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六話目「来訪者」

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 翌日。ぼくらはアキウのいびきを背景に、ナトが出してくれた朝食を食べている。ナトがなんどゆすったり顔をつねったりしてもアキウは起きなかった。諦めて彼は「こいつは朝飯抜きだ」と言い出し放置することにしたのだ。
 朝食のおかずは目玉焼きだ。ぼくの好み通り黄身は硬めだったので嬉しかった。黙々と食べているとナトが言った。
「なあお前ら、ほんとうのところはどうなんだ?」彼がぼくらの身分を聞いているのは分かった。「言いたくないんなら別にいいがな。何かわけがあるんだろう? 助けがいるならそう言えば手を貸してやらないでもない……たいしたことはできないが」
 ぼくは最初会ったときこの人を、ミアほどではないにしても感情の起伏が乏しい人物と判断した。しかし、割と温情に篤い人であるようだ。
 別に、真相を話してもかまわないだろう。そう判断したぼくは、自らに記憶がないことを打ち明けた。
「なるほどな。だが生憎記憶を取り戻す薬は置いてない。寝坊を治す薬もな……」ナトはアキウのほうを見て言った。彼女はやけに幸せそうな寝顔をしている。何かを食べている夢でも見ているのだろうか。
「別にぼくは、自分の記憶にそれほど固執しているわけじゃあないです。いずれは取り戻すことも考えようかと思いますが……それがいつになるかは決めていないし。もうしばらく、彼女と一緒にいろいろな町へ入ってみたい。今はそう思っています」
 ミアはぼくの話を聞く素振りもなく食事を続けている。
「なるほどな……本人がそう言うのなら俺はもう口を挟む気はない。野暮だったな。ま、何か欲しい薬があったら連絡をくれ。送ってやるよ。と言ってもあんまり重病には効かないが頭痛・風邪・二日酔いくらいならなんとかなる。もちろんまたこの町に来たら寄るといい……この狭いうちで良けりゃ泊めてやるから」
「ありがとうございます。だけどどうして、いきなりやって来たぼくらに対してそんなに」
「別に大した理由はない……ただ、新しく出会った知り合いだからだ。ここにいると他所からの客に出会う機会も少ないからな……まあ理屈はどうでもいいだろう」
 そうかも知れない。ぼくはアキウと出会って良かったと思った。彼女のおかげでここにやって来ることができたのだから。
「それで、次はどこにいくつもりだ?」
「そうですね……あんまり考えていなかったんですが、ひとまずは帝都のほうへ言ってみようかと」
 ぼくのバラバラの記憶の中にあったのは立ち並ぶ建造物と大きな赤い月。そして都で発生した血なまぐさい連続殺人事件。昨日の夜アキウの話を聞いていて分かった。ぼくは帝都へ行ったことがあると。そこへ行けば何か手がかりがつかめるかも知れないし、そうでなくてもこの国最大の都市を訪れてみたい気持ちはあった。
「そうか。ならここから西へ向かうといい。まずはウガンという町がある……一年中、雨ばかり降っている場所だ」
「へえ、ぼくは雨が結構好きなので楽しそうですね。この町をもっと見ていたいんですが、すごく迷いそうだし」
「すべて見ようとしたら何年もかかってしまうだろうな……。もっともそこまで見るべきものもないだろうが。しかも今はテンマのやつらがうろついているしな。早めに退散したほうがいいかも知れん。本社で何かをやらかした犯人がここまで逃げてきたらしいが……迷惑な話だ」
 帝都でいったい何があったというのだろう。こんな遠くの町まで追って来るとは、よっぽどの大事件か。

