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第三話 霊山と山神

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 ガァアアアアアアアア!!!!!!!グォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!グヮアアアアアアアアアアアアアアアアアアッハッハッハ!クヒャヒャヒャヒャヒャ!アアーッハッハッハハッハッハッハ!

 雪山、時は少しさかのぼって吹雪の日。
 エヴォル・エキルがユキメラという不思議な生命体を創造した日。
 夜の雪山に奇妙な咆哮が木霊した。およそ咆哮と呼べないような咆哮。途中からは高らかな笑い声に聞こえないこともない。

――ク、クヒャフフフ!!ああ、愛しいな、あの覚悟を決めたときの顔、恐怖に引き攣った顔、全てに絶望して泣き叫んだ顔、醜くも生きたいという願望を搾り出したときの顔、どれをとっても最高だった!愛してあげる、もっともっと愛してあげるのさ。何度思い出しても心身ともに奮い立つなぁ。ヒヒ…――

 およそ理性を持っているとは思えない野生のいでたちの大きな大きな熊、それも銀色の毛皮を持つ異形の獣が人の言葉をしっかりと発音していた。

――それにそれに!楽しかったなぁ。アア、楽しかったよ!あの側にいたちんちくりん、なんていってたっけ。ユキムラだったかな。なんだったかな。なんか叫んでた、殴ってもなんでか避けなかった。エターにとっては邪魔、そうエイヴィーを愛するのには邪魔者になるかもだけど――


 言いたいことを言い終えたその獣は、体中の穴と言う穴からどす黒いもやのようなものを噴出させる。そうしてその熊はまるでしぼんだゴム風船のようにグニャリと地面に横たわった。瞳のあったらしき箇所は深淵の暗闇、生気のないその抜け殻には、既に時が流れてはいない。ただただ降りしきる豪雪にソレはすぐに埋もれてしまった。


―― 一緒に愛してあげようかな、クククヒヒヒヒ…――





 ユキメラ!!第三話『霊山と山神』





―――――




 ムヤミとヤタラがエヴォル宅の居候となった日から数日が立ったある日のこと。雪山のふもとから広がる雪原にポツンと建つ小さな家、最近は少し賑やかになったその場所にはいつもお騒がせ妖精の声が響くのだが、今日は少し様子が違った。

「大変なのだー!エイヴィー、いるかー!?」

「んぉ。なんだラエブか、今日は一匹なのか、珍しい。いつも一緒の片割れはどうした?」
 リビングから角を覗かせて聞こえるは雪男の声である。

「お前はお呼びじゃないのだ、エイヴィーはいないのだ!?」

「エイヴィーたんなら近くの町まで買出しに行ってるぜ。ったく…また悲しい顔して戻ってくんだろーなぁ。やだやだ、かぁいい幼女の悲痛な顔なんて何度見ても飯がまずくなる」

「下らん話に付き合ってる場合じゃないのだー!緊急事態なのだ!」

「下らんだと…。さっき幼女の悲痛な顔は見たくないっていったが、ありゃスマン撤回する。ラエブ、お前の顔を歪ませてやるぅ!」

「そういうじゃれあいは今は本当にいらないのだ!じゃあじゃあ怪物うさぎはどこなのだ!?」

「そうなのか…オイラなんかさみしい…。ユキメラならウチの姉と修行中じゃないかな…雪山の方行ってみ。」

「行ってくるのだ!おーい、怪物うさぎーーー!」

 そういって勢いよく玄関の扉が閉められた。



*



 そのやりとりの半刻ほど後、ラエブが呼び戻したユキメラとムヤミ、帰ってきたエヴォルも加えリビングにエヴォル家居候の全員が集まった。
 視線が集まる中央の机にはこれから始まる会議の議題であろう妖精がぼぅっと宙を見つめて呆けている。

「マク、マクってば」

 机の中心で呆けているのはいつもラエブと一緒の雪妖精マクであった。瞳は開いているがそのエヴォルの呼びかけには反応がない。机の中心でだらしのない表情を携えて、ただ座っているのみ。

