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一話目「竜頭の町」

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 覚醒しつつあるぼくの耳に、ガタン、ガタンという音だけが聞こえた。どうやら、電車に揺られているらしい。その音を聞きながらぼくは、ずっとまぶたの裏を見続けている――体に力が入らず、目を開けるのも億劫だったから。
 しばらくしてやっと、片目を開ける気になった。電車はトンネルの中を進んでいて、窓ガラスには二人の人物が映っている。一人は気だるげな少年――右の目をつぶっていることから、それが自分だと分かった。もう一人は隣に座っている、長い黒髪の女の子だ。どこか冷たい、人形のような顔。首からは大きな、赤い懐中時計をぶら下げている。ぼくはその少女にもたれかかり、まだ午睡の中にいるような、曖昧な表情を浮かべていた。
 このままずっと彼女に体を預けていたい気分だった。あわよくば今一度、両目を閉じまどろみの中に沈みたい。だけど、この列車はいずれどこかに着く。そうしたら、彼女から離れて歩き出さなくちゃならない。それを考えただけで、ぼくはうんざりした。
 さて。
 ぼくはなぜここにいるのか。記憶を探ってみた。頭の中は、ひどくぼんやりとしている。
 ぼくらは、どこに向かっているのか。彼女は、そして自分は誰か。どこで出会ったのか。
 いずれの答えも、出てこなかった。だけど記憶が何もないわけじゃなさそうで、いくつかの断片は現れた。
 都の赤い、大きな月。
 首切り殺人。
 飼っていた猫。
 去年見た桜。
 火祭り。
 怒鳴る誰かの声。
 走り出すぼく。
 そして隣にいる彼女の顔。
 まずは、彼女に聞こう。一番、大事なことを。
「ぼくの名前を教えてくれないかな」
 しばしの沈黙の後、彼女は言った。
「セン」
 うん、自分の名前だ。
 そんな確信があった。生まれてからこの名で何度も呼ばれている。これが自分の一部、とでも言うべき実感が。
「きみは?」
 彼女は黙って、懐中時計の裏側を見せた。
「M・I・A」と文字が彫ってあった。
「ミア」
 呼ぶと彼女は頷いた。
 それでいい。人間が二人いて、お互いを呼ぶ名前があれば他に何が必要だろうか?
 電車がトンネルから出た。
 窓の外には、紅蓮の夕焼け。立ち並ぶ摩天楼。そしてその向こうに、巨大な「像」があった。
 竜の首――その形はぼくにとって、そう見えた。ひどく巨大な代物だ。誰があんなものを、町の真ん中に作り上げたのだろうか。それともある日、空から降ってきたのか。
 ぼくが窓の外を眺めているうちに、電車の速度が落ちてきた。どうやら到着らしい。
 ――リュウズ・間もなく、リュウズ。アナウンスはそう告げる。名残惜しいが、ミアから離れなくてはならないみたいだ。電車が止まり、しぶしぶぼくは立ち上がる。
 ドアが開き何人かが早々に出て行った。彼らに続いて僕たちも車内を後にする。ホームは錆と埃の臭いに支配されていた。
 改札を通る前に、ミアが切符を渡してくれた。「デント 八九〇圓区画」と書かれている。デント。その町からぼくらは来たらしい。記憶の中にはない名前だった。
「さてこれから、どこへ行くの」
 駅を出、大通りで僕はミアに聞いた。人の流れに沿って、ふらふらと歩きながら。
 しかし彼女は答えない。ただ、ぼくの後ろを着いてくるだけ。
「ぼくが決めることだって、そう言いたいの?」
 彼女は頷く。
「分かったよ。ああ、だけど、もう日が暮れそうだ」
 見上げると、呆れるほど高い建造物に挟まれた細い空が、赤から藍色に変わっていくところだった。
「ひとまずは、今日止まるところを探そう。そういえば、お金は持っているのかな、ぼくたち」
 すると彼女はぼくに、膨らんだ財布を手渡した。中を見ると、紙幣が十枚以上入っている。どうやら当面、金銭の心配はいらないらしい。ただ、すりに注意しなくては。こう人が多くてはどこに潜んでいるか分からない。その旨を彼女に伝えて財布を返し、宿を探して、辺りを見回しながら歩いた。御上りさんに見られたかも知れないけれど。
 実にいろいろな人がいる。正装の紳士淑女。銃を背負った警官。旅人らしき黒外套の一団。大きな荷物を抱えた商人。脛に傷を持っていそうな男。娼婦のような服装の女。銀色の鎧で身を覆った兵士。そして人ではない生き物――犬、猫、大蜥蜴、梟――を連れた人々。
 通りを行きかうこれらの人々に目をやっていると、誰かと肩をぶつけてしまった。
「おお、失礼」
 相手がぼくに頭を下げる。
 色眼鏡をかけた、白髪の若い男だった。インバネスコートを纏い、手には大きなカバン。そして背中には「青晶蝶 一〇〇〇圓」と書かれた看板と、籠を背負っていた。中にいる蝶たちの羽は、硝子のように透き通っている。
「他のことを考えていたもんでね。いや、これも何かの縁。一匹、どうだい」
 いきなり商魂を発揮する男、僕は丁重に断り、宿を知らないかと尋ねた。
「宿かい。今は霧月祭りの最中だ。ご覧の通りにぎわってるから、普通はもっと早くやって来て、宿を取るものさ。知らなかったのかい?」
 ええ、とぼくが言うと彼は、「ならいい宿を紹介しよう。格安さ。もっとも案内料はいただくがね」と笑う。いくらかの交渉の末、少しばかりまけてもらい、案内してもらうことにした。
 彼の導くまま歩いていくと、どんどん、路地の奥へ入っていく。人影は次第になくなっていき、代わりに野良猫が目立つようになった。
「かき入れどきだと踏んでやって来たが、だあれもオレの蝶を買っちゃくれねえ。ケチなものだぜ。しかたがないからこういう小銭稼ぎや……もう一つの仕事のほうで稼ぐしかないのさ」
「もう一つの仕事?」
「蝶売りだけじゃなくオレは、『魔術』を扱う仕事もやっていてね。ま、縁がありゃいつか、お見せしよう。さて、ここだ」
 やって来たのは、裏道の奥の袋小路、今にも崩れそうな旅館だった。確かにここならば祭事中といえど、すいているだろう。
「じゃあそういうことでな。あんたらもあの大きな竜様にお祈りしてくれよ、オレが儲かりますように、ってな」
 蝶売りはそう言うと、路地の闇の中へ消えていった。
 とにかく、他に泊まるあてがないものだから、ぼくらはその旅館に入った。
 ひどくきしむ階段を上り、二階の部屋に案内される。黒ずんだ畳の、狭い部屋だった。安く泊まれたのだから文句はない。天井が時折、悲鳴のような音で鳴る以外は。
 窓からはぬるい夜の空気が流れ込んで来る。笛や太鼓の音色も聞こえてきた。祭りを楽しむか、それともすぐに寝てしまおうか?
 時刻を確かめようとしても部屋に時計はなく、ミアに、今何時かと聞く。すると彼女は何も言わず懐中時計を見せてきた。それを見て僕は閉口する。
 なぜならそれは、僕の知る時計よりも針の数が三本ほど多く、数字の代わりに黒猫や蝶の絵、そして見たこともない文字が書かれた代物だったからだ。

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