五話目「案内屋と薬屋」
「しょうがないねえ、こんなに弱いとは思わなかったよ、まったく」
店内でしばらくの間休み、ぼくはだいぶ素面に戻ったけれど、未だ視界を青白い見たこともない蟲が飛び交っている。
「酔い醒ましの飴さ、舐めるといいよ」
アキウは缶を振って茶色の飴玉を出す。それを口に入れると薄荷の匂いが広がり、少し意識がはっきりした気がする。
「ま、あんたの『記憶』ちょいともらっとくよ。あたしも強く酔いたいときがあるからね」そう言ってぼくに指を向けると、ぼくの口から青い煙が出て、アキウの手のひらに留まった。それを口で吸う彼女。
「うわっ、こりゃすごいねえ。こんなの見たの初めてだよ、あたしゃ」
頭を左右に揺らしてそう言う。ぼくと同じく、いろいろおかしなものが見えているのだろう。しかしすぐに魔術が切れてしまい、アキウの酔いは醒めてしまった。
「さあてそろそろ行こうか。ミア嬢ちゃん、センを頼むよ。おやじさん、呼んでくれるかい?」
「あいよ」店主は黒電話で案内屋を呼ぶ。立ったはいいものの、足元がおぼつかないぼくを、ミアが横から支えてくれた。
しばらくして、店の戸が開き一人の女の子が姿を見せた。不似合いの大きな帽子をかぶり、木箱を背負っている。想像していたよりずっと歳若い。
「はいっ! お呼びいただきありがとうございます! 案内屋のライライですっ。本日はどちらまで?」快活に言う彼女。アキウはいささか不安げだ。
「東六番町のナト薬屋まで頼むよ、確か十三丁目の辺りさ。……だけど本当に大丈夫かい? 途中で迷ったら金は払わないよ」
「もちろん大丈夫です、ご安心を! ふむふむ、ナト薬屋……」
ライライは背中の木箱から分厚い紙束を取り出した。どうやら、リザの地図らしい。アキウが覗き込もうとするが、
「ああっ、見てはダメですっ! これは企業秘密!」と隠す。
「なんだい、減るもんじゃないしいいじゃあないか。で、場所は分かったのかい?」
「はいっ、もちろんです! 所要時間、約五十分! 最短距離を行きます!」
「よーし、じゃあ行こうか。ああ、連れがちょっと酔っててね。多少時間がかかってもいいからゆっくり行ってくれないかい?」アキウの心遣いに感謝。
「了解しました! 所要時間、八十分に延長!」
こうしてぼくらは食堂を後にした。また暗い通路と階段を通る。ぼくは何度も足を滑らせそうになったけれど、そのたびにミアに助けられた。
食堂へ来るときより、心なしか上りの階段が多い気がする。目指すナト薬局は町の上層部にあるらしい。相変わらずテンマの兵士たちとすれ違う回数は多かった。剣だけでなく銃を持っている兵士もいたけれど、中には手ぶらの人もいた。
「ありゃ、魔術を使うのさ」アキウが説明してくれた。「それも武器に匹敵するか、それ以上のものを使えるやつだね。火を噴いて、相手を黒焦げにしちまうか、念力で首を絞めちまうか。いずれにしても戦いたくはないねぇ」
「だけどアキウなら、さっきの『ホネクイウナギの記憶』で相手を酔わせてしまえば、勝てるんじゃ」
だいぶ口が回るようになってきたぼくが何気なく言うと、アキウは感心したように頷き、
「ああ、その手があったか。なるほどそりゃいいな」
「それでも勝てないと思いますよ! テンマにはすごい技術を持った人がいると聞きます。相手が魔法や銃を使う前に攻撃は終わってるそうですよ」先頭を歩いていたライライが振り返って言った。「だから変な気を起こしちゃダメですよ!」
「分かってるって、金持ちと大集団には歯向かわないのがあたしさ。それより道は大丈夫だろうね?」
「もちろんですっ! あ、皆様。右手をご覧ください!」
ライライに言われた通りに右を見ると、建物の隙間から輝く夕日が見えた。そして茜色に染まった雲も。
「この場所から、この時間だけ見れる夕日です! 明日は晴れですねっ」