「どうしちゃったのよコレ。いつもはあんたと二人でピーチクパーチク小鳥のようにやかましいマクが。人形みたいになっちゃってるじゃない」

 口調こそなんでもないように振舞うエヴォルだが、その表情は少し不安が伺える。なんだかんだで状態異常であるということはその場の誰もが感じ取っていた。ラエブが事情を説明しようと口を開く。

「昨晩からずっとこんな感じなのだー」

「何かの病気かしら、少し本棚を漁ってみたほうがいいかな」

 得体の知れない物に対処法がわからないと不安になるのは人の性である。エヴォルはどうにも落ち着かないようだ。反対にユキメラ、ムヤミは押し黙っている。ムヤミは普段からあまり口数の少ない方であるが、頼りにしているユキメラが何かを考えているように沈黙しているという状態はエヴォルにとってなかなかに重い空気なのだろう。

「まぁまぁ。エイヴィー、落ち着きなって。人間の文献はきっと雪山の生き物には通用しないぜ」

 いつもどおりの能天気な声でその場の空気を一転させたのはやはりヤタラだった。

「オイラにはこのマクの症状に覚えがある」

「本当なのだ!?ソレは何なのだ!?ヤタラ!早くなんとかするのだ!」

 ラエブにとっては本当に姉妹のように仲の良い友人であるマクの事である。本当に気が気ではないといった狼狽が窺える。

「だから落ち着けってば。マクのこの状態はだな、昔まだオイラ達がチビの頃いたずらでムヤミにイイモデードを食わせたときの状態によぅく似ているぞ」

「…イイモ、デード、だと…?」
 ボソリと呟いたのはご存知雪人、戦士の一族期待のホープ、ムヤミさん。彼女の顔面に、その声と共に額に青筋が浮き出たのが見えたのはきっとヤタラ以外の全員。そんな事は露知らず話し続けるまぬけな雪人、ニートの鏡、ヤタラさん。

「イイモデードってのは雪山のじめっとしたところに生えてる花なんだけどさ、毒草なんだよね。食べると毒になるの。でも5秒で治るんだよね。5秒間アンニュイな気分になるんだ。それを夕飯に刻んでムヤミの皿に一服盛ったんだけど、そのときのムヤミの表情といったらwwwwwwwww。一生忘れられんねwww、よだれたらしちゃって一言、ドウデモイイってwwwwwwぷぇwwwww思い出し笑いでご飯3杯はいけますってかんじwぶwwwwww」

 そして笑い出すヤタラ。もちろんその場で笑っているのはヤタラのみ。静かな家の中で唯一人の爆笑。

「(ちょ、ラエブ、早くヤタラのバカ笑いとめなさいって。また家壊されたらたまらないわ)」

「(無理なのだ、あいつの背後を見るのだ)」

「(ゲ、すでに背後に回ってるわ、鬼神のごときシルエットが見えるのは気のせい…じゃない…)」

「(耳の置くから効果音が聞こえてくるのだ。ゴゴゴゴって。これが…凄味のオーラ…)」

「ヒーッヒッヒwwwwwwwドウデモイイwwwwぶwwwくあぁwwwwwっくくくっぶwwwww」

「…アラレヤコーンコ」


*


「じゃあマクはイイモデードを食べたからこうなったのだ?」

「違うわね。さっきヤタラが言った事が正しいのであればイイモデードの毒は5秒で治るはずよ」

「そっか、マクは昨晩からこんな感じなのだ」

「新種の病気か何かかしら。ムヤミは何かわからない?」

「…知らない…」

「困ったわね」

 そうして全員が口を塞いでしまった。やかましかったヤタラは玄関の前で氷漬けになっている。リビングに氷の塊を置いておくと氷が溶けて床が水浸しになってしまうからだ。それでもさきほどのやかましさが今となっては惜しくなるほど皆の気分は重い。
 そんな中、今まで黙っていたユキメラが口を開いた。

「原因はわからないがアテならある。雪山に何でも知っている知り合いがいてな…」
 エラく歯切れが悪いように感じるのは気のせいだろうか。しかし望みのあるその言葉にエヴォルは反応する。

