十二月三十一日十二時三十三分、俺は自殺をした。
そのことについて報告させていただく。
高円寺駅ホームにやってきた俺は、いくつかの電車が通過していくのを眺めていた。意外と怖い。
しかし、予告した時間は迫っている。
結局俺はえいやっ、と飛び込もうとおもったけど勇気が足りず、首だけをホームから突き出してみた。その瞬間すごい勢いで通過した列車が俺の頭蓋骨を粉砕して、あたりに脳漿と血液を飛び散らせた。
どうやら首がなくなっても人間というのはしばらくの間反射だけは残るらしく、すでに絶命した俺の身体は頭の痛みから逃れるように、ぶっ倒れたままぐるぐるともがきながら回転していた。
首もないのに身体だけがのた打ち回る様は、首をもがれた鶏みたいで、わが身のことながらちょっと面白かった。
そうやって俺は死んだ。
「まさか本当に死ぬとはね」
そして俺は今天国にいる。
みんな! 天国はいいところだ。
塩キャラメルの海に浮かぶマシュマロの島。
その上にははちみつりんごの木が生えていて、果実がたわわに実ってる。
天使たちはどうやらそれを口にして生きているようだ。
彼らはみんなバーバリーを身に着けている。
ブルーレーベルやブラックレーベルなんかの日本でのブランドじゃない、本物のバーバリーだ。たぶんイギリスで直接買ってきたのだろう。天使だけのことはある。
空には四つも太陽が昇り。
見事な満月が二つも出ていた。
満点の星空と。
抜けるような青空。
流れ星が一時に幾千万も流れ。
ひまわりがぐんぐん育ち。
鯨が星混じりの潮を吹く。
なんて素敵なのだろう!
さすが天国だ!
その虫は俺の口を通して体内へ入っていく。
虫の一匹が掌に乗っていた。
ふるふると振るえ、膨れて、ぶちゅっと音を立てて破裂した。
うぞうぞと中から灰色のうねうね動く幼虫たちが這い出てくる。掌に何百何千もの節足が這い回る感触がある。
どうやら俺の体内でも虫が破裂したらしく、腹の奥底に動き回る幼虫たちの感触がある。
なんて気持ちがいいのだろう!
口から幼虫があふれ出してくる。
さすが天国だ!
バーバリーを着た天使たちの体表は、ドブみたいな色にぬめぬめと光っていて。
時に膿のようなものを、ぐじぐじと垂れ流している。
木に止まる天使は。
羽を休めながら。
内臓のようなものをゲーゲー口から吐き出している。
牛乳と牛肉と牛糞をまとめてバケツにぶち込んでロッカーに一ヶ月しまいこんだ代物みたいな匂いがする。
天使が吐き出した内臓に、何か白いものが覆いかぶさっている。
動く布みたいにも見えるそれは。
さっきの虫が何万何十万何百万も集まったものだった。
なんて綺麗なのだろう!
さすが天国だ!
「馬鹿みたいだ」
あ。
「ここは地獄だよ」
ああああああああああああああああああ。
絶対の降下、
奈落へ一直線、
落ちた先には閻魔様、
けれどもすぐにセイグッバイ、
地獄のお役所仕事は二秒で俺を血の池送り、
煮えたぎる血液、
棍棒を持った鬼に頭が潰される、
よく熟れたトマトみたいに、
身体がぎこぎこ、
のこぎりで轢かれる、
解体される牛みたいに、
みなさん今日のお料理は、
完熟トマトをたっぷり使った、
ハッシュドビーフです、
ご飯にかければ、
ハヤシライスになりますね!
見れば俺の周りの人間の頭は全部トマト、
身体は牛肉、
良かった、血の池地獄じゃなかった!
これは全部ハッシュドビーフだ!
ハッシュドビーフ地獄だ!
ご飯はまだか!
「いいや、血の池地獄だよ」
ああああああああああああああああああ、
棍棒で頭を叩き潰されて、
のこぎりで身体を轢かれて、
叩き潰されて、
轢かれて、
イタイイタイ、
イタイイタイイタイ、
これは夢だ、
夢に違いない、
夢オチにしておくれ!
「そうはいかないね」
ああああああああああああああああああ。
そこで目が覚めた。
なんだ。
夢だったんだ。
そうだよね。
俺、新都社に作品アップしたこととかないし。
自殺しようと思ったこともない。
第一、あんなおかしな小説書くはずがないもんね。
そもそも小説書こうとしたことすらないわけだし。
ごそごそと起き出して、
パソコンを起動、
2chチェック。
俺の日課だ。
そうだ、新都社といえば、「賭博異聞録シマウマ」更新きてないかなー?
新都社、ニーノベ、クリック、クリック、と――
あれ?
なんだ、これ?
「自殺予告/へーちょ」
新都社で自殺予告するとか、馬鹿がいるもんだにゃー。
俺の夢と同じレベルかよ。
なんてことを思いながら開いてみた。
そんで驚いた。
これ、
俺の夢の内容とそっくりそのまま、おんなじだ。
なんで?
どうして?
気味が悪い。
一体、このへーちょってのは何者だ?
ふざけたHN使いやがって。
俺の夢をパクリやがって。
勝手に人の夢を覗き見やがって。
正体を突き止めてやる。
「ふざけるのはそこまでにしたら?」
なんだって?
