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二話目「霧月祭り」

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 祭りは、霧月十五日から三日間催されるらしい。宿の人がそう、教えてくれた。ミアによると、今はまだ早い時間らしいので、ぼくらは夜の町に繰り出した。
 リュウノ町と呼ばれる地区の、平行して走る三本の通りは出店で賑わっていた。道が伸びる先には、例の巨大な像がそびえる。
 あれは何なのか、と、氷菓子屋で聞くと、
「決まってるだろう、ありゃ『竜』様さ。町が出来る前から、ずっとここにいるんだ。この町で悪いことしちゃ駄目さ、竜の祟りがあるからな」
 僕らはそこで買った、砕いた氷にシロップをかけた菓子を食べながら、人ごみをかきわけて進んだ。これは、ずっと前にも食べた気はする。確か食べ過ぎると頭が痛くなるんだ。ミアを見ると案の定、頭を抑えて顔をしかめていた。
 祭りの夜というのは、不思議な気持ちになる。まったく異なる場所に来てしまったような、そんな、どこか怖くもある高揚。もっともぼくは今まさに、記憶にはない、異郷に来ているわけだけど。
 空を見れば、浮かぶ月は青白く光っている。記憶に残るあの、真っ赤な月とは似ても似つかない。月の色が変わることなどあっただろうか。あるいはぼくの記憶が誤っているか。いずれにしても今は答えが出ない。
 考えているうちにぼくは、記憶を取り戻すことにそれほど執着していない自分に気づいた。今、この自分が気の向くままに楽しむ。そんな享楽的、刹那的な考えがあった。ぼくの元の性格がどうだったのか分からないけど、これが今のぼくだ。今はそうしよう、と結論付ける。ミアと一緒に、色々な場所へ行こう。金がなくなったら、そのときはそのとき……
「ミア?」
 ふと振り返ると、彼女の姿がない。人の波にさらわれてしまったのだろうか?
 一瞬慌てたけれど、ぼくの手を握る誰かがいた。見るとミアが、相変わらずの無表情でそこに立っている。安心してぼくは再び歩き出した。
 祭りは好きだけれど、人が多い場所は苦手だ。思うように歩けないし、実際、何度か犬の尾や誰かの足を踏みつけ、怒声を浴びせられている。大通りを少し離れよう。そう思ってぼくはミアの手を引き、細い路地に入った。
 喧騒は少し遠のいた。これで彼女とはぐれる心配もなくなったが、もう少しの間、手を握っていたかった。繋いでいるだけで、これほど落ち着くものか。
 路地は連なるオレンジ色の電灯でぼんやりと照らされている。通りに向かって走り抜ける子供や、ぼくらと同じく雑踏から抜け出して来たであろう、疲れた顔の人たち以外、人影はなかった。
 そのまま、薄暗い細道を目的もなく歩いていると、呼び止められた。
「そこのお二人さん。おもしれえものがあるんだけど、見ていかないか」
 相手は声から、若い女と分かったが、深くかぶった帽子と、口元まで覆う外套のせいで顔はまったく分からなかった。
 値段を尋ねると、三○○圓と言う。何が見れるのか聞くと、笑いを含んだ声で、
「天使さ。ここでしか見れないよ、見なきゃ損だよ」
 と言う。そのくらいなら、まあ拝見しようか、と、ぼくは言った。天使がどんなものか、見ておきたかったから。少なくとも、また目当てもなく人ごみを彷徨うよりは疲れなくていい。
「二名様、ご案内」
 代金を受け取った女は、路地の奥にあるドアを開き、僕らを招き入れる。
 細い通路を進むと、人でいっぱいの薄暗い一室に出た。所々、燭台が立ててあるだけで、部屋の隅の方は暗くて見えない。前には小さい舞台があり、幕が下りている。
 しばらくして、先ほどの客引きと同じ、女の声がした。
「さァ、お待たせいたしました。女は星の数ほどおりますが、背中に翼の生えた女を見たことはありますでしょうか。百聞は一見にしかず。世にも珍しい、天使をご覧に入れましょう。さァ!」
