人でも食っちまいそうな大喰らい。それがデブチィこと蟹場貴久の評判だった。
身長は優に180センチを超えており、でっぷり肥え太った腹回りと合わせて見るとボールのようだった。
にも関わらずその上に乗っかった顔は渋いちょび髭をこしらえた中年なのだから一種のコメディ的な趣きがあり、不思議と人の記憶に残る男だった。
職業、博打打ち。経歴、謎。
そんなデブチィの周囲に、今いくつものチップの山がうず高く積みあがっていた。
都内某所にある裏カジノ。
客の視線が否が応にもデブチィへと注がれている。大抵は羨ましげな顔をしつつ「へっ、あれぐらい気合入れれば俺だって」といった態度を気取っているが、中には何名か怖い顔つきで目を血走らせている者もいた。
「ハハハ! バカヅキだな、こりゃあ家に帰るまでに轢かれるかもしれねえ」
そう言うデブチィの赤ら顔はかつてないほどの喜色に染まっていた。
「どうしたディーラー。さっきの威勢はどこへ行ったんだ。ん? お前は確かこう言ったんだぜ。
『ほどほどの勝ちでやめておくのも大切ですよ。おそらくこれから流れは反転するでしょう。私はまだ若いですが、その分カンが利きます。あ、笑いましたね。いいでしょう、これからが勝負です』……ってな。
ん? おい。こりゃどういうこった」
「ハハハ……いや素晴らしい記憶力……ですね……」
このカジノに居ついてから約一月。鳴かず飛ばずだった成績すべてをひっくり返すほどの大勝だった。
「さすがです……」
お世辞を言うディーラーの顔も引きつりを隠せていない。
額が光っているのはオデコが広いせいか、健康に悪そうな汗をかいているせいか。
「さあ、ツキが逃げないうちにとっととカードを配ってくれ!」
デブチィがピザを左手に乗せながら喚いた。一切れではなく、一枚のピザをだ。
デリバリーされたピザの空き箱が彼の足元に散乱していた。
次はこのカジノが彼の下敷きになるのかもしれない。
そうなる前に暴力によってデブチィは亡き者にされるのか、それとも美味く稼ぎ果せてみせるのか。
一同が固唾を飲んでデブチィの背中を見守っていた、そんな時、張り詰めた緊張の水面にひとつの波紋が広がった。
隅の方でドサッと何か荷物が落ちるような音がし、皆が振り返ってそちらを見た。
軽口を叩いていたデブチィもびくっと体を震わせて音源を窺うと、壁際に設置された休憩用のソファの手前に人間が転がっていた。
どうやら誤って転落したらしい。
(脅かしやがって……)
「ううん……」
その人物はもそもそと起き上がるとキョロキョロと辺りを見回した。
袖のないノースリーブを身に着けた少女だった。 ここのカジノは素寒貧の貧乏人は来れないが、一般人でも入店できる。
自分で遊びに来た客だろうか、あるいはなんちゃってブルジョワの愛人か何かか。
そう思わせるほど整った顔立ちをしていた。
白い頬に朱が走っており、むせ返るほど酒の臭いをまとっている。
なんとなく水を差された形になってデブチィは不機嫌になった。
「おい、アンタ」
「むあ?」
「酔っ払うならヨソへ行ってくれねえか。いまアツイんでね」
「よっぱらっ……? ないおー」
そう言いながらヨロヨロとふらついて客やカジノスタッフにぶつかりまくって、クルクルその場で回っている。
平衡感覚が崩壊してしまっている少女に岩石のような背中に寄りかかられ、ついにデブチィは声を張り上げた。
「誰かコイツを叩き出してくれねえか、気が散る!」
その様子を見ておや、と常連の一人が違和感を覚えた。
デブチィは面食いで有名なのだ。いつもの彼なら相貌を崩して歓待するところなのに。
しかしそんな疑問もすぐにカジノの熱気と歓声の中へと溶けてしまった。
「しょうぶ……?」
少女がデブチィのチップを見、次に卓上のカードを捉えた。
「するっ!」
「…………あんた、名前は? どこかで会ったか?」
もしかすると、その時すでにデブチィは何かを感じていたのかもしれない。
少女は彼の隣に勢いよく腰掛けると、途端にハッキリした声音で名乗った。
「嶋あやめ――」