「くだらないだろう、もう一度物語をやり直すのは」
ああわかったよ、とぼけるのはもうやめよう。
この小説を書いたのは俺だ。そして死んだのも本当だ。だから俺は今幽霊状態でワープロのキーをたたいている。
「なんと、これはホラー小説だったのか」
なんて、嘘に決まってるだろ。
「やれやれ」
本当はお前なんだろ? “孤独”よ。
「そうさ、この小説は僕が書いた。君が僕を生み出したのではなく、僕が君を生み出したんだ。妄想の産物は実は君自身なのさ。“孤独”なんて役柄を演じる僕のね」
まあこれも嘘なんだけど。
嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘。
全部嘘。
あ、嘘って字がゲシュタルト崩壊したでしょ?
俺もした。
嘘だけど(笑)。
再び引用を。
ただし、この小説の冒頭から。
『最初に言っておくが、この文章は「小説」だ。「小説」なのだからこの物語は当然フィクションである。普通に小説を読むことができる読者たちならばこんなこと言われなくてもわかるだろうが、残念ながらこの文章は新都社にアップロードされる。新都社の読者たちは字が読めていると見せかけられていることが奇跡に思えるほどの文盲ぞろいだ。文脈が読めない、意図が把握できない、誤読をする、そんなことは当たり前だ。そんな糞共のために、しっかりと強調しておく。この物語はフィクションです。実在の団体・人物・サイト・その他とは一切関係がありません。わかったか能無し。能無しってのはこの文章を読んでいるそこのお前のことだよ。自覚しとけ、クズ。』
フィクションってのは、嘘ってことだ。
どんなに真に迫っていても、嘘は嘘。
どんなに嘘っぽくても、やっぱり嘘は嘘。
でももし、フィクションであること自体がフィクションだとしたら?
この物語はフィクションであるけど、フィクションであること自体もフィクションだから、フィクションではないけど、そうなるとやっぱりフィクションであることもフィクションではなくなって……循環だ。無限ループだ。怖いね。
循環論法の解は、ただ一つ。
すなわち、
偽。
嘘ってこと。
物語の中で何を言おうと、フィクションだと言おうとノンフィクションだと言おうと結局のところは嘘なのだ。
誰かの口によって、小説として、物語として語られた時点で、どんなに真実に近くとも、それは嘘になる。フィクションになる。
そんなものに一体なんの意味がある?
嘘なんかに意味があるというのか?
あるのだ。
僕たちは、むしろ嘘をこそ求めて物語を、小説を読むのだ。
心地よい嘘。
身を切るような嘘。
涙が零れ落ちてしまうような嘘。
どうしようもなくどうでもいいような嘘。
そういう嘘を求めている。
そういう嘘をこそ求めている。
物語は確かに全てが嘘で。
全てが嘘であるということ以外に何一つ真実なんて無いように思えるけど。
でも、それってむしろ誠実なことじゃないのか?
平穏なはずの食事に一服の毒を盛る暗殺者みたいに。
真実に一縷の嘘を混ぜた、この現実こそが不誠実で無意味なものなんじゃないか?
現実はフィクションと違って、否定することができない。
拒否できない。
どうあがいても押し付けられる。
そんなものが、健全であるはずがないだろう?
フィクションは嘘のない嘘だ。
この世でもっとも純粋なものの一つだ。
決して押し付けることはない。
それどころか、必ず嘘であることを、フィクションであることを明記している。
何よりも正直だ。
嘘のくせに。
だというのに、嘘はまるで真実みたいに僕らの心をとらえる。
嘘は、ふにゃふにゃして頼りなく。
現実とは比べ物にならないくらい弱っちいものだけど。
そのしなやかさ故に。
時に現実に打ち勝つこともある。
フィクションは嘘をつかない。
ただ嘘であり続ける。
急に現実になったりすることは、ない。
現実は逆に。
唐突に嘘になったりもする。
読者たちよ。
作家たちよ。
全ての物語を、小説を愛する人たちよ。
フィクションを崇めろ。
現実を蔑め。
フィクションはフィクションでフィクションに過ぎず。
だけどフィクションだからこそ美しい。
『嘘も方便』と昔のインドの王子様だかが言ったそうだが、これは少し間違っている。
『嘘だからこそ方便』。
嘘はいつでも甘美で、完璧で、感動的だ。
だって、嘘ってのはいつも、そうなるように考えられるものだから。
作家は嘘をつくのが仕事で。
読者は騙されるのが仕事。
大いに嘘をつけ。
大いに騙されよ。
それがすなわち感動だ。
それこそがまさに小説なのだ。物語なのだ。
願わくばあなた方のこれからの人生に、素敵な嘘のあることを。
僕の嘘はどうにも低俗で、どうしようもなく卑怯でその上読みにくいものだけど。
嘘を愛することの大切さ。
勝手ながら、それだけは伝えられると思っています。
それでは、最後に。
あとがきに代えて。
もう一つだけ大事なことを。
以上の物語は全てフィクションであり、実在の人物・団体・その他いろんな物にはまったく全然少しも関係がありません。関係があるように見えても、それは嘘です。気のせいです。あなた騙されています。目を覚ましてください。また、この小説で述べられた主義・主張・思想の類は全部、登場人物である「俺」もしくは「僕」、その他が考えたものであり、作者はそれについて一切の責任を負いません。負いかねます。クッパがピーチを誘拐するのはクッパのせい(あるいはキノコ王国の警備が甘いせい)であって、宮本茂のせいではないのです。
おしまい。