 するすると幕が上がり、舞台が照らされた。
 そこにいたのは一人の女の子だった。ミアと同じくらいの歳だろう。背をこちらに向けていて、上半身には何も着ていない。白磁のように透き通った肌には、確かに羽が生えていた――ただし片方だけ。もう一方は、肩甲骨の辺りに、斜めに赤い縫い傷が走っているだけ。翼を切除されたのだ――何のためかは分からないが。
 始まるまではざわめいていた観客は、ぼくを含め息を呑み、まばたきもせず天使の少女を見ていた。
 痛々しい傷跡に、白い皮膚と羽。そこから目を離すことができない。
 一瞬、あるいは永劫にも思える静寂が過ぎる。
 そのとき、天使が顔をこちらに向けた。
 真っ赤な目を見開いている。そして、にやりと笑う。目と揃いの、真紅の唇で。
 それを見たとき、ぼくの背筋に寒気が走った――あれは、恐ろしいものだ。
 瞬間、何人かの客が倒れ、悲鳴が沈黙を破った。ぼくは我に返る。怒声とともに幕が下ろされた。
 客席では何人もが暴れ出していた。倒れた客はわめき、のたくっている。燭台が倒された。幕に燃え移り、オレンジ色の炎が燃え上がる。火というのはこれほど早く広がるものだろうか――まるで悪意を持っているかのようだ。
 一番後ろにいたぼくたちは、早々にその場を逃げ出した。ミアの手をしっかりと握って。
 どう道を通ったのかは分からない。大通りまで出て、ようやく一息ついた。
 遠くからは煙が一筋昇っている。あの見世物小屋だろう。何人か、警官がどたどたと路地に向かって走って行った。思いもせず、大事になってしまったらしい。
「やれやれ、ひでえ目に会ったぜ」
 そんな声がしたので見ると、宿まで案内してくれた蝶売りだった。
「あなたも見てたんですか」
 聞くと彼は額の汗をぬぐって、
「まあな、あそことはちょっとした知り合いでね。終わった後、客相手に商売しようとしたが、いやはや、ぶち壊しだよ。まさか狂った天使が出てくるとはな。どこから連れて来たか知らないけど」
 彼は息をつきながら話す。
「あれは、見てはいけないもんだ。美しいが、それだけじゃねえ。ああ、ただ美しいだけのものなんて一つもないのさ。客の何人かは、狂ったかもな。オレやおたくは無事で幸運だったのさ。すでに狂ってるからかも知れねえがな。ま、物好きもほどほどにしなきゃならないってことだな」
 そう言うと彼は笑って右手を差し出した。「……ともかく、ひどい目に会った仲ってことで」
 違いない。ぼくはそれに応えて、握手する。
 何か冷たい感触があった。見ると、青く光る――蝶の鱗粉らしきものが手のひらについていた。しかしそれはすぐに、消えてしまう。
「おたくらとはなんだか縁があったみたいだから、魔術を使わせてもらったぜ。その粉がまた、オレとおたくらを引き合わせるだろう。いつ、どこでかは分からねえが、生きてるうちにな。これがオレの商売道具さ。縁を強くしたい相手がいたら、かけてやるよ。もっとも縁がなさすぎると効かねえがな。じゃ、オレはしばらくこの町を離れるよ。あそこと一緒に捕まったらかなわねえからな」
 そう言って彼は歩きかけ、振り返って、
「おっと、名前をまだ聞いてなかったな?」
 ぼくは自分の名前と、それから隣にいる彼女の名前を告げる。
「センとミア、か。オレはイツ。『蝶売り』そして『縁屋』のイツさ。じゃあな」
 手を振って、彼――イツは祭りの人並みに消えていった。

 なんだか疲れたから、宿に帰ってもう寝よう、と思ったけど、ぼくらを更なる試練が待っていた。道が分からなくなってしまったのだ。永遠に着けないんじゃないかという不安を抱き、人の中を彷徨っているうちに、祭りの夜は更けて行った。


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