「雪山にお医者さんがいるの!?」

「ムゥ…医者ではないのだが、多分治療が可能な人物だ」

「…雪山に、人…?」

「ウム。ただ、エイヴィー。貴様はあまり連れて行きたくはない、な…」

「何を言ってるのよ、ユキメラらしくもない。私は行くわよ。大事な友達を守るためですもの」

「なんというかな…危険なんだ。」

「関係ないわ、危険ならあなたが私を守ればいいことでしょう」

「そうなのだが…」

「なんでもいいのだ!マクが治るならなんでもいいのだ!早くそこに連れて行けなのだ!」

 そのラエブの叫びが決め手となって一向は雪山へと向かう準備を始めた。
 奇妙なほど歯切れの悪いユキメラに違和感を感じているのはエヴォル。それでもユキメラは、ラエブの目尻に涙が浮かんでるのを見て押し黙ったのだろう、そうあってほしい、エヴォルはそう思った。


――――

-霊山の山腹-



 ~…私は、いけない…~

 ユキメラの『アテ』の探索にムヤミは同行できないと言った。
 ムヤミは、いや、雪守人の一族は霊山の領域に、本来なら近づく事も許されないのだという。
 そもそも、雪守人つまりは雪男と雪女の一族は霊山を守る事を存在意義としており、特別な事態が起こらない限り、それは破られることのない鉄の掟なのだ。現在、ムヤミとヤタラは霊山とやらの領域にしっかり入っている私の家に住み着いてるけれど、それもやっぱり雪守人の掟においてアウトなんだろうなぁ。それでも私の家に住んでるのは居心地がいいから?悪い気はしないわね。

 というわけで、現在登山に勤しんでいるのは私ことエヴォルとユキメラ、そしてユキメラの背中にくくりつけられたマクとそれを心配そうに見守るラエブの4人なわけであるが。ムヤミが同行してくれなかったのは私にとっての誤算。先日の銀色熊の例もあり、やっぱり雪山には危険が沢山あるだろう。だから雪の中で生きるムヤミがいてくれたらきっと危険の予測にも一役買ってくれたのではないだろうか。

「エイヴィー、前方に大きな岳が見える。少し迂回するぞ。そこ、足元に気をつけろ」

「わわっ。ユキメラ、ちょっと歩くの早い」

「ぬぅ、そうか」

「エイヴィーが遅いのだ。頑張るのだ」

「ラエブ、そう急くな。焦ると不注意が危険を招くぞ。少しここら辺で一休みするか、もう少し行った所に小さな洞穴があったはずだ」

「休んでる余裕なんてないのだっ。そんな暇があったら少しでも進むのだ!」

「ラエブ、焦る気持ちはわ…」

「ユキメラ、いいわ。行きましょ」

「ほら、エイヴィーもそう言っているのだ。行くのだ」

 そういって先導するユキメラの前を飛んで行き一行を急かすラエブ。その様子には必死さが痛々しい程に伝わってくる。

「ぬぅ…エイヴィー大丈夫か?」

「ええ、ラエブがあんなに必死なのは始めて見たわ。行きましょう」

「そうか、つらくなったらすぐに言え」

 一行はまた歩き始めた。

 ラエブとマクは姉妹みたいなもので、ずっと一緒に大きくなっていったらしい。ムヤミとヤタラは本当の姉妹だ。私にはホントの家族はいないけど。

 私がつらいときには誰かが必死になってくれるのかな。


23, 22

  

*

 どれくらい歩いただろうか。どのくらい登っただろうか。私の前を小さな妖精が飛ぶ。その更に前をおばけのうさぎが歩く。おかしな光景だ。その奇妙な一行のしんがりは私。うさぎが踏み鳴らした道を小さな歩幅でしっかりと進む。おかしいな、さっきまで雪なんて降っていたかしら。ちらりちらりと小さな雪が舞い始めた。
 ああ…


