ツモ!」
雨宮の目がカッと見開かれた。
「純チャン三色イーペーコツモ、親っパネだ!
6000オール!!!」
牌を倒したのは、天馬の手。
長い……長い苦闘の果てに、ついに天馬は辿り着いた。
敵の喉下、その寸前へ――!
天馬:26300→44300
倉田:7700→1700
雨宮:52200→46200
八木:13800→7800
(こいつ……この土壇場で……)
握り締められた雨宮の牌が苦しげな軋みをあげた。
スッと通った鼻筋からぽたっ……と汗が流れたのは、気温のせいだけではないだろう。
(これで俺と馬場の差は1900。タンピンで逆転だ。
……なに生き返ってんだよ。なに嬉しそうな顔してんだよ……
思い知らせてやる。
この世には、どう足掻いたって勝てない相手がいるってことを。
幸い、俺の流れはまだ悪くない。
シマさえいなけりゃ、問題ねえ)
張り詰めた空気が、生き死にを司る死神の吐息が、卓に再び充満し始めた。
気配を感じ、カガミが振り返ると、シマがちょうど戻ってきたところだった。
音もなく近寄ってくると、カガミの耳に口を近づける。
「なんか鉄火場ってカンジ。いま、誰が親?」
「倉田様です」
「オーラスかぁ。点棒は?」
カガミがそれを口にすると、シマは瞬きをした。
「ごめん、いま、なんて?」
「天馬様が12300。
雨宮様が78200です。
さきほど、南三局一本場、
天馬様が国士無双に放銃なさいました」
天馬:44300→12300
倉田:1700
雨宮:46200→78200
八木:7800