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三話目「霞喰の魔女」

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 夢を見た。悪夢だった。あの天使の狂気に当てられたからだろうか。
 暗い部屋にぼくはいる。部屋中に管が張り巡らされ、やけに天井は高い。数人の、白い服を着た人間がこちらを見ている。
〈今から手術を行う/きみの頭を弄くる手術だ〉一人が言った。〈機械を埋め込んだり一部を切除したり/痛くはないから安心していいよ〉
 そんなことを言われても安心なんてできやしない。やめてくれと叫ぼうとしたけど声は出なかった。
 冗談抜きに彼らはぼくの頭脳を改造するつもりなのだ。その証に、台に乗った手術道具が運ばれてきた。ギザギザの刃がついたのこぎりのようなものや、いくつも針がついた機械。何に使うのか考えただけで気持ちが悪くなってきた。
〈我々は古代に失われた力を復活させる/きみを使ってね/すばらしい結果になると確信しているよ〉
 ぼくには悪い予感しかない。もがくけれど体は微動だにせず、やがて彼らの手が近づきいよいよ、というところで夢は終わった。

 旅館の煎餅布団の上で目を覚ましたとき、ぼくは良い気分とは言えなかった。
 見た夢を覚えていたから。さらにこんな考えが浮かび上がる――あれが夢じゃなくぼくが見た過去だったら? 本当にぼくは脳を弄くられその結果、記憶を失ったのだとしたら……。頭を触ってみる。どうやら傷口はないようだった。やはり夢は夢か――しかし、もしかしたら真実が含まれているかもしれないという嫌な疑惑を、完全には拭えなかった。
「やれやれ……」
 顔の汗をぬぐいながらつぶやき、隣の布団で寝ているミアを見る。まだ熟睡しているようで、寝息を立てていた。
 相変わらず時間は分からないが、窓の外を見るとまだ薄暗い。寝なおしてまた悪夢を見るのも嫌なので、しばし窓際でぼうっと立ち尽くし、空が白むのを待って部屋を出た。
 悪夢はいつしか霧消し、朝の冷たい空気がぼくを包む。
 明朝の路地というのは、いいものだ。植木や長椅子などが置かれ、生活感があるとなおいい。これから目覚めていくであろう町を実感できる。
 歩いていると、木に囲まれた広場があった。噴水があり、一人の女性が新聞を読みながら、長きせるで一服していた。長い革の外套に身を包み、黒い手袋をはめている。どうにもご機嫌斜め、と言った表情で「ついてない、本当、ついてないねぇ」と繰り返していた。
 ぼくはしばし腰を休めようと噴水に座り、彼女を観察をしていた。すると相手はこちらを見、「なんだい、あたしの顔になんか付いているかい?」と尋ねてきた。
「いえ、ただ何となく、眺めてしまいました。すみません」とぼくが言うと、
「あァ、あたしが美女だから無理はないか」と言い、笑う。「あんた、祭りに来た人かい?」
「まあそんなところです。だけど人が多くて、昨日見ただけで疲れてしまって。今日にも発とうと思ってます」
 本当は見世物小屋での騒動もあって疲れたのだけれど、そこは割愛した。
「確かにねえ。あんだけ人がいりゃあな。どの辺りに行くんだい?」
 そう聞かれても、町の名前を知らなかったので「まあ西の方へ」と曖昧に答える。
「てぇと、リザ辺りかい?」
 どうせ、目的地もなにも決まっていなかったのだ。初耳だけれどそうだ、と肯定する。
「そうかァ、ありゃ、汚いがいい町さ。メシがうまいんだ。実はあたしもリザへ行くところでねえ。この町じゃついてねぇことばっかりだったが、動きゃツキも回ってくんだろ。よし」
 彼女は新聞を折りたたみ、立ち上がる。
「良けりゃリザまで一緒に行こうじゃないか? 旅は道連れ、ってね。アキウってのがあたしの名前さ」
 予期せぬ同行者ができてしまった。だけど、こうして見知らぬ人と知り合うことも、また旅の魅力だろう。気の向くまま彷徨うぼくらは、この先どんな人たちと出会うのだろうか。