「綺麗だな…」


 何かが聞こえる。

―――エ……ィー、神……守…続…た、エ…ヴ…ー、このせ……は…………い…で…か?―――



「エイヴィー、どうした!エイヴィー!」

「エイヴィー、ごめんなのだ、目を覚ますのだ!ボクが悪かったのだ、急に倒れるなんてナシなのだ!」




―――見…いな…、見ればいい…お前は………のだから―――


「ぬぅ、無理をさせすぎたのか、エイヴィー!返事をしろ!」

「困ったのだ、うぅうううう困っうぁあぁぁぁん」

「ここで立ち止まっていて仕方がない。とにかくだ。休めそうな近くの洞穴まで戻るぞ。そこで火を焚こう」

「ううぅうううぁ、マクも…エイヴィーも…うぇっうえっんんぐす…」


 ああ、泣かないで。ラエブ。あなたの笑顔が見たいから。皆の笑顔が見たいから私は付いて来たのに。


―――知り……か、知りた……ら見…ばいい、お前は………なのだから―――


 何かが聞こえる…私は見たい、手の届く全てを…知りたい。







*







 妖精の里は、子どもが生まれない事態に頭を悩ませていた。
 新しく子どもが生まれない。それは、世界が妖精を必要としなくなってしまったのか。妖精の力の源が湧き出る自然のマナが減り続けているからか。他の生き物が妖精の存在を忘れていってしまったからか。
 原因はわからない。とにかく、子どもが生まれない。つまりそれはその一族が衰退し、いつかは根絶するということを示す。だからといって原因のわからない、ましてや世界単位のような規模の大きい問題に妖精たちはどうしていいかわからない。

 そんな中、ボクは生まれた。

 子どもが生まれない、理由も分からない天災とでも言うべき事態の、どうしようもない時代に生まれた子どもである。とても大事に育てられた。それは過保護なんていうものではなかった。朝昼晩の寸分違わぬ食事。親からの教育、親以外の人とは、いや生物とはまったくの触れ合いがなく、ただただ毎日が同じ日々。ご飯、排泄、勉強、ご飯、排泄、勉強、ご飯、排泄、勉強、睡眠、起床、ご飯…。次第に色あせていくなんてものじゃない。まだ小さなボクには、その毎日はあっという間に色あせた。その日の天気でさえろくに分からないような小さい窓が一つ、真っ白な壁紙のその部屋に軟禁されているボクのただただ続く無間地獄のような退屈は、いつか、あと少しもたたないうちにボクの気を狂わせていただろう。ハートの器が濁った何か分からない液体で一杯になって今にもこぼれおちそうになったとき、その中にスポンジのような柔らかいものが投げ入れられた。
 はじめの一言。

「辛気くせぇ!ゲロ以下の匂いがプンプンするです!」

 ボクとマクの出会いはその一言が始まりだった。

「同い年の妖精がここにいるっていうから来てみれば、ガッカリなんです。なんなんですかこの辛気臭さは!?」
「あの」
「この時代、我らが妖精一族絶滅の危機に生まれた私とあなた、どげんかせんといかんとはこのことですー!」
「ね、ねぇ」
「もっとハキハキとしゃべりやがれこの根暗マンシー!!」
「ひぅ」

 怒られた、わけもわからず。ボクは喋るタイミングがわからない。そもそも家族以外とコミュニケーションをとったことが皆無なのだから感情の起伏の激しいその声はボクを萎縮させた。

 家の一室、ボクの部屋。軟禁状態のそこには高い位置に小さい窓が一つ。そこにも格子がはめられており抜け出せない。でも、その隙間からぷりぷりとした女の子の声がボクの耳まで。

「ずっとそんな所にいて、楽しいですー?」
「え、と」
「抜け出そうとか考えないですか?」
「その」
「この里でここ何十年、生まれた妖精はマクとお前だけらしいですー」
「君…」
「キミじゃないです、マクはマクです」
「ま」
「マクの後に『さま』を付けてもいいですよー」
「ボク」
「ボクっ子ですかー、なかなかいいキャラをお持ちですー。でも少し弱い…」

「ねぇってば!」
 ハッとした。生まれて初めて自分の声を聞いた気がしたから。

「なんだ、声出せるじゃないですかー」
「声は出してた、けど…」
「お前がさっきまで出してたのは小さい『音』。今のは『声』に聞こえましたです。さて、お前」
「ボクはラエブ…」
「ウジウジ野郎にはもったいない名前です。まだお前はお前で十分です。さて、声を出して私の話を中断した事に何か大した理由がないというのならマクはお前を車輪に轢かれたウシガエルのようにしてやるです」
 ボクは車輪も、ウシガエルも見たことがないから恐ろしさが分からない。でも次々に喋る壁の向こうにいる妖精の話はおもしろくて――

