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四話目「魔都璃座」

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 リュウズを発った列車は草原を走り続けた。窓の外ではどこまでも緑色の草が風になびいている。ところどころに鉄塔が立ち並んでいるだけだ。
 列車と平行して走る行商の車や、流れる雲をぼんやりと見ながらぼくらはリザを目指した。
「ところであんたら、ひょっとしてどこかいいとこの出かい?」
 長きせるをふかしながら、アキウがそう聞いた。ぼくには答えようがなかったのでどう答えたものか、考えていると、
「ああ、言いたくなきゃあ別にいいさ。なんとなく、リュウズの裏路地をうろつくには身なりがきれいだったもんでね。てっきり、どっかの名家の放蕩息子がふらっと旅に出たのかって、思っただけさ」
 いい所かはともかく放蕩息子か。なんとなくぼくに合っている気はしたので、
「まあ、そんなところです」と、答えておいた。
「そうかい。そっちの嬢ちゃんはさては許婚ってとこかねぇ?」
 アキウはそう茶化す。許婚か。言われてみれば、その設定は割と説得力がある気がした。ぼくの後を付き添うように歩くミア。彼女は実はどこかの令嬢で、箱入り娘として育てられたため、表情を表す術を良くは知らないのだ。ぼくの家は、彼女の家ほどではないがそこそこの名家。なんとか彼女の家の力を得ようと半ば政略的に婚約したものの、一族の中に反対者が出たため、駆け落ち同然に逃げ出した。そのさ中、ぼくが何かの拍子で記憶を失ったとしたら? それもミアにとって何か不都合な理由で。彼女が何も言わないのはそのためだ。
 ――等と、頭の中でひとつの物語を構築するぼく。真偽のほどは不明だが、この先尋ねられて困ったときには、この設定を使うことにしようか。
「おっと、見えてきたねぇ。悪名高いリザの町が」
 窓の外を眺めて、アキウが言った。見ると地平線の彼方に、黒く大きなほぼ三角形の何かがある。近づくにつれその正体が明らかになって来た。
 それは城砦とでも呼ぶべき町だった。さまざまな建物が折り重なるように密集し、鉄橋や電線がごちゃごちゃと張り巡らされている。そして多くの人たちが蟻のようにそこでうごめいているのだ。
「驚いたかい? この町はね、勝手に住み着いたやつらが、何の計画もなしにどんどん家を作っちまったのさ。あたしも何度か来てるがどこに何があるか、未だに分かんなくてねぇ。ま、あんたたちも、迷わないようにせいぜい注意しなよ」
 列車は山のようにそびえるリザの土台に開いた、小さなトンネルに入って行った。壁面にも電線やパイプが張り巡らされ、排水や落書きでひどく汚れていた。
 駅は住宅に囲まれた、ドームのような広い空間にあった。上を見ると洗濯物を干すためのロープが何本も張ってある。こんな所に日が差すのだろうかと思ってアキウに聞くと、
「あぁ、一日のうち、少しは隙間から日が差すだろうね。洗濯なんかするやつは、この町じゃ少数派だろうけどさ」
 とのことだ。
 駅を一歩出るともうすでに道が何本にも分かれている。上下へ行く階段、無数のドア、人ひとりが通るのがやっとの通路。なるほどこれは方向音痴のぼくにはいささか辛い町だ。
「ま、駅前の道はだいたい把握してるから安心しなよ。とりあえずはメシだ、腹減ってしかたない。うまいメシ屋知ってるからさ。あんたらもたんと食いなよ、そんなひょろひょろじゃ旅には耐えられないよ」
 ごもっとも。ぼくらはアキウの導くままに、日の当たらないリザの通路を進んだ。彼女は何度か「あれ?」とか「道こっちでいいんだったかなぁ?」などとつぶやきぼくを不安にさせたけれど、基本的に淀みなく歩く。階段を何度も上がったり下りたりしているうちに、今地上にいるのかそれとも地下にいるのか分からなくなってしまった。アキウに尋ねると、
「んー、まあ、今何階にいるかなんてどうでもいいじゃない。どの道を通ればどこに出るかが重要なのさ」
 と言う。そういうものなのだろうか。
 通路の天井からは何度もぼくの頭に、きれいとは言えない水が落ちてきて辟易した。道にはゴミが当たり前のように捨ててあるし、路上で寝ている人も少なくない。野良猫や人目を忍んでいる人間が多いのはリュウズの裏路地と似ているけど、あそこよりずっとごちゃごちゃしていた。何度も店や、民家の中を通過し、水路の上を渡る。途中看板がいくつもあった。床屋、薬屋、電気屋、肉屋、油屋、時計屋。医者の看板を掲げているところも多かったけれど、そのうちどれだけが正規の免許を持ち合わせているかは怪しかった。また、文字の代わりによく分からない記号の書かれ、赤色の大きな看板があったのでアキウに聞くと、「ああ、ありゃあんたには早い店さ」とはぐらかされた。