 リュウズを発つ電車の中、ぼく、ミア、アキウ(さん付けなんて堅苦しい、と彼女が言った)という順で座り、三駅先のリザを目指した。ミアに対しアキウは最初、「無愛想だがめんこい(可愛い)嬢ちゃんじゃないか、あたし程じゃあないけどね」と笑って彼女の頭を撫でた。ミアは特に嫌がるでも喜ぶでもなく、いつもの無表情のままだった。
「なんだか、ついてないって言っていたけれど」ぼくはアキウに言う。「何かリュウズであったんですか?」
「おいおい、敬語も使わなくていいんだよ、セン」
 そうは言っても年上なので、つい敬語になってしまう。
「まあいいさ。うん、そうなんだよ。ちょっと稼ぎがあって、そいつで賭けをしてね。だがそれがまずかった。素寒貧に逆戻りさ。幸い電車賃とメシ代は確保したが、いやいや、まいったねえ」
 そう言って頭をかく彼女。
「そりゃ大変でしたね。そういえば仕事は何を?」
「行商だね。売るものがちょっと特殊だけど」
「特殊? もしかして、魔術を使った仕事?」
 そう言うと、ほう、と彼女は少し驚く。
「よく分かったねえ。その通り、あたしは魔女さ――三流の、だがね」くっくっ、となぜか自嘲的に笑うアキウ。「せっかくだ、あんたらに一つ振舞ってやろうか」
 彼女が笑い、口を開くと、そこから青白い煙が流れてきた。それはぼくとミアの口に入っていく。
「よく噛みな」と、アキウが言ったのでそうすると、カリカリとした皮、柔らかな中身、歯ごたえのある何かが口中に現れた。甘辛いソースの風味。これが何か知っている。たこ焼きだ。ぼくの口にいきなり、たこ焼きが出現したのだ。
 その熱さにぼくと――表情に出さないよう我慢している様子だけど――ミアが悪戦苦闘しているのをアキウはにやにやと見ている。ぼくらはやっとの思いでたこ焼きを飲み込んだ。
「どうだい。これがあたしの魔術さ。メシを食った思い出を誰かに与えることができるってわけ。今のは夕べ祭りで食ったたこ焼きさ。こいつを使えば、例えばそう、高級レストランの店先で指を咥えてるやつに、格安で中のメシを食わせてやれる。他の客から記憶をもらってね。あとはそう、酒を飲ませてやれば、ちょっとの間だけ酔っ払える。他には、嫌いなやつの口の中に、そいつが死ぬほど苦手なものを――くっくっく、まあそういう感じさ。ただ、腹は膨れない。記憶だけなんだからね。のどを通って腹に着いた辺りでおしまいさ。だから三流ってんだ。どうにか努力すりゃ、腹も膨れるのかも知れないけど、そんな手間は面倒でねえ」
 なるほど。面白そうな魔術ではあるけれど、確かに、本当に食べられないのなら所詮それだけだ、と言えなくもないかもしれない。しかし、ぼくはこの魔術そのものよりも、気になったことがあった。
「アキウ。他人から、奪うことはできる?」
「うん?」彼女は怪訝な顔で聞き返す。
「何かを食べたっていう記憶だよ。相手が、それを食べたことをきれいさっぱり、忘れてしまう。そういうことはできる?」
 ああ、と彼女は頷き、
「いや、相手が食った記憶を忘れる、ってことはないね。あたしは記憶を奪うんじゃなく、なんつうかなあ、『共有』するって感じなのさ」
「じゃあ、相手の記憶を――何十年分もの記憶を、抜き取るなんてことは?」
 そう聞くと、どうだろうなあ、とアキウはしばし考えて、
「そこまで行くとなると、そりゃ一流の、すげえ魔術じゃないと無理だろうねえ。できるやついるのかなあ? いや、ごっそり、大雑把に消すってんなら、逆に楽なのかな? ま、どっちにしろすげえ疲れそうだし、あたしにゃあ絶対無理だろうけどね。だけど、なんでそんなこと聞くんだい、セン?」
 どう言ってはぐらかそうか考えていると、ミアがこっちを見ているのに気づいた。
 いつもの、表情なんて何もない顔に見えたけれど、その裏には少しばかりの感情――きっと緊張――があった。
3

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