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3: 硬質アルマイト/深淵の瞳

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「――始めなさい」
 少女のその言葉を合図に緑の布に身を包んだ者達が全裸となり台に縛り付けられた少年を取り囲む。少女はガラス越しにその光景を見て静かに微笑む。
「やっと手に入れた“成功体”なのだから、決して失敗してはなりませんよ……」
 少年の腕に注射器が付きたてられ、光を放つ液体が彼の体内へと注がれていく。
「……」
『注入、終了致しました』
 緑の者達は注入を終えた後、即座にその部屋から退室していく。報告を聞いた少女は穏やかな笑みを浮かべ、未だ黙り続ける少年をじっと見つめる。
「――うぁっあぅ!」
 絞るようにして発せられた声と共に、びくりと少年の身体が一度撥ねた。その突如として起き始めた現象を見て少女はガラスに身体を押し付けると、燦然と輝く瞳で少年の姿を見つめる。
「きた……きた……きたっ!!」
 その身体を抑えるべくして括りつけられたそのベルトがギチギチと音を立てている。
「うぅ……うぁぅ……あぁぁああっ!!」
 かっと見開かれた目は血走り、注入された腕の血管は紫に染まり今にも破裂するのではないかというくらいにぱんぱんに浮き出始め、そしてそれはゆっくりと胸に向けて侵攻していく。
 口、耳、目と、穴という穴から煙を上げ始める。
「やっぱり……いたんだわ」
 少女は歓喜の声を上げる。「やはりいたのだ」と呪文を唱えるかのように呟き続け、視線はひたすらに呻き続ける少年に向けている。
 ぶちり。
 ベルトが引きちぎられ、煙を上げながら少年は床に這いつくばると、人とは思えないような力でタイルをガリリと削り取っていく。
 次第に少年の体に起きていた異変がゆっくりと収まっていったかと思うと、先程と何一つ変わらない姿を保つ少年がそこに佇んでいた。
「……」
 ぼんやりと定まらない視線を上下左右に向け、ふらつく足取りで一歩、また一歩と少女の立つガラスへと向かっていく。
「これで、やっとあの忌々しい“アメーバ”に対抗できる……」
 目の前でアメーバを注入されたのに生きている少年。
 この実験が成功したということはつまり、驚くほどの進化を遂げ、ゆっくりと知能を付け始めたアメーバに対抗しうる“存在”を手に入れたということとなる。
 たった一か月で全てを溶かし、成長を繰り返した結果逃げ回ることしたできなかった人類の希望がここにやっと生まれた。
「――おめでとう。貴方は世界を救う“存在”へと生まれ変わりました」
 首と両の腕を垂れ、ゆらりゆらりとこちらに歩み寄ってきた少年は、少女の目の前で止まった。
 ガラスを挟んで二人は無言で対峙している。
「……お金で買えない物はないのよ」
「……」
 少年は答えない。
「お金を費やした結果、貴方という世界を救えるモノを造り出せたのだから」

 刹那、轟音と共にガラス戸にびしりと罅が入る。その中心には……少年の拳。
「……な、なによ」
 強がってはいるものの少女はへたりと床に座り込み、罅の入ったガラス戸越しに少年を見上げる。
「貴方は巨額のお金が手に入る! 世界は救われる! この状況のどこに不満があるというのよ!」
 もう一度、拳がガラスに打ち込まれ、がしゃりと音を立てて破片が飛び散る。光を反射して煌めくそれは何か神々しくも見えた。
 少女は唖然としながら目の前で立ち望む少年を見つめる。
「……くそったれ」
 少年は一言そう言うと身体を翻し、少女を一人残しその場を立ち去ろうとし始める。
「しゅ、守衛!! そいつを捕獲して!!」
 力の限りに叫んだ言葉と共にすぐさまにガタイの良い守衛が数人少年へと駆け寄っていく。
「――くるなぁ!!」
 少年の一喝。
 それに怯んだ守衛の一人の顔面がガシリと掴まれたかと思うと、耳をつんざく様な悲鳴を上げ始める。
「……た、たぶぇくぇ……」
 最後まで言う事が出来なかった言葉を残し、守衛の身体ががくりと床に座り込んでしまう。
「お、おい……ひっ!!」
 頭を垂らしている守衛の肩を思い切り引いた瞬間、もう一人の守衛は声にならない悲鳴を上げる。

――溶けているのだ。顔面が。

 その白い骨の見えた顔面を一瞥し、少年は静かにほくそ笑むと再び少女達に背を向け、歩き出す。
「待って! どこへ行く気なの!」
「人類の運命を無理やり押し付けられるなんて――」
 鋼鉄の扉に手を当て、そして静かに呟く。
「まっぴらだ……」
 扉はじゅううと音を立ててどろりとした液体と化し、人一人が入ることのできる穴を開けると、少年は穴を抜けて行く。
 そして、その場には少女と、守衛だけが残る。
 少女は呆然とした状態でその穴を見つめ、そして震える声で言った。

 世界は、もうおしまいだ――と……。
3

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