「あの、マク…さん。ボクひとつ聞きたい事があります」
「そのうざったらしい敬語と私の名前をショボくさせる『さん』をとったら答えてやらんでもないですー」

 なんでこの子はここまでボクに構ってくれるんだろう。ボクなんかと話してても楽しいんだろうか。

「その、そこから見える景色は…綺麗ですか?」
「あぁん?何言ってるか聞こえなかったですー」

「そこから見える景色は綺麗にゃにょっ、で」
「ぷっ」
「/////そこから見える景色は綺麗なのだ!?////////」
「ぶふぁっ、アハハハハハハハwww」
「フフ、アハハハハハハwww」
「「アハハハハハハハハwハハハハハハハハwwwwwwwww」」

――ボクたちは笑いあった。









「ラエブ、その口調であなたのキャラはコレクトですー。できたらずっとそのままでいるです、マクはそっちの方が好きです」

 自分の名前を呼んでもらうことがこんなにも照れくさいなんて。好きだという言葉がこんなにも嬉しいなんて。

「口調って、えっと…なのだー?」
「そうです、それですー」

「それでマク、そこから見える景色は綺麗なのだ?」

 壁越しに、相手の姿が見えないままに三たび問う。
 沈黙、時間がたってボクが少し不安になったとき、マクは答えた。ある人の受け売りですが、という前置きを添えて。

「ラエブ、その答えは自分で見て自分で考えなきゃダメなものなのです」
「でもボクは」
「扉に鍵がかかっている?窓には格子がはめられている?檻は固く閉ざされている?」
 マクはゆっくりと諭すように。

「全ては自分で考えることですー。扉を開くには?格子をはずすには?檻をこじ開けるには?そして今自分が見えてる景色は美しいのか。ラエブ、今見えている景色はどうです?」

 ゆっくりゆっくりと、されどつらつらと。

「自分で考えるです。自分は今どうしたいか。そうすればきっと世界の何もかもが輝きを持つ。どんな逆境も楽しいとさえ感じる。ラエブ、あなたは今どうしたいです?」

「ボクは…」
 さぁ、もう目の前の白い壁は見飽きてしまった。扉の鍵が見つからなくても、窓の格子が邪魔でも、檻の口がしっかり閉じていたって、考えよう。ボクはどうしたい。

「ボクはキミの、マクの顔を見てみたいのだ。外に出てこの目で世界を見てみたいのだ。」

「それなら、マクはラエブを助けたい、ですー」






 そしてマクと友達になりたい、のだ。
 






25, 24

  

―――――――
-霊山中腹部-



「…んん」

 夢を見ていた。夢にはラエブとマクが出てきた。いや、出てきたという表現はおかしいのかもしれない。私の視点はラエブになっていたのだから。いやに現実的な夢だった。まるでラエブの感じたこと全てをもう一度自分で体験したみたい。ひどく頭が重い。瞼を開け、ぼやけた視界に入るわずかな光の方へと呼びかけてみる。

「あ、んぁ…」

 出たのは声にならない音。喉が痛かった。でもユキメラが私のかすかな呻き声に気づいてくれた。

「気づいたか、いま湯をいれてやる。飲め」

 そういって私の体を起こしてくれ、あったかいお湯の入ったカップを手渡してくれた。喉にたまったイガイガが綺麗に落ちた気がした。

「ここは?」
 小さな焚き火が暗がりを照らす。
「貴様が気を失って、必死に休める場所を探したら運良く洞穴が見つかった。そこのオチビががんばったのだ」

 ついとユキメラが視線を落とした先にはグッタリとラエブが眠っていた。

「随分長い間、気を張っていたようだ、もう少し休ませてやろう。ひとまず夜はここで明かそう」

 そういってユキメラは黙りこくった。入り口の方を見張る彼の背中はひどく小さく思えた。先日熊と戦ったときにはとっても頼もしかったのに。

 静寂。

「ねぇ」

「どうした」

「何かお話、して」

「話…」

 彼のお腹にある大きな口が急にどもる。

「あいにく、話せるようなことはない…」

「私と会う前の話は…?」

「吾輩は貴様に作られたのだぞ。ただの兎だった頃のことはよく覚えてない」

「話したくないのなら、いい」

 私は、ユキメラが嘘を付いていると感じた。なんだか寂しくなって、悔しくなって、ソレを認めるのが嫌で嫌で、もう一度瞼を閉じた。
 それっきり、静かな洞穴。何刻かが経ったのだと思う。その間私はその場の倦怠感から瞼を閉じるも、眠れなかった。疲れているはずなのに、何かスッキリしない。すると私の足元でモゾりと何かが動く。
 ラエブである。
「んんぁ」