 それから何度も、臙脂色の外套を着てつば付きの帽子をかぶった人間と遭遇した。彼らはぼくらの顔を一瞥すると、すぐ小走りに去って行った。
 そんなこんなで、ぼくが疲れて歩けなくなる前になんとか目当ての食堂にたどり着いた。汚水や蜘蛛の巣でぼくらはだいぶ汚れていたけれど。
 入ると中年男性の店主が「いらっしゃい」と声をかけてきた。店はひどく狭い。長方形のその空間は、十人入れば満員だ。店内には四人の客がいて、映りの悪いテレビを見たり、煙草を吸ったりしながら食事をしている。そのうちの一人は他の近所の住民らしき客から浮いていた。何度もすれ違った人たちと同じ臙脂色の外套を着て、腰には剣を下げている。ぼくらが席に着く前に彼は足早に店を出て行った。アキウに彼らは何者かと尋ねると、
「知らないのかい、ありゃテンマの警備団さ」
「テンマって?」
 そう聞くとアキウは、世間知らずだねぇ、これだからお坊ちゃんは、と言い、
「テンマと言やあ、この国一番の大財閥に決まってるじゃあないか。ここリザを管理してんのもテンマなんだよ――と言っても実質ほったらかしだけどね。ま、あいつらにはあんまりかかわらないほうが身のためさ、おっかないよ。しかし、なんだってあんなにたくさんいるんだろ?」
「なんだかテンマ本社でごたごたがあったらしいぜ」やかんでコップに水を告ぎながら店主が口を挟んだ。ぼくは喉がカラカラだったので、出された水を一気に飲み干す。
「へえ、帝都でかい?」
「ああ、なにやら、やらかした犯人が、この町に逃げ込んだらしい。おおっぴらには明かしてないがテンマは躍起になって、店の一軒一軒を探してるって話だぜ」
「はぁ、そいつはご苦労なこって。迷わないのかね」
「さあな、テンマのお偉方はこの町の道くらいちゃんと分かってるんだろうよ。で、あんたら注文は?」
「あァそうだなあ、あたしは焼魚定食で。あんたたちはどうする?」
 ぼくは考えて、アキウが味を保障してくれているとはいえ、初めての店で冒険はやめることにした。
「ぼくも同じものを。ミアもいっしょでいいかな?」
 聞くと彼女は頷き、ぼくらは三人揃って遅めの昼食に、焼魚定食を食べることとなった。壁の品書きを見ると、「ホネクイウナギの肝汁」「歯車卵焼」「ハイカラカレー」など興味深い名前が並んでいるけれど、ここは無難にいこうと自分に言い聞かせた。
 ほどなくして、料理が出てきた。何の変哲もない、焼魚と味噌汁にご飯、漬物の組み合わせ。味も確かに悪くない。
 魚をつつき、味噌汁を飲んでいるとアキウが聞いてきた。「そういやあんたたち、今日泊まるところは決まってないよね?」
 咀しゃくしながらぼくが頷くと、
「じゃあ、あたしのとこに泊まらないかい? ここで親戚が店やってんだけど、今夜はそこに泊めてもらう予定なのさ。狭いけど二人くらいならなんとかなるよ」
「そこまで甘えてしまっていいんですか?」
「なあに、いいってことさ。ただ――」
「ただ?」
 頭をかきながらアキウが言う。「ちょーっと、場所が曖昧なんだよねえ。実を言うとこの店の場所もうろ覚えだったんだよね。えっとおやじさん、東六番町のナトっていう薬屋を知らないかい?」と、店主に聞くが、
「ナト? いや、分からないなあ」
「そっか、ああ、もしかすると五番町だったかもなあ。さあてどうやってたどり着こうかねえ」
「そんなら、『案内屋』に頼むといい」首を捻るアキウに、店主が言った。「あいつなら多分知ってるはずだ。呼んでやるよ」
「おお、ありがとうおやじさん。次来たときも絶対寄らせてもらうよ。よし、そうと決まれば一安心だ。ホネクイウナギ一杯くれ」
「あいよ」
 アキウが注文したのは、先ほどぼくの興味をひいたものだった。ウナギの肝の汁。どんな形で出てくるのか。
 ぼくが密かに期待する中、出てきたのはコップに注がれた透明の液体だった。いったいこれはなんなのだろう。
 見ているとアキウは「飲むかい?」と差し出す。ぼくはありがたくいただいた。
 匂いもろくに嗅がず、半分ほどを飲み干す。喉に苦味があり食道がじわりと熱くなった。
「これは、酒じゃあないですか?」ぼくは言うとアキウはにやりと笑い、「いいや、もっと気分が良くなるものさ」
 店内がぐらりと揺れた。地震? 一瞬そう思ったけれど何のことはない、ぼくの頭が揺れただけだった。テレビの音やアキウの声が、次第に遠のく。目の前のミアの顔もぶれている。そして視界に何かが姿を現した。
 蛍。そう思った。青白い光が宙を舞っている。どこからか入ってきたのだろうか? ――いいや。これは、幻だ。ホネクイウナギの肝汁とは、酩酊させ幻を見せる飲み物だったのか。アキウが何か言っているけれど、どこか遠くで喋っているかのようにはっきりと聞こえない。
 ああ。こんな状態で、目的地までたどり着けるのか。だけどこういうおかしな気分も悪くはないかな、とぐらつく頭でぼくは思った。

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