アキウはそれを見ると笑って、
「こいつはいいや、案内屋の嬢ちゃん、いいもの見せてくれたじゃないか。支払いはちょいと色をつけてやるよ」
「ありがとうございます! まもなくナト薬屋です」
石橋の上を渡り、建物の屋上にやって来た。鉄の看板があって「ナト薬屋」と書かれている。どうやら無事たどり着けたらしい。
「おいおい屋上からかい、まあいいか。じゃあ嬢ちゃん、ありがとう。またどっか行くときは頼むよ」アキウはライライに代金を支払う。小銭ばかりで数えづらそうだ。「……あとゴメン、やっぱ金ないからチップはなしで」
ちょっとがっかりしつつライライは、「はい、また案内屋ライライをご贔屓にっ」と言い、歩いていった。
「さあて、中に入ろうか。確か空いてる部屋があったはずだから、あんたたちはそこで寝るといいよ」開けっ放しの入り口から家の中に入る。急な階段を下りるとそこは薄暗い店の中だった。所狭しと置かれた棚には、いろいろな薬の箱に混じって、液体に浸けられた蛇、何かの卵、色とりどりの液薬入りの瓶、干したコウモリ、見たこともない花、木の実など、妙な物がずらりと並べられている。嗅いだことのない変な臭いがした。
「ナト、いないのかい? あたしだ、アキウだよ」
呼びかけに対し奥の部屋から一人の若い男が姿を現した。黄金色の髪を真ん中で分け、煙草をくわえた、眠たげな顔つきの人物だった。
「誰だお前……?」彼はアキウの顔を見ても、何者か思い出せないようだった。もしや別の薬屋に来てしまったのだろうか? ぼくは一瞬そう思ったけれど、アキウは彼に歩み寄り、
「あたしだって、いとこのアキウ。二年前にも来たじゃないか。忘れたのかい、ナト」
しばらく彼は首をひねって考えていたけれど、やがて「ああ……」と何度も頷き、
「思い出した。アキウか。すまん……最近忘れっぽくてな。今はまだ旅の途中か?」
「そうさ、また西の方へ行く予定でね。で、今日なんだけど、泊めてくれないかな? この子たちも一緒に」
ぼくらは会釈する。彼はこちらを見て、
「こいつらは?」
「途中で知り合ったんだ、どっかの放蕩息子とその許婚さ」
「あ、はいどうも、放蕩息子です」
ぼくがそんな自己紹介をするとナトは少し笑って、
「まあいいさ、泊まってくといい。だが場所があまりなくてな」
「え? 空き部屋がなかったかい?」
「それがな……」ナトは自分が出てきた硝子戸を開き、中にぼくらを招き入れた。
そこは机とテレビ、電話などが置かれた、六畳ほどの部屋だった。隅のほうには流しがあり、どうやら台所も兼ねているらしい。アキウは石壁を見て、
「あれ、ここに部屋があったはずだろう?」と困惑している。
「その部屋だが、使ってなかったんで売ったんだ。今じゃ改築されて別の家と繋がってる。だからこの部屋で全員寝なくちゃならないわけだが、それでもいいだろう? それとも店のほうで寝るか?」
「あの悪趣味な場所は遠慮するよ」アキウは即答した。
「悪趣味とは何だ、商品だぞ」ナトは多少むっとした様子で言う。
「そりゃ、失礼。ま、狭くてもいいよ、道で寝るよりは。はー、もう疲れたから、風呂に入って寝たいよ」
「ああ、沸かそう。風呂にはナメクジが多いから、入るときは気をつけるんだな」
ナメクジという言葉に、ミアがわずかに反応したのをぼくは見逃さなかった。さすがに彼女も苦手なものはあるらしい。
一日中歩き続けたために、ぼくの脚は疲れ切って棒のようになっていた。さて明日は次にどの町に行くのかも考えなくちゃ。
その夜。本当に風呂場にはナメクジが多く(カタツムリもいた)、汚れた服を洗濯しようとしたら洗濯機の中にもいて、乾燥機は故障で何度も止まり、貸してもらった寝巻きは防虫剤の臭いがひどかったけど、ただで泊めてもらったのだから文句はない。ミアはなんだか気分が悪そうだったけれど……。