 静寂を破ってくれるという意味で、ラエブが目を覚ましてくれるのは何よりも嬉しかった、はずなのだが、

「ラエブ、起きた?」

「ぅぅ…」

 何か様子がおかしい。

「どうしたの?」

「寒いのだ、ぅぁ、なんなのだこれは、寒ぃ…」
 カチカチカチカチ
 あきらかに異常である。ラエブは全身を震わせて硬くなっている。額には脂汗が滲む。
「どうしたの!?大丈夫!?」
「寒ぃ、悪寒が、止まらない、のだ、」
 カチカチカチカチ
 洞穴に歯が小刻みに打ち合わされる音だけが響く。カチカチカチカチカチカチカチカチ
カチカチカチカチ  カチカチカチカチ
    カチカチカチカチ   カチカチカチカチ

ユキメラ!ラエブの様子がおかしいの!こっちにきて!

 ラエブが起きたと思うと急に今度はユキメラが洞穴の入り口付近を気にしだした。そちらへ向かって声をかけるもユキメラからの返事は

「エイヴィー、なんだか外からの空気の様子がおかしい。良からぬものが充満している。絶対にそこを動くでないぞ」

 こちらの声が届いてないのか。

ユキメラ!聞こえてないの!?

 ユキメラは吹雪く外へ姿を消した。

 どうなってる!?なんで、なんで聞こえないの!?

 声を張り上げてみる。

 ああああああああぁああああ!!!!

 洞窟内の反響はない。

「寒ぃ、寒ぃ」

 腕の中のラエブが呻く。雪が降る音なんて、ないよね。じゃあこの音は何?ラエブの歯軋り?違う、風の音?違う。
  ぎゃあぐえいやだげぇげぇでろでろぶちゃぶちゃべたべたべちゃり
 ただただ不快な音が止まない、病まない。

「何か、嫌なものが、来るのだ、逃げるのだ、エイヴィ…」カチカチカチカチ
カタカタカタ カタカタカタ カタカタカタ
 ラエブが体を震わせながら私に忠告する。聞こえているはずの私は、骨が全て一つの石の塊になったかのように動かなかった。カタカタと鳴るのは自分の体であるのも気づかずに。

「そろそろいいかな」
 ククク…クヒャア

 その音塊を醜悪な笑い声だと気づけたのは、ラエブの口から漏れたものだったから。彼女の口元が歪んでいたから。異変、異質なことが起きたということしかエヴォルには分からない。

 ラエブ? ねぇ、どうしたの? ラエブ!!

「クヒャクヒャァ……フヒ…フ……イヤだ…クヒャァクヒャクヒャ……エ…イヴィ……タ……スケ…テ……ゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲクヒャヒャヒャヒャハヤハヤハウ」

 周囲の暗闇が、いや、真っ黒、深淵からきたような暗黒がラエブの目から、鼻から、口から、髪からその毛穴から手から爪から足から指から腋から皮膚から排泄口から挿入口から穴から穴穴穴からから穴穴からあああああああ溢れ出る溢れ出る。

 あああああああああああああ!!!! ラエブ!! ラエブ!!!!

 かきわける。まとわりつく黒色を。液体か気体かも分からないその闇黒をはらう。目の前の妖精だったものは黒くなっていく。深い深い黒色、瞳の白い部分がもう唯の黒、エヴォルは声が出なかった。

「ねぇ、エイヴィー。見てごらん。自分の手を」

 何の声かも分からずにエヴォルは言うとおりにする。その声が優しかったから、というのもあるがほとんど何も考えられなかった。涙と鼻汁でぐちゃぐちゃな自分の顔を無理に拭って自分の手を見る。声が出た。

