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第三十一話 交渉

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「わかったよ――」
 卓に両肘をついて、雨宮はうなだれるように組んだ手を額に乗せた。
「もういい、わかった。やめよう」
「やめるってなんだよ」
「ドローにしよう。こんなバカな勝負、なかったことにしちまうんだ。
 もちろん、あの写真は今、焼いちまう」
 ドロー。その言葉を聞いて倉田と八木がほっと体から力を抜いた。
 数合わせの二人からすれば、願ってもない決着である。
「やだね」
 誰もその返答を予想していなかったらしく、空気が凍った。
「意地を張ってる場合じゃねェんだぞ。おまえにだってそれぐらいわかるだろ」
「オレはわかってる。わかってないのはおまえだ。
 引き分け? なかったことにすればいい?
 冗談じゃない。なんのためにここまで殺しあってきたんだ」
 雨宮は何度も頷いた。眉間に傷のようなシワが寄っている。
「オーケーオーケー。落ち着こう。
 金だろ? オレとおまえで折半しようじゃないか。平等にな」
「全部がいい」
「…………調子に乗るなよ」
「でなきゃ呑めないね」
「仲違いしてる場合じゃないんだよ。もう本当に時間がないんだ」
「オレたちはずーっと仲違いしてきたと思うがな」
「俺たちとおまえが組めば、そっちの陣営にはシマしか残らない。
 つまりシマの人権は自動的に俺らのものってことだ。
 やつをやるよ。一生遊んで暮らせる金も手に入る。
 そうだ、静かなところに別荘がいくつかあるんだ。そこに住むといい。
 な? それでよしとしよう。バラ色じゃないか。なにが不満なんだ?」
「……………………」




 この勝負は――
 馬場天馬にとって紛れもなく真剣勝負だった。
 敗北は壊滅であり、自らの肉親を傷つけることにも繋がる。
 負けられない勝負なのだ。
 ならば、この取引を受ければいい。
 裏切り者に当然の制裁を加えて、勝負を終えられる。
 それは勝ちと呼べるもののはずだ。

 天馬は思う。
 勝負は苦しく、しかし不思議と楽しかった。
 今まで誰からも相手にされなかった自分が敵を苦しめ、また向こうも全力をもってして自分を討ち果たそうとする。
 それは透明人間として生きてきた天馬にとって、かけがいのない喜びだったのだ。
 雨宮たちが焦燥に駆られ勝ちに急ぐほど、天馬はどんどん自分の存在をリアルに感じることができた。
 人は一人では生きていけない。
 その通り。
 たった一人で勝負などできるものか――。




「オレはおまえらを倒すまで

 死んでもここから動かねェ」




 みな口を閉ざしていた。
 もう誰も天馬を無視できなかった。
 驚愕と恐怖の視線を天馬に注ぐ。
 愚かかもしれない。
 幼いかもしれない。
 でもここで引いたら、オレはやっぱりオレを許せない。
 自分が好きでいられる自分でいたい。
 だからオレは今――自分が好きだ。



<オーラス(三本場)の点棒状況>
 天馬……9200
 倉田…11100
 雨宮…62500
 八木…19700



 天井に火の影が映っているのを雨宮は上目で窺った後、対面の天馬に目を移した。
 かなり緊張しているようだが、それでも生死を賭けて博打を打ってる人間の顔には見えない。
 当然のように麻雀なんかしている。意味がわからなかった。
 金や利で動かない人間なんておかしい。
(あのシマでさえ、おまえを裏切って出て行っちまったんだぞ。
 なのになんでやつを庇う。それともやっぱ、イジメのことが許せないってのか。
 クソ……弱いものが踏みにじられるなんて、当たり前だろ!
 わかってないのは、おまえなんだよ……)
 しかし頭がおかしいと鼻で笑うことはできない。
 その頭のおかしさのせいで命の危険が迫っているのだ。
 なんとかしなければならない。なんとか。
 倉田がハコれば、敗北してしまう。
 ハコ下ありにして天馬のラス親などで役満でも出されたら敵わないから、なしにしたのだったが裏目に出た。
 倉田はすっかり怯えてしまって、チュンチャン牌とヤオチュウ牌を交互に切っている。手を作っているようには見えない。安牌を抱えたいのだろうが、のちにどんな牌が安全になるのかわからず錯乱している。
 この調子ではあっさり放銃しかねない。一刻も早く雨宮か八木が場を流してしまわねば。
 そう思っていたところに、ひょいとカンチャンがハマった。ピンフの六九萬待ち。
 場は比較的マンズが高い。ということは倉田か八木が持っている可能性は高い。
(これで勝つ……!)
 雨宮は溢れ牌の南を打ち出し、マンズのサインを二人に出そうとした時、パタンと天馬の手が倒された。
「ロン……。チャンタ三色南ドラ1……ハネマン……!」

 視界が、ぐらっと揺れた。


<オーラス(三本場)の点棒状況>
 天馬……9200→28100
 倉田…11100
 雨宮…62500→43400
 八木…19700

 差:15300



 南と東のシャボ待ち。
 風牌ゆえに倉田からは絶対出ない牌。
 雨宮はすっかり天馬の術中にハマっていた。
 倉田から奪うと宣言して、その通りにするバカがいるか。
 それは手段のひとつであり、別にトップ取りをやめたということではない。
 それを忘れてホイホイ危険牌を打ち放った、これは完璧な自分のミス。
 これで差はまた縮まった。
 次は四本場だから、雨宮が7700か6400を天馬に振れば逆転。
 あるいはマンガンツモでもまくり。
 依然として、倉田のマンガン打ち込みでハコテンも残っている。
 ハネマン以上なら誰からアガっても――


 長かったこの勝負に終止符を打つのは誰なのか……。
 天馬と雨宮はお互いを揺れない瞳で見据え合った。


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