 食事が片付いてからアキウはようやく起きて、朝食を食べられなかったことにひどくショックを受けていた。
「三食食べないとあたしの一日は半端な形で終わっちまうのさ……仕方ないね、どっかで食って来ようか」
 そう言ってアキウは店から出て行った。やっぱり彼女は、食事をかなり優先した人生を送っているようだ。
 ナトも店のほうへ行き、部屋にはぼくとミアだけが残された。
「さて今日はどうしようかな……。町を探索しようにもぼくじゃ迷ってしまうしね。今後どこへ行くべきかは決まったことだし、大人しくしていようか」
 次に目指す雨の町ウガンへは、明日にでも旅立てばいいだろう。
 そのとき店のほうで声がした。
「朝から失礼。尋ねたいことがある」
 戸を開けて見ると、入り口に黄金色の髪の女性が立っている。腰に差した長い剣と臙脂色の外套。テンマの兵士だ。
 これまで町で見かけた役人のように事務的な兵士たちと違い、その鋭い眼光には迫力があった。一にらみでぼくのような貧弱な人間は、たちどころにひるんでしまいそうだ。
「こちらに不審な少年は来ていないだろうか? 銀髪翠眼で小柄、胸に傷を負っている」
 彼女が凛とした声で言う。不審な少年というくだりに一瞬ぎくりとしたが、むろんぼくのことではない。
 ナトは面倒そうに答えた。「さあ。来ていないな。そいつがこの町へ逃げ込んだという犯人か? 何をやらかしたんだ?」
「そこまでは言えない。では見かけたらすぐに連絡を。それからなるべく外出は避けるように」それだけ言うと兵士は店を出て行った。ぼくはなんとなくほっとする。
「外出するなだと……客がさらに来なくなるだろうが」ナトはそうぼやく。彼はこちらを振り返って、「不審な少年と言われてお前のことかと思ったが、眼と髪の色が違ったからな。しかしアキウが何か兵士たちとと悶着を起こしていなければいいが……あいつ、空腹で機嫌が悪そうだったからな」
「大軍団と金持ちには逆らわないって昨日言っていました。大丈夫だと思いますよ」

 ナトの予感は幸いにして外れ、アキウはそれから数十分後、無事に帰って来た。しかし背中に何かをおぶっている。それは一人の少年だった。
「メシ屋の裏にこいつ倒れてたんだけどさ。具合見てくれないかい? 死んではいないようだけどさ」
 店の床に下ろされた彼は銀髪翠眼……おまけに上着からのぞく胸には血がにじんだ包帯が雑に巻かれている。
「お前……猫でも拾うようにそういったものをな……」
 ナトが文句を言おうとしたとき、少年が目を覚ました。そして第一声は、「どこだここは」
 と、店内をきょろきょろと見まわす。「人がせっかく寝てたのに何でこんなとこに連れて来んだよ」
 目をこすりながらそう言う彼。
「文句は後ろに立ってる奴に言え」とナト。少年は振り返ってアキウを見る。
「ああ……なんだ、あんたがオレをここまで連れて来たわけ? 何のつもりだよ」
「何のつもりはないんじゃないかい。あんた怪我してるだろ」
「怪我? ああこれか」少年は乱暴に包帯を取る。その下から現れたのは傷ひとつ付いていない皮膚だけだった。
「あれ? だけど血が……」
 困惑するアキウに少年は平然と言う。
「分かっただろ、オレは怪我なんかしてねえ。ただ寝てただけだ。じゃあそういうことで……」
「待て」店を出て行こうとした少年にナトが言った。「お前がテンマで何かやらかした犯人だろう。さっき兵士がここにも来たぞ。お前のせいで俺の店はますます閑古鳥が鳴くはめになったんだ」
「知るかよそんなの……商業戦略が間違ってるからじゃねえの? 店の雰囲気とかさ……ん、ちょっと待ってくれ。もしかして金髪の女兵士がいなかったか? 背が高くてでかい剣を持ってるやつ」
 さっきこの店に来たのがその人物だとナトが言うと、少年は額に手を当てて、
「ああー、アサカの姉さんが近くに来てるか。うーん、そりゃちょっとまずいかも知れねえな……なああんたら、少しの間かくまってくれない?」
「何だいあんた、さっきはなんで助けたとか文句言ってたくせに」アキウが口をとがらせる。
「いや助けてくれてありがとうございます、本当」今更ながら頭を下げる少年。「今日一晩だけでいいんだ。一回ここに来たんならやつらももう、中までは調べねえはずだからさ。意外とテキトーなんだよあいつら。そうだな風呂場にでも隠してくれればいいからさ。飯もいらねえし」
「……まあ別にいいだろう。あと一人くらい同じだ。ところでお前の名前を聞かせてもらおうか」
 しばらくの沈黙のあと少年は口を開く。
「イチナ、そいつがオレの名前さ。じゃあオレはまた寝かせてもらうぜ」
 風呂場へ入って行く彼。昨日今日でにわかにナト薬店はにぎやかになった。急遽四人の来客があることなど初めてだろう。しかもそのうち一人はどうやら札付きときている。
 その後入浴の時間になり、風呂場から出てくるようにナトがイチナへ言うと、部屋に入ってきた彼の顔には一匹の大きなナメクジが。にやついた彼の表情からすると、なんのつもりか故意に貼り付けたものらしい。またしてもミアが大きく衝撃を受けていたのは言うまでもない。

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