「ひ」

 真っ赤だった。

 どさり

 と、抱いていた『ラエブだったもの』を地面に落とす。恐怖がガクガクと体を支配する。逃げなきゃ、逃げなきゃ。ゆっくりと体を引きずり後ずさる、洞穴の出口へ向けて。ああ、体が震えて動かない。

「ひどいなぁ。地面に落とすなんて」

 地面に横たえた真っ黒なヒトガタから声が聞こえる。混沌が頭に渦巻くなか、なんとかエヴォルは声をひりだす。

「ラ…エブ?」

「ざんねん、この妖精さんはエターが食べちゃった。クヒャヒャヒャ、外の皮以外はもうほとんどエターになっちゃったのさ、クヒ」

「何をいって……」

「そうだなぁ、こうすれば分かりやすいかな」

 そう言って地面に横たわっていたラエブだったものは立ち上がりモゴモゴと口を動かした。手を口に突っ込むと同時にゲェという音、喉をごきりと鳴らし奥から真っ赤なものが飛び出る。

「心臓だよ、エイヴィーにあげる」

「げぇ」
 エヴォルは嘔吐した。いっそのこと狂ってしまったほうがどんなに楽か。しかしそこに充満する血の匂いが、鉄の匂いが、生ぬるい風が、そうはさせてくれなかった。
 エヴォルの嘔吐を見て笑う。

「本当はどうでもいい奴の内臓はエターすぐに食べちゃうんだけどさ。エイヴィーの大事な友達みたいだったから記念に残しておいたんだ、優しいでしょ? でも愛している人は食べたりしないでもっとゆーっくり撫でるんだよ」
 エターと名乗るものは笑う。
「エターはエイヴィーのことを愛している、あとエイヴィーといつも一緒にいるへんちくりんなユキメラとかいうのも愛したい候補のひとつだよ」

 クヒャクヒャ笑う。

「エイヴィーなんで逃げるの? ねぇなんで?」
 なぜかわからないと笑う。

「足ちぎっちゃおうか、エターにとってそのほうが都合がいいよね」
 名案だ、と笑う。

「エイヴィーの足を取ったらエターの足も取ろう」
 おそろいだ、と笑う。

「足を取るのは怖くないよ、ホラ」
 自分の足をちぎりながら笑う。

 真っ黒な粒子を噴出させながら笑う。ちぎれた足がまたくっつく。クヒャクヒャ笑う。
 黒色が霧散してエヴォルを通り越してまた集まる、出口への進行方向を塞がれた。もっともすでにエヴォルには逃げる気力はなかったのだけれど。エヴォルは目を閉じた。なによりもラエブの姿をした吐き気を催すほどのその存在を見たくはなかったのだ。
 ぞわり、足元に触れるものを感じた。体を何かが這い上がってくる。振り払うために何とか暴れる。それでも黒色は纏わりつく。粘り気があるのに手ごたえがない。耳元には甲高い笑い声だけ。耳の中はひゃりくひゃりという醜悪な音が幾重にもこだまする。
 ついにおぞましいものが体中を覆った。もうまぶたを開けることもできない。開けてはいけない、見たくない。怖い。
 
 力が…抜けていく…






27, 26

  



――数刻前

―エヴォル・エキルの家中では姉に氷づけにされるもなんとか抜け出したヤタラが暖炉の前でくつろいでいた。依然としてリビングの中央に陣取る大机の上には呆けた顔のマクが陣取っている。そしてそれを看病するムヤミ。エヴォルたちが家を出発して4時間ほどがたっていた。
 そんな中である異変が起きる。呼吸のための胸の上下運動以外ほとんど静止していたマクが急にプルプルと震え出したのだ。いち早く気付いたのはもちろん心配そうにマクを見ていたムヤミである。

