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私は夢を見ていた。うすもやのかかる広漠な平地を、うつろな顔で歩いていた。
私のまえには、知らない人がいる。黒い紳士服を着て、ずっと私の前方を歩いている。
行き先はわからない。ここは八方を見渡しても、見渡せないぐらい広く、白く、ミルクのようだ。
灰色の大地は遠点まで続いて地平線で混じっている。
幾重にもかかった靄のフィルターの先に、そのラインが見える。
思い出すたびにぼーっとなる、不思議な感覚だった。私の前を歩く人には、
何を尋ねても何の意味もないだろうと、何となくわかっていた。
だから黙っていた。目的地に着くまではただ慈悲なく徒然と、そうして歩かなければならない。
豫め定められた目的地に着くまで、会話も、景色も、あったものではない。
ただ歩くことに楽しみを見つけなくてはならない。
淡々と、4つの足跡が大地に残る。雪が積もっているわけではなく、灰が積もっているのだ。それをずっと見ていた。
幾回も彼と足跡を交錯させながら、始まり乃至終わりのないことは永遠だと思った。たとえば、時間というものには始まりがあっても終わりはないと思う。普遍的に考えると、時間は何処までも続く。時間がないなどと言うことはありえない。始まりもなく、終わりのないものに円がある。環っかに始点を定めることはできない。時間は環なのか、もし時の流れというものがちょっとでも曲がっていたら、それは曲率をもって円となる。曲率が有れば、時間はループする。
2, 1

  

さてところで、時間の流れが曲線であれば、外側より内側の方が、流れる速度が遅い筈である。それは川の流れと同じだ。彼のセオリーを借りると、高速か光速で移動している方が、止まっているより時間の進み方が遅いらしい。
つまり、光速で移動することは、時間の流れの内側へ移動することと一緒である。
こうすると、やっぱり時間は始まりがない円だとする方が良いかも知れない。
 光速を越えると、どんどん時間の環の内側に近付いていく。光速を越えると仮定するのだから、これを第一の矛盾とする。何処までも加速するとやがて円周は短くなり(流れは遅くなっていく)、円の中心で時が止まる。それに至る速度以上の速度を第二の矛盾とする。
頭が痛くなってきたが・・・続ける。時が止まるとは、何だろうか?それはわからないにしても、例えばあなたが宇宙の何処にでも一瞬で行けるとしたら時間などないと同じではないか。その領域である。
そしてさらに、第二矛盾速度を超えると時間の流れが反対になることとなる。そう考えると何とも不思議である。絶対に無理だと言う人もいるかも知れないが、これを実現する為には自然界でマイナスを持つ物質を見つけなければならないと言うだけのことであって、詳しい説明は出来ないにしても、「加速するにつれて質量が軽くなる物質」「同じ座標に存在する二つの物質」「無」まあ絶対に無理だろう。

 それよりも、時間の流れは左回りなのだろうか右回りなのだろうか?これは重要な問題だと思わないだろうか?普遍的に考えると、時計は右回りであるから、当然時間の環もそうであると言う事ができる。しかし、同じ大視点で考えると、惑星の公転の向きと同じ、という方が説得力がある。いや、銀河の回転の向きと同じかも知れない、いや、宇宙の回転する向きと同じかも知れない(ちなみに最近宇宙の形が判明した。宇宙の回転している向きももうすぐわかるだろう)・・・。私はずっとこの問題について考えている。だが、結局は表から見れば右乃至左回りだし、裏から見れば左乃至右回りだと言える。そして裏も表も同じである。あまり大した問題ではない。

ちなみに、時間が渦だという可能性は排除したが、その考えによるタイム・ウェーブ・ゼロ理論が実証されるのがあと数年の内で・・・・・・・そんな夢を見ていた。


ああ・・・、夢から覚めたら、そこはもう目的地なのだろうか・・・?いや、夢から覚めたらベッドの上だ。何の変哲もない、そうに違いない。
4, 3

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