「……ヤタラ、ちょっとマクを……見て……。」

「ん、どした?……ぬお、なんか震えとる!」

「……寒い、のかな……?」

「じゃあ暖炉の前に寝かせるか?雪妖精とは思えないなぁ」
 もちろん、寒がりの雪男が言える台詞ではないのだが。
 
 ヤタラがムヤミを動かそうと体に触れたときだった。少しマクの体が光ったかと思うと小さなノイズのような音がヤタラに聞こえた。
「「…ぉ…。」」

「ん?ムヤミ、なんか言ったか?」

「……何も」

「気のせいかな、何か聞こえたんだけど」

 マクが震えているのは変わらなかったので、そうボヤキながらヤタラは妖精の体を抱きかかえた。

 すると、

「「!!!!!!! 大変なのだっっっっ !!!!!!!」」

 ヤタラの頭の中に今度は大きな音が響いた。豪快にひっくり返るヤタラと状況が掴めず首をかしげるムヤミ。

「ぬおっ! なんなんだ、この声は、ラエブか?」

「「よりによってヤタラか!! いいから、ムヤミにもマクの体に触れるよう言うのだ!早く! 緊急事態なのだ!」」」

「なんなんだよ、こっちは全然状況がつかめな…」
「「早くするのだ!!」」
「…わかったよ。」
 ヤタラはしぶしぶムヤミの方を向く。
「おいそこで目をキョトンとさせてるムヤミさんよ、俺の頭を疑う前にこの妖精にちょっと触れてみろ。それでどういうことかわかるらしいぜ?オイラもよくわかんないんだけどさ、どうやら緊急の用事らしい」

「……ん」
 ただならぬ気配を感じたのか、ムヤミはその指示に素直に従った。

「「こっちはラエブなのだ!咄嗟に妖精魔法を飛ばしたのだけどマクの意識がないから誰かがマクのバイブレーションに気付いてくれなかったら通信できなかったのだ、とりあえず話ができてよかった!」」 

 一息でまくしたてるラエブの様子はやはり異常があることを感じさせた。携帯電話かよ、というヤタラのつぶやきは当然無視された。

「「緊急事態なのだ、何が起こってるか詳しくはわからないけど変な黒いモヤみたいなものに攻撃を受けているのだ、早くしないとエイヴィーの命が!!!」」

 エヴォルの命が係わる事態と聞いて二人の顔色が変わる。
「黒いモヤってなんなんだよ、そんなヤバい状況なのか」

「「……わからないのだ。ボクの体は……もう」」
 ラエブは何かを言いかけてから、なんでもないと返した。時は一刻を争うのだろう、語気が荒い。

「「場所は霊山の中腹付近、ボクたちは大分蛇行したからそこまで数時間かかったけど、マクの体を電話機にして直線距離をナビするから雪守人なら早く着くはずなのだ!すぐに助けに来てほしいのだ!」」






「「 エイヴィー、エイヴィー、聞こえる?ボクの最後の妖精魔法なのだ。といっても大した魔法じゃないのだけれど。最後なのに、ただの電話なのだ」」

 最後くらいもっと派手な魔法を使ってみたかったのだ、と言うその声はラエブのものだった。その声は笑っていた。

「「もうあんまり時間がない、行かなきゃいけないのだ。でもエイヴィーと話がしたかった。よかったのだ。お迎えにわがままを言ったのが効いたみたいなのだ」」

 えっと……と、そこでラエブは一呼吸置いてこう言った。 

「「エイヴィーにお礼が言いたかったのだ。」」

「「一人ぼっちで引きニートだったボクの殻をマクが壊してくれた。ボクは一人じゃなくなった、友達ができて二人になった。そのあとエイヴィーに会えて、一緒に遊んでイタズラをした。こわもてのウサギに怒られて、雪男をバカにして、雪女に捕まえられて、楽しかったのだ。まるで、本当の家族ができたみたいだったのだ」」

「「もう、一緒にはいられないけど、短い間だったけど、楽しかったのだ、ありがとう」」

「「生きるのだ、エイヴィー。どんなにつらくても最後まであがくのだ。殻はぶち壊すのだ。靄は振り払うのだ。ボク一人じゃエイヴィーを引っ張りだすことはできないかもしれないけど、ボクが仲間を呼んでやるのだ。みんなで一緒にエイヴィーを助けてやるのだ。生きることを死ぬまであきらめないで」」

「「ボクの分まで生きてほしい」」 
 ラエブ、何を言っているの?エヴォルはそう聞きたかった。まるでもう会えないみたいな……、そんな言い方。しかしラエブはエヴォルに話をさせるつもりはないようだった。

「「あと、マクをよろしく頼むなのだ」」

 その妖精は、最後にニッコリと